アビジット・V・バナジー& エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学』

 2019年にノーベル経済学賞を受賞した2人(マイケル・クレーマーも同時受賞)による経済学の啓蒙書。2人の専門である開発分野だけでなく、移民、自由貿易、経済成長、地球温暖化、格差問題と非常に幅広い問題を扱っています。

 著者らが得意とするのはRCT(ランダム化比較試験)を使った途上国での研究で、本書もマクロ経済学の理論に対して、ミクロ的な視点から「本当にそうなのか?」と問い直すものが多いです。

 経済成長に関する部分など、意見が分かれる部分もあるかとは思いますが、全体を通じて非常に面白く、刺激的な内容になっていると思います。

 

 目次は以下の通り。

1 経済学が信頼を取り戻すために
2 鮫の口から逃げて
3 自由貿易はいいことか?
4 好きなもの・欲しいもの・必要なもの
5 成長の終焉?
6 気温が二度上がったら…
7 不平等はなぜ拡大したか
8 政府には何ができるか
9 救済と尊厳のはざまで
結論 よい経済学と悪い経済学

 

 前半の中心となっているのは移民と貿易の問題です。トランプ大統領誕生以降、クローズアップされているトピックですが、基本的に経済学者の中では、移民も自由貿易も良いことであると考える人が多いです。

 本書でも、特にそれらが批判されているわけではないのですが(移民に関しては移民の弊害を指摘するボージャスの研究を批判している)、著者らがこの2つの問題に関して重要だと考えるポイントは「人は意外と移動したがらない」ということです。

 

 まず、著者らは移民のもたらす影響はそれほど大きくないと見ています(36pではボージャスの研究(『移民の政治経済学』参照)に批判的に言及している)。 

 そして、それ以上に本書が強調するのは、移民が大挙して押し寄せるわけではないということです。Aという国の賃金が高く、Bという国の賃金が安ければ、Bの国の労働者はA国に移動するチャンスが有ればそれを利用するだろうと考えがちです。アメリカとメキシコの賃金格差がなくならない限り、メキシコ人はアメリカを目指し続けるだろうというわけです。

 

 しかし、まず移民がまもとな仕事につくのは簡単ではありません。企業はいかに賃金の安いといっても、まったく知らない者を雇いたがらないからです。そのため、移民は同じ地域の出身者が多い街などを頼って移動します。

 途上国の、特に地方に住む人々にとって移民先の情報は非常に乏しいものです。そのため、ネパールで行われた調査では、ネパールの移民希望者は予想収入を楽観的に見積もるとともに、外国で死ぬ可能性を大幅に高く見込んでいました。そして、正しい情報を教えると出国する割合が高まったといいます(60−61p)。移民先というのは不確実性のかたまりであり、多くの人はリスク回避的に動くのです。

 

 もちろん国境を超えた人の移動はありますが、それは経済的なインセンティブに反応したからというよりも、紛争や経済の崩壊や治安の悪化などで母国に住めなくなったからというものが多いのです(近年の中米からアメリカの人の流れも中米の各国で治安が悪化しているからとも考えられる)。

 

 この人の「移動しない」という特性は貿易をめぐる問題にも関わってきます。

 経済学者の大多数は自由貿易を基本的には支持しており、貿易が人々の生活を改善すると考えています。その基礎となるのがリガードが提唱した比較優位の考えです。ただし、この考えはサミュエルソンが水爆の発明者であるスタニスワフ・ウラムに「あらゆる社会科学の分野の中で、真理であり、かつ自明でない命題は何か、教えてほしい」(81p)と言われたときに、まっさきにあげた考えでもあります。

 

 確かに、自由貿易は富をもたらしてきました。輸入許可制度と関税で輸入を厳しく制限していたインドは、91年に湾岸戦争による石油価格の上昇や中東に行っていたインド人労働者が引き揚げたことで経済危機に襲われ、IMFの支援と引き換えに輸入許可制度の撤廃、関税の引き下げ(平均90%→35%)が行われました。

 この政策の結果、91年こそインドのGNPは落ち込みましたが、それ以降、インド経済は高い成長率を維持するようになりました。自由貿易の正しさは証明されたようにも思えます。

 

 ただし、インドの経済成長が主因が貿易の自由化にあると結論付けられるわけではありませんし、ストルパー=サミュエルソン定理では、労働力が豊富な国では貿易により労働集約的な産業が発展し、労働者の賃金が上がって格差が小さくなると予想されていましたが、インド、あるいはその他の貿易の自由化に踏み切ったメキシコや中国といった低〜中所得国では、いずれも格差が拡大しています(91p)。

 また、ペティア・パトロヴァの研究によると、インドでは貿易の自由化によって国全体の貧困率が大きく下がったものの、貿易自由化の影響を強く受けた地域ほど貧困の低下にブレーキがかかっていたことがわかっています(94−95p)。

 

 一般的に経済学者は、一国の中での格差は人の移動によって解消されると考えます。A地域の産業が廃れてB地域の産業が伸びたら、人々はA地域からB地域に移動すると考えられています(リカードの比較生産費説においても人々は職業を移動すると考えられている)。

 ところが、実際には人はなかなか移動しません。途上国においては土地の所有権の移転が難しかったり、労働者の解雇が難しかったりする問題がありますし、銀行は既存の融資にこだわって新規の融資に及び腰だったりします。人々の移動や産業の新陳代謝はなかなか進まないのです。 

 一方、アメリカのような先進国でも人の移動はなかなか進みません。90年代以降、アメリカの製造業は中国からの輸入、いわゆるチャイナ・ショックに襲われました。オーター、ドーン、ハンソンはこの影響を見るために「チャイナ・ショック指数」を開発し、通勤圏ごとにそれにさらされた度合いを調べました。

 この影響にさらされた地域では製造業の雇用が大幅に減っていることがわかりましたが、同時に労働者の移動がまったく見られないこともわかりました。「影響を受けた通勤圏の生産年齢人口は減っておらず、雇用だけが失われた」(122p)のです。

 

 製造業はクラスターを形成します。このクラスターは産業の発展には有用ですが、貿易ショックに襲われると地域全体が没落します。製造業への打撃は周囲のレストランの売上を減らし、地価を低下させるからです。

 それにもかかわらず人は移動しません。アメリカでは貿易調整支援制度(TAA)があるものの支援は貧弱で、貿易で職を失った人の10人に1人が障害年金の受給申請をしているといいます(126p)。こうなるとその人は永久に雇用機会を失う可能性が高いです。アメリカの社会保障の貧弱さが、こうした状況をもたらしており、いわゆる薬物やアルコール依存を通じての「絶望死」をもたらしています。

 

 また、実は貿易の利益は確かにあるのだけど、そのがくは大した額ではないという研究もあります。アメリカ人の支出1ドルにつき輸入品に使われるのは8セントに過ぎないといいますし(129p)、コスティノとロドリゲス=クレアによる研究ではGDP比2.5%ほどが輸入をシャットアウトするコストだと推計されています(132p)。

 

 さらにこの第3章では、「評判」という高いハードルによって途上国の輸出がなかなか進まいということも紹介されています。

 買い手は一定のクオリティと納期の厳守を求めますが、途上国の聞いたこともない零細企業がこれをクリアーできるのかは疑問です。そのために価格が安くても買い手は躊躇してしまうのです。

 ただし、この「評判」が一度確立されれば輸出が伸びていく可能性は高くなります。そして、クラスターが形成され、名の通った生産地として認知されていくようになるのです。

 

 第4章では人々の好みから始まって、差別の問題などがとり上げられています

 アメリカでは、教育を受けたアフリカ系アメリカ人が1965年に比べてはるかに増えたにもかかわらず、教育水準が同程度の白人と黒人の間の賃金格差は拡大を続けており、現在では30%近くに達しています(159p)。これはインドの指定カーストとそれ以外の格差を上回るものです(本書ではアセモグル&ロビンソン『自由の命運』とは違い、インドのカースト差別の解消に一定の評価を与えている)。

 

 しかし、本書は2019年に出版された本なので、「とはいえ2016年の大統領選挙以来、アメリカでしきりに口にされるようになったのは、アフリカ系アメリカ人に対する憎悪よりも、移民に対する憎悪である」(160p)とつづきます。

 実はアメリカの中では、移民が少ない州ほど移民を憎む傾向があり、移民への憎悪の背景には経済的な問題よりも、もっと本質的な不安があることがうかがえます。しかも、トランプ大統領当選以来、この移民憎悪をおおっぴらに口にしていい雰囲気が生まれつつあります。

 

 この問題を説明する1つの方法が統計的差別です。フランスのアフリカ系のウーバーの運転手はウーバーの素晴らしさとして、立派な車を運転していても納得してくれる点だと話したといいます。今までアフリカ系の人が立派な車に乗っていると、麻薬の密売人か盗難車だと思われていたのです(164p)。アフリカ系の人が貧しいのは事実なので、そこから「新車など買えないだろう」と推測することは合理的ですが、この判断が差別をつくっていきます。アメリカで黒人がよく職務質問を受けるのも同じ原理になります。 

 

 この統計的差別を解消させようとするのはなかなか厄介です。アメリカでは23州が求職者に犯罪履歴を訊ねることを禁止するバン・ザ・ボックス法を施行しています。これは犯罪歴を持つ若い黒人男性の雇用を増やす狙いもあります。

 しかし、研究者が架空の応募書類を法律の施行前と施行後に明らかに白人的なファーストネームと明らかに黒人的なファーストネームを織り交ぜて雇用主に送ったところ、意外な結果が明らかになりました。

 バン・ザ・ボックス法施行前は、やはり犯罪歴にチェックを入れると面接に呼ばれる機会は大きく減りました。では、施行後はどうなったかというと明らかに白人と黒人の面接に呼ばれる差が拡大したのです。これは、犯罪歴の項目がなくなったことで、雇用主は黒人であることから犯罪歴を想定したからだと考えられます。犯罪歴という手がかりがなくなったことで、雇用主は「黒人のほうが犯罪歴を持つものが多い」という統計的な事実に頼ったのです。

 

 こうした統計的な差別は「ステレオタイプの脅威」と名付けられている問題を生み出します。黒人と白人が一緒にテストを受けると黒人の成績が下る、あるいはテスト前に「アジア人は数学の能力が優れている」といったアナウンスがあるとSATで高得点をとったアメリカ人学生の成績がひどいものになってしまうなどの例が紹介されていますが、ステレオタイプに導かれるように自己実現的な差別が出来上がってしまうケースもあります。

 また、アメリカのヒスパニックの若者に無料でSATの予備校に通わせてあげると持ちかけられたところ、その事実を公表すると言ったときよりも、公表しないと言ったときのほうが予備校に通う確率が高まります。これは周囲からガリ勉野郎だと見られたくない、仲間の規範から外れたくないからだと思われます。

 

 ここから著者らは、人々の意見や信念といったものを額面通りに受け取るべきではないと主張します。その人の信念は周囲の規範から強く影響を受けています。ただし、だからといって誤りを指摘すれば信念が変わるというわけでもありません。人間は自分の価値観に深く根ざす考えに関しては、その誤りを指摘する証拠を目に入れようとはしないからです。

 そして人々は同じような意見を持つ人とのみ付き合うようになり、分極化が生じます。1960年に自分の子が異なる政党を支持する相手と結婚することを「不快に思う」人は共和党支持者、民主党支持者で両方とも5%程度でしたが、2010年には共和党支持者の50%近く、民主党支持者の30%以上が「非常に不幸だと感じる」と答えています(189p)。

 

 こうした分極化を押し止める効果を持つのが実際に違う人種や民族の人、あるいは違う価値観との接触を持つことです。著者らはここからアファーマティブ・アクションを支持しますが、現在のように人種だけにフォーカスしたようなものにも問題があると考えています。

 本書が提唱するのは、直接的に差別の撤廃に取り組むと言うよりは、さまざまな多様性をつくりだし、社会問題を人種などに還元せずに、ミクロ的な解決を積み上げていくようなやり方です。

 「差別や偏見と闘う最も効果的な方法は、おそらく差別そのものに直接取り組むことではない。ほかの政策課題に目を向けるほうが有意義だと市民に考えさせることだ」(212p)と著者らは述べています。

 

 第5章でとり上げられるのは「経済成長は終わったのか?」ということです。

 1970年代のどこかで経済成長は止まってしまったというロバード・ゴードンなどの議論があります。経済成長は続くかもしれませんが、それは非常につつましいもので、電気や内燃機関などの大イノベーションはもうやってこないというものです。

 「コンピュータとネットがあるじゃないか」との反論が聞こえてきそうですが、コンピュータとネットが全要素生産性TFP)を大きく引き上げたのは90年代後半から00年代前半の一時期で、04年以降のTFPの伸びは停滞しています(219p)。

 ただし、これはGDPで計算しようとするからで、GDPに換算されない進歩があるのかもしれません。例えばFacebookの利用は特にGDPを押し上げませんが、Facebookは利用者一人あたり年間2000ドルの価値を生むとの研究もありますし、Facebookを遮断したほうが幸福度や生活満足度が上がったという研究もあります(227p)。

 

 成長の鈍化についてはロバート・ソローも予測していました。ソローによればTFPの成長はただ起きるものであって、どう起こせるかはよくわかりません。

 これに対してポール・ローマーはアイデアという概念に注目し、そのアイデアの交換によって成長が起こると考えました。シリコンバレーで起きているスピルオーバーはローマーの考えを裏付けるものと言えるかもしれません。

 ただ、シリコンバレーのような都市が、イノベーティブな人が集まることによって栄えるのは事実かもしれませんが、それが一国全体に行き渡るとなると、そう簡単なものではありません。

 

 また、ローマーは経済成長をもたらす政策については多くを語ってくれません。

 ローマー・モデルでは政府による減税は経済成長をもたらす効果があるはずなのですが、レーガン減税もブッシュ減税も経済成長をもたらしたという証拠はありません。とりあえず高所得者に対する減税は、それだけでは経済成長につながらないという点で多くの経済学者は一致しています(257p)。

 一方、世界に目を転じると貧困は減少しています。絶対的貧困率は1990年から現在にいたるまでで半減しました(262p))。これとともに乳児死亡率の低下、識字率の上昇など生活も改善されています。

 

 著者らは、ハイパーインフレ、自国通貨の過大評価、ソビエト型、毛沢東型、北朝鮮型の共産主義など、明らかに避けるべき政策はあるものの、経済成長をもたらす政策というのは存在しないのではないかという立場です。例えば、日本や韓国やシンガポールは政府の産業政策によって発展したとされていますが、産業政策によって発展したのか、それがなくても発展したのかは確かめようがありません。

 

 ただし、リソースの配分に関しては改善できる面があり、それは経済成長をもたらすかもしれません。例えば、インドでは土地の所有権がきちんと管理されていない、売買がうまくいかない、といったことがあり土地が有効に活用されているとは言い難い状況です。

 また、20〜30歳で10年以上教育を受けたインド人男性の26%は働いていないといいます。教育を8年未満しか受けていないインド人男性の無職率は1.3%に過ぎないにもかかわらずです。これは仕事を選り好みしている、特に公務員という職にこだわっているからだと考えられます(公務員試験の応募資格が30歳でなくなるのでそれ以降は無職率が減ってくる)。

 これはガーナでも見られる現象で、ガーナの学資不足に陥っている若者に高校進学のための奨学金を提供する実験を行ったところ、確かに奨学金を受ければ進学率は高まるのですが、首尾よく公務員になった一部を除いて、平均所得はさほど増えませんでした。追跡調査の結果、奨学金をもらった若者は25,6歳になっても、もっといい仕事があるはずだと夢見ていることが多く、かなりの割合が無職でした(285p)。

 

 こうしたことがアフリカやインドなどにおける「採用難」を生んでいます。失業率が高い国でもなかなか人材が集まらないのです。

 原因は期待のミスマッチで、彼らには「大学を出たからにはふさわしい仕事(代表は公務員)」につきたいという思いがあります。周囲の学歴も低いですし、大学さえ出れば公務員になれた時期もあったのですが、現在はそうではありません。それにもかかわらず、膨らませた期待をしぼませることができず、公務員試験などのチャレンジし続けるわけです。インドでは国有鉄道が下級職員9万人を募集したところ2800万人が応募したそうです(288p)。

 本章では、最後に著者らがGDPの増加よりも、ワクチン接種やマラリア予防など、明確な目標が定まっている政策に重点を置くべきだと述べていますが、ここは少し意見が分かれるところかもしれません。

 

 第6章では地球温暖化についてとり上げています。主に途上国への影響、途上国におけるその他の大気汚染などの問題が分析されていて興味深い部分もありますが、ここでは割愛します。

 

 第7章は「不平等はなぜ拡大したか」というタイトルで、近年の格差の拡大の要因を探っています。

 AIやロボットによる自動化は時代の趨勢ですが、著者らは人間よりもロボットのほうが生産性が低い場面でも自動化が進められているケースがあるといいます。これは現在のアメリカの税制が資本よりも労働に高い税金をかけているからです。人間を雇えば給与税を払わなければなりませんが、ロボットへの投資は資本支出に対する加速償却を適用して節税できますし、それが借入金でなされるならば利払い分を利益から差し引くことも可能です。しかも、労使関係の軋轢もなくなります。

 

 格差拡大のもう1つの大きな原因はサッチャーレーガンらによって所得税最高税率が引き下げられたことです。

 ただし、80年代以降、格差は税引前の段階ですでに開いており、税だけが原因ではありません。1980年頃から教育水準の低い労働者の賃金上昇が止まり、1979年から今日まで実質賃金はむしろ下がっている有様なのです。労働分配率も下がり続け、1982年の時点では製造業の売上高の約50%が賃金として払い戻されていましたが、2012年にには10%になっています(346p)。

 

 考えられる要因はIT業界に見られる勝者総取りのあり方ですが、それ以外にも著者らは金融業という仕事自体にも注目しています。例えば、アメリカやイギリスでは格差が拡大する一方でデンマークでは最上位層の所得は伸びていません。西ヨーロッパの多くの国、そして日本もそうです。

 アメリカやイギリスで所得を伸ばしているのは金融業の従事者です。金融部門で働く人は同等の専門的スキルを持つ他部門の労働者と比べ5〜6割増しの報酬をもらっています(352p)。アメリカの平均的な投資信託アメリカの株式市場よりも成績が悪いにもかかわらずです。

 インドやアフリカでは公務員がやたらに高給で労働市場を歪めていますが、アメリカやイギリスでは金融業の高すぎる報酬が労働市場を歪めていると言えるかもしれません。

 

 格差が拡大していく中で、アメリカでは「絶望死」と呼ばれる中年白人男女のアルコールや薬物、それに伴う病気、あるいは自殺などによる死が増えています。そして、彼らはその怒りを「移民」や「中国との貿易」などにぶつけるようになるのです。

 

 こうした状況の中で、政府には何ができるのかを検討したのが第8章です。

 政府が格差解消に取り組むためには財源が必要です。ただ、一般的に増税は嫌われます。また、増税は勤労意欲を削ぐとも考えられています。

 しかし、スイスでの税制改正の結果を見ると増税が勤労意欲を削ぐとは言えません。スイスでは1990年代後半から00年代前半にかけて、従来の過去2年分の所得に対して納税するしくみからその年度の所得に基づいて納税するしくみに移行しました。その移行措置として例えば98年は95年と96年の所得に対する税金を収め、99年にはその年度の所得に対する税金を収めるといったことがなされました。この措置は早くから告知されていたために、住民はこの免税になる年度(このケースでは97年と98年)により多く稼ぐことも可能でした。ところが、労働供給はこの期間、ほとんど変わらなかったといいます。免税期間にガツガツ働いて、納税期間は労働時間を短くするような人は人ンド存在しなかったのです(381−382p)。

 

 もっとも、人々が税を嫌う要因としては政府に対する不信もあります。2015年の調査で、政府を「つねに」または「だいたい」信用できると考えているアメリカ人は23%で、59%は政府を信用していません(383p)。

 では、民営化を進めればいいかというとそうでもありません。多くの人は公的機関よりも民間のほうが効率的だと思っていますが、インドでは公立の学校の生徒もNGOの運営する学校の生徒も試験の成績は同じようなものですし、フランスの民間が運営する職業斡旋所は公的機関のものよりも成績が低いです(386p)。

 さらにアメリカでは政府に対する不信が優秀な人材を政府から遠ざけています。著者らは近年中南米で再分配プログラムの成功に期待をかけていますが、多くの国にとって政府への信頼を取り戻し再分配を行うには多くの困難が伴います。

 

 第9章では貧しい人を救う方法についてですが、著者らが重視するのは「助けてもらう人の尊厳を踏みにじってはならない」(399p)ということです。

 いくら給付プログラムをつくっても手続きが煩雑であれば必要ない人に届きませんし、何かを提示しなければならないしくみだとそもそも嫌がる可能性があります。また、最初から福祉の利用を諦めてしまうケースもあります。

 そこで注目されるのがユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)です。食糧などの現物給付はコストが掛かりますし、UBIならば先ほどあげた支援が必要な人に届かないということを防げます。また、UBIは人を怠けさせるとの声もありますが、今までの研究では、その傾向はそれほど大きくないというものが多いです。

 

 ただし、やはり問題となるのは財源です。また、UBIの長期的な影響というものはわかっていません。

 また、UBIですべて解決といかないのは、多くの場合、仕事が生きがいといったものと結びついている点です。ボランティアなども考えられますが、定年や失業で自由な時間が増えた人とフルタイムで働いている人を比べると、ボランティアをしている時間が長いのは後者です。ボランティアは仕事の代わりにはならないのです(432p)。

 UBI以外だとデンマークの「フレキシキュリティ」があげられます。これは手厚い失業保障と職業訓練で再就労を後押しする政策で、経済学者の間でも支持が多いです。ただし、本書の前半で指摘されていたように人は移動を嫌がります。長いこと同じ職で働いて生きた中高年には別の方法が必要だというのが著者らの見方です。

 

 このように本書は盛りだくさんの内容です。ここに書いたこと以外にもまだまだ興味深い部分はあります。

 マクロ的なものよりもミクロ的な政策を重視する著者らの姿勢には賛否両論がありそうですけど、今の社会の問題を考える上でヒントが詰まっている本であることは間違いないですし、社会の複雑さに向き合った本であると言えます。

 

 そして、500ページを超える本でありながら、定価が2400円+税。さらに薄めの紙を使っていて500ページ超えながら厚さが3センチ程度と、通勤カバンに入れられるボリューム。

 本に関しては人それぞれこだわりがあるでしょうし、ジャンルによっても違うのでしょうけど、経済学の啓蒙書としてはこれ以上ないほど素晴らしいパッケージだと思います。訳も村井章子氏で読みやすいですし、広くおすすめできる本です。

   

 

 この2人の本としてが『貧乏人の経済学』も面白いです。

 

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