ジョージ・ボージャス『移民の政治経済学』

 近年は、移民への反発とそれを利用した「ポピュリズム」というものが世界の政治における1つのトレンドとなっています。

 一方、日本では昨年、出入国管理法が改正され、政府は否定しているものの、外国人労働者の受け入れに大きくかじを切ったと見ていいでしょう。つまり、日本でも将来、移民の問題が政治の大きな争点となる可能性が出てきたわけです。

 

 では、移民は実際に受入国にどんな影響をあたえるのでしょうか? 経済を成長させるのでしょうか? それとも減速させるのでしょうか? あるいは移民の受け入れによって損する人と得する人が出てくるのでしょうか?

 この本はアメリカのハーバード・ケネディスクールの教授で、長年、移民について研究してきた著者が、移民のもたらす影響をできるだけ詳しく分析しようとした本になります。

 著者はキューバ生まれの移民で、アメリカが今後も一定の移民を受け入れていくことに賛成ですが、同時に移民のもたらすマイナスの影響も詳細に検討しており、今後、日本の政策を考える上でも参考になる本かと思います。

 

 目次は以下の通り。

第1章 イントロダクション
第2章 ジョン・レノンがうたった理想郷
第3章 米国における移民の歴史
第4章 移民の自己選択
第5章 経済的同化
第6章 人種のるつぼ
第7章 労働市場への影響
第8章 経済的利益
第9章 財政への影響
第10章 いったい誰の肩を持つの?

 

 まず、著者が最初に紹介するのは、スイスの戯曲化であり小説家でもあるマックス・フリッシュが述べた「我々が欲しかったのは労働者だが、来たのは生身の人間だった」という言葉です。

 移民は働くだけでなく、同じ民族同士で集まって住み自分たちの文化を持ち込もうとするかもしれませんし、病気になって社会保障の世話になるかもしれません、さらには子どもをつくるかもしれません。

 移民をたんなる「労働力の投入」と見るのは誤りなのです。

 

 次に、著者は移民研究に関する専門家のバイアスを指摘します。ポール・コリアーは「社会科学者はあらゆる手段を駆使して移民が我々全員にとっていいことだと証明してきた」と書いていますが(15p)、著者もこうしたバイアスを疑っています。

 トランプのような「反移民」の訴えや人種差別主義者などに利用されないように、「良識ある」社会科学者は移民のもたらすポジティブな面を主張したがるのです。

 

 実際、ジョン・レノンの「イマジン」にあるようにすべての国境が撤廃されて、人々が完全に自由に移動するようになれば、GDPは2013年時点の計算でおよそ40兆ドル増加するとされています。2013年の世界のGDPが70兆ドルなので6割近くアップするのです。

 ただし、南北の賃金差が平準化されるには途上国の労働者の95%にあたる26億人が北に移住する必要がありますし、北の地域の賃金は39.3%低下します(34p表2.1参照)。GDPが増えたとしても北の労働者にとっては負の影響が大きいのです。

 また、最初にも述べたように移動するのは生身の人間です。文化的摩擦なども考える必要があるでしょう(著者は中東で国境をなくせば中東全体が豊かになるだろうか? という問いを提示している(39-40p))。

 

 移民によって発展した国といえば何といってもアメリカです。アメリカは豊かさを夢見る多くの人々を引きつけてきました。

 ただし、では、アメリカに移住するチャンスがあれば貧しい国の人ならば全員移住するかというと、そういうわけではありません。例えば、プエルトリコの建設労働者は2万3000ドル稼げますが、アメリカ本土に渡れば4万3000ドル稼げます。そして、プエルトリコアメリカとの間に法的な障壁はありません。しかし、プエルトリコ人の3分の2はそのままプエルトリコにとどまっています。移住のコストは飛行機のチケット代や引越し費用だけではなく、かなりの心理的なコストなどを含んでいるのです(64-68p)。

 

 1960年代に比べ、近年の移民の入国直後の賃金は低下傾向にあります(69p図4.1参照)。これは、近年の移民が貧しい国からやってきており、また、学歴も低いことが多いからです。

 そもそも一口に移民といっても出身国によってそのタイプは異なると考えられます。例えば、スウェーデンデンマークのような豊かな福祉国家からアメリカにやってくる人は高い税金を嫌ったスキルの高い人などが想定できますが、格差の大きな貧しい国では、そうした高スキルの人には移住のインセンティブはあまりはたらきません。移住を考えるのは低スキルの人々でしょう。

 

 ただし、そうした低スキルの移民もだんだんと同化していくと考えられてきました。移住したばかりの移民は英語もうまく話せずに低賃金の仕事をしているかもしれませんが、時とともに英語の能力も仕事のスキルも向上し、アメリカ人の賃金水準に近づいていくと考えられるのです。

 著者はこの実態を明らかにしようと移民たちのその後を国勢調査を使って追跡しました。その結果は92pの図5.1に示されていますが、これをみると1975-79年までに入国した移民については確かに年とともに賃金が上がっていますが、85-89年に入国した移民は最初こそ賃金が伸びたもののその後横這いであり、95-99年に入国した移民にいたってはほとんど賃金の改善が見られません。

 

 この理由として、まず近年の移民の英語とスキルの習熟ペースが遅いことがあげられます。この背景にはヒスパニック系の増大により英語を話さなくてもすむ環境ができてしまっていることがあります(サミュエル・ハンティントンが『ヒスパニックの課題』で指摘したことでもある)。実際、英語の流暢さの改善度と民族居住地区の規模には相関関係があるというグラフも載っています(99p図5.4)。

 また、実はアメリカに移民の波が大きく押し寄せた時期である20世紀の初頭と20世紀の終わりの時期にやってきた移民はともに収入状況が順調に改善していません。順調に収入を増加させることができたのは移民が少なかった時期にやってきた人々なのです(95-96p)。

 

 では、移民は受入国の労働市場にどのような影響を与えるのでしょうか?

 移民がやる仕事はもともと受入国の人のやりたがらない仕事であり、そのため労働市場に与える影響は小さいとの議論もあります。

 しかし、2006年に移民局の家宅捜索を受けた鶏肉加工工場では次のようなことが起こりました。900人の従業員のうちの75%を失ったこの会社は、今までよりも1ドル以上高い時給を設定して従業員を募集し始め、そして多くのアフリカ系アメリカ人が雇われたといいます(125-127p)。移民は米国人がやりたがらない仕事をするのではなく、「米国人が現行の賃金ではやりたがらない仕事をやる」(127p)のです。

 

 もし、移民が米国人の代わりにベビーシッターや芝刈りをやってくれるのであれば、米国人はより高度な仕事に集中できるでしょう。一方、移民が米国人のクローンのような存在であれば、米国人の賃金を引き下げる圧力となります。

 1980年、キューバカストロアメリカに行きたい人の出国を許し、10万人を超える人々がマイアミに到着し、マイアミの労働力人口は8%ほど増えました。

 今までの研究ではこの供給ショックがあってもマイアミの賃金は大きく下がっておらず、移民が来ても賃金にマイナスの影響を与えることはないと結論づけていました。

 しかし、著者は移民の持つスキルに注目します。キューバ移民の多くは高校中退でしたが、ちょうど同じようなスキルを持つマイアミの高校中退者の賃金は大きく低下したのです(139p図7.4参照)。

 142pの表7.1には、1990~2010年にかけて移住した移民が一夜のうちにヘリコプターで降りてきたと仮定した場合の賃金への影響がまとめられていますが、それぞれ移民が多い学歴と重なる人々の賃金が下がる傾向になります(一番多い移民は高校中退なので、高校中退の賃金への負の影響が最も大きい)。

 

 移民は清掃や芝刈りサービスの価格を引き下げますし、また、優秀な移民はイノベーションの担い手となり、学術分野を発展させます。ただし、移民によってすべての人が利益を受けるとは言えません。

 著者の計算によると2015年の時点で500億ドルとプラスではあるもののささやかなもので(アメリカのGDPは18兆ドル)、米国人の労働者は5157億ドルの損失になる一方、米国企業にとっては5659億ドルの利益となります(160p表8.1参照)。

 著者が「このアプローチは現実とかけ離れている」(161p)と述べていることから(この計算では長期的には移民余剰はゼロになる)、この数字から何かをいうことは難しいかもしれませんが、移民受け入れが労働者から企業への所得移転になる可能性は頭に入れておくべきでしょう。

 また、この計算では移民がGDPを2兆1000億ドル増やしていますが、その98%は移民が所得として受け取っています。GDPの増加と今いる国民の福利の向上を混同してしまわないことも重要でしょう。

 

 一方、高技能の移民には米国人の生産性を引き上げるという議論がありますが、この波及効果を具体的に確認するのはなかなか難しいとのことです(第8章のこの部分ではソ連崩壊によってソ連の数学者がアメリカの大学にやってきた影響が分析されていて興味深い(165-170p)。

 

 最後に著者は移民が財政に与える影響を分析しています。移民も社会保障制度を利用しますが、これについてミルトン・フリードマンは次のように述べています。

 リバタリアン国家において、自由で開かれた移住というのが正しい政策であることは間違いない。ただし、福祉国家においては話が変わって来る。(中略)米国に住んでいる移民に対して社会保障給付を行わないこともセットでやらなければならない・・・・・・例えば、分かりやすい目の前の現実的なケースとして、メキシコからの不法移民を見てほしい。メキシコから米国への移住は・・・・・・いいことだ。不法移民にとってもいいことで、我が国にとってもいいことで、米国民にとってもいいことだ。だがそれは、彼らが不法移民である限り言えることだ。(178ー179p)

 

 非常に辛辣な物言いですが、いい悪いは別にしてこの懸念には筋が通っています。移民も人間であり、さまざまな社会保障給付を受けるからです。

 単純に言うと、高技能の移民は社会保障制度を支える側に周り、低技能の移民は社会保障制度から補助金を受ける立場になるでしょう(184pの図9.1には移民が米国人よりも社会保障サービスを受けており年とともにその差は拡大しているというグラフと、それほど大きな差はなく差も拡大していないという2つのグラフが載っており、本文でその謎解きが行われている)。

 

 1997年、米国科学アカデミー(NAS)は一人の移民を受け入れることが長期の財政にどのような影響を与えるかということを試算しました。それによると300年後(!)には8万ドルの利益をもたらすそうです。

 しかし、300年後の予測ができるなどとは思えませんし、この試算も「2016年以降、政府債務の対GDP水準が維持される」という仮定をつけてのものです。そして、25年間の期間では-18400ドルの損失となっています(192pの表9.2参照)。

 2016年、NASは75年という期間で試算しましたが、その結果も政府の財政政策や移民が公共財のコストを増やすか減らすかによって大きく違ってきます。こうした計算はそれほど役に立たないのです。

 

 このように移民に関する議論が一筋縄ではいかない事を教えてくれうのがこの本です。また、著者は長年、移民の与える影響をどのように計測するかを研究してきた人物であり、統計をどのように読むか、データをどのように分析するかというリサーチ・リテラシーについても多くのことを教えてくれる内容になっています。

 

 日本でもこれから「移民は是か非か」、「移民は日本経済を救うのか?」といった議論がなされていくと思いますが、この本を読めば、移民によって受ける影響は立場によって違うこと(基本的に労働者から企業への所得移転になる)、移民によって生み出される富もあれば受け入れの費用もあることなど、この議論が単純に割り切れるものではなく、非常に慎重な対応が必要なものだということがわかるでしょう。