アダム・プシェヴォスキ『民主主義の危機』

 「民主主義の危機」について書かれた本は数多くありますが、本書の特徴は民主主義のミニマリスト的定義、「平和的な政権交代の可能性があれば民主主義」という考えのもとで書かれている点です。

 多くの論者が民主主義を理想し、「あれも足りない、これも足りない」と論じたがる中で、民主主義に対して小さな要求しか持たない著者は、現在の危機をどのように捉えているかというところが本書の読みどころになります。

 

 ちなみに著者の民主主義観については本書でも解説されていますが、一昨年出た『それでも選挙に行く理由』のほうが詳しいですかね。

 

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 本書の目次は以下の通り。

 

まえがき
 第一章 イントロダクション
Ⅰ 過去――民主主義の危機
 第二章 全般的なパターン
 第三章 崩壊と生存の歴史
 第四章 歴史の教訓——何に注目すべきなのか
Ⅱ 現在――何が起きているのか?
 第五章 危機の兆候
 第六章 考えられる原因
 第七章 何に説明を求めるべきか
 第八章 何が前例なきことなのか
Ⅲ 未来は?
 第九章 民主主義の機能
 第一〇章 隠密な変化
 第一一章 何が起こり、何が起こりえないのか

 

 本書の原著が出版されたのは2019年で、まだトランプが大統領だったときです。

 その後の20年の大統領選挙で大統領が交代したので、アメリカの民主主義は著者の定義からするとまだ機能していると言えますが、「投票用紙に代わって手拳や石、鉄砲玉が用いられる時、民主主義は危機に陥る」(22p)との観点からすると、2021年の米議会襲撃事件は不吉な兆候と言えるでしょう。

 

 過去にも民主主義は危機に陥り、また、ときには崩壊しました。

 崩壊するかどうかの要因として大きいのが一人あたりの国民所得で、これが高いほど崩壊しにくく、2006年のタイよりも高い所得水準で崩壊した国はないといいます。

 また、崩壊した国の経済成長のスピードは遅く、所得分配が不平等だった傾向があります。

 制度的には大統領制で崩壊する確率が高く、民主主義の経験が長い国ほど崩壊しにくい傾向にあります。

 

 本書では崩壊した事例として、ワイマール期のドイツ、チリのアジェンデ政権をとり上げ、危機に陥ったが崩壊しなかった事例として1950年代末のフランスと60年代半ば〜70年代半ばのアメリカをとり上げています。

 ワイマール期のドイツとアジェンデ政権下のチリは、ともに正規の政治システムの中では「決められない」状況に陥り(チリでは分割政府になり政治が機能しなくなってしまった)、政治的な対立が街頭での暴力による対立に発展していました。

 

 一方、フランスは多くの政党からなる連立政権とアルジェリア戦争によって、こちらも「決められない」状況に陥っていましたが、ド・ゴールの登場と憲法改正によってこの状況を打破しました。

 ただし、ド・ゴールが独裁者になって民主主義を破壊する可能性が開かれていたことにも留意する必要があります(ド・ゴール本人の意志はともかくとして)。

 

 1960年代後半のアメリカでは都市暴動が頻発し、政治家の暗殺も続きました。そして、68年の大統領選で当選したニクソンは、再選に向けて政府機関を党派的な目的のために利用するようになっていきます。

 そしてウォーターゲート事件が起こるわけですが、ここではアメリカの権力分立のしくみが生きました。民主党が議会で多数派だったこともあり、弾劾の手続きが開始され、最高裁も録音テープの提出を大統領に命じたために、ニクソンは辞任せざるを得なくなりました。

 

 では、現在は民主主義の危機なのか? その兆候はいくつかあります。

 まずは伝統的な政党の衰退です。70年代後半まで既成政党は非常に安定したのですが、80年代からOECD加盟国では有効政党数が増え始め(98p図5.2参照)、20世紀初頭から力を持っていた政党の安定性は崩れつつあります。

 

 そして、近年目立つのが右派ポピュリスト政党の台頭です。ちなみに、右派と左派のポピュリスト政党は経済、社会福祉、労働者の権利、保護主義といった点では似ていますが、移民や外国人に対する政策などが大きく違います。

 また、アメリカの共和党も「急進右派」の分類基準を満たしているといい、既成政党の「右傾化」も注目すべき点です。

 

 この傾向は急進右派を支持する人の増加というよりは、中道の有権者の棄権からもたらされている面もあり(105p図5.5参照)、この背景には新たな対立軸となりつつある移民問題などに、中道政党がうまく対応できていないことなどがあると考えられます(ただし決定的な要因はよくわからない)。

 

 現在の民主主義の危機の背景にあるものは何なのか?

 まず、思い浮かぶのが経済的な問題です。先進国の経済成長率は鈍化しており、ジニ係数は上昇し、労働分配率は下がっています(116-117p図6.1、6.2、6.3参照)。

 物質的進歩への先行きも不透明で、1970年にアメリカの30歳の9割は親より暮らし向きが良くなっていましたが、2010年にはその割合は5割に下がっています。

 また、生産性が上がっているにもかかわらず、労働報酬はそれに見合って伸びていません。この傾向はアメリカでは1970年代なかばから、ドイツでは1997年から、日本では2002年から確認できるといいます(121p)。この背景には労働組合の組織率の低下もあります。

 

 これに加えて政治的な分断が進んでいます。これについて、1つのポイントが移民に対する態度です。

 アメリカでは00年代半ばくらいまでは移民は共和党民主党を分断する争点ではありませんでした。しかし、00年代半ばから、共和党支持者は移民を負担だと感じ、民主党支持者はそう感じないという形になっています(126p図6.11参照)。

 

 ただし、この移民問題に対するスタンスを分析する際には難しさもあります。著者は「冒瀆的かもしれないが」と断った上で人種差別と多文化主義について以下のような議論を展開しています。

 こうしたイデオロギーの共通性は「共和主義」 〜 私たちは市民としては無個性であり、異なる特徴やアイデンティティを持つ人々が公共圏に入る時にはその属性すべて失い、区別がつかないため平等に扱われなければならないという思想(Rosanvallon 2004) 〜 と比べた時、より明白になる。人種差別と多文化主義には違いがありながらも、社会を異なる集団に分断するイデオロギーであるという点では変わりないのだ。(129p)

 

 さらにポストモダンイデオロギー相対主義が結びつくと、アイデンティティごとに真実があるようになり、他者を説得することは不可能になります。

 「私たちの信念は自己のアイデンティティに規定されてしまうため、他人に対しては何の権威も持たない」(129p)状況になり、自分の信念に反することは「フェイク」とされてしまうので、分断はますます深まっていくのです。

 欧米では、移民に対するヘイトクライムだけでなく、性的指向に基づくヘイトクライムも増えているといいますが、アイデンティティと敵意が絡み合った状況が生まれているのです。

 

 このように世界は分断の時代を迎えつつありますが、同時に著者はアメリカが、「先進民主主義国の中で、急進右派的な公約を掲げる候補者が選挙に勝利した唯一の国」(135-136p)であり、外れ値であることも認識すべきだといいます。

 

 急進右派の躍進の要因についてはさまざまな説が提唱されており、また「移民」が1つの鍵になっているのも間違いのないところですが、移民はかつてから存在しており、決定的な要因はわからないというのが著者の立場です(「心理学者は説明しようとするものを言い換えて、その言い換えられた特徴が原因だと主張することがある」(144p)というのは確かに)。

 

 では、未来はどうなるのでしょうか? 著者は社会にはさまざまな対立があることを前提とした上で次のように述べています。

 政治制度は、紛争を(1)構造化し、(2)緩和し、(3)ルールに従った調整を行うことで、これを秩序立てて処理するものだ。議会進出を制度的に保証された政治勢力のみが政治活動を行い、さらにこうした組織が制度を通じて利益を追求し、不利益も受忍するインセンティブを持つならば、制度的秩序は広くいきわたる。つまり、すべての政治勢力が制度の枠外ではほぼ何も得られないと判断し、この枠組みのもとで利益を追求しながら、現時点ないしは近い将来に何か獲得できることが期待できれば、紛争は秩序あるものになるのである。(160p)

 

 このためには紛争を終結させるためのルールがしっかりと整っていることが重要だといいます。紛争の終わり方が定まっていることが重要なのです。

 

 選挙は紛争に一定の決着をつけると同時にその見通しを示します。票という数が出ることで敗者は実力行使に出ても勝つことが難しい現実を知ることができますし、勝者にも暴力的な抵抗が起きる可能性を知らせます。

 2000年のアメリカ大統領選挙の結果に失望した人は多かったかもしれませんが、彼らは2004年、そして2008年にも大統領選挙があることを知っていました。選挙は次の選挙の見通しを与えるものでもあります。

 

 もちろんデモなども民主的な手段ですが、これが暴力的なものに発展し、街頭での暴力の応酬が起こるようになると、治安維持目的で政府の権威主義的措置に支持が集まってしまうかもしれません。

 

 また、暴力的な対立がなくても、民主主義が徐々に後退していくことも起こり得ます。近年の権威主義化の例として観察されるのは、トルコやハンガリーなどのこうした例です。

 こうした権威主義化は細かいステップを踏みながら進むことが多く、個々の市民にとってその累積的効果が見通しにくいものも多いです。

 

 これはアメリカの歴史を振り返っても起こりうることです。

 過去には、政府や大統領や議会に対する侮辱する文章を発表することが禁止されたことがありましたし(1798年煽動法、1918年煽動法)、政府の部局に雇用されるすべての者は「合衆国に対する揺るぎない忠誠心」を示すべきだとした大統領令(1953年のアイゼンハワー大統領による大統領令10450号)が出たこともありました。

 これに加えて連邦最高裁に自派の判事を送り込み、最高裁が州議会に対して選挙の区割りについて広範な裁量を認めるといったことが加われば、アメリカでも民主主義は終わってしまうかもしれません。

 

 最後の章で述べていますが、著者は民主主義のはたらきというのをかなりシニカルに捉えています。

 「代表制とは、大部分が貧しく読み書きのできない大衆が参加することに恐れを抱えながら生まれたシステムで」(206p)、「代表制という特定の形態は、現状維持のために設計された」(207p)ものなのです。

 ですから、ポピュリストの主張には一理あるわけですが、ポピュリストが勝ったとしても民主主義への不満が永続的に解消されるわけではないのです。

 

 著者は民主主義の未来についてそれほど悲観的ではなく次のように書いています。

 ただし、選挙を通じた急進右派の脅威に関して、私は楽観的である。いくつかの既成政党はすでに反移民感情を取り込んでいるが、ほとんどのヨーロッパ諸国では、急進右派が選挙で勝利する気配はない。先進民主主義国のほとんどでは、急進右派の熱烈な支持者は、投票者全体の四分の一程度のようだ。トランプが勝ったのは既成政党を乗っ取ることができたからであり、多くの人が彼に投票したのはクリントン夫妻を嫌っていたからであって、彼の人間性や公約のおかげではない。魔人はランプから出てしまったが、これ以上は大きくならないであろう。(210p)

 

 このようにある意味で著者は楽観的でもあるのですが、その裏には著者が民主主義に対して多くを求めてない姿勢があります。

 「基本的に現状維持を目的とした代議制民主主義」というものに満足できるのか? という議論はもちろんあるでしょうが、たとえ、効果的に社会を書き換えてくれないシステムだとしても、路上で殴り合うよりはましなわけです。

 

 民主主義を「人類の未完のプロジェクト」のように捉えている人には物足りないかもしれませんが、現実に起こっている「民主主義の危機」を冷静に考えたい人にはお薦めめの本になります。

 民主主義の危機の背景や過去の経験に学びつつ、「民主主義はオワコン」的な意見からも距離を取ることができます。