エリカ・フランツ『権威主義』

 ここ最近、民主主義をテーマにした本が数多く出版されていますが、民主主義ではない政治というのは一体どんなものでしょう?

 本書は、その「民主主義ではない政治」である権威主義について語ったものになります。オックスフォード大学出版局の「What Everyone Needs to Know(みなが知る必要のあること)」シリーズの1冊で、「権威主義とはどんなもので、どんな特徴があるのか」ということを総合的に論じています。

 一口に権威主義といっても、プーチンエルドアンのようにわかりやすい「強いリーダー」がいるタイプもあれば、クーデターによって軍政となったタイやミャンマーのようにトップの姿が見えにくいタイプもあります。

 本書は「こういった違いをどう考えればいいのか?」という問いだけでなく、「民主主義はどうやって権威主義体制に移行するのか?」、「権威主義体制はどのように崩壊するのか?」といったさまざまな問いに答えてくれる本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 序論
第2章 権威主義政治を理解する
第3章 権威主義体制の風景
第4章 権威主義リーダーシップ
第5章 権威主義体制のタイプ
第6章 権威主義体制の権力獲得のしかた
第7章 生存戦略
第8章 権威主義体制の崩壊のしかた
第9章 結論

 

  権威主義の特徴の1つがその多様性です。北朝鮮のような独裁者のもとで厳しい統制が敷かれているような国もあれば、シンガポールのようにある程度の自由は認められている国もあります。

 また、権威主義は権力の所在に関して秘密主義的なところがあって、例えば、金正恩が祖父の金日成に比べてどれだけ独裁的な権力を行使しているのかはよくわかりません。また、ロシアでは2008〜12年にかけてメドベージェフが大統領になりましたが、多くの人はプーチンが権力を握り続けていると考えました。このように権威主義の内実は非常に見えづらくなっています。

 

 そこで、本書では以前は「権威主義体制」、「独裁」、「専制」などと呼び分けられていた体制を一括して権威主義体制として扱っています。

 「統治する者が競争的な選挙を通じて選ばれること」を民主主義体制とした上で、それ以外の体制を幅広く権威主義体制として扱うアプローチです(19p)。本書が扱う期間は第2次世界大戦後であり、その時期に関して「権威主義データセット」を構築し、さまざまな分析を行っています。

 

 まず、第2章では権威主義体制の動きは、リーダー、エリート、大衆の3つのアクターの相互作用によって成り立つと書いています。

 リーダーは権力の座にとどまることを望み、自分を支持するエリート集団を構築しますが、同時に自らを権力の座から引きずる下ろす可能性があるのも、このエリートです。軍が権威主義的リーダーを追放して、新たなリーダーを据えるということは、しばしばみられるものです。

 一方、大衆がリーダーを引きずり下ろすケースも、「アラブの春」のようにないことはないですが、どちらかというとまれなことです。

 また、権威主義リーダーと権威主義体制を区別することも重要です。権威主義リーダーが追放されてもすぐに同じようなリーダーが現れることも多いですし、イランでは、1979年のイラン革命でシャー(国王)による権威主義体制が倒れたあとに、全く別のタイプの権威主義体制が確立しました。

 

 第3章では、どのような国や地域で権威主義体制がみられやすいかということが分析されています。

 まず、基本的に貧しい国ほど権威主義体制になりやすい傾向があります。50pの図3−1をみると豊かなのに権威主義体制という例外的な国もポツポツと見られますが、シンガポールを除くといずれも産油国です。

 ハンティントンは民主化の3つの波を指摘しましたが、データから見ると、民主化の数が最も多かったのが1990年代、民主主義の後退の数が最も多かったのが1960年代になります(57p図3−2参照)。

 地域的な動きを見ると、冷戦終結後にラテンアメリカ権威主義体制が減少したのに対して(2014年時点でキューバベネズエラの2カ国のみ)、世界の権威主義体制の1/5が中東・北アフリカ地域に集中し、アジアでも増加が見られます(61p)。

 

 第4章では権威主義リーダーについて分析されています。

 権威主義リーダーは自らの権力の維持を図りますが、その権力は特にエリートによって脅かされています。特に軍のクーデタは最も警戒すべきもので、だからこそ権威主義リーダーは軍の掌握に気を配ります。軍の人事に介入し、軍人を優遇し、ときには親衛隊をつくるなど軍とは別の部隊をつくるのです。

 多くの権威主義リーダーはその権力を「個人化」しようとします。できるだけ多くの権限を個人の手中に収めようとするのです。

 例えば、中国では毛沢東が権力の個人化を進めましたが、毛沢東の死後にはそのレベルは低下し、そして習近平になってから再び個人化が進む兆しが見られます。

 権威主義リーダーは、自らの取り巻きであるエリート集団の範囲を限定し、有力ポストを身内や忠誠心の高いもので固め、ときには新たな政党や政治運動を組織し、また、国民投票を利用し、新たな治安部隊を創設したりして、権力の個人化を推し進めます。

 しかし、こうして確立された個人独裁はあらゆる権威主義体制の中で最も汚職にまみれやすく、国家間紛争もおこしやすいとされています(73p)。個人独裁はイエスマンに取り囲まれているために判断を誤りやすいとも言われます。

 

 さらに厄介なのは個人独裁は崩壊時にもっとも民主化に移行しにくい体制だといいます。サダム・フセインカダフィの退場後に残されたのは大きな混乱でした。

 権威主義リーダーはクーデタなどによって強制的に、あるいは辞任や軍事評議会での合意などによって退出します。また、在任中に死を迎えることもあります。1960年代まではクーデタによる退出が圧倒的多数でしたが、クーデタの減少とともに、辞任などに「通常の」退出が増えています(78p図4−1参照))。

 退出後の権威主義リーダーは殺されたり処罰されたりする可能性が高いですが、この恐れが他国への侵略などのギャンブル的行為を生み出すこともあります。

 そして、意外なのは独裁者の死が体制崩壊をもたらさないことです。チャベスが死んでも、金正日が死んでも権威主義体制が維持されたことはそれを物語っています。

 

 第5章では、権威主義体制のタイプが論じられてます。

 アフリカ南部のジンバブエボツワナはともに権威主義体制ですが(ボツワナに関しては民主主義体制だと捉える人もいるが、本書では選挙の不公正さから権威主義体制と見ている(86p))、ジンバブエムガベの無茶苦茶な政治によって腐敗もひどく、経済も崩壊したのに対して、ボツワナは腐敗が少なく、経済も順調に成長しています。

 ボツワナもそうですが、現在の権威主義体制の多くは、複数政党を認め、選挙を行っています。もちろん、支配政党に有利なように仕組まれているのですが、表面的には民主主義国家と大きく違わないような国も多いです。

 権威主義体制と民主主義体制は連続しており、本書でもポリティ・データセットや、フリーダム・ハウスの政治的権利と市民的自由の指標などを使って、その程度を把握しています。例えば、ベネズエラは05年までは民主主義でそれ以降は権威主義という位置づけになります(90p)。

 

 本書では権威主義の類型として、「軍事独裁」、「支配性党独裁」、「君主独裁」、「個人独裁」とういうタイプをあげています。

 軍事独裁は軍部が支配権を有する権威主義支配であり、リーダー個人よりも軍部という集団が権力を握っています。ですから、本書によるとリビアカダフィ政権はカダフィが軍服を着ていたものの、軍事独裁ではなく個人独裁に分類されます。軍事独裁ラテンアメリカで数多く見られますが、この背景には冷戦の影響があります。

 支配性党独裁は1つの政党がリーダーの選択と政策選択を支配しているスタイルで、シンガポールなどがこれにあたります。

 個人独裁は権力が特定のリーダーの手中にあるタイプです。かつては貧しい国に多いタイプでしたが、かつてのスペインや、近年のトルコ、ロシアなどそこそこ豊かな国でも出現します。

 

 タイプ別の特徴としては、個人独裁は紛争を引き起こしやすく、核開発に投資しやすく、インフレになりやすく、経済成長と投資が低迷しやすいです。しかし、経済危機に直面しても体制が転覆しづらい体制でもあります。これはリーダーを支える集団が小さいので、経済が危機に陥ってもその集団が無事であれば政変が起きにくいのです。

 一方、軍事独裁のリーダーは最も短命で、さらに体制自体も短命に終わることが多いです。

 タイプごとの割合としては、まず君主独裁は中東とスワジランドでしか見られません。そして、冷戦の激化によって増加した軍事独裁は、冷戦終結とともに減りつつあります。支配政党独裁が最も一般的なタイプですが、社会主義の崩壊とともその数は減っています。一方、近年では個人独裁が増え、支配政党独裁と並びつつあります(106p図5−1参照)。

  

 では、権威主義体制はどうやって権力を獲得するのかを分析したのが第6章。その方法には、王族による世襲、クーデタ、反乱、民衆蜂起、権威主義化(現職者による権力奪取など)、支配集団の構成ルールの変更、大国による押し付け、の7つがあるといます。

 例えば、同じ南米でもチリのピノチェト政権はクーデタによるもので、ペルーのフジモリ政権は選挙で勝利し、その後、1992年の「自主クーデタ」で議会を閉鎖し、権威主義化しました。大国による押しつけは、ソ連による東ドイツの建国やアメリカ占領後、1966年にドミニカ共和国で成立したバラゲール政権などがあり、民衆蜂起の例はイラン革命後のイランなどがあります。構成ルールの変更は少しわかりにくいですが、例えばイラクバース党からエリートを排出する体制からフセインの個人独裁へと移行しました。

 

 この割合ですが、冷戦期はクーデタが多かったものの、現在は減少傾向で、代わって権威主義化が増加傾向です(114p図6−1参照)。見方を変えると民主主義の後退が見られるわけで、トルコのように権威主義体制になった国もあれば、フィリピンやポーランドのように権威主義体制に近づいている国もあります。

 この権威主義化の兆候として、本書では現職者に中世が厚いものを高位の権力、特に司法に配置すること、検閲やジャーナリストの逮捕などによるメディアの統制、選挙規定の操作、憲法改正、反対派への訴訟などがあげられます。

 近年ではポピュリズム権威主義の足場になることも多いです。ポピュリストは、リダーのみが国家を救うことができる、伝統的な政治家は腐敗している、メディアや専門家は信用できない、といったメッセージを使って権力を掌握しようとしますが、この道は権威主義化に通じます。 

 

 第7章では、「生存戦略」と題して権威主義体制がいかにして体制存続を図るかということが分析されています。

 わかりやすいのは「抑圧」で、武力を使った弾圧や公開処刑といった高烈度のものから、反対派の監視、訴訟、ジャーナリストなどへの短い期間の拘留といった低烈度のmのまであります。

 この抑圧の手法は進化を遂げており、弾圧のために体制からは名目上独立したアクターを利用したり(2009年の大統領選後のイランでは抗議運動を義勇軍からなる準軍事組織のバスィージが弾圧した)、ジャーナリストや野党を訴訟で黙らせたり、ネットへの監視を強化したりするようになっています。

 

 抑圧以外に使われる手段が「抱き込み」です。これは体制への支持への見返りとして財やサービス、地位などを分配します。

 抱き込みの利点は、これを使って反対派の分断を図れるところであり、また不満がエスカレートするのを防げることです。弾圧は、ときに火に油を注ぎますが、抱き込みはそうした心配が少なくて住みます。

 権威主義体制でも議会が開かれ、選挙が行われるのも、この抱き込み戦略の1つで、選挙では出馬できる者とできない者の分断を図り、議会では反対派の取り込みが行われます。「政党、議会、選挙などの政治制度を有する独裁は、そうでない場と比べてより長期間権力にとどまることが明らかにされ」(144p)ています。この理由として、「人気がある(が離反の可能性もある)体制エリートを監視できたり、反対派人物を国家機関に引き入れ、明るみに出すことができるので、独裁にとってもっとも脅威となる反対者をあぶりだすことが用意になる」(146p)といったことが考えられます。

 こうしたこともあり疑似民主制度をもつ権威主義体制の国は80年代から増加傾向にあります(148p図7−1参照)。

 

 第8章では権威主義体制の崩壊を扱っています。

 権威主義体制の崩壊の仕方は、クーデタ、選挙、民衆蜂起、反乱、支配者集団の構成ルールの変更、大国による押しつけ、国家の解体の7つで、第6章の権威主義体制の権力の獲得の仕方とほぼ同じです。

 構成ルールの変更の例としては、スペインのフランコ政権からの民主化への移行があり、大国による押しつけの例はアメリカのパナマ侵攻によるノリエガ政権の打倒、アフガニスタンタリバン政権の打倒、国家の解体の例は、ソ連の解体や南ヴェトナムの崩壊などがあります。

 

 では、崩壊の仕方のトレンドはというと、以前はクーデタが目立っていましたが、冷戦後では選挙による崩壊が目立つようになっています(153p図8−1参照)。

 権威主義体制のタイプに注目すると、最も崩壊しやすいの軍事独裁です。これは体制エリートが軍部の一員として軍の存続を最優先するためで、そのためにリーダーがすげ替えられますし、また、メンバーも体制崩壊後には軍部に復帰できると考えています。

 一方、支配性党独裁では、支配政党の下野は多くのエリートの失職を意味します。エリートが自らの利益のために体制維持に協力するので、その寿命は長いです。

 また、個人独裁のケースもエリートはリーダーと一蓮托生であるため、軍事独裁よりも長く存続しやすいです。

 権威主義体制が崩壊する引き金としては、経済の低迷や、内戦、国家間紛争などがあげられます。

 

 権威主義体制の崩壊というと、すぐに「民主化」という言葉が頭に浮かびますが、1946〜2014年の間、権威主義体制崩壊後に新たな権威主義体制が発足したのが約半分、民主主義体制への移行が約半分となっています(161p)。

 民主化と政治的自由化は同じような意味で捉えられることが多いですが、著者はこれを混同するのは危険だといいます。政治的自由化、選挙の導入や議会の設置などはしばしば権威主義体制の強化と結びついており、かえって権威主義体制を強化することもあるからです。

 体制の移行の仕方に関しては、体制移行時に暴力があったケースは民主化する確立は40%、非暴力であった場合は54%と、暴力を伴う移行では民主化の可能性が下がります。

 権威主義体制のタイプでは、軍事独裁が最も民主化する確率が高いですが、これは先程も述べたように軍のエリートは身を引きやすいからです。

 

 権威主義体制に与える影響という点から言うと、天然資源は民主化を抑圧するというよりは、その富で取って代わろうとする権威主義集団を抑え込むことにつながるといいます。

 制裁は個人独裁のリーダーシップに打撃を与えますが、民主主義体制への移行の可能性を高めるかは不明です。援助は支配性党独裁に関しては民主化をもたらす可能性が高く、政治的な自由度を高める可能性がありますが、全体的に民主化の見込みを高めるかどうかは不明です。

 

 このように、本書は権威主義を幅広く網羅的に論じています。似たテーマを扱った本にブルーノ・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス『独裁者のためのハンドブック』がありますが、こちらのほうが訳文がわかりやすいこともあって、理論的な理解は進むと思います(『独裁者のためのハンドブック』の方が「読み物」としては面白い面かもしれませんが)。さらに著者と交流のある東島雅昌の解説もついています。

 日本は、周囲に中国、ロシア、北朝鮮という権威主義体制の国を抱えていますし、タイはクーデタで軍事政権となり、フィリピンもドゥテルテのもとで権威主義化が進んでいます。

 ここ最近、民主主義をテーマにした本がいろいろと出版されていますが、その反対物である権威主義を知ることも同じように重要になってくるでしょう。本書は、権威主義を理解する格好の入口となる本です。