東島雅昌『民主主義を装う権威主義』

 「民主主義」の反対となる政治体制というと「独裁」が思い浮かびますが、近年の世界では金正恩北朝鮮のようなわかりやすい「独裁」は少なくなっています。

 多くの国で選挙が行われており、一応、政権交代の可能性があるかのように思えますが、実際は政権交代の可能性はほぼ潰されているような体制の国がけっこうあります。

 独裁からこういった選挙があるけど政権交代の可能性がほぼない国までひっくるめて政治学では「権威主義」、「権威主義体制」と言い、近年では今井真士『権威主義体制と政治制度』、エリカ・フランツ『権威主義』のように権威主義を分析した本や、川中豪『競争と秩序』のように民主主義と権威主義の狭間で動くような国(東南アジアの国々)を分析した本も出ています。

 

 こうした中で本書は権威主義体制の戦略、特に権威主義体制における選挙の利用について分析した本になります。

 権威主義体制に選挙は必要ないような気もしますが、先進国から援助を得やすいといったこと以外にも選挙を行うメリットはあります。しかし、同時に選挙は権威主義体制の脆さを露呈させることもある諸刃の剣でもあります。

 本書は、こうした権威主義の戦略を実証的に分析するとともに、カザフスタンキルギスという中央アジアの2つの国をとり上げて、その成功と失敗を検証しています。

 

 まずは権威主義の戦略を知る面白さがありますが、同時に権威主義の戦略を知ることで「民主主義のポイント」と言ったものについても考えることができる内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 現代の独裁体制
第2章 政治体制と独裁選挙の歴史的変遷
第3章 選挙権威主義の原理と論理
第4章 独載制と選挙不正
第5章 独裁制下の制度の操作
第6章 独裁者によって操られる経済政策
第7章 独裁者に牙をむく選挙
第8章 選挙操作から利益の分配へ
第9章 選挙操作から体制の崩壊へ
第10章 権威主義民主化のゆくえ

 

 本書は冒頭で、現代の権威主義専制政治)についての2つのステレオタイプを取り出しています。

 1つ目は「権威主義と民主主義における政治指導者の統治のあり方が相互排他的であり、分離可能であるかのように考える見方」であり、2つ目は「現代の専制政治が暴力と抑圧から成り立っているとする見方」です(4p)。

 本書は、この2つの見方がナイーブで単純すぎることを明らかにしていきます。

 

 そのために本書が着目するのが選挙を行う権威主義体制です。

 もちろん、中国やサウジアラビアのように選挙をしない権威主義体制もありますが、近年増加傾向になるのが選挙をする権威主義体制です。

 基本的に与党側が活用にデザインされた選挙ではあるのですが、選挙をきっかけに権威主義体制が揺らぐこともあります。しかし、それにもかかわらず、多くの権威主義国家が選挙を行うのです。

 「権威主義国家が選挙を行うメリットは何なのか?」、「権威主義国家はどのようにして選挙に勝とうとするのか?」、「権威主義国家はなぜ選挙をきっかけに崩れることがあるのか?」といった問題が本書が取り組んでいるものです。

 

 まず、本書では執行部の首長が選挙で選ばれていること、選挙に野党を含む複数の政党が参加していること、選挙が公正であること、成年男子の半数以上が参政権を有していること(「男女」になっていないは「男女」だと1920年代をピークとする民主化の第一の波を捉えられないから)、という4つの条件(きちんとした定義は29p参照)を満たす国を民主主義とみなし、1つでも満たさない国を権威主義体制とみなしています。

 

 権威主義体制の中には、上の4つの条件を1つも満たしていない(選挙もない)中国やサウジアラビアのような国もあれば、選挙はあるけど野党の選挙参入が認められていないベトナム北朝鮮、選挙権を制限していたアパルトヘイト下の南アフリカなどのタイプもあります。

 そんな中で、近年目立っているのが選挙はするし、野党も参加しているけど、選挙が公正とは言えないタイプの国で、ロシアやシンガポールなどがこれにあてはまります。

 1990年代に社会主義国家の多くが崩壊して以来、この選挙を行う「選挙権威主義」が権威主義体制の中でも多数派となっています(36p図2-2参照)。

 

 では、なぜ権威主義体制は選挙を行うのか? 比較政治学者の考える要因は次の3つです。

 まず、1つ目は権力の「誇示効果」です。選挙で圧勝することができれば体制の盤石ぶりをアピールすることができます。

 2つ目は「情報収集効果」です。選挙の得票によって民衆の支持分布、および統治エリートの能力や忠誠心を測ることができます。例えば、その情報をもとに特定の地域にテコ入れをしたり、統治エリートをすげ替えることも可能です。

 3つ目は「分断統治効果」と呼ばれるもので、野党陣営を分断する機会を得られるというものです。例えば、選挙に参加できる野党とできない野党をつくり出すことで、野党の連携を乱すことができます。

 

 ただし、思ったような勝利が得られずに逆に体制の脆弱性があらわになるかもしれませんし、不正が野党陣営を結束させたり、国民の怒りに火を付ける可能性もあります。

 権威主義体制の指導者は「選挙のジレンマ」というべきものに直面しているのです。

 

 独裁的な指導者が行う選挙において、もっともよいのはほとんど選挙操作(不正)をせずに圧勝することです。自らの力を示すことで統治エリートたちは恭順するでしょうし、反体制派も抗議しないでしょう。

 最悪なのが大規模な選挙操作を行ったにもかかわらず、敗北したり僅差でしか勝利できないケースです。体制は大きくゆらぎ、統治エリートはクーデタを企図し、反体制派は抗議運動をするでしょう。

 両者の間にあるのが、A・選挙操作をせずに辛勝するケースと、B・大規模な選挙操作をして圧勝するケースです。

 前者においては反体制派は抗議しないかもしれませんが、体制の脆弱さを知った統治エリートがクーデタなどに走るかもしれません。後者では統治エリートは従うかもしれませんが、反体制派が抗議活動をする可能性が高まるでしょう(65p表3−1参照)。

 独裁体制は内部から崩れることが多いことから、独裁者はBを選択するかもしれませんが、それでも露骨な選挙不正は反体制派を結集させる恐れもあります。

 

 選挙不正には、野党の登録抹消や立候補資格の制限、有権者や野党に対する嫌がらせ屋表の改ざんなどのあからさまな選挙不正の他、選挙制度や区割りなどの体制側に有利に変更する「制度操作」、経済政策を用いた「経済操作」があります・

 経済操作に関しては、選挙前に公務員の給与をあげたり、補助金を増額したりするクライアンテリズムと、特定の地域や集団に財やサービスを分配するポークバレル(日本では利益誘導と呼ばれる)があります。

 あからさまな選挙不正に比べると、制度操作や経済操作は国民の反感を買いにくく、反体制派の結集も起きにくいものです。

 

 ですから、経済操作ができればそれに越したことはないのですが、それには先立つものが必要です。

 そこで独裁者にとって頼りになるのが石油や天然ガスなどの天然資源です、この天然資源から得た資金は、税収や外国からの援助と違って厳しいアカウンタビリティを要求されず、独裁者が自由に使うことができます。

 

 また、選挙に勝つには資金だけでなく、独裁者の手足となって動く組織の有無や、その浸透具合も問題になります。

 例えば、強力な支配政党があればそれが使われますし、また、中央集権的な行政組織があれば、それが独裁者の手足となります。また、国によっては民族ネットワークなどを用いることもできます。

 

 本書ではこうした見取り図を示した上で、これを実証していきます。詳しくは本書を読んでほしいのですが、ここでは特に興味深いところをいくつか紹介したいと思います。

 

 例えば、第4章では、石油・ガス価格が支配性党独裁において露骨な選挙不正を減らすことが示されています(126p図4.2a参照)。

 インドネシアスハルト政権が代表例になりますが、1970年代後半〜80年代半ばの石油価格の上昇とともに支配政党のゴルカルはパトロネジ分配を強化し、露骨な不正を使わなくても選挙で勝利できるようになりました。 

 

 第5章では独裁制下の選挙制度がとり上げられていますが、ここで興味深いのが独裁者が必ずしも与党に対して大きな議席バイアスを生みやすい小選挙区制を選ぶわけではないということです。

 

 日本でも行われている小選挙区制は一定の得票数をとればかなりの議席を占有することができます。また、ゲリマンダリングによって選挙区をいじって有利な状況を生み出すことも可能です。

 しかし、東欧、ラテンアメリカ北アフリカ・中東などでは権威主義体制でありながら、比例代表的な選挙制度を採用しているケースが数多く見られるのです(137p図5-2参照)。

 

 では、比例代表制にどんな利点があるかというと、「分断統治効果」と「体制誇示効果」を生み出すことに寄与するといいます。

 小選挙区は与党が有利になりがちですが、同時に野党に団結する契機を与えます。

 一方、比例代表制であれば、与党は勝ちにくいかもしれせんが、野党が団結する機運は生まれにくくなります。そして少しでも議席を獲得できれば、体制打倒などを叫ばずにそこで満足するかもしれません。

 

 例えば、2003年のジョージアの選挙では純粋小選挙区制が採用されていたために、主要野党が選挙前に連立を組むことになり、この野党がシュワルナゼ大統領に対する抗議運動をうまく取り込んで、いわゆる「バラ革命」に至りました。 

 小選挙区には野党を団結させるリスクがあるのです。

 

 また、一般的に比例代表制の方が投票率が高くなりがちなのですが、これが高い投票率によって自らの正統性を裏付けたい独裁者に好都合になります。

 もちろん、小選挙区よりも大勝ちはしにくいわけですが、そこでの大勝ちは体制の盤石さの証となります。

 

 第5章では、実証分析によって、天然資源が豊富な独裁者は比例代表に近い選挙制度を採用しやすいことを明らかにしています。

 実際に、メキシコ、赤道ギニアカザフスタンインドネシアといった国々は、天使源が豊富になる中で、比例代表制へ移行するような選挙制度改革を行いました。

 

 第6章では独裁者と経済政策の関係が分析されています。

 野党の選挙参加を認めている独裁国家では、選挙年において財政赤字が増加すると言います。これは選挙に勝つために独裁者が経済的なテコ入れを行っているからだと考えられます。

 また、選挙にあからさまな不正が少ない方が財政赤字が悪化する傾向もあるといいます。独裁者は可能であれば、不正を行わずに経済力でもって選挙に勝つことを望んでいると考えられます。

 

 前にも述べた通り、独裁者にとって選挙は諸刃の剣でもあります。選挙後の抗議活動についてとり上げているのが第7章です。

 当然ながら、あからさまな不正が多いほど選挙結果に対する国民の不満は高まりますが、不正を差し控えて負けてしまったら元も子もありません。 

 独裁者にとって、自分が十分な得票を得て勝ちそうなときは不正を差し控え、それがかなわないときは不正を行うというのが理想的な戦略になります。

 

 例えば、1989年のポーランドの議会選挙は共産主義政府のもとで行われましたが、露骨な選挙干渉はなかったといいます。与党のポーランド統一労働者党は一定の議席を保障されていることもあって自分たちが広範囲の支持を受けると思っていましたが、蓋を開けてみれば、「連帯」が上院の100議席注99議席、下院では161議席を獲得する圧勝でした。

 さすがに与党は政権を維持できなくなり、ポーランド民主化の道を歩むことになります。

 

 一方、2001年にマダガスカルで行われた選挙では、現職のラツィラカ大統領が、野党の候補のラバロマナナの人気に追い詰められ、選挙運動の制限や有権者名簿をいじるなど露骨な不正を行いましたが、それが国民の反発を呼び、亡命せざるを得なくなりました。

 

 第8章と第9章として、「成功した選挙独裁」としてカザフスタンを、「失敗した選挙独裁」としてキルギス共和国をとり上げています。

 この両国は、ともに旧ソ連に属する中央アジアの国で、非常に似た状況からスタートしましたが、カザフスタンのナザルバエフは次第に体制を盤石にして一方で、キルギスのアカエフは2005年の「チューリップ革命」で政権の座を追われました。

 なぜ、両国は違う運命を辿ったのかということが分析されています(なお、ナザルバエフは引退後に院政を敷いていたが2022年の騒乱でその力を失うことになる)。

 

 カザフスタンは1991年12月に独立を宣言しますが、そのときから大統領はナザルバエフでした。ただし、1993年に採択された第一次憲法を見ると、トルクメニスタンウズベキスタンといった他の中央アジア諸国に比べるとカザフスタンの政治体制は自由主義的な要素を持っており、ナザルバエフも改革に前向きな人物と見られていました。

 

 1995年にナザルバエフが第二次憲法を制定した頃から権威主義支配が強化されていき、ナザルバエフを支える与党も2007年に下院の全議席を確保するまでに議席を伸ばしていきます(232p図8.1参照)。

 この間、選挙不正も行われていましたが、露骨な選挙違反は1999年をピークにして減っていきます(236p表8.1参照)。

 また、選挙制度については、1995年には下院の67議席をすべて小選挙区制で選んでいましたが、1999年には小選挙区67議席に追加の10人を7%阻止条項付きの比例代表制で選ぶ制度に変更され、2007年には7%阻止条項付きの比例代表制に移行しています。

 結局、2007年の選挙ではどの野党も7%の阻止条項を突破できず、与党のヌル・オタン党の議席独占となったのです。

 体制側の狙い通りに投票率も上がり(99年62.5%→04年54.29%→07年68.41%)、小選挙区のもとでは共闘していた野党は分裂して弱体化しました。

 

 これを可能にしたのがカザフスタンの豊富な天然資源です。

 特に99年以降は資源価格が上昇し、カザフスタンは07年までほぼ二桁の経済成長を維持することができました。

 ナザルバエフは97年に国営の石油・ガス会社のカザフオイルを設立しますが、ここからの資金が選挙での「経済操作」を可能にしました。

 公務員の賃金引き上げ、年金の引き上げなどによって、人々が国花に依存する体制をつくりあげ、それを得票につなげていったのです。

 さらに中央集権化によって地方への支配力を強め、盤石な体制をつくり上げていきました。

 

 一方、盤石な体制をつくれなかったのがキルギス共和国です。

 キルギスのアカエフも1991年10月の大統領選挙で当選したあと、政治的自由化を進め、欧米からは中央アジアにおける「民主主義の島」だと称賛されました。独立後数年間のキルギスは選挙民主主義国だとみなされていました。

 

 ところが経済危機などもあって、94年頃からアカエフは権威主義的な姿勢を強めていきます。国民投票によって大統領権限を強化したり、新聞に対する抑圧を強めるようになっていったのです。

 選挙不正にも頼るようになり、カザフスタンの1999年の議会選挙とキルギスの2000年の議会選挙を比べると露骨な選挙不正の数は同じようなものです。

 しかし、カザフスタンは99年をピークにして減ったのに対して、キルギスでは05年の議会選挙ではさらに増えているのが大きな違いになります(282p表9.1参照)。

 選挙制度についてもカザフスタンと対照的で、2000年の議会選挙は小選挙区制と比例代表制の混合選挙制度でしたが、05年の議会選挙は単純小選挙区制にしています。小選挙区制による議席バイアスを得ることを選んだのです。

 

 こうした違いを生んだ要因は、キルギスカザフスタンと違って天然資源が少なく、アカエフが使える経済的資源が少なかったことです。キルギスにはクムトール金山という金鉱がありましたが、カザフスタンの石油やガスほどの富は生み出せませんでした。

 アカエフは資金不足を海外からの援助などによって補おうとしましたが、独裁化が進展すると海外からの援助は停滞します。また、援助の資金には国際機関の監視がつくために使い勝手が良い金ではありませんでした。

 

 また、カザフスタンのような中央集権化にも失敗し、アキムと呼ばれる州知事が力を持つようになります。こうなると大統領を支える与党の力も地方に浸透しにくくなり、アカエフは支配政党の構築に失敗します。

 結果、2005年の議会選挙後の抗議活動がエスカレートしていき、いわゆる「チューリップ革命」へとつながっていきます。

 ナザルバエフのような資金力に恵まれなかったアカエフは選挙で不正を重ねることしかできず、それが命取りになったのです。

 

 このように本書の分析は、これまでの「国民を無視して権力を一身に集中させる」という独裁者のイメージを覆すものです。

 現在の独裁者は、国民を常に観察し、選挙という舞台を通じてそれをうまく操作し、自らの権力を維持しようとしているのです。

 

 そして、本書で分析されている独裁者のテクニックは民主主義国家の与党にも一部は利用可能です。

 例えば、ドイツの5%阻止条項付きの比例代表制は、極右や極左の台頭を防ぎ、同時に民意を反映する良い制度だと思われてきましたが、これを7%にまで引き上げればカザフスタンのように野党のかなりの部分を消し去ることができるかもしれません。

 もちろん、民主主義や自由な言論が保障されていれば、このような強引な制度変更はできないかもしれませんが、もっと微妙な形で民主主義を歪めることは民主主義国家にも可能なはずです(実際、アメリカのゲリマンダリングはひどい)。

 そうした意味で、民主主義を守っていくためにも読むべき本と言えるかもしれません。