今井真士『権威主義体制と政治制度』

 サブタイトルは「「民主化」の時代におけるエジプトの一党優位の実証分析」。権威主義体制がいかに成立し、またそれがいかなる時に「民主化」するのかということを主にエジプトを事例にあげながら分析した本になります。
 ただし、「エジプト」という語句がメインタイトルにはなく、サブタイトルに回っていることからもわかるように、メインにあるのは世界各国の権威主義体制の実証分析で、その興味深い例の一つがエジプトという形の構成になっています。
 

 「あとがき」に「比較政治学と中東政治を並行して進めるのは二足の草鞋を履くようなものだ」(309p)という言葉が紹介されていますが、まさにこの本は比較政治学と地域研究(中東研究)の両分野を並行して論じるような中身になっています(どちらかという比較政治学寄りでしょうか)。
 中東は今まで「民主化の失敗事例」として一種の逸脱として捉えられることが多かったですが、これを「権威主義体制の成功事例」と捉え、さらにその中でも一党優位制→「アラブの春」による一党優位制の崩壊→ムスリム同胞団自由公正党による一党優位制樹立の失敗、という展開をたどったエジプトを分析することで、権威主義体制が存続する条件と失敗する条件を探っています。
 著者はこれが初の単著ですが、ピアソンの『ポリティクス・イン・タイム』の訳者でもあります(監訳は粕谷祐子)。


 目次は以下の通り。

第1章 序論―中東地域を隻折政治学の俎上に載せる
第2章 一党優位の概念的領域と理論的系譜―権威主義体制の全体像と多様性を把握する
第3章 権威主義体制下の一党優位の確立過程―制度選択と「優位の好循環」をめぐる経路依存
第4章 権威主義体制下の一党優位と体制変動―競合性の制度化の効果
第5章 権威主義体制下の一党優位と名目的合意形成―協議の場の制度設計とその効果の多様性
第6章 権威主義体制下の一党優位と選挙前連合―政党間の競合性と政治制度の効果
第7章 憲法起草と暫定政権期の政党政治―一党優位破綻後の政党システムの変化
第8章 結論―権威主義体制下の政党政治の多様性


 まず、一党優位とは「単一の与党が少なくとも連立与党の中心として長期間にわたって全国レベルの執政府を支配する」(1p)状況です。
 この一党優位には日本の自民党のように民主的な選挙の中で勝ち続けたケースも考えられますし、中国のように共産党以外の政党が執政府を支配することが不可能なケースもあります。
 この本では民主制の条件として、議会選挙や複数政党制、現職者の権力乱用の不在、、政権交代の経験などをあげるプシェヴォルスキー派の分類枠組みを採用し、それを満たさない体制を権威主義体制として、その中の一党優位を分析しています(だから日本は事例に含まれない)。第2章の末尾に分析対象の一覧が載っていますが(51-57p)、91カ国、134事例にのぼっています。


 そうした多くの国のデータとエジプトの事例分析からこの本が明らかにしようとするのは次の5つの問です。

(1) 複数政党選挙を実施する権威主義体制の中で一党優位が確立した事例と一党優位が確立しなかった事例があるのはなぜか。
(2) 一党優位が確立した事例は一党優位が確立していない事例と比べてどの程度体制変動しにくいのか、そしてどの程度民主化しにくいのか。
(3) 議会で圧倒的優位を占めている与党勢力がその常設の審議の場と並んで特設の合意形成の場を設置し、野党勢力(の少なくとも一部)の参加を求めるのはなぜか。
(4) 与党勢力が圧倒的優位を占めている状況で野党勢力はどのような条件下で選挙前連合の形成に意欲を示すのか。
(5) 体制崩壊に伴なって一党優位が破綻した後、新体制をめぐる旧体制の支配者と主要野党との角逐はどのような政党システムを形作るのか。(3p) 


 このように書くとかなり細かくテクニカルな問題に焦点を当てているようにも思えますが、この本ではもっと一般向けするような問題も論じています。
 例えば、権威主義体制なのに、なぜ選挙をして議会を開き政党をつくるのかという問題があります。欧米諸国に対して「民主化」の姿勢を見せなければならないといった事情はあるでしょうが、選挙も議会も政党も独裁政治にとってはコストに過ぎないのではないかという考えもあると思います。
 それに対してこの本では、権威主義体制下での実質的機能として、議会には「野党勢力の取り込みの場」、選挙には「与野党のバランスによって政治的自由を促進するか、利益誘導を促進」、政党には「与党勢力内のエリートの利害調整と民衆の動員」があるとしています(42pの表2-5を参照)。選挙については少しわかりにくいかもしれませんが、議会と政党に関してはある程度イメージが湧くのではないかと思います。


 第3章では、(1)の問がとり上げられています。
 マレーシアの国民戦線やメキシコの制度的革命党のように複数政党制のもとで長期間政権を維持したケースもあれば、東欧諸国の共産党のように一党制から複数政党制に切り替えた途端い政権を失ったケースもあります。また、一党制から複数政党制に切り替えたにもかかわらず政権を維持し続けたガボン民主党カメールーン人民民主連合のような例もあります。
 この理由をピアソンの理論などを援用して、「優位の好循環」と経路依存で説明しようとしたのがこの章です。


 権威主義体制において一党優位が確立される要因として、いわゆる「一番乗りの強み」というものがあります。例えば、宗主国との間に独立戦争が行われた場合は、その勢力がまずは権力を握り、政党を組織します。その政党は自分たちに都合のいい制度を選択できるかもしれませんし、政治的な資源を使うことができるかもしれません。
 「公式の政治権力(政治的優位)を獲得できれば、公共資源を活用して特定の支持基盤に経済的恩恵を与えること(経済的優位)が可能になり、その利益誘導によって社会的ネットワーク(社会的優位)が発達し、政治的支持の動員(さらなる政治的優位)が容易に用意になる」(68p)、これが「優位の好循環」です。


 この本では、一党優位に関して、「一党制を経由した一党優位の確立」(チュニジアなど)、「一党制を経由した一党優位の非確立」(東欧諸国]、「複数政党制のみを導入した一党制の確立」(マレーシアやメキシコ)、「複数政党制のみを導入した一党優位の非確立」(ウガンダなど)という4つの経路に分けて分析しています。
 

 事例分析にあげられているエジプトは「一党制を経由した一党優位の確立」のケースになります。
 ナーセールの後を継いだサーダートはアメリカに接近し経済改革を行うとともに一党制から複数政党制への切り替えを行いました。サーダートは公民民主党とつくるとともに、「与党側が新党の認可申請を一方的に審査するというエジプト第一共和政政党政治の基本構造を制度的に定め」(100p)るなど、与党有利の制度を構築した上で、1979年の選挙に勝利します。
 サーダートは1981年に暗殺されましたが、後継者のムバーラクには強力な与党組織が残されていました。ムバーラクは野党側の要求に応じて選挙制度小選挙区制から比例代表制に変更しましたが、さまざまな条件をつけることで全国規模で候補者が擁立できる政党(つまり与党)が有利なようにします。1984年の選挙では野党の分裂もあって与党が安定多数を保持。その後も選挙制度を変えながら、与党は優位に立ち続けます。
 エジプトでは一党制時代に組織をつくり動員力を高めた与党が、複数政党制のもとでもさまざまな手段を講じて優位に立ち続けたのです。


 第4章では、いかなる条件のときに民主化が生じるのか、または生じにくいのか、という問題が分析されています。
 途中の議論は割愛しますが、結論として出てきているのは「とりわけ、民主化が生じにくいのは、1 与党勢力全体の議席占有率が高いとき、2 与党勢力の中で1つの政党が優位を占めているとき、3 文民が執政代表者を務めているとき、4 政権を長く維持しているとき」(140p)になります。比較的当たり前の事のようにも思えますが、軍政や君主政よりも民政(文民による支配)のほうが民主化しにくいというのは注目すべきことでしょう。また、経済成長が順調なときほど民主化しにくいという結果も出ています(137-138)。


 第5章では、常設の議会以外に特設の合意形成の場(「国民対話」など)が置かれるのはなぜか? そして、それはどのような効果を生むのかということが分析されています。
 「アラブの春」に見られるような政権崩壊時に、このような「国民対話」の場が設けられますが、権威主義体制のもとでは平時にもこのような特設の合意形成の場がしばしば設けられました。
 その理由はまず次のように説明されています。

 与党勢力が議会で絶対安定多数議席を常に保持し、重要な政治的争点に関する審議を独断専行することは民主的正統性の獲得の足枷になりうるが、その一方、野党勢力の大幅な議席増を安易に認めれば、それは審議過程の頓挫、体制の不安定化、ひいては体制変動のきっかけになりかねない。野党勢力との狭義による民主的正統性の獲得と議席の安定的維持、この2つの目的を両立させる手段として活用されるのが特設の合意形成の場なのである。(155p)

 

 さらにこの章では、野党の参加規模がどのくらいか、設置期間が長い(1年以上)か短い(1年以内)という変数を使って分析しています。
 一般的に野党の参加規模を絞ったほうが野党勢力を分断しやすく、また短期のほうが政権の意図通りの結果が出やすくなります。ここでは野党の参加規模が大きく設置期間も長かったために政権の思い通りに運ばなかったイエメンの例と、野党の参加規模が小さく、設置期間も短かったために政権の思惑通りに事が運んだエジプトの2005年と2007年の例が挙げられています。
 エジプトではさまざまな理由を用いて最大の野党勢力であるムスリム同胞団を「国民対話」の場から外し、野党勢力を分断しました。そして、ある程度は野党勢力に譲歩しつつも与党側が不利にならないような制度の構築に成功しました。


 第6章では、一党優位のもとでほぼ勝ち目のない野党が選挙前連合を形成することがあるのはなぜか? 一方、勝利や議席増の見込があるのに野党が選挙前連合を形成しないことがあるのはなぜか? という問題が検討されています。
 複数政党制での選挙には政治的自由や民主主義体制への移行を促進するという研究もありますが、一方で、権威主義体制下での選挙は社会的不満を軽減するための安全弁であり、政権側に社会的不満の程度や野党勢力潜在的脅威に関する貴重な情報を与え、その情報を元に利益誘導が行われるというガンディーとエレン・ラスト=オカルの研究もあります。
 野党勢力は勝てそうであれば選挙前連合を結成して選挙に賭けるかもしれませんし、一方で勝つ見込みはなくても議席とそれに伴う特権を死守するために選挙前連合を結成するかもしれません。どちらにせよ、選挙前連合が便益につながるのであれば野党勢力が結集する可能性があるのです。


 そして、この章での分析で特に興味深いのが、「議会選挙制度の非比例性が高いほど、野党第一党は選挙前連合を形成しにくい」という仮説です(207p)。
 「非比例制が高い」選挙制度といえば小選挙区制で、普通は小選挙区でこそ選挙前連合が形成されると考えられます。強力な与党に対して小選挙区で勝利するには何よりもまず野党勢力の結集が必要だからです。
 ところが、一党優位の下では比例代表制よりも小選挙区制のもとで選挙前連合が避けられるというあべこべなことが起こるのです。この理由として、野党第一党小選挙区制で選挙前連合を形成すれば、与党勢力と直接対決したという印象を与え、選挙後に冷遇を受けかねないという点があげられます(207p)。
 また、直接選出の大統領が設けられている場合も、選挙前連合を形成する確率が低くなるのですが、これも強大な権限を持つ大統領との直接対決の矢面に立ちたくないからだと考えられます(215p)。


 実際、エジプトにおける最大野党勢力であったムスリム同胞団は、2005年の大統領選挙では団員に自主投票を呼びかけ、同年の小選挙区制で行われた人民議会選挙においても選挙前連合に形式的に参加しただけで、候補者数を抑えるなど、与党の国民民主党との全面対決を避ける姿勢を見せました。また2010年の人民議会選挙においても、ムスリム同胞団は、最終的には決選投票はボイコットしたものの、それまでは与党との全面対決を避けるような動きも見せています。
 小選挙区制をとり、なおかつ強力な大統領の存在したエジプトにおいて、政権側と全面対決をするために選挙前連合を組むことは容易ではなかったのです。


 第7章と第8章では「アラブの春」以降のエジプト政治の動きが分析されています。
 「アラブの春」では、最終的にムバーラクが軍の支持を失って退陣します。このあと軍の後ろ盾のもとに暫定政権が組織されるのですが、暫定政権はあくまでも暫定のものであり、どこかの時点で選挙を行い政権を引き渡さなければなりません。一方、野党の第一勢力であったムスリム同胞団の結成した自由公正党は次期選挙での勝利と政権獲得の期待が高まります。
 この暫定政権期におけるエジプト政治の動きを著者は以下のようにまとめています。

 実効支配者の軍最高評議会が一見して中立的な行動(政策協議の提案)を取りながら暫定政権の正統化と既得権益の維持を試みたのに対して、最大野党の自由公正党は一見して協調的な行動(政党間の包括的な利害調整)を取りながら次期与党の最有力候補として穏便かつ着実な権力の最大化に努めた。この角逐は協議への参加の是非や内容をめぐって旧体制下から潜在していた野党勢力間の立ち位置の違いを顕在化・激化させた。(276-277p)


 2012年1月の人民議会選挙で自由公正党が第一党となり、6月の大統領選の決選投票で自由公正党のムルスィーが勝利し、第2共和政がスタートします。
 しかし、ご存知のようにムルスィー政権は1年余りで軍のクーデターによって倒れます。これには自由公正党の人民議会での議席占拠率が41.93%(連立与党を加えても46.26%)と圧倒的ではなかったことや、憲法起草過程において野党勢力の取り込みや分断を上手く行わずに、大統領権限の一方的・強権的行使によって野党勢力の反発や団結を助長したことなどの理由があります(286ー287p)。
 結局、野党勢力がこぞって軍のムルスィー政権に対する最後通牒を歓迎する中で、ムルスィー大統領は軍によって解任されたのです。
 

 このように、この本はエジプトを事例としながら権威主義体制の政治を分析しているわけですが、特筆すべきは取り扱われているデータの大きさと、言及されている事例の幅の広さでしょう。エジプトの事例を他の似た事例と比較するのではなく、権威主義体制を総合的に分析し、その興味深い一つの類型としてエジプトに言及しているスタイルです。
 ですから、エジプト政治にそれほど興味がないという人であっても読む価値はあると思いますし、他の国にも応用できるさまざまな知見を得ることができると思います。


 一方、「エジプトにおける「アラブの春」について知りたい」という人がいきなり手に取るにはやや難しいですし、わかりにくい面もあります(もちろんいきなりこの専門書に手を伸ばす人は少ないでしょうが)。
 基本的に実証分析に重きをおいているこの本では、重点的に取り上げられているのは政党で、「アラブの春」を押し進めた若者たちによる街頭での運動に関してはそれほど詳しく言及していません。街頭での運動に関しては数値化が難しいので(先進諸国でさえデモの参加人数の正確な数というのはなかなかわからないはず)このような本での分析には向かないと思いますが、街頭の若者というアクターがほぼ外されているので、2011年以降のエジプト政治におけるダイナミズムがややわかりにくくなっている面はあると思います。
 エジプトにおける「アラブの春」に関しては、まずは 鈴木恵美『エジプト革命』中公新書)を読むとよいでしょう。
 ただし、この本は「アラブの春」に関して『エジプト革命』とは違った観点から光を当てているので、『エジプト革命』を読んでいても得るものは多いと思います。


 あと、これは余談ですが、政治学の本は、今後このような実証分析を行ったものが増えてくると思うのですが、だからこそ数値化しにくいデモなどの街頭運動がある種の魅力を持ち続けていくのかな、とこの本を読み終えて思いました(将来的にはグーグルアース的なものでデモの正確な参加人数がカウントできるようになるのかもしれませんが)。


権威主義体制と政治制度: 「民主化」の時代におけるエジプトの一党優位の実証分析
今井 真士
4326302607