川中豪『競争と秩序』

 副題は「東南アジアにみる民主主義のジレンマ」。フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールの5カ国を比較しながら、安定した民主主義には何が必要なのかということを探っています。

 民主主義を語る時に引き合いに出されるのは欧米の、いわば「民主主義先進国」が多いですが、民主主義は世界に広まっていますし、近年ではその揺り戻しも起きていると言われます。

 また、以前は「経済発展→中間層の台頭→民主化」という経路が想定されていましたが、中国の発展とともにそれに疑問符が付けられていますし、本書でとり上げているシンガポールも経済は十分に発展しながら民主化が進んでいない国と言えます。

 

 フィリピンではピープルパワー革命で倒されたマルコス大統領の子どもが大統領選挙で圧勝しましたし、タイでは2014年のクーデタ以降、軍人が政権を掌握しているなど、東南アジアでは民主主義が上手くいっているとは言い難いのですが、だからこそ「民主主義の条件」が見えてくるのが本書の魅力と言えるでしょう。

 

 目次は以下の通り

第1章 民主主義を分析する
第2章 政治体制の形成
第3章 民主主義の不安定化
第4章 選挙が支える権威主義
第5章 民主主義と社会経済的格差
第6章 パーソナリティと分極化の政治

 

 まず、本書では民主主義の条件として、「自由で公正な選挙が保障されていること(多元性)」、「すべての成人となった市民が選挙に参加して権力者を選択することができること(包括的政治参加)」、「市民的な自由が保障されていること(市民的自由)」の3つをあげています(第1章注1によればプシェヴォスキ流の限定的な定義に共感しつつ、市民的自由を加える必要があると考えたとのこと)。

 

 本書の定義に比較的近いV-Demの指標によると、1970年時点で民主主義に分類される国は全体の23.1%でしたが、2020年には51.4%にまで増えています。

 ただし、あからさまな独裁は減ったものの、民主主義の後退も指摘されています。暴力的な行動が持ち込まれたり、選挙が行われていても与党が有利に仕組まれているといった国も少なくなのです。

 

 民主主義では利益を異にする勢力(政党)が競争し、権力を掌握した勢力が自ら望まじいと考える政策を実施するわけですが、この競争が行き過ぎると混乱が生じます。一方で、秩序を維持するためにこの競争を過度に抑制すると民主主義ではなくなってしまいます。

 特に本書がとり上げる東南アジアの国々は、この「競争と秩序」のジレンマに悩まされてきたと言えます。例えば、タイでは民主化された後にタクシン派と反タクシン派が路上で競争を繰り広げましたが、この混乱はクーデタによって民主主義と引き換えに終わりを告げました。

 

 東南アジアの国々はタイを除くと植民地支配を経験しており、植民地支配のあり方や独立の過程が政治体制に大きな影響を与えました。

 フィリピンではアメリカが地方エリートによる自治を認めたことから地方エリートの影響力が強くなり、インドネシアではオランダの植民地というまとまりで独立したために、そのまとまりを維持しようとナショナリズムが強くなる一方でイスラームによってまとまろうという勢力も生まれました。

 タイでは1932年の立憲革命を起点に、王室と軍と政党が権力闘争をするようになり、マレーシアではマレー人、華人、インド人という民族集団が政治体制を形作りました。マレーシアから独立したシンガポールでは共産主義との対立の中でPAP(人民行動党)の支配体制が出来上がっています。

 

 独立後、フィリピン、インドネシア、マレーシアでは広範な政治参加がもたらされましたが、共産主義勢力の伸長もあり、この共産主義勢力との対決の中で、フィリピンのマルコス政権やインドネシアスハルト政権のような開発独裁体制が生まれてきます。

 多くの国では健全の競争は成立せずに、強権的な形で秩序が追求されました。ただし、その支配のあり方としては、フィリピンとインドネシアが個人中心だったのに対して、マレーシアとシンガポールは政党中心、タイは軍政といった違いがあります。

 

 また、民主化が進んだ国もありましたが、それぞれに問題を抱えていました。

 フィリピンは民主化直後の1987年の下院選で当選した議員の84.5%がマルコス体制以前に地方に勢力を持っていた地方エリートの家族出身で、この数字は2013年の下院選でも74.0%と高いままです(58p)。

 結果としてフィリピンでは政党は発展せず、大統領選挙のたびに有力候補がそれぞれ政党を作り、地方エリートがそれに乗っかるという構図になりました。そのために汚職もはびこることになります。

 

 インドネシアでは、スハルト退陣後の改革が比較的ゆっくりと進み、また、比例代表制を採用したこと、大統領の権限が比較的弱いことなどから、多元的な民主主義が成立しているとも言えますが、所得格差の拡大は続いており、オリガーキー支配であると批判する向きもあります。

 

 タイでは1997年憲法で、小選挙区中心の選挙制度にすることで今までの多党制から少数の政党による競争を目指す改革が行われ、それがタクシンという強いリーダーを生みましたが、それが再び軍政を呼び込みました。

 

 民主主義が安定して運用されるためには、将来的に選挙によって勝者と敗者が交代する可能性があることが認識されていることが重要です。

 もし、勝者が永久に変わらないのであれば、敗者は暴力的な手段によって体制転覆をはかるしかなくなります。

 勝者と敗者が民族集団などによって分かれてしまう場合は、比例代表制にしたり、憲法などで少数民族の権利などを保障することが必要になります。

 

 レイプハルトは民主主義を「多数決型」と「合意型」に分けましたが、この分類に従うと、タイは1997年憲法で「多数決型」を志向しました。これによって今まで潜在的だった都市中間層と農村低所得者層の亀裂が顕在化しました。そして、前者はタクシンによって組織された後者を選挙で打ち負かすのは不可能だと考え、路上選挙などの直接的な行動に頼るようになっていったのです。

 一方、インドネシアでは「合意型」の民主主義が志向されました。大統領選に出馬するには議会選挙で一定程度の得票率と議席占有率を持つ政党の公認が必要であり、議会と対立的な大統領の出現を防いでいます。

 

 また、民主主義においてはいかにして公正な選挙を実現するのかも大きな課題です。中立的な選挙管理機関が求められるわけですが、タイでは選挙管理員会の権限が強かったために党派性も強くなってしまうという形になりました。

 

 民主主義の進展が民主主義自体を不安定にすることもあります。

 フィリピンでは1998年の大統領選挙で映画俳優出身のエストラーダが圧勝しました。現職のラモス大統領は下院議長のデ・ベネシアを推しており、地方エリートの支持もありましたが、クライエンテリズムに包摂されていない貧困層が「貧困層のためのエラップ(エストラーダの愛称)のスローガンのもとでエストラーダに大挙して投票したからです。

 しかし、エストラーダ政権における汚職と、今までの都市偏重政策とは違う政策は都市中間層の反発を呼び、弾劾裁判や幹線道路での辞任要求集会などによってエストラーダは人気半ばで辞任に追い込まれます。

 

 同じようなことは先述したタイにも当てはまることで、今まで民主主義の主体とは認識されていなかった貧困層や農民が選挙に組み込まれたことで、都市部中間層との分断が修復不可能なまでに深まってしまったのです。

 

 このように民主主義が不安定なのに対して、安定しているのが競争的権威主義と呼ばれる選挙を行うタイプの権威主義です。シンガポールやマレーシアがこれにあたります(マレーシアは2018年に50年近く続いた国民戦線(BN)の支配が終わった)。

 権威主義には支配の主体が個人、軍、政党という3つのタイプがありますが、もっとも長続きしやすいとされているのが政党による支配です。

 

 このタイプの政党は通常は議会の2/3を超えるような議席を握っており、ゲリマンダリングやその他さまざまな手段を使ってその多数を維持しようとします。

 圧倒的な力を持っていれば選挙を行う必要はないようにも思えますが、選挙は野党を取り込む場にもなりますし、国民の不満などの情報を集める機会にもなります。野党も選挙で数議席を取れれば小さいながらも分け前にあずかるチャンスができるので、これに参加します。

 

 先程述べたように、シンガポールやマレーシアは競争的権威主義の典型ですが、自国の民主主義に対する評価を見ると、シンガポールやマレーシアのほうがフィリピンやインドネシアよりも自国の民主主義を高く評価しています(122p図4−2参照、マレーシアの調査は2014年で政権交代前)。

 シンガポールでもマレーシアでも定期的に選挙が行われており、目立った集計の不正などもありません。そのため多くの国民が民主主義が行われていると感じているのです。

 

 マレーシアもシンガポール宗主国のイギリスとの交渉の中で独立や自治を勝ち取ったために軍の優越的な立場は生まれませんでした。また、勝者総取りになりやすいイギリス流の多数決型の政治制度が導入されました。さらに民族的な亀裂をもとにした暴動を経験したことが、指導者たちに政治秩序の維持を優先する意識を植え付けました。

 

 シンガポールでは人民行動党(PAP)が当初はあからさまな抑圧を行っていましたが、次第に市民に対する公共サービスの提供と選挙システムの操作によって権力を維持するようになります。

 公共サービスの提供は公営住宅の整備を中心に行われ、PAPへの支持が少なかった地域では住宅整備が後回しにされました。

 

 シンガポールでは小選挙区制が導入されていましたが、1984年の総選挙で野党に2議席を奪われたことから、88年にはグループ代表選挙を導入しています。グループ代表選挙では1選挙区に3〜6名の議席が割り当てられ、その定数に応じたリストが各政党から提示されます。有権者はこのリストに投票し、もっとも票数を集めた政党が総取りになります。

 リストには少数派の民族集団(マレー人、タミル系インド人など)の候補が最低1人入っていなければなりませんが、これが候補者を揃えることが難しい野党にとって不利になります。さらに、投票日の約3ヵ月前に区割りが行われるため、この区割りが確定してから候補者を揃えることは野党にとっては難しいです。

 一方、PAPの政治エリートは能力主義によって選抜されており、汚職も少ないために、能力のある人物はPAPの中に入っていきます。

 ただし、2011年以降、野党がグループ代表選挙でも活用になってきており、有権者が要求する公共サービスが提供されない中で、PAPの支配には揺らぎも見られます。

 

 マレーシアでは民族集団の亀裂を利用した支配が行われました。マレーシアでは経済的に貧しい多数派のマレー人を優遇するブミプトラ政策が行われましたが、ここで行われた政府による保護や規制が政府への支持の調達に使われました。

 また、華人もこのマレー人保護政策に乗っかることで自らの経済的利益を守ることができました。

 

 こうした中で華人の権利平等化を求める野党(DAP)やマレー人中心主義を唱える野党(PAS)がいましたが、政策志向的にこの両者が手をにぎることはありません。与党連合が穏健的な立ち位置を独占していたことでその支配は安定したのです。

 また、与党は選挙区の民族割合に応じて候補を立てました。例えば、マレー人が6割の選挙区であれば、華人政党などは勝つ見込みがないので候補を立てません。そこで与党対マレー人中心主義の争いになりますが、その対決ならば華人やインド系は穏健な与党に投票します。このように民族集団の亀裂をうまく利用したのです。

 さらに小選挙区制とゲリマンダリングが加わったことで与党連合は勝利を続けたのです。

 しかし、2018年の総選挙ではマハティールをはじめとするマレー人の有力政治家がナジブ政権を批判し、与党連合が分裂したことでついに政権交代が起こりました。

 

 民主主義は格差を縮小させると予想されます。金持ちと貧しい人を比べれば貧しい人が多く、選挙では再分配政策などが支持されると考えられるからです。

 しかし、ご存知のように日本をはじめとして民主主義国で格差は拡大傾向にあります。予想は外れているのです。

 

 東南アジア諸国の近年のジニ係数の推移を見ると、一貫して権威主義国だったシンガポールが最も低く、民主化したインドネシアが上昇しトップになってます(147p図5−3参照)。

 ジニ係数が高かったフィリピンではエストラーダ政権以降、ジニ係数の低下傾向が見られることから、民主主義が格差の縮小の働きをすることもあるといえるのかもしれませんが、ここでも予想は裏切られています。

 

 民主主義が格差の縮小に失敗する原因として、著者は、①選好の多次元制、②政治市場の不完全性、③国家の統治能力欠如、の3つをあげています。

 ①は人々の政治に関する選好を決めるのは経済問題だけではないということです。民族的亀裂などがあれば再分配政策は二の次に置かれるかもしれません。

 ②は政党が安定していなかったり、特定の個人の支配下にあったり、クライエンテリズムが政治動員の柱になっているケースでは人々の選好はうまく議席に反映されないことになります。

 ③は国家の統治能力が低く、国民の所得を国家が把握できないようなケースです。こうなると税は間接税に頼らざるを得なくなりますし、汚職が多ければ、高所得者が金の力で政府の行動を左右することが増えてしまいます。

 

 本書でとり上がられている東南アジア5カ国だと、インドネシアとフィリピンは②と③、タイはタクシンによって農村のクライエンテリズムが一部排除されて格差縮小への道筋が見えた。マレーシアは①の問題があるがマレー人優遇政策によって格差は縮小したといった評価になります。シンガポールは統治能力においては東南アジアにおけるれ以外的存在ですが、近年では教育水準の上昇に打ち止め感が出てきており、それが格差の固定をもたらし、そレに対する不満がPAPの得票の減少をもたらしていると思われます。

 

 近年の民主主義において注目すべき現象は、選挙で支持を受けた「強いリーダー」が民主主義の基盤を掘り崩すような政策を行うことです。フィリピンにおけるドゥテルテ大統領はその代表例と言えるでしょう。ダバオ市長時代につくり上げた大型バイクを乗り回し犯罪者を厳しく罰する姿は既存の政治的なネットワークによる集票を上回る効果を上げました。

 フィリピンではエストラーダ政権をきっかけに政治の分極化が進みましたが、その分極化と強いリーダーはセットになっているケースが多く、タイのタクシン首相などもこれに当てはまります。

 

 東南アジアではクライエンテリズムのネットワークが強かったわけですが。このネットワークは都市化などによって弱まりつつあり、一方でSNSなどの発達は有権者に直接メッセージを届けることを可能にします。

 もともとフィリピンは政党システムの制度化の度合いが低い国でした(政党が社会に根を下ろしていない)。これがパーソナリティに依存する政治をもたらしていいるわけですが、近年では政党システムの制度化の度合いが高いと考えられていたインドネシアでもジョコウィ大統領のパーソナリティが前面に押し出される形で選挙戦が展開されており、政治における政治家のパーソナリティの比重は高まっている印象です。

 

 ドゥテルテ大統領は、違法薬物を取引している者の射殺を命じ、批判的なメディアの関係者を別件で逮捕したり、放送局の営業許可免許更新を拒否するなど圧力をかけ、関係のよくなかった最高裁長官を解任し、敵対する上院議員を逮捕・勾留したりしました。V-Demのスコアで見ても、ドゥテルテ政権になってから民主主義は明らかに後退しています(194p図6−5参照)。

 しかし、2020年の調査で91%もの人々がドゥテルテに満足していると答えています。特に中間層以上の支持が大きく、本来ならば民主主義を擁護するはずの中間層がその破壊者を支持しているのです。

 

 違法薬物の取り締まりや治安は中間層にとっても重要な問題であり、ドゥテルテへの支持もわからないものではありませんが、著者は「1986年にアジアで初めて民主化の第三の波を経験し、民主主義、人権、自由といった価値を高らかに掲げたフィリピンの都市中間層は、民主化から30数年を経て、生存を重視する価値に回帰した」(195p)と述べています。

 

 このように本書は東南アジア5カ国を比較しながら民主主義の条件を探っているわけですが、対象の東南アジア5カ国がそれぞれに民主主義が不十分であったり、そもそも民主主義と言い難い国であることが、この探索を面白くしていると思います。

 また、日本の政治に対する含意というのも十分にあって、例えば、シンガポールでの公共サービスの提供による一党支配体制の確立は斉藤淳『自民党長期政権の政治経済学』でとり上げられている自民党政治のあり方を思い起こさせますし、クライエンテリズムから政治家個人のパーソナリティ重視という流れも小泉政権などを思い起こせば日本に当てはまるとも言えます。

 最近は民主主義についての本が数多く出版されていますが、本書は「民主主義の条件」を考える上で非常に興味深い本になっていると思います。

  

 

 

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