『花束みたいな恋をした』

 数々の良質なドラマの脚本を書いてきた坂元裕二によるオリジナル・ストーリーですが、まずはやはり脚本がうまい。

 主人公は菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹。この2人のまだ学生だった20代前半から5年ほどの彼らの歩みを描いているのですが、彼らはともにいわゆる「サブカル系」で、麦の本棚には大友克洋の『童夢』や松本大洋の『鉄コン筋クリート』が並んでいます。今村夏子をはじめとして好きな小説も重なっています。

 2人は偶然出会い、そして同好の士であることを発見して惹かれ合うのですが、お互いが同好の士であることを知るのは、たまたま終電を逃した者同士4人でカフェ(?)に入ったところで、近くの席に押井守(!)がいることを麦が発見したことからです。

 一緒にいた男は押井守といってもピンとこず、麦に「映画とか見ないんですか?」と言われると、「ちょっとマニアックな映画が好きで『ショーシャンクの空に』が好きだ」といったことを言います。さらに一緒にいた女性は実写版の『魔女の宅急便』の話しをしはじめます。そして絹はもちろん押井守に気づいています。

 ここで、麦が「戦っている」相手を示してそのポジションを明確化するとともに、麦と絹の共犯関係を作り上げて、2人の距離を一気に縮めます。このあたりの脚本は非常にうまくて、とにかく本作では全編にわたって固有名詞の使い方が冴えています。

 

 絹はイラストレーターを目指してイラストを描きつつも、ガスタンクの写真や動画を撮ったりしていますし、絹はラーメンブログを書いたりしています。2人ともクリエイティブな仕事をしたいと思いつつも、何かやりたいこと、自分にしかできないことが定まっていない状況です。麦も絹も「何者かになりたい」といった状態です。

 同好の士を見つけた2人は、好きなものを共有できる幸福の中で同棲を始めます。ただし、その同棲生活は2人が就職をすると徐々に輝きを失っていきます。麦は会社の仕事や「責任」といったものを内面化し始め、サブカルを楽しむ余裕を失っていくのです。そして、そんな麦に絹は不満を覚えるようになっていきます。

 

 ストーリーの説明はこのくらいにしておきますが、未見の人でもある程度の流れを想像できるような話だと思います。「自由」な若い2人の日常が、しだいに「生活」に押しつぶされていくというのは昔からよくある話ではあります。

 ただし、そのあたりを両義的に描いているのが特徴であり、うまさだと思います。

 基本的に本作は、何かクリエイティブに生きたかった若者2人の夢が破れる悲劇ととれます。しかし、同時にそんな2人が悲劇に陥らなかった物語ともとれるのです。

 麦の先輩にクリエイターとして一定程度の成功を収めた先輩がいるのですが、彼は恋人に水商売をさせたり殴ったりもしていました。一方、麦は絹に暴力をふるったりしなかったですし、絹が麦への不満から不倫に走ったりすることもありません。陰惨な悲劇は回避されているのです。

 

 また、ラストに関しても、2人の出会いの「奇跡」は実はありふれたものだった、ととることも可能ですし、自分たちと同じような若いカップルを見ることで、改めて自分たちの出会いの「輝き」(決して「奇跡」ではなかったのかもしれないけど)に気づいたともとれるでしょう。

 

 40代の自分は上記の点で、両方とも後者の解釈をとりますけど、このあたりは世代によって受け止め方は違うのではないかと思います。

 いろいろと考えたり、過去を振り返ってみたくなる映画ですね。