坂口安紀『ベネズエラ』

 副題は「溶解する民主主義、破綻する経済」で、中公選書の1冊になります。

 ベネズエラに関しては、コロナ前に経済がほぼ崩壊しているといったニュースが流れていました。その後、コロナ禍の影響でベネズエラに関するニュースは減っていますが、この状況で経済が好転しているとは思えません。

 

 ただ、それにしても産油国であるベネズエラの経済がどうしてここまで悪化してしまったのでしょうか?

 ベネズエラは世界最大の石油埋蔵量を誇る産油国であり、天然ガスボーキサイトなどの資源も豊富です。実際、ベネズエラは80年代なかばまではラテンアメリカでもっとも豊かな国の1つで、民主体制を維持していました。

 しかし、2014年以降の経済状況は特にひどく、2014年から7年連続のマイナス成長、しかも2017年からはマイナス二桁の成長でGDPは3年間でほぼ半減しました。国民の貧困率は9割を越え、産油量もチャベス政権誕生前の1日あたり300万バレルから、2020年5月には62万バレルと1/5近くに激減し、産油国でありながらガソリン不足に苦しんでいます(5p)。

 いくらチャベスやその後継のマドゥロの政策が悪かったといえども、完全な内戦状態というわけではなく、石油を掘り出しさえすれば一定の収入が得られる産油国で、この数字はちょっと信じられない気がします。

 

 本書はこの疑問に答える本です。

 チャベスマドゥロ政権について、それを生み出した社会的背景や思想的背景にも触れながら、この20年間の軌跡を追い、経済が破綻した理由を説明しています。

 筋の悪い政策というのはどこの国にも見られるものですが、ベネズエラはまさに段違いの筋の悪さであり、ある意味で政治の怖さを教えてくれる本と言えるかもしれません。

 

 目次は以下の通り。

プロローグ
第1章 チャベスと「ボリバル革命」
第2章 チャベスなきチャビスモ、マドゥロ政権
第3章 革命の主人公たち
第4章 ボリバル革命と民主主義
第5章 国家経済の衰亡
第6章 石油大国の凋落
第7章 社会開発の幻想
第8章 国際社会のなかのチャビスモ
エピローグ

 

 チャベスは1992年に当時のペレス政権の打倒を目指してクーデターを起こしますが、失敗し、逮捕されます。94年に恩赦で釈放されると、今度は選挙による政権奪取を目指し、98年の大統領選挙で下馬評を覆して勝利します。

 ここからチャベスは長期政権を築いていくわけですが、まず、行ったのが改憲とそのための制憲議会の創設でした。チャベスは国会を二院制から一院制にして議員を減らし、大統領の任期を延長して再選を可能にし、国民投票制度をつくりました。

 そして、制憲議会を使って国会を牽制し、2000年の国会議員選挙でチャベス派が勝利すると、裁判所、検察、選挙管理員会などの人事をチャベス派で固めていきます。

 チャベスは大企業や富裕層を敵視するとともに、国民の半分以上を占めていたインフォーマル部門の人びとの支持を背景に、労組も攻撃しました。

 

 2001年、チャベスは大統領授権法を使って、農地の接収が可能になる土地改正法など社会主義的な経済関連法を成立させます。

 ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)の人事にも介入しますが、これに反発したPDVSAの職員などがデモを行い、そこから反チャベスの大規模でも起こります。そして、ついに2002年4月12日未明にはチャベス大統領が辞職したことが発表されますが、代わって暫定の大統領となった財界出身のペドロ・カルモナは事態を収拾できず、2日後にはチャベスが帰ってきます。チャベスは敵失もあって最大の危機を脱したのです。

 

 この後、チャベスは反チャベス派に投票した市民を差別したり、野党を威嚇したり、マスメディアを閉鎖するなどの権威主義的な手法で権力を維持していきます。

 また、2003年以降、1バレル100ドルを超えるようになった原油価格もチャベスにとっては追い風となりました。04〜07年までは10%を超える高成長となり、石油収入を使って貧困層向けの住宅建設、無償教育、無償医療、低価格食料品などの「ミシオン」と呼ばれる社会開発プログラムが行われました。こうしたプログラムの恩恵を受けた人々がチャベスを支持したのです。

 しかし、2011年にチャベスにがんが見つかり、2012年の3月5日に死去します。

 

 チャベスの跡を継いだのは副大統領のマドゥロですが、もともとはそれほど目立たないチャベスに忠実なことが取り柄と行った人物でした。また、原油価格の低迷で経済が行き詰まったこともあり、2015年の国会議員選挙でチャベス派は大敗します。

 しかし、マドゥロ最高裁を使って国会の決定を無効にし、予算も国会ではなく最高裁に提出されるなど、混乱が続きます。2017年3月には最高裁が国会の権限を剥奪し、最高裁がこれを代替すると発表しましたが、ルイサ・オルテガ検察庁長官の反対もあって、さすがに撤回されましたが、今度は制憲議会を使って国会の無力化を図ります。

 2018年の大統領選は有力な野党候補の立候補を封じることで勝利しますが、選挙の不正を訴えるグアイドが支持を集め、暫定大統領として動き出します。アメリカなどの各国がグアイドを支持したこともあり、マドゥロは窮地に陥りますが、2019年5月の軍への呼びかけが失敗し、マドゥロ政権はしぶとく権力を維持しています。

 

 第3章ではチャベスの思想的な背景を探っていますが、シモン・ボリバルのような英雄志向を持った軍人が、左翼活動家の影響のもと、クーデター失敗後にカストロの歓待を受けたことから次第に社会主義に傾倒していったという感じです。

 一方、マドゥロは出生から謎に包まれており、実はコロンビア出身で大統領になる資格がないのではないかとも言われています。マドゥロは24歳のときにキューバで1年間思想教育を受けており、このキューバとの近さが後継者となった理由の1つなのかもしれません。

 

 第4章ではチャベスが大統領選に当選した背景が分析されていますが、ここでは既成政党の失策が目立ちます。既成政党への支持が鈍る中で、1998年の大統領選では、アウトサイダー政治家で、ミスユニバース世界大会優勝者のイレーネ・サエスが有力だったものの伝統的な政党であったキリスト教社会党がサエス支持に回ったことで、サエスは失速。さらにチャベスの有力な対抗馬だったエンリケ・サラス・ロメルも伝統政党の民主行動党が支持に回ったことで票を失ったとも言われています。

 ベネズエラではキリスト教社会党と民主行動党が二大政党を構成しており、1958年に結ばれた「プント・フィホ協定」で、選挙結果の遵守やコンセンサス政治の実現、政治ポストのシェアなどの取り決めを行って安定した政治を行ってきましたが、80年代以降になると原油価格の低迷とともに、これが既得権益と映るようになり、それを打破する強いリーダーが求められたのです。

 

 こうして誕生したチャベスは「強いリーダー」だったかもしれませんが、既得権益だけでなく、民主主義や経済までも破壊してしまいました。また、軍人が大臣や知事のポストに就くなど、新たな既得権益が生まれています。

 チャベスは国会を軽視する一方で、「参加民主主義」を唱えて公共政策気化器地方評議会(CLPP)や地域住民委員会などを設置しましたが、社会主義化が進むにつれて、これらの組織は支配の末端組織となりつつあります。

 さらにマドゥロ政権になってからは選挙の不正もさらに増えているようで、情報機関による反対派の弾圧なども激しさを増しているようです。

 

 結局は経済も破壊してしまったチャベスですが、政権についた初めの3年間は財政規律を重視しており、外資の導入も積極的でした。99年にはNY証券取引所で取引終了の鐘を笑顔で鳴らしています(131p)。

 しかし、03年ごろから穏健な経済政策を棄て始めます、これは02年に政権を2日間追われたことなどを背景に、貧困層からの支持を得るためでした。一方で、このころから原油価格の上昇で財施拡大の余地が生まれ、チャベスはそれを社会主義的な政策につぎこんでいくことになります。

 チャベスは国家財政だけでなく、PDVSAに政府の借金を肩代わりさせると行った手法や中央銀行への介入によってさまざまなプロジェクトに使う資金を調達しました。さらに、石油収入の一部を国家開発基金という組織に回して国会の審議や承認なしに資金を使いましたが、その一部はアルゼンチンなどの南米左派政権の国債購入や、破綻前のリーマンブラザーズ株の購入などにも当てられていたといいます(136p)。さすがに、ここまでひどい投資は想像を超えるものです。

 また、中国から巨額の借り入れを行い、将来にわたって石油の現物で返済するという仕組みをつくりましたが、これが現在のマドゥロ政権の重荷となっています。

 

 チャベスは企業の国有化や土地の接収なども行いましたが、国有化された企業の施設の稼働率は低迷し、製鉄とアルミ精製というベネズエラの資源を生かした産業はほぼ壊滅しました。

 財政の拡大はインフレを招き、マドゥロ政権になってからハイパーインフレに突入し、通貨の信認は失われています。もはやデフォルト寸前で、2019年5月の報道で中国に対して135億ドル、ロシアに対して30億ドルの債務支払が滞っていると言われています(151−152p)。

 食料品や医薬品の不足も深刻で、もはや海外にすむ親戚などが送ってくれる物資が命綱となっています。政府は仮想通貨「ペトロ」を発行したりもしていますが、むろん信頼できるものではありません。

 

 第5章では、ベネズエラの石油産業の特殊性が指摘されています。ベネズエラは現在、世界最大の石油埋蔵量を誇りますが、それは東部のオリノコ川流域で超重質油の油田が確認されたためです。

 しかし、この超重質油は比重がきわめて重く流動性が低くて流れません。そこで比重を軽くして混合物を取り除く改質プロセスを挟むか、比重の軽い原油で希釈する必要があります。

 このためコストが高く、原油価格が低迷していた時代は開発が進みませんでした。90年代になって外資を誘致して開発が進みますが、この超重質油を安定的に輸出するのは改質設備を適切にメンテナンスしたり、希釈用の原油を輸入することが必要になります。つまり、ベネズエラの石油産業はただ掘り出せばいいというものではないのです。

 ベネズエラの石油はPDVSAが独占していますが、PDVSAもオリノコ超重質油の開発には外資との合弁で臨みました。

  

 ところが、チャベスはPDVSAを支配下に収めるために経営陣やベテラン技術者を追放します。さらにPDVSAの資金を吸い上げたことから、メンテナンス投資も十分に行えない状況となり、石油生産は低迷していくことになりました。

 また、欧米の外資との合弁は打ち切られ、ロシアや中国、あるいは南米の企業が参加します。輸出先も距離的に近いアメリカの割合が減り、インドや中国が増加しています(180p表6−4参照)。ベネズエラに太平洋への出口はないにもかかわらずです。

 さらに制裁によってアメリカからの原油輸出が禁止されたことにより、希釈用の原油も入ってこなくなりました。結果的に原油生産はチャベス政権誕生時の1/5近くにまで落ち込んでいます。

 

 それでも、社会主義政策を進めたのだから格差は縮小したのでは? とも思うかもしれませんが、そこも怪しいものです。

 確かに先程も述べたようにベネズエラでは「ミシオン」と呼ばれる社会開発プログラムが行われ、貧困層へさまざまなサービスが行われました。教育や医療に関しては、キューバに石遊を送る代わりに医師や教師を送ってもらうということが行われています。

 ただし、その運営は不透明で、多くの汚職も生みました。また、このミシオンはチャベス支持者のためという性格が強く、ミシオンでつくられた住宅に反チャベス派が入居することは困難です。ミシオンでつくられた住宅はチャベス派のコミュニティとなるのです。

 マドゥロ政権になると、電子チップ入りの愛国カードが作られ、そこには支持政党も登録するようになっています。

 

 それでもチャベス政権の前半は貧困率は低下しました。貧困率は1998年上半期の49.0%から2007年上半期には27.5%まで低下し、絶対貧困率も21.0%から7.6%に低下しました。しかし、2013年以降は再び拡大し、2015年下半期以降は指標が公表されていません(197−198p)。

 人間開発指数で見ても2008年までは他のラテンアメリカ諸国よりも速く伸びたものの、2013年以降は低迷し、2018年にはラテンアメリカ主要国の中で最低水準まで低下しています(203p図7−3参照)。

 また、治安状況も急速に悪化しており、2000年代以降、世界でも2〜3番目に殺人発生率が高い国となっており、2016年のデータでは殺人発生率は56.3で南アフリカ(34.0)やブラジル(29.7)を大きく上回ります(205p)。警察や司法の機能低下も深刻で、犯罪者は逮捕されず、逮捕されたとしても判決が下りない状況が続いています。

 

 第8章ではベネズエラの外交がとり上げられていますが、これを読むとやはり重要なのはキューバで、チャベスマドゥロキューバの強い影響を受けていますし、キューバにとってもマドゥロ政権が倒れれば石油が入ってこなくなるということから両国にとって重要な関係です。軍やインテリジェンス機関に関してもキューバ人による訓練が行われているようですし、ベネズエラ軍にキューバ軍人がすでに入っているとの情報もあります。

 キューバ以外だと中国とロシアがベネズエラを支えていますが、経済的な先行きの不透明性から中国が新規の援助に及び腰なのに対して、ロシアは依然として積極的な態度を見せています。

 そんな中で、ベネズエラからはすでに510万人が国外に脱出しており、シリアの560万人につづき、世界第2位の難民発生国となっているのです(238p)。

 

 このように本書はベネズエラの破綻ぶりを余すことなく書き記しています。ニュースなどでそのひどさは知っていましたが、こうしてまとまったものを読むと、政治や経済において「やるべきではないこと」「やってはいけないこと」をひたすらやってきたのがチャベスマドゥロの20年だったということがわかります。 

 チャベスはワシントン・コンセンサス的なものを打破する存在として人気を集めました。既得権益を打破し、既存の国際体制にチャレンジするチャベスに期待を寄せた人もいると思います。

 ただ、本書を読んで改めて思うのは、既存の体制を破壊すれば新しい体制が自然に生まれるわけではないことと、そして制度を破壊する力を特定の個人に与えてしまう怖さですね。