なんだかあっという間にクリスマスも終わってしまったわけですが、ここで例年のように2021年に読んで面白かった本を小説以外と小説でそれぞれあげてみたいと思います。
小説以外の本は、社会科学系の本がほとんどになりますが、新刊から7冊と文庫化されたものから1冊紹介します。
小説は、振り返ると中国・韓国・台湾といった東アジアのものとSFばかり読んでいた気もしますが、そうした中から5冊あげたいと思います。
なお、新書に関しては別ブログで今年のベストを紹介しています。
小説以外の本(読んだ順)
蒲島郁夫/境家史郎『政治参加論』
政治学者で現在は熊本県知事となっている蒲島郁夫の1988年の著作『政治参加』を、蒲島の講座の後任でもある境家史郎が改定したもの。基本的には有権者がどのように政治に参加し、そこにどのような問題があるのかを明らかにした教科書になります。
教科書というとわかりやすくても面白さ的には…となりがちですが、本書で行われている議論は、教科書的なスタイルからは想像できないほど刺激的なもので非常に面白いです。
日本は戦後「一億総中流」と呼ばれる社会をつくり上げたものの、近年はそれが崩壊しつつあるというのは多くの人が感じているところであると思いますが、その要因を「政治参加」という切り口から鮮やかに説明しています。
坂口安紀『ベネズエラ』
トランプ大統領のさまざまな振る舞いや、コロナ対応などから「民主主義の危機」がさかんに叫ばれるようになりましたが、「本当に民主主義体制が崩壊したらどうなるのか?」ということを教えてくれるのが本書が紹介するベネズエラです。
ベネズエラは世界最大の石油埋蔵量を誇る産油国であり、天然ガスやボーキサイトなどの資源も豊富です。実際、ベネズエラは80年代なかばまではラテンアメリカでもっとも豊かな国の1つで、民主体制を維持していました。
そんな恵まれた国がなぜ破綻してしまったのかということを、政治・経済の両面から描き出した本書は、政治において「何をやってはいけないか」ということや、問題のある制度があっても、それを破壊するだけではかえって悪くなることもなるといったことを教えてくれます。
アン・ケース/アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』
『大脱出』の著者でもあり、2015年にノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートンとその妻で医療経済学を専攻するアン・ケースが、アメリカの大卒未満の中年白人男性を襲う「絶望死」(薬物中毒やアルコール中毒、それがもたらす自殺など)の現状を告発し、その問題の原因を探った本。
この絶望死に関しては、アビジット・V・バナジー& エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学』でもとり上げられていますし、大卒未満の中年白人男性の苦境に関しては、例えば、ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』でもとり上げられています。学歴によるアメリカ社会の分断に関しては、ピーター・テミン『なぜ中間層は没落したのか』も警鐘を鳴らしています。
そんな中で本書の特徴は、問題を告発するだけでなく、対処すべき問題としてピンポイントにアメリカの医療制度の問題を指摘している点です。アメリカだけで絶望死が増えているのであれば、その背景にはアメリカ固有の問題があるのです。
上林陽治『非正規公務員のリアル』
本書がとり上げる非正規公務員の問題については、冒頭で紹介されている図書館職員の話を見るのがいいでしょう。
1987年度、図書館員の82%は専任職員でしたが、2018年度には26%にまで低下しています。さらに現在では指定管理者制度という民間企業に運営を任せるスタイルも増えていますが、ここでも中心になっているのは非正規労働者です。
しかも、少数の専任職員が高度で専門的な職務を担い、非正規労働者が簡単で周辺的な業務を行っているというわけではなく、次のような事情さえあります。
一定の数少ない専門職・資格職を除き、日本の公務員の人事制度において、正規公務員とは職務無限定のジェネラリストで、職業人生の中で何回も異動を繰り返し、さまざまな職務をこなすことを前提とされている。ところがどの組織にも、さまざまな事情で異動に耐えられない職員、最低限の職務を「当たり前」にこなせない職員が一定割合おり、しかも堅牢な身分保障の公務員人事制度では安易な取り扱いは慎まねばならず、したがってこのような職員の「待避所」を常備しておく必要がある。多くの自治体では、図書館はこれらの職員の「待避所」に位置づけられ、そして「待避所」に入った職員は、そこから異動しない。(36p)
本書は非正規公務員の実態を明らかにすることで、日本の公務員制度の矛盾や歪みを鋭くえぐり出した本になります。
この非正規公務員の問題は日本の抱える問題の中でも最重要のものの1つだと個人的に思っているので、本書を読んでこの問題に注目し、その問題点に気づいてくれる人が増えてくれることを願っています。
中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』
今年のサントリー学芸賞受賞作。
イギリスのBrexit、フランスの国民戦線やドイツのAfDなどの右翼政党の台頭など、近年ヨーロッパで右翼政勢力の活動が目立っています。そして、その背景にあるのが移民や難民に対する反発、すなわち排外主義であり、その排外主義を支持しているのがグローバリズムの広がりとともに没落しつつある労働者階級だというのが新聞やテレビなどが報じる「ストーリー」です。
本書はこの「ストーリー」を否定します。もちろん、経済的に困窮し排外主義と右翼政党を支持する人びとはいるのですが、低所得者層が排外主義を支持しているように見えるのは彼らが本音で話すからであり、高所得者はそれを隠しているだけかもしれません。
本書はさまざまなサーベイ実験や、中欧や東欧への調査などを行うことで、経済的な問題から排外主義を支持する人々の姿ではなく、文化的(あるいは言い方は悪いが「本能的」な理由)から排外主義を支持する人びとの姿を浮き上がらせています。
山尾大『紛争のインパクトをはかる』
タイトルからは何の本かわからないかもしれませんが、副題の「世論調査と計量テキスト分析からみるイラクの国家と国民の再編」を見れば、ISの台頭など、紛争が続いたイラクの状況について計量的なアプローチをしている本なのだと想像がつきます。
実は著者は計量分析を専門にしている人ではなく、本書は紛争の激しいイラクでなかなか現地調査を行えないことから生まれた苦肉のアプローチなのですが、そこから見えてくるのが、流布しているイメージとは違うイラクの意外な姿です。
「イラクでは国家が信用を失い、代わって宗教指導者や部族長が人びとを導いている」、あるいは、「宗派対立が激しく、イラクという国はシーア派とスンニ派とクルド人の住む地域で分割したほうが良い」といったイメージを持つ人もいるかもしれませんが、本書の調査ではそれがはっきりと否定されています。
人びとは首相や議会と同じく宗教指導者や部族長も信頼していない一方で、イラク・ナショナリズムは意外にも人々の間に広がっています。
今年の夏はアフガニスタンにおけるカブールの陥落という衝撃的なニュースがありましたが、本書はアフガニスタンとイラクの違いに答えている本とも言えるかもしれません。
アブナー・グライフ『比較歴史制度分析」上・下
ここ最近品切れとなっていた比較制度分析の名著がちくま学芸文庫で復刊。
本書は青木昌彦の比較制度分析の考えなどを参照しながら、ゲーム理論の均衡分析を用いて国家抜きの制度の成立を論じた本になります。本書の紹介では、マグリブ商人とジェノヴァ商人の対比の部分がとり上げられることが多いですが、もっと射程の大きな本と言っていいでしょう。
制度や秩序は、主権国家のような超越的な権力がないと成り立たないわけではありませんし、また、完全に自由な個人の取引の中で自然に生まれてくるとも考えにくいのです。このことを本書は、中世後期の地中海世界の歴史をたどりながら示しています。
秩序の成り立ちをゲーム理論から説明しようとする試みは何度か目にしたことがありますが、それを実際の歴史事象に当てはめる形で行っているところが本書のすごいところですね。
倉田徹『香港政治危機』
2014年の雨傘運動、2019年の「逃亡犯条例」改正反対の巨大デモ、そして2020年の香港国家安全維持法(国安法)の制定による民主と自由の蒸発という大きな変化を経験した香港。その香港の大きな変動を政治学者でもある著者が分析した本。
香港返還からの中国と香港のそれぞれの動きを見ながら、さまざまな世論調査なども引用しつつ、いかに香港が「政治化」したか、そして香港を取り巻く情勢がいかに変わっていたのかを論じています。
本書はまさに現在進行系で進む香港の政治危機を総合的に論じたもので、これだけのものがタイムリーに出てきたことはすごいことだと思います。
現在の香港の状況はすでに「何かをすればうまくいく」といった地点を過ぎてしまっていますが、それでも本書が現在の東アジア情勢を考える上で広く読めれるべき本であることは間違いないです。
小説(1位から順に)
呉明益『眠りの航路』
『歩道橋の魔術師』、『自転車泥棒』、『複眼人』などの作品で知られる呉明益の長編デビュー作。
奇妙な眠りの病にかかった現代を生きる主人公と、第2次世界大戦時に少年工として日本に渡ることになった主人公の父親(日本名・三郎)の話が交互に語られ、呉明益の作品には欠かせない台北の中華商場をはじめ、のちの作品にも共通するさまざまなモチーフが出てきます。
そして、神奈川の現在の大和市にある高座海軍工廠で、三郎は平岡君という日本人の青年に出会います。実はこの時期の高座海軍工廠では平岡公威、のちの三島由紀夫が勤労動員で働いていました。
主人公の父の人生を通じて「帝国としての日本」に切り込むような作品で面白いです。
パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』
理解不能な暴力、歴史的事件との埋めがたい距離感、世界の連続性が失われる感覚、女性に対する暴力の遍在に対する告発など、さまざまなテーマを孕んだ短編集。
韓国文学というとハン・ガンとパク・ミンギュが少し抜けた存在のように感じていましたけど、このパク・ソルメもすごいですね。圧倒的なインパクトを持った短編集だと思います。
ケン・リュウ『宇宙の春』
ケン・リュウの日本オリジナル短編集第4弾。今回の本も本当にいろいろな魅力が詰まった本なのですが、特にAIなどがつくり出す新たな世界の改変を描いた作品(「思いと祈り」など)と、東アジアの歴史をSF的な虚構の力ですくいとってみせる作品が見事ですね。731部隊を扱った「歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー」は特に傑出した作品で、東アジアの歴史問題を考える上での非常に示唆に富んだものだと思います。
郝景芳『1984年に生まれて』
「折りたたみ北京」でヒューゴー賞を受賞した中国の作家による自伝体小説。
タイトルの「1984年」は、オーウェルの『1984』から来ているものと考えられますし、早い段階で「They are watching you.」という言葉も登場します。読み手はSF的な展開を期待するでしょう。
ところが、本作は純文学と言ってもいいような作品です。1984年に生まれた軽雲(チンユン)という女性と、その父で娘の軽雲が生まれてすぐに姿を消した沈智(シェンチィ)という2人の人物の人生を交互に語ることで、1984年〜2014年にかけての中国の激動と、その激動の並にもまれる人々が描かれています。
「1984年」という年も、もちろんオーウェルのことも意識しているわけですが、本作では中国における「会社元年」、つまり改革開放が本格的にスタートし、今までの上からの命令をこなす時代から、自分の運命を自分で切り拓かねばならなくなった転換の年として意味づけされています。また、近年の中国の激動を体感できる小説とも言えるでしょう。
トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』
トマス・ピンチョンの最新長編は9.11テロとインターネットをテーマにしたこの『ブリーディング・エッジ』。
ピンチョンと言えば、歴史上の出来事だったり、アメリカ社会の裏にさまざまな陰謀論を見出してきたわけですが、9.11テロとインターネットほど陰謀論と相性が良いものも少ないでしょう。
相変わらず、多彩な人物が入り乱れる小説で、冗長と言えば冗長な部分もあるのですが(ピンチョンも本作発表時には76歳ですから)、小説が後半になるとだんだんと9.11が近づいてきて緊迫感が出てきます。
実際にあった2日前のアメフトのゲームが再現され、アメリカの航空会社のプット・オプションが増え始める(これは実際にあった動き)。それでいて9.11自体は比較的紙幅を取らずにNYの混乱を描いていくやり方はうまいです。