アブナー・グライフ『比較歴史制度分析」上・下

 エスカレーターに乗るとき、東京では左側に立って右側を空け、大阪では右側に立って左側を空けます。別にどちらを空けてもいいようなものですが、なぜかこのようになっています。

 この「なぜ?」を説明するのがゲーム理論と均衡の考え方です。一度「右側空け」が成立すれば、みながそうしたほうがスムーズになり、「左側空け」を選ぶインセンティブはなくなります。

 

 そして、このエスカレーターの例が面白いのは、鉄道会社などから「片側空けはやめましょう」とアナウンスされているにもかかわらず、少なくとも2021年8月現在、この慣習が続いている点です。

 一度成立した「制度」は外からのはたらきかけで簡単に変わるものではなく、また、公的なルールが「制度」を保証しているわけでもないのです。

 

 ここで「制度」という言葉の使い方に違和感を覚えた人もいるかもしれません。「制度」というのはフォーマルなものであり、エスカレーターの乗り方などはたんなる慣習にすぎないと考える人もいるでしょう。

 ただ、こう考えると、「制度」が成立するためには何か超越的な権力のようなものが必要になります。ちょうど、ホッブズが想定したのと同じように、何か超越的な権力があって初めて秩序が成り立つという形になります。

 

 しかし、本書の「制度」の捉え方は違います。例えば、以下の部分を読めばそれがわかるでしょう。

読者はフォーマルなルールと制度化されたルールを混同すべきではない。交通のフォーマルなルールは速度制限を設定するものの、新入りのドライバーたちは、熟練したドライバーがどれくらい速く運転するかを観察した後、その制限を長く遵守しない。フォーマルなルールはドライバーが予想を形成することを促すが、彼らはそれを観察した行動によって更新する。」(上巻 第5章の註10 296p)

 「制度」は必ずしもフォーマルなものでなくていいし、必ずしも国家を必要とするものではないのです。

 

 本書は青木昌彦の比較制度分析の考えなどを参照しながら、ゲーム理論の均衡分析を用いて国家抜きの制度の成立を論じた本になります。本書の紹介では、マグリブ商人とジェノヴァ商人の対比の部分がとり上げられることが多いですが、もっと射程の大きな本と言っていいでしょう。

 

 目次は以下の通り。なお、文庫化に際して上下巻となっており、上巻が第8章まで、下巻は第9章以降となっています。ちなみに、ゲーム理論について「一応知っている」くらいの人は下巻の付録Aから読み始めるといいかもしれません。

 

第一部 準備
第1章 イントロダクション
第2章 制度と取引
第二部 均衡状態にあるシステムとしての制度
第3章 自律的秩序による契約履行制度:マグリブ商人の結託
第4章 国家の触手から所有権を守る:商人ギルド
第5章 内政的な制度とゲーム理論分析
第三部 歴史的過程としての制度のダイナミクス
第6章 内生的制度変化の理論
第7章 制度の軌跡:過去の制度は現在の制度にどのような影響をおよぼすか
第8章 国家の建設:ジェノヴァの興亡
第9章 制度の軌跡とその起源:文化に根ざした予想と社会組織
第四部 比較歴史制度分析における実証の方法
第10章 個人的関係に依存しない取引の制度的基礎
第11章 理論:歴史対話型の文脈に依存した分析
第12章 制度,歴史,発展
付録A ゲーム理論入門
付録B 社会学的人間は戦略的か?
付録C 理論の役割:評判に基づく自律的秩序制度

 

 本書は中世後期(1050〜1350年頃)を扱っています。この時代は地中海を中心に商業が大きく発展した時代であると同時に、ヨーロッパ世界とイスラーム世界が分岐した時代でもあります。

 中世後期が始まった頃は、経済、技術、科学の面でイスラーム世界がヨーロッパ世界をリードしていましたが、この後、ヨーロッパ世界は飛躍を遂げることになります。

 

 また、この時代にはローマ帝国のように地中海世界に覇権を打ち立てた国家は存在せず、強制力を伴った権限を独占的に持つ主体も存在しなかったわけですが、それでも交易はさかんに行われました。

 ルールを守らせる超越的な権力がなくても商業のルールが出来上がり守られていった謎の解明が本書の1つのポイントです。

 

 本書では、「制度とは、行動に一定の規則性を与えるさまざまな社会的要因が形成するシステムである」(上巻79p)と簡潔に定義していますが、同時に、「制度は人間の行動を反映したものである以上、たとえ国家が存在する時代のものであっても、われわれは究極的には制度を自律的秩序として分析しなければならない」(上巻39p)とも述べています。

 つまり、制度は単純に「ルール」として上から与えられるものではありません。人々の内面に埋め込まれた規範や予測のようなものも含んでいるのです。

 本書はこの制度をゲーム理論における均衡と捉えるとともに、その均衡が変化するさまを理論化しようとしています。

  

 中世後期、外国での交易を行おうとすれば、商人は商品とともに旅をするか、現地の代理人を雇うかのどちらかが必要でした。

 当時の船を使った貿易では商品とともに旅をするのには時間がかかりますし、難破などの危険もあります。そこで、代理人を雇うのが効率的なのですが、問題は代理人が裏切って品物や売上金を横領する可能性があることです。

 しかも、当時の状況からいって、売上金を横領されたからといって現地の警察に告発するわけにもいきませんし、裁判を起こすのも簡単ではありません。逆に言うと、代理人は裏切って逃げ切れる可能性が高いのです。

 

 この問題に対して、地中海で活躍したマグリブ貿易商は「結託」とも言うべき評判に基づく経済制度で対処しました。裏切った代理人に対してマグリブ貿易商全体で、以後取引をしないということにしたのです。

 これによって代理人は裏切って短期的な利益を得たとしても、長期的には貿易から排除され損をするので、裏切る確率が低くなるというわけです(本書ではこうしたメカニズムがゲーム理論を用いて記述してある)。

 

 もともとマグリブ人は10世紀に政治的な不安が高まったバグダード周辺を離れ、北アフリカチュニジアに移り住んだユダヤ人貿易商の末裔でした。彼らは地中海を舞台に当時としてはかなり大きな取引を行っています。

  大きな遠隔貿易を行うために代理人の存在は不可欠ですが、彼らは代理人の情報を共有し、万が一裏切られた場合は集団で報復するというスタイルで信頼できるネットワークを構築していきました。

 

 ただし、マグリブ貿易商の代理人ネットワークは非マグリブ人には広がっていきませんでした。当時、イタリアにもユダヤ系の商人たちがいて、彼らを代理人にすればより大きな儲けが期待できたのですが、マグリブ貿易商は彼らを代理人にしようとはしませんでした。

 この理由として、マグリブ人の間では評判のネットワークが確立していて代理人の情報を得るのにほとんどコストは掛からなかった一方で、非マグリブ人の情報を得るのは困難であったことや、集団的な制裁が効果をあげにくかったことがあります。

 そこでマグリブ人は遠隔地に移住していくことで貿易の範囲を広げたのですが、イスラーム圏を中心に活躍していた彼らにとって、イタリアに移住するハードルは高かったのです。

 

 現在、国家こそが人々の所有権を守るものだと考えられていますが、近代以前はむしろ国家からいかにして財産を守るかが大きな問題でした。

 支配者は自支配地域で経済活動を活発にするために外国人商人を保護するかもしれませんが、貿易が成功して外国人商人が富を蓄えれば、それを奪うという誘引に駆られます。商人たちにとっては国家のコミットメントが信頼できるのかどうかという問題があるのです。

 

 ここでつくられたのが商人ギルドです。商人たちはギルドを結成し、国家の不当な行為に対して集団で対抗しました。

 例えば、1050年ごろ、シチリアイスラーム系支配者は、マグリブ商人がシチリアに持ち込んだ商品に対してイスラーム法で規定されている5%を上回る10%の関税をかけましたが、商人たちは集団で禁輸することでこれに対抗し、この関税を撤回させています(上巻198p)。

 

 ただし、遠隔地、特に文化圏が違うような場所との交易に関しては、安全協定やそれに伴うフォーマルな組織が必要でした。

 ジェノヴァ人の北アフリカ交易においては、1161年にジェノヴァ人と北アフリカの支配者の間でジェノヴァ人の所有権を15年保障し、10%関税手数料のうち2%を削減する協定が結ばれた後に大きく増加しました(上巻204p)。

 イタリアでは、都市がギルドに代わってこうした交渉や禁輸の決定などを行い、これがイタリアの商人の活動を後押ししました。

 一方、ドイツの都市は比較的小さかったために、1つの都市だけで禁輸の決定をしてもうまくいきませんでした。そこでハンザ同盟がつくられることになります。

 

 第5章では、こうした制度に理論的なアプローチを行っていますが、そのまとめの部分には次のように書いてあります。

 制度化されたルールは、周囲の世界や他人が何をするか、そして何が道徳的に正しいかについて、人々が予想を形成することを助ける。そうすることで、制度化されたルールは人々の行動を可能にし、それに指針を与えるのであり。(上巻290p)

 制度とは情報の集約であり、それが人々の予想を助け、その予想に基づく行動がさらにその制度を強化していくのです。

 

 では、制度はなぜ、どのように変化するのでしょうか?

 例えば、鎌倉時代の武士は分割相続で、女性にも相続の権利が認められていましたが、時代とともに単独相続に移行し、女性の相続は認められなくなってきます。御成敗式目では女性の相続について規定されているにもかかわらず、時代が下るにつれて相続における女性の立場は弱まっていくのです。

 

 本書の第6章では、こうした制度の内生的変化についても分析を加えています。

 ここでは「準パラメータ」と「制度強化」という概念が導入され、制度が再生産されていく中で、制度は強化されていったり、弛緩して崩壊したりするのです。

 本書では、ジェノヴァヴェネツィアの2つの都市の政治制度の変遷が例としてとり上げられています。

 

 ジェノヴァでもヴェネツィアでも、氏族と親族が社会組織における重要な単位となっており、寡頭政治が行われていました。

 こうした中、ヴェネツィアは政治的秩序を維持し続けましたが、ジェノヴァではしばしば破綻をきたしました。

 

 ジェノヴァでは1096〜1194年にかけて、選挙で選ばれた執政官がジェノヴァの指導者でした。ジェノヴァには2つの有力な氏族がいて競争関係にありましたが、協力によって得られる利益も大きかったために大きな衝突は起こりませんでした。

 しかし、ジェノヴァが繁栄するようになると、ジェノヴァの実権を握ることの価値が大きくなり、2つの氏族は「軍拡競争」に励み、都市は2つの氏族によって囲い込まれることになりました。そして、1164年以降、ジェノヴァは内戦に陥ります。

 

 そこで神聖ローマ皇帝の介入もあって導入されたのがポデスタという役職です。これは1年間任期のジェノヴァ人以外から選ばれる役職で、軍事的指導者、判事、行政官の役割を果たしました。

 ポデスタがいること、さらにはその報酬が任期の終了時に支払われることで氏族対立は抑止されると考えられました。氏族がもう一方の氏族を攻撃しようとした場合、片方の氏族が完全に実権を握ればポデスタは報酬をもらえずに放逐される恐れもあったため、ポデスタには氏族争いを抑止するインセンティブがあったのです。

 しかし、それでもジェノヴァにおける氏族間の勢力拡大の競争が止まることはありませんでした。

 

 一方、ヴェネツィアでも選挙によって選ばれる総督の地位をめぐる氏族間の争いがあったものの、特定の氏族が政治的経済的支配を打ち立てようとすれば、他の氏族が攻撃するだろうという予想が広がり、また、総督の力を制限して、どの氏族に属するかにかかわらず、収益の分け前を分配するルールが確立したことで安定していきます。

 1032年以降は、総督の権限が制限され、選挙君主制から執政官による事実上の共和制へと変化します。選挙において特定の氏族が影響力をもつことは注意深く排除され、氏族の重要性は低下、それがさらなる制度の安定をもたらしました。

 ヴェネツィアでは、ジェノヴァとは違って制度強化の力が働いたと言えます。

 

 一見、似たような制度が違った運命をたどる要因としては、過去から受け継がれた制度的要素も大きいです。同じような制度であっても、それを受け入れるような素地があれば定着するでしょうし、それがなければ失敗するかもしれません。 

 例えば、アメリカの禁酒法は、人々に禁酒を強制する権利は政府にはないと人々がかんがえていたこともあって失敗しましたが、イスラーム圏の国であれば成功するかもしれません。また、フランクリン・ローズヴェルト社会保障制度を保険として定義すべきであるとしましたが、これによって社会保障アメリカ社会に受け入れられていくことになります(上巻389p)。

 

 また、このことを論じた第7章では、中世後期にヨーロッパで奴隷制が事実上廃止されたことにも触れられています。奴隷制の廃止は生産性を向上させるインセンティブを生み、その後のヨーロッパの経済成長に大きな意義があったと著者は考えています。

 このヨーロッパで奴隷制が廃止された背景には、ローマ帝国内でキリスト教が誕生したとき、世俗のことに関してはローマ法の中に書き込まれていました。ですから、その後の国家は奴隷制に関して新たに決めることができました。

 一方、イスラームではコーランの中に奴隷に関する規定が書き込まれており、奴隷制の廃止はキリスト教世界よりも困難でした(上巻397−399p)。

 

 第8章ではジェノヴァの歴史がより詳しく辿られていますが、そのまとめの中で著者は次のように述べています。

 支配者を略奪者として見る社会観も新ホッブズ主義的社会観も、国家の存在は強制力の独占を意味すると仮定している。ジェノヴァの歴史は、これらの見方が不十分であることを明らかにしている。強制力の獲得と行使に影響を与える制度 ー 強制力を節約する制度 ー こそが、建国の過程とその経済的含意に対して中心的な意味を持つのである。(上巻469−470p)

  国家をうまく建設できるかどうかは、「すでに存在している社会組織に誘引を与えて、その軍事的・経済的資源を建国のために動員させることができるか否かにかかっている」(上巻471p)というのです。

 

 ジェノヴァ商人はマグリブ商人と同じように代理人を雇っていましたが、その制度には違いがありました。第9章ではそれが論じられています。

 ジェノヴァ人はマグリブ人に比べて、中世後期のヨーロッパで発展した個人主義の考えをより内面化していました。これにはキリスト教における婚姻関係の規制などが血縁的社会を弱めるはたらきをしていたということもあります(上巻475−476p)。

 

 マグリブ人は集団主義的だったのに対して、ジェノヴァ人は個人主義的でした。集団主義的社会では水平的な社会構造が、個人主義的な社会では垂直的な社会構造が出現しやすいのですが、商人と代理人の関係においてもそうなっています。

 マグリブ貿易商の間では水平的な代理人関係が結ばれていましたが、ジェノヴァ貿易商の間では、コメンダ契約と呼ばれる、大商人が資本を提供し、もう一方が外国に行って取引をすると行った役務を提供する形が一般的でした。

 そして、マグリブ貿易商と違い、ジェノヴァ貿易商はジェノヴァ人以外も代理人として雇いました。

 

 ジェノヴァ貿易商は、マグリブ貿易商に比べて代理人について持っている情報は乏しく、集団的な懲罰のしくみも持っていませんでした。ジェノヴァ貿易商は、代理人に裏切られないためにより高い報酬を払う必要がありました。また、集団的な懲罰の代わりに慣習の成文化や裁判制度の整備を進める必要がありました。 

 一方、マグリブ人の間では集団的な懲罰制度が確立されていたために、裁判制度はそれほど必要とされませんでした。

 船荷証券ジェノヴァでは発達しましたが、マグリブでは用いられていません。

 

 ただし、司法制度の整備によって国境を超えた法の執行ができるようになったわけではありません。ヨーロッパで広がったのは共同体責任制と呼ばれる制度でした。

 これは異なるコミューンの者が契約を履行しない場合、そのコミューンの構成員全員が責任を負うと考えるもので、不履行を行った側の共同体裁判所が被害を受けた者への補償を拒んだ場合、被害者側の共同体裁判所は、その管轄地域内の不履行者のコミューンに属する任意の人物から財産を没収しました。

 日本でも室町時代などに自分の村の者がA村の人物に殺されたら、同人数のA村の人物を殺すといった報復方法がありましたが、同じような感じです。

 

 やや乱暴なやり方にも思えますが、「共同体責任制は、共同体を、各構成員による他の構成員への契約不履行のコストを内部化する、無限の寿命を持つ持続的な組織に変え」(下巻84p)ました。

 これによって共同体の構成員な、取引相手というよりは共同体のメンバーのために誠実に振る舞う必要が出てきましたし、誰が信用できるのか、できないのかといった情報も共同体の内部で流通するようになります。

 著者はこの「共同体責任制」を、評判に基づく取引と法に基づく取引をつなぐものだと考えています。

 

 しかし、13世紀になると、この共同体責任制を廃止していく動きがイタリアやイングランドで見られるようになります。

 もともと、この制度は共同体の数が少なく、共同体の内部の同質性が高いときに有効なものでしたが、貿易に参加する共同体が増え、共同体の規模が拡大し、なおかつ共同体内の異質性が増加することで、この共同体責任制を維持するのが難しくなったのです(例えば、ある共同体のメンバーだと偽装することが容易になった)。

 共同体責任制は、それによる貿易や経済の発展がその基盤を掘り崩すという、自己弱体化的性質を持っていました。 

 

 こうしてロンドンやフィレンツェなどの大都市は共同体責任制から離脱する道を選んでいきます。1279年にはジェノヴァヴェネツィアも共同体責任制の廃止に同意しています。

 イングランドでは国王の権力が強まることで、共同体責任制に代わる中央集権的な法執行のしくみが整備されていくことになりますが、そうした権力が生まれなかったイタリアでは海外にも資産を持つ大規模な同族会社が成長していくことになります。

 

 本書のまとめとなる第12章で、著者は市場について、ハイエクの言う「自生的秩序」でも、国家が定めたルールに基づいたものでもないという見方を示しています。

 商業を支えたのは私的秩序であり、それは「多くの人々のあ意図的でコーディネートされた努力の産物であり、彼らは多くの場合、強制力を持つ政治的・経済的主体であった」(下巻225p)のです。

 そして、著者はヨーロッパ近代の起源を、この中世後期におけるさまざまな団体の勃興に見ています。一方、イスラーム世界では、中央政府に影響力を与えるような経済的な団体は現れませんでした。

 

 こうした視点から、例えば、開発援助に関して次のような展望も述べています。

 自己実現的な制度を変えることによって制度改革を追求する際には、開発援助はその焦点を変更しなければならないだろう。途上国がルールを制定するのを援助することに焦点を当てるのではなく、組織、予想と取引間のつながりを変えることを試みなければならないだろう。課題となるのは、援助が終わったときにも制度が存続するように、新しい自己実現的な制度を創出することである。(下巻247p)

 

 このように、本書は制度や秩序に関して多くの知見を与えてくれます。

 制度や秩序は、主権国家のような超越的な権力がないと成り立たないわけではありませんし、また、完全に自由な個人の取引の中で自然に生まれてくるとも考えにくいのです。

 このことを本書は、中世後期の地中海世界の歴史をたどりながら示しています。

 

 そして、このまとめでは評者の能力もあってきちんと解説できませんでしたが、本書はそれをゲーム理論によって論証しようとしています。

 秩序の成り立ちをゲーム理論から説明しようとする試みは何度か目にしたことがありますが、それを実際の歴史事象に当てはめる形で行っているところが本書のすごいところです。

 

 上下巻ですし、易しい本ではないので読むのに多少骨が折れるかもしれませんが、非常に刺激的な分析が行われていると思いますし、別の地域、別の時代においても本書のアプローチは使えるのではないかと思われます。

 いま読み通すのが無理であっても、経済的な視点から歴史を捉えたい、あるいは、制度や秩序について考えたいという人は積んでおいてもいい本だと思います(ちくま学芸文庫なのでおそらく早めに品切れになってしまうと思うので))。

  

 

 

 ゲーム理論を使って歴史を分析すると言われてもイメージが湧かないという人は、本書にも影響を与えている青木昌彦青木昌彦の経済学入門』(ちくま新書)を読むといいかもしれません。

 

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