岸政彦/梶谷懐編著『所有とは何か』

 私たちはさまざまなものを「所有」し、その権利は人権の一部(財産権)として保護されています。「所有」は資本主義のキーになる概念でもあります。

 同時に、サブスクやシェア・エコノミーの流行などに見られるように、従来の「所有」では捉えきれない現象も生まれています。

 

 本書は、この「所有」の問題について研究者が集まって書いた本なのですが、まずは冒頭の岸政彦とつづく小川さやかの論文で、私たちが生活していく上でかなり強い足場として認識している「所有」が、そうした足場になっていない社会の様子が紹介され、その後に経済学や歴史学社会学の立場から「所有」が論じられています。

 「所有」だけではなく、「制度」や「秩序」といったものについても考えが広がる、面白い内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 所有と規範―戦後沖縄の社会変動と所有権の再編(岸政彦)
第2章 手放すことで自己を打ち立てる―タンザニアのインフォーマル経済における所有・贈与・人格(小川さやか)
第3章 コンヴェンション(慣習)としての所有制度―中国社会を題材にして(梶谷懐)
第4章 経済理論における所有概念の変遷―財産権論・制度設計から制度変化へ(瀧澤弘和)
第5章 資本主義にとっての有限性と所有の問題(山下範久
第6章 アンドロイドは水耕農場の夢を見るか?(稲葉振一郎

 

 岸政彦「所有と規範」の冒頭で紹介されているのは、1959年10月、アメリカ占領下の沖縄で起きた殺人事件です。

 29歳の男性が水死体で見つかったのですが、彼は酒乱で素行が悪く、村の人々に対して日常的にゆすりやたかりを行っていたために、村人たちに袋叩きにあって殺されました。『沖縄タイムス』には区長の「すべて被害者の身からでたサビ」(4p)という談話が載っています。

 

 このエピソード聞くと、「まるで戦国時代の惣村みたいだな」と思いますし、沖縄の「共同体社会」の強さを感じたりもします。

 しかし、著者はこのエピソードを沖縄社会の伝統と結びつけることは、「ある種の植民地主義的な民族本質論に陥る」(5p)危険性があるといいます。

 むしろ、これは米軍統治という特殊な状況がもたらしたものだというのが著者の主張であり、そのために本章では『沖縄タイムス』に載ったさまざまな事件が紹介されています。

 

 ここまできて「所有の話は?」と思った人もいるかもしれませんが、沖縄では戦争とその後の米軍の占領によって、さまざまな制度の空白が生まれ、「所有権の解体と再編」が起きたというのです。

 

 米軍上陸前、沖縄の住宅などは日本軍によって接収されていました。

 そして、沖縄戦が始まると、多くの住民は着の身着のままで逃げることになります。食料は逃げる途中に調達され、畑などに残っていた食べ物は躊躇なく食べられました。当時はそれが当たり前であり、「お互い様」でもあったのです。

 

 戦闘が終わると生き残った住民は収容所に収容されます。すぐに元の場所に帰れるわけではなく、収容所を転々とした人も多かったといいます。収容所は必ずしも新しく建設されたものではなく、既存の家を使ったものもありました。

 そうしたこともあって、収容所から出て家に帰ってみると、見知らぬ人が住んでいたというケースもありました。

 焼け野原になった土地では、隣の家との境界もわからなくなっており、まずは境界線を確定しなければなりませんでした。

 

 50年代に入り、基地建設が本格化して朝鮮戦争が起こると、沖縄の人々は基地で働くようになり、基地の物資を勝手に持って帰ることもよく行われたといいます。

 また、朝鮮戦争が始まって鉄の価格が上昇すると、人々は不発弾を含む鉄くずを拾ってはそれを売り払いました。

 60年代になると那覇のガーブ川周辺のスラムが問題になりますが、スラム街の多くの家が「不法占拠」や「不法建築」でした。

 このように、戦中・戦後の沖縄では所有権そのものが大きく揺らぎ、所有権の空白と言えるような状況が出現したのです。

 

 この空白は所有権だけではなく、福祉や教育にも生まれました。

 本書には、『沖縄タイムス』に載った貧困や子どもたちの逸脱行動についてのさまざまなエピソードが紹介されています。

 これについてはぜひ本書を実際に読んでほしいのですが、沖縄ではこうした制度の空白と、貧困や暴力に満ちた状況の中で自生的な秩序が生まれたことがわかります。ただし、この自生的な秩序は冒頭のエピソードに見られるように過酷なものでもあったのです。

 

 沖縄が、戦争とその後の占領で所有権をさせる制度に空白が生じた地域とするならば、小川さやかが「手放すことで自己を打ち立てる」で紹介するタンザニアは、そもそも所有権を保障する制度がない場所とも言えます。

 

 タンザニアでは大きなサイズのものが好まれるといいます。将来成長したときのためというのも考えられますが、他者と共有し、他者に贈与することを考えると大きめのものがいいというのです。

 日本だと兄弟の子どもを持つ親でもないと、他の誰かが使うことを想定して物を買うことは少ないかもしれませんが、タンザニアでは常に他者が使うことが意識され、そのためにデザインも無難なものが好まれる傾向があるといいます。

 

 本章で紹介されているピーターという露天商は、最初は露店での古着の販売で成功し、そのお金で中古の冷蔵庫を買うと、露店のそばでソーダを売りがじめました。さらにその利益で中古のコピー機を購入し、それを貸し出し、さらに2台目の冷蔵庫を買い、倉庫を借りて、それを他の露天商に貸し出し、ミシンを買って、それを貸し出す事業も始めました。

 ピーターはそうした事業で貯めたお金で郊外に土地を買い、まずは土台を完成させ、さらにはセメントや建材を買い足しては、一部屋、また一部屋とつくっていったといいます。

 

 日本では一つの事業に打ち込んでそれを大きくすることが奨励されそうですし、家ならお金を借りて一気に建てるでしょう。

 今後の人生を考えれば、土地を買ってもその土地が中途半端な状態なのはもったいないですし、お金を借りるためにも安定した収入を確保したいいと考えるからです。

 

 ところが、多くの国民が銀行口座を持たないタンザニアでは、ローンを組んで家を建てるとはなりませんし、収入源に関しては多様であることがむしろ重要だったりします。

 家を含めた所有物は「他者への贈与や分配、共有、転売に開かれたもの」(102p)なのです。

 

 また、タンザニアの人々が貯金をせずに零細な事業への投資を繰り返す背景として、親戚や縁者からの支援の要請を断るのが難しいということもあるそうです。

 このときにすべての資金援助に応えていてはきりがなので、零細な事業を親戚や縁者の若者に任せるという戦略が取られるといいます。

 このやり方はアフリカのインフォーマル経済研究では、資本の蓄積を妨げているとも指摘されていましたが、それなりの合理性もあるといいます。

 例えば、タンザニアでは新しいバーが好まれます。だからバーで一定程度成功すると、それを親戚の若者に任せて、新規店舗をつくり、収益の低下を抑えるのです。

 

 また、仕事を任せる場合も多くの場合は口約束で、商売が任せられた側が「今日は稼ぎが少なかったからこれで許してくれ」と言えば、任せた側もだいたいそれを受け入れると言います。これを「マリ・カウリ取引」と呼びます。

 こうした契約が行われる理由として、商売を任せる側も雇用契約を結ぶほどの体力はない、零細事業を監視するコストは割に合わないのである程度のインセンティブをもたせる必要がある、といったものがあるといいます。

 

 また、働く側からとっても浮き沈みの激しい零細事業を営む者にとって、月々決まった返済を求められる銀行の融資よりも、マリ・カウリ取引のほうが融通が効いて都合がいいです。

 

 タンザニアの人々の行動の背景には、タンザニアの歴史もあります。1961年にイギリスから独立したタンザニアでは、独自の社会主義体制が模索され、自営業者たちは体制の敵として農村に送還されたり、農園で働かされたりしました。

 結局、この社会主義体制は失敗しますが、その後、80年代になるとIMFの構造調整を受け入れて、今度は自由な商売が奨励されますが、一方で営業許可の取得は難しくなり、零細事業者は警察や行政職員の場当たり的な取り締まりや政府の唐突な政策変更に苦しむことになります。

 

 こうした状況に対して生み出されたのが、財と人格の分散です。これによってさまざまな保険をかけているのです。

 例えば、コロナの広がりによって営業停止になった路上の総菜売りたちは、ツケの回収にまわりました。普段はのらりくらりとつけの払いを拒む客も、「今度はあんたが私を助ける番でしょう」と言われると、なんとか金を工面してつけを払わざるを得ないのです。

 ある意味で、ツケは保険のような役割を果たしているのです。

 

 著者はタンザニアの零細業者が20〜30の事業に関わっていることに驚くわけですが、逆にタンザニアの人々からすると、著者が1つの仕事しかしていないことに対して「もし君の身に何かが起きたらどうするのか」「仕事に対するやる気が失せたらどうするのか」(121p)と質問してくるといいます。

 彼らは自分を含めてなにか1つのことを信用しすぎることは危険だと考えており、「所有物」もすべて自分で管理するのは逆にリスクがあると考えているのです。

 

 そして、次の発言などに端的に表されていますが、「物」よりも「人間」が信用できると考えています。

 日本人である君は、家を3軒、車を2台所有していても、銀行口座に一銭もお金がない人がいるということを信じられないだろう。だが、タンザニア人はそれが普通だ。なぜなら、タンザニア人は、銀行にあるカネはいかなる人間関係も生まないと信じているからだ。何らかの事業に投資すれば、たとえビジネスに失敗しても人間関係だけは築ける。(125−126p)

 

 多くの日本人は人間関係は不確実であって、それよりも通帳の書かれた数字のほうが生活する上での確実な足場だと考えるわけですが、タンザニアでは人間関係の不確実性はより多くの人間関係でカバーされています。

 こうした人間関係の重要性はeコマースなどでも現れており、タンザニアの人々は知り合いの商人から買うことを重要視するといいます。粗悪品が多く出回る中で、購入の決め手になるのはやはり人間関係なのです。

 

 第3章「コンヴェンション(慣習)としての所有制度」は中国経済を専門にする梶谷懐によるものであり、中国を対象とする分析になります。

 中国はタンザニアとは違って国家の統治能力や社会制度はしっかりとしています。

 ただし、所有ということについては、社会主義では私的所有が制限されていましたし、また、中国には西洋とは違った伝統もあります。

 この問題を「コンヴェンション(慣習)」という概念を用いて明らかにしようとしたのがこの論考になります。

 

 中国では改革開放以降、農民に対して土地に対する一定の権利を認める方向で改革が進んでいます。

 ただし、土地公有制がなくなったわけではなく、土地を耕している農民に譲渡不可能な請負権を認めるという形で権利が認められました。

 しかし、そうすると農民が請負権を他人に譲り渡した場合にどうするか? という問題が起きてきます。そこで請負権以外に、譲渡可能な経営権というものが設定されることになりました。

 

 こうした複数の権利の併存は、「社会主義」という看板を掲げたままの市場経済家の中での苦し紛れのやり方に見えますが、本章では、それが中国の伝統的な土地に対する考え方とうまく接続できるものであることが示されています。

 もともと中国では西洋とは違って「弱い所有権」が広がっており、現在の土地所有のあり方も中国社会のコンヴェンションに従ったものだと言えるのです。

 

 また、中国では日本と違って村落共同体が弱く、共同体的なリスクシェアリングがはたらかない中で、特定の目的のために人々が一定の財物を持ち寄る「持ち寄り型」秩序が形成されたといいますが、これは現在の中国企業のあり方にも影響を与えているといいます。

 例えば、農村の土地株式合作社、国有企業のグループが他の企業グループと行う合弁事業、あるいはIT企業が用いるVIE(変動持分事業体)スキームにも、この「持ち寄り型」の性格があるというのです。

 

 第3章と同じように、コンヴェンションや制度や均衡といった概念に注目しながら、理論的な考察を行っているのが第4章の瀧澤弘和「経済理論における所有概念の変遷」です。

 

 冒頭にはジョン・マクミランが紹介している、1990年代初頭のベトナムでは、多くのトラックが故障して動かなくなっていたが、トラックの所有権をドライバーに与えたところ、多くのトラックが動き出したというエピソードが載っています。

 これは所有権を設定するメリットを非常にわかりやすく示したもので、所有こそが経済発展の基礎にあると言いたくなります。

 

 しかし、本章では、そう簡単なものではないということを、ロナルド・コースの取引費用への注目や、その後の制度にこだわったさまざまな経済学者の知見などを活かして示していきます。

 そして、所有権や財産権を再設計しようとする動きを紹介していきます。

 

 第5章、山下範久「資本主義にとっての有限性と所有の問題」は、資本主義の変容についてウォーラーステイン世界システム論などを使って分析するというものですが、こうした議論には最近あんまり興味を持たなくなってしまったので、本書を読んで確認してみてください。

 

 第6章の稲葉振一郎「アンドロイドは水耕農場の夢を見るか?」は、まずは「所有」という概念の意味が必ずしも明確ではないことを指摘した上で、「人」と「物」が分けられており、人が物にはたらきかけて(労働)その結果として所有が成立するというロック的な所有論について検討しています。

 

 ロック的な所有論を否定する方向として思いつくのは、動物やAIなどの人とも物とも単純には区分できないものでしょうが、著者はここで「農業」を持ち出します。

 ロックが労働によって所有権が成立するものとして考えていたものが農地です。荒れ地は開墾によって開墾をした農夫の所有物になるのです。

 一方、農業は市場経済や資本主義にはそぐわない面があるとも言われています。土地も天候も農作物も、人間が自由にコントロールできるものではないからです。

 

 もちろん工業製品を生み出すプロセスが完璧にコントロールされているわけではありませんが、これからの時代に、人間はちょうど農地や農作物や家畜に対して経験的な知識をもって接したように、AIに対しても経験的な知識をもって接するしかないのではないか、そして、来るべき時代に向けて「農業」というものが1つのモデルになるのではないかというのが著者の考えになります。

 

 このように本書には多彩な論考が並んでいますが、多くの人が読んで面白いのは小川さやかの第2章ではないかと思います。

 日本に住んでいると貯金通帳の残高こそがもっとも確実なものである(「老後までに2000万円貯めねば!」)と思いがちですが、これらはしっかりとした銀行制度や、それを監督する国の行政、そして通貨の安定などがあって初めて成立するものです。そして、「所有」も制度の中で安定的に成立するものになります。

 ですから、こうした制度がなければ、あるいは制度の空白が生まれれば(第1章の沖縄のケース)、通帳の数字よりも、不確実さはあってもまず何よりも人間関係だとなるかもしれませんし、実際にタンザニアではそうなっているわけです。

 

 もちろん、こういった制度の重要性は経済学でも考えられるようになっていて、それが第3章や第4章で語られているわけですが、実際にタンザニアの状況を知ると、そこにはまだまだフロンティアが広がっているのかもしれません。