エリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル『ラディカル・マーケット』

 「市場こそが社会を効率化するもので、できるだけ市場原理を導入すべきだ」という考えは、いわゆる新自由主義の潮流の中でたびたび主張されており、特に目新しい提案ではないです。

 では、この本は何が目新しいのか、何がラディカルなのかというと、私有財産を一種の独占とみなして、その市場における特権的な地位を再検討していることです。資本主義というと市場経済私有財産制がその柱となっていますので、資本主義自体を問い直そうとする思い切った試みになります。

 

 こちらのページの安田洋祐の解説によると、E・グレン・ワイルは学部生時代から大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生で、平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、たった1年でゲットしてしまう天才的な人物だそうです。

 もう1人の著者はゲイリー・ベッカーと共著のある人かと思ったら、そちらはリチャード・アレン・ポズナーで、こちらはエリック・A・ポズナーでした。こちらはロースクールの教授になります。

 この本は各章ごとに1つの制度改革を訴えており、以下でもその中身を章ごとに簡単に見て、それぞれについての感想を書いていきます。

 

 目次は以下の通り。

序文 オークションが自由をもたらす
序 章 自由主義の秩序の危機
第1章 財産は独占である――所有権を部分共有して、競争的な使用の市場を創造する
第2章 ラディカル・デモクラシー――歩み寄りの精神を育む
第3章 移民労働力の市場を創造する――国際秩序の重心を労働に移す
第4章 機関投資家による支配を解く――企業支配のラディカル・マーケット
第5章 労働としてのデータ――デジタル経済への個人の貢献を評価する
結論 問題を根底まで突き詰める
エピローグ 市場はなくなるのか

 

  第1章は「財産は独占である」と題されており、私有財産制の不可侵性を一部解除するような提案がなされています。

 私有財産制こそ資本主義の根幹だと思われていますが、私有財産制は必ずしも効率的とは言えない部分もあります。例えば、鉄道や道路をつくろうとしたとき、土地の所有者の1人でも反対すれば、工期は長引き、ルートも最短距離から変更されたりするかもしれません。

 

 この問題を解決しようとしたのが19世紀の経済学者ヘンリー・ジョージです。ジョージは土地の地代に100%の課税をすることで土地の独占を解消しようとしました(地主は全く儲からなくなる)。

 このジョージの提案はいささか問題含みのものでしたが、1996年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・S・ヴィックリーはオークション的な手法を導入することで、土地などの独占の問題を解決しようとしました。さまざまなものを共同所有という形にして、それを使う権利が絶えずオークションにかけられるような制度を構想したというのです(このあたりの書き方は微妙でヴィックリー自身がどこまで構想していたのかはよくわからない(95−96p))。

 

 本書ではこのアイディアをもとに土地に関する自己申告税制が提案されています。これは孫文も考えたことで、近年ではアーノルド・ハンバーガーが主張しています。

 まずは自分の持つ不動産の価値を自己申告させその価値に基づいて納税させます。当然、人びとは過少申告しそうですが、一方でその金額を払う者が現れたなら、必ずその金額で売ることを義務付けるのです。これによって土地の所有者は自らの正確な評価額を申告する必要が出てきます。そうしなければ他者に買われてしまうからです。

 

 本書ではこの税を富の「共同所有申告税(COST)」と名付けています。これによって土地の独占が排除されるとともに、財産から来る利益の一部が公共に移転されます。運用に関する細かい細部に関しては114〜117pに書かれていますが、著者らはこのCOSTによって資産が今以上に有効に活用されると考えています。また、資産価格は低下すると考えられます(将来払う税金を計算に入れなければならないので)。

  このCOSTは不動産以外にも例えば電波のような公共財にも適用できますし、COSTを年7%程度の税率にすれば他の非効率な税を廃止することでもできます。格差に関しても資産に課税が行われるので縮小すると考えられます。

 

 感想:なかなか面白いアイディアだと思いますが、人びとが経済的な合理性を重視して行動していくれないと困った面も起きてくるのではないかと思います。例えば、金持ちが気に入らない隣人を追放するためにその隣人の不動産を買い取るということも十分にありえるのではないかと。「独占の最大の利益は、静かな暮らしを送れることだ」(120p)というヒックスの言葉が紹介されていて、本書ではCOSTこそ怠惰を許さない効率的なしくみだとされているのです、むしろ最低限の「静かな暮らし」を保障する仕組みがないと個人的には困ると思いました。

 

 第2章は民主主義の新しいスタイルが検討されています。簡単に言えば「票を貯める」事ができるしくみです。

 民主主義では「1人1票」が基本ですが、けっこうな数の有権者が棄権しています。その理由はその人が政治の意義を理解してないことや、その人の怠惰に求まられたりもしますが、「投票する前から結果が明らかである」、「その選挙(イシュー)には興味がない」というケースも多いと思います。

 

 この後者のケースを解決できるのがボイスクレジットのしくみ(QV)です。有権者はボイスクレジットというものを貯めることができ、それは平方根関数に従う形で、1ボイスクレジット=1票、4ボイスクレジット=2票、9ボイスクレジット=3票という形で行使できるのです。

 つまり毎年一回、選挙や国民投票があるとして、毎回参加するなら1票を、4年に1回だけ参加するなら2票を、25年に1回参加するなら5票を投じられるわけです。

 これによって政治活動に熱心な人が政治を左右してしまう状況を変えることができますし、いわゆる「忘れられた人々」を生み出しにくくなります。今までは「どうせ選挙に行かないでしょ」と無視された人びとが多くの票を溜め込んでいて、彼らの行動こそが選挙結果を左右することになるかもしれないからです。

 

 一方でこれは少数者の利益を擁護することにもつながるかもしれません。例えば、今の日本で夫婦別姓に関する国民投票をやった場合、どちらが勝つかは微妙でしょう。けれども、このQVのしくみのもとで行えば、夫婦別姓に重要な利益を見出している女性たちが複数票を投じることで通る可能性は高まるのではないでしょうか。

 また、著者らはボイスクレジットという予算成約がつくことで分極化を抑える効果があるのではないかと期待しています。例えば、オバマケアへの賛否も一般的な調査では「強い賛成」と「強い反対」に分極化しますが、QVを使った調査だと他の項目でボイクレジットを使ってしまうこともあり、オバマケアへの賛否はより緩やかになります(179p図2.4参照)。

 さらに著者らは選挙において「不支持」の票を投じることができるようにすべきだとも提案しています(185−186p)。

 

 感想:これはこの本の中でももっとも面白い提案だと思います。上にも書いたように「忘れられた人々」の問題を解決するために大きな力を発揮しそうですし、有権者の自分の行動の有効性を高めそう。ただし、ずっと認知症で票が貯まっている人が狙われたりといった細かい問題は残るでしょう。また、こうなるとマスコミの事前報道が重要になりそう。例えば、5選くらいしている知事で選挙は毎回ワンサイドゲーム、多くの人はここ2,3回棄権に回っているというような状況があり、そこに有望そうな新人が出てきた場合、マスコミが事前報道でどのくらいの数字を示すかで選挙に行く人の数が大きく変わってきて結果も変わってくるでしょう。例えば、事前報道で現職70:新人30と現職65:新人35という数字があったとして、後者なら今までの棄権者が一気に動くというようなことが有り得そうです。ちなみに「結論」ではボイスクレジットを金銭に置き換える提案もされているけど、それは良くない。

 

 第3章は途上国の移民を先進国に住む個人が引き受けるというアイディア。

 一般的な経済学の観点からは国境が開放されて途上国から先進国へ労働者が移住すれば生産性が上がり、世界全体が豊かになると言われています。一方、途上国から多くの低技能労働者が先進国にやってくれば打撃を受けるのが先進国の低技能労働者です。

 そこで提案されるのが個人間ビザ制度(VIP)です。これは一般市民が誰でも移住労働者の身元引受人になれる制度で、一般市民は1人の移民を引き受けることができます。移住労働者は福祉給付は承けられず、引き受けた市民がある程度世話をする必要があります。その代わりに引き受けた市民は移住労働者から給与の一定の割合を受け取ります。移住労働者は母国よりも高い賃金を手にし、引き受けた市民はその一部を受け取ることができるというわけです。

 著者らはこれによって双方が経済的利益を受けるだけでなく、双方の理解が進み、反移民の感情なども緩和されるのではないかと見ています。

 

 感想:これは本書の中で一番筋が悪い提案のように思えます。先進国の市民が途上国の若者を性的に搾取する目的で引き受けるということが十分にありすですし、そもそも個人が赤の他人についての責任を引き受けるというのは難しいのではないかと思います。いくらテレビ電話でマッチングをしたとしても手に負えないような人物がやってきてしまう可能性はありますし、労災にあってしまったときの対応など、なかなか難しいものがあるでしょう。

 

 第4章は「機関投資家による支配を解く」と題されています。これはさまざまな企業の株式を保有する機関投資家の存在が健全の競争を阻害しているのではないか? という疑問に答えるものです。

 機関投資家アメリカの株式市場の時価総額の1/5以上を支配しており、分散投資とパッシブ運用(長期保有)がスタンダードな戦略となっています。これによって一種の独占が生じているというのが著者らの主張です。

 

 例えば、アメリカの6代銀行の株主を見ると、ブラックロック、フィデリティ、バンガード、ステート・ストリートといった機関投資家が上位にいます(265p表4.1参照)。こうした状況は価格競争を阻害する恐れがあります(銀行だと想像しにくいけど、この機関投資家による支配は他の産業でも起きている)。A社の株のみを持っている株主であればライバルのB社に勝ってシェアを伸ばすことを望むでしょうが、A社とB社の株を持つ機関投資家が望むことは両社が利益を分け合うことでしょう。 実際、航空業界では機関投資家が株式を保有している航空会社が競合しているときのほうが、そうでないときよりも運賃が高くなる傾向があるそうです(273−274p)。

 このような機関投資家はライバルに勝つことよりも人員削減を行うことによって株主の利益を増やすことを望むかもしれません。

 

 そこで著者らは「寡占状態で1社以上の実質支配企業の株式を所有し、コーポレートガバナンスにかかわっている投資家は、市場の1%以上を所有することはできない」(277p)というルールを主張しています。インデックスファンドに関しては、企業とやり取りをしない、他の投資家と同じ割合で投票する「ミラー投票」を行うなどの条件をつければ認めてもいいと考えています。

 著者らはこの章の終わりで労働市場における買い手独占についても批判しています。企業が結託して労働者を安く買い叩くような行為を政府は規制すべきだというのです。こうした分野を含めて反トラスト法をもっと幅広く適用すべきだというのが著者らの考えになります。

 

 感想:テクニカルな部分についてはわかりませんが、この機関投資家の規制というのはありではないかと思います。企業同士のカルテルを規制しても、機関投資が多くの企業の大株主となればカルテルを結んでいるのと同じであり、一定の規制は正当化できるのではないでしょうか。四半期ごとの決算ばかりにこだわる株主が大半になれば、企業の長期的な成長も疎外される気がしますし。

 

 第5章はデジタル経済におけるデータの問題について。GoogleFacebookといった企業は利用者のデータを解析してそこから巨額の収益をあげています。一方で、そのデータを提供した個人には報酬が支払われるわけではありません(さまざまなサービスを無料で使えるというメリットはありますが)。

 そこで本章では「データ労働」という考えを提唱しています。現在の機械学習においてはデータはあればあれほどよい状況であり、追加的なデータにも価値があります。しかし、現実の世界ではデータに関しては書いて独占が起きており(GoogleFacebookといった一部のプラットフォームが圧倒的に強い)、これをなんとかしたいというのが著者らの考えです。

 方向性としてはユーザーが労働組合的なものをつくって対価を要求する、タグ付けなどに対価を払うなどが提起されていますが、具体的な方策に関してはやや曖昧です。

 

 感想:方向性としてはありだとしても、実効性や具体的な方策としてはやや弱く感じました。巨大プラットフォームの個人データ収集に関しては一定の歯止めなりルールが必要だとは思うのですが、この章を読んでも答えを得たような気にはなりませんね。

 

 全体の感想:タイトルに「ラディカル」とついているだけあって、まさにラディカルなアイディアが示されていて面白いと思います。今まで「市場を重視」というとリバタリアニズム自由至上主義)が思い浮かびましたが、本書で主張される立場は私有財産制を大きく揺るがすものでリバタリアニズムとはそこが大きく違っています。「市場至上主義」とも言うべき立場で面白いと思います。

 ただし、全体的にあまりにも人間が経済的な動機と行動するものだと想定していると思いました。途中でヒックスの「独占の最大の利益は、静かな暮らしを送れることだ」という言葉を紹介しましたが、独占は別にしても、効率的なしくみだけではなく「静かな暮らし」を保障するようなしくみも必要ではないかと思いました。