ピーター・テミン『なぜ中間層は没落したのか』

 著者は著名な経済史家で、経済学の立場としてはケインジアンだといいます。そんな著者が「なぜ中間層は没落したのか」というタイトルの本を書いたというと、近年の経済の動きと格差の拡大を実証的に分析した本を想像しますが、本書はかなり強い主張を持った論争的な本です。

 現在、アメリカの社会は左右に分極化していると言われますが、著者は上下の分極化を指摘しています。アメリカの社会は上20%(本書はFTE部門(FTEは金融(Finance)、技術(Technology)、電子工学(Electronics)の頭文字)と呼んでいる)と下80%に分極化し、共和党はもちろん、民主党も基本的には上20%の代表になっているというのです。

 そして、現在のアメリカはアーサー・ルイスが途上国の経済を分析するときに使った二重経済のモデルで説明できるというのが本書の主張になります。

 少し陰謀論的な印象を受けるところもありますが、70年代以降のアメリカの政治の状況をみると「大富豪たちの陰謀」のようなものを想定せざるを得ないわけで、それを正面から告発しようとした本書は読み応えがあります。

 

 目次は以下の通り。

第1章 二重経済――成長の終焉とルイス・モデル
第2章 FTE 部門――金融・技術・電子の特権階層
第3章 低賃金部門――格差と抑圧の構造
第4章 移行――教育による階層間移動への壁
第5章 人種とジェンダー――根深い差別の存続
第6章 政治の投資理論――政治資金の影響力
第7章 超富裕層の選好――小さな政府と減税
第8章 政府の概念――誰のための政府か?
第9章 大量投獄――人種差別と負のスパイラル
第10章 公教育――財源不足と学生ローン地獄
第11章 アメリカの都市――インフラの荒廃と居住の隔離
第12章 個人と国家の負債――借金漬けの個人、救済される銀行
第13章 比較――技術変化と国際化のなかのアメリ
第14章 結論――公正な社会のための行動計画
エピローグ――トランプ氏の経済的帰結
補論 不平等のモデル――ピケティ・ソロー・クズネッツ 

 

  中間層が没落しつつあるというのは、ここ最近さまざまなところで指摘されています。アメリカでは1970年から現在まで、中間層の所得シェアが減少する代わりに上位層、特に上位1%の所得が伸びています(xiii p図1、5p図3参照)。

 この現象を説明するに著者が持ち出すのが二重経済というモデルです。もともとは、アーサー・ルイスが使ったモデルで、ルイスは経済が成長すると上において、資本主義部門と伝統的な小規模農業部門が併存する状態を考え、これをつかって賃金の決まり方などを説明しました。この状況では農村に大量の余剰労働力がいるために人手が足りなくなっても労働力は次々と農村から補充されます。こうして賃金が低く押さえられるのです(この余剰労働力がなくなるのが「ルイスの転換点」)。

 

  著者はこのモデルを先進国で「ルイスの転換点」などはとっくに過ぎているはずのアメリカに適用します。アメリカの経済は上位20%のFTE部門とそれ以外に分断されており、下の層はいつまでたっても賃金が上昇しない状況となっているというのです。

 ルイスの記述する途上国の経済では生産設備などの資本を一部の人々が独占しており、それが資本主義部門と農村の格差を生み出していました。一方、著者は現在のアメリカにおいては物的資本だけではなく、教育が生み出す人的資本や社会資本をFTE部門とが独占しており、それが格差を生み出しているとしています。

 そして、この格差は人種とも重なっています。FTE部門の中心は白人であり、黒人やヒスパニックは下の階層に閉じ込められているのです。

 

 では、どのようにしてこのような二重経済が維持されているのでしょうか?

 中国では都市と農村の戸籍制度が二重経済の維持を後押ししたと考えられますが、アメリカにおいて人々の移動の自由を妨げるものはないはずです。

 しかし、著者はニクソン政権以来、富裕層や企業をエンパワーメントし、下の層を従属化させるような政策が次々と打ち出されてきたと考えています。

 ニクソンによって最高裁判事に任命されたルイス・パウエルは、元は企業弁護士で企業の発言力を高めるべきだと考えていました。このパウエルの考えに基づき、ヘリテージ財団やケイト―研究所がつくられ、ここには大富豪のコーク兄弟らが資金を提供しました。

 1973年にはアメリカ立法交流評議会(ALEC)がつくられ、コーク兄弟の提供する資金をもとに州議会にはたらきかけました。ALECの推進する政策は、ビジネス規制の削減、公共サービスの民営化、減税(特に富裕層と企業向け)、組合活動の制限といったもので(24p)、州レベルからアメリカ社会を変えていきました。

 

 こうした動きは80年代のレーガン政権になって加速します。レーガンは就任時の演説で「政府は我々の問題の解決策ではない。政府こそ問題である」(28p)と述べましたが、この考えのもとに富裕層への減税や公共サービスの民営化が進みます。

 また、金融部門の規制緩和が進み、金融部門は80年代に劇的に拡大しました。そして、金融部門は富裕層の集団となりました。FTE部門はもちろん大卒者が中心ですが、大卒が豊かさを保障するわけではありません。大学教授でも経済学なら年収10万ドルでFTE部門といえますが、英語・英文学なら6万ドルで低賃金部門に近づきます。高校教師もそうで、いくら優秀な教員でもほとんど昇給せずに、低賃金部門のままで終わる可能性が高いです(32−33p)。

 

 一方、低賃金部門で働く人々は低賃金部門に閉じ込められました。ルイス・モデルでは農村の人々は都市に食糧を売りますが、現代では低賃金部門の人々はFTE部門にさまざまなサービスを供給します。中程度の賃金は減っていく一方で、飲食店、清掃、運転手などの低賃金部門の仕事は減りませんでした。

 低賃金部門の給与が上がっていかない理由の1つは組合の不在です。製造業が力を持っていたときは組合が賃金を引き上げましたが、製造業は日本や中国との競争でダメージを受け、組合の力も弱まりました。

 

 さらに著者は、人種を狙い撃ちにしたような政策が黒人を低賃金部門に閉じ込めたと考えています。ニクソンは「薬物との闘い」をはじめましたが、ここでターゲットになったのは反戦左翼と黒人でした。ニクソンの内政担当補佐官ジョン・アーリックマンは次のように語っています。

 「ニクソンの1968年の選挙戦とその後のホワイトハウスには、二種類の敵がいました。反戦左翼と黒人です。わかりますか? 戦争反対や黒人であることを違法にはできないと承知していましたが、ヒッピーからマリファナ、黒人からヘロインを国民に連想させて、その二つを厳しく非合法化することで、彼らのコミュニティを混乱させることができました。指導者の逮捕、自宅への手入れ、集会の解散、毎晩の報道で彼らを中傷することができたのです。」(234p)

 

 結果、黒人男性は3人に1人が生涯のうちに刑務所を経験するような状態になりました(49p)。彼らは就労に苦労するようになり、低賃金部門から脱出できなくなります。

 さらに白人たちが都市部から郊外へと脱出したことで、都市部の財政は悪化し、黒人たちの生活環境は悪化しました。

 

 さらにアメリカの場合は教育制度がこれに拍車をかけます。高等教育への州の支援は削減され続けており、それが授業料の高騰を招いています。1980年から2012年にかけて、主な州立大で250%、全州立大とカレッジで230%、コミュニティ・カレッジで165%、授業料(インフレ調整済み)が増加しました(58p)。

 こうなると低賃金部門の子どもはなかなか進学できませんし、学生ローンの返済に苦しむ若者も増加しています。

  

 このアメリカの二重経済は人種やジェンダーとも結びついています。特にアメリカの歴史の中で黒人は一貫して低賃金部門に閉じ込められており、政治の部門からも排除されてきました。

 しかし、少なくとも公民権法によって選挙権や公職につく権利などは黒人にも女性にも等しく保障されるようになったはずです。それにも関わらず、なぜ抑圧はつづいているのでしょうか?

 ここで著者が持ち出すのが政治の構造であり、「政治の投資理論」という考えです。 

 

 二大政党制の行動を説明するものとして中位投票者定理というものがあります。政党は支持を拡大させるために政策の中間地点に寄ってくるという考えですが(例えば、A党が高福祉高負担、B党が低福祉低負担のポジションで争い合うのではなく、支持拡大のためにお互いに中福祉中負担のポジションに寄ってくる)、現実のアメリカの二大政党は分極化しています。

 また、多数派のはずの低所得者層の利益があまり反映されていないのもアメリカ政治の特徴です。

 

 そこで持ち出されるのは「政治の投資理論」です。この理論では企業が消費者への情報提供へ投資するように、政治団体有権者の情報提供へ投資します。投票者にとって誰に投票すべきかということが、ちょうど数多くの商品からどれを選ぶべきなのかがわかない時があるように、情報不足によってわからないときがしばしばあります。そこで政治団体は自らに有利な情報を提供して有権者を動かし、自らの利益を実現しようとするのです。

 

 実際、過去20年の政策決定を検証したところ、中位投票者を反映する多数派の利益と、所得分布の上位10%のエリートの利益が対立した場合、前者が政治的競争でほぼ負けていたそうです(104p)。少なともアメリカでは中位投票者定理よりも政治の投資理論が現実をうまく説明できているのです。

 例えば、ナンシー・ペロシとジョン・ベイナーは、それぞれ民主党共和党の下院議長を務めましたが、所得上位の1%の中のさらに1%の超大金持ちからの支援を強力に受けた政治家であり、「政治の投資理論」によれば、二人の政策姿勢はあまり違わないことになります(109p)。

 アメリカ政治は分極化していると言われていますが、大金持ちの影響を強く受けているという点では民主党共和党も変わらないのです(とは言っても、著者は共和党の政治姿勢をより問題視している)。 

 

 所得上位1%の選好を調査したところ、1%層は財政赤字の削減を重視し、民間支出による教育の改善を支持し、規制の削減を望み、可能せあれば減税を支持します(108p)。本書では彼らの願望を「ニューディールを取り消したいということになる」(109p)とまとめています。

 彼らの願望を実際の政治の場面で叶えてきたのが、先述したコーク兄弟らの活動です。彼らは豊富な資金を使って、さまざまな規制を撤回され、低所得者層の政治参加の機会を制限していきました(2013年の「シェルビー郡対ホルダー」事件で、1965年投票権法の連邦政府が制限的な州の投票ルールを施行前に禁ずることができる部分が違憲になって以降、投票制限が強まっている州も南部を中心に多い)。

 

 このように、政治部門を富裕層が支配する中で、低所得者層が「政治的」に低賃金部門に押し込まれる現象も起きています。それが先程も述べた大量投獄です。

 大量投獄は多くのコストを必要としますが、それに対応するものとして出てきたのが刑務所の民営化です。民営刑務所にとって囚人の増加は利益になります。そこで軽微な犯罪でも3回目で長期刑となる「三振即アウト」法が各州で制定され、民間刑務所に囚人が供給されることになりました。この「三振即アウト」法制を広めたのが先述したALECです。

 

 アメリカの初等中等教育では、学区ごとに学校が運営されており、学校の予算も学区の固定資産税などで賄われているのですが、それが格差を固定する要因ともなっています。黒人が多く住む地区では学校の予算も少なく、十分な教育が受けられません。

 こうした問題を解決するために、アメリカではチャータースクールと呼ばれる「民営公共」ともいうべき学校がつくられていますが、全体的な成績はあまり良いものではありません。

 いくつかの効果をあげた取り組みはありますが、初等中等教育もまた格差を固定する1つの要因となっています。

 

 結論で、著者は問題への処方箋として、公教育の充実、大量投獄から社会福祉へ、インフラの整備、低賃金部門の債務の減免といったことを提言しています。

 しかし、その結論のあとに置かれたエピローグでは、トランプがまったく逆のことをやろうとしていることが事細かに指摘されており、将来の展望はまったく明るいものではありません。

 

 本書はかなり明確な立場から書かれた本であり、客観性よりも主張に重きを置いた本と言えるかもしれません。

 ただ、解説で猪木武徳が「読み終えると、些末なことを厳密に議論するよりも、大事な問題を少し大まかに議論することも、時にははるかに望ましい姿勢だと教えられる」(264p)と書くように、その思い切った主張に価値があると思います。

 少なくとも、「どうしてアメリカ社会はこんなふうになってしまっているのだ?」という疑問に1つの答えを与える内容になっており、本書で提示されている「二重経済のモデル」や「政治の投資理論」はアメリカ社会を見る上で、そしてその他の地域の政治や経済を見る上でも、頭に入れておいてよい考えだと思います。