湊一樹『「モディ化」するインド』

 著者の湊氏よりご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 近年、特に中国に対抗するためのパートナーとしてインドへの注目が高まっています。日米豪印の「クアッド」という枠組みがつくられ、そこではインドは民主主義や法の支配といった基本的理念を共有する国として紹介されています。

 

 しかし、本当にそうなのだろうか? ということを本書は突きつけています。

 インドのリーダーとして、あるいはグルーバルサウスのリーダーとして注目を浴びているモディ首相ですが、本書を読めばその政治スタイルはかなり権威主義的で、インドの民主主義はモディ首相のもとで大きく毀損されています。

 日本はインドと基本的理念を共有しているといいますが、むしろインドが中国と近いのでは? と思わせるような内容です。

 

 目次は以下の通り

プロローグ 大国幻想のなかのインド
第1章 新しいインド?
第2章 「カリスマ」の登場
第3章 「グジャラート・モデル」と「モディノミクス」
第4章 ワンマンショーとしてのモディ政治
第5章 新型コロナ対策はなぜ失敗したのか
第6章 グローバル化するモディ政治
エピローグ 「モディ化」と大国幻想

 

 「世界最大の民主主義国」と称されるインドですが、近年はその実態がやや怪しくなっています。

 世界各国の民主主義についてウォッチしているV-Demでは、2021年にインドのカテゴリーは「選挙民主主義」から「選挙権威主義」へと変更されていますし、フリーダムハウスの報告書でも「中国とインドとのあいだで、価値観にもとづく区別が付きにくくなっている恐れがある」(17p)と述べています。

 

 もともとインドの政界には金や暴力の噂が絶えないような人物がおり、決して理想的な民主主義が行われていたわけではありませんが、モディ政権になってからは「世俗主義」に代わって「ヒンドゥー至上主義」がはびこるようになり、イスラーム教徒を「二等市民」のような立場に追いやろうとする動きが目立っています。

 2022年10月にデリーで行われた集会では、与党BJP(インド人民党)の国会議員が「私の後に続いて言ってください。私たちは奴らをボイコットする! 奴らの店では何も買わない! 奴らに仕事を与えない!」(25p)と呼びかけるなど、政府・与党関係者によるヘイトの扇動が大っぴらに行われているのです。

 

 そして、モディはヒンドゥー至上主義の中心的組織であり、マハトマ・ガンディーを暗殺した人物が所属していた事でも知られる民族奉仕団(RSS)の出身であり、グジャラート州知事時代にも問題を引き起こしたことのある人物なのです。

 

 そのモディはインドを新たな高みに導くという「大きな物語」を人々に信じさせようとしています。

 それによると、インドは「ヒンドゥー文明」の遺産を受け継ぐ偉大な国だが、「外国勢力」やインド国民会議派の腐敗と失政により停滞していた。それを打ち破るのがモディというわけですが、その「外国勢力」の中にはイギリスだけではなく、それに先立ってインドを支配していたイスラーム勢力まで入るといいます。ですから、イスラームの影響力はインドから一掃されるべきだと考えているのです。

 

 モディは1950年にグジャラート州メヘサーナー県に生まれています。モディの一家は、食用油の製造と販売を生業とする「ガーンチ」というカースト集団に属しており、モディ家でも食用油の製造を行うとともに父親は駅でチャイを売る店を営んでいたといいます。

 モディは学業的には平凡でしたが、RSSが各地で開く集会(シャーカー)には熱心に取り組んでいたといいます。

 モディの前半生には謎も多く、10代後半〜20代前半にかけて結婚を前にして家から出奔したりしているのですが、もっぱら語られるのは父を手伝って「チャイ売り」をしていたといった苦労人としてのエピソードです。

 

 その後、モディはRSSの専従活動家となり、組織内で出世していきます。特にグジャラート州で州組織を指導する責任者となると、それまで国民会議派が強かった中でBJPの議席を増やし、1995年には初めて州政権を樹立します。

 この政権は内部対立で崩壊しますが、その後、2001年にモディはグジャラート州の州首相となります。

 

 この翌年に起きたのがグジャラート州暴動です。

 発端とされるのは2022年2月27日におきたゴードラーでの列車炎上事件で、急行列車が炎上し、58人のヒンドゥー教徒が焼死しました(その後ももう1人死亡)。炎上の原因ははっきりしていないのですが、この列車にヒンドゥー至上主義のメンバーが乗っていたこともあり、事件前にはイスラーム教徒との小競り合いも起こしていました。

 この事件に対して、モディはこれは「事前に準備された攻撃」だとの見解を示し、「一つのコミュニティによる一方的で暴力的なテロ行為」だと述べました(70p)。イスラームを名指ししたわけではありませんが、イスラームへの敵意を煽るような発言を行ったのです。

 

 その結果が、イスラーム教徒への大規模な襲撃事件でした。イギリス政府の報告書によると少なくとも2000人が殺害され、多くのイスラーム教徒の女性が組織的にレイプされ、13万8000人が避難民になったといいます。

 襲撃はヒンドゥー教徒が多く住む地域からイスラーム教徒を一掃する目的で組織的に行われており、襲撃目標も事前に共有されていたといいます。そして、州政府からの圧力で警察も対応を抑制していました。

 このイギリス政府の報告書ではこの事件についてはっきりとモディの責任を指摘しています。

 

 しかし、この後の州議会総選挙でBJPが圧勝したことにより、モディの責任は有耶無耶になっていきます。

 モディは州内で暴動が収束すると州議会を解散し、ヒンドゥー教徒の間で高まっていた宗教意識とイスラームへの敵意を利用する形で選挙を勝利に導きました。選挙運動でモディは避難民のためのキャンプを「子作りセンター」と呼ぶなど、イスラーム教徒の人口増加でインドが乗っ取られるというヒンドゥー至上主義の陰謀論的な考えを利用しています。

 

 2014年の総選挙でBJPが圧勝し、モディ政権が誕生します。選挙では西部と中部を中心にBJPが議席を伸ばし、インドが小選挙区制を取っていることもあって、全体的な得票率は3割程度だったものの過半数議席を獲得しました。

 この選挙においてモディが訴えたのが「グジャラート・モデル」と言われたモディのグジャラート州での成功です。モディはこの成功を引っ提げ、インドを発展に導く「強いリーダー」という宣伝を行い、選挙に勝利したのです。

 

 しかし、グジャラート州の成功は宣伝ほどではないといいます。投資促進のイベントにより州政府は39兆5400億ルピーが成立されたとしていますが、実際は4分の1の9兆ルピーほどにとどまったといいますし、海外からの直接投資に関しても他地域を圧倒してたわけではありません。

 手厚い優遇策を示して格安の小型自動車「タタ・ナノ」の生産工場の誘致に成功し、2010年から操業を開始しますが、タタ・ナノ自体が売れずに2019年に生産が停止されてしまいました。

 また、大企業や大規模開発が優先される中で教育や保健などへの投資は軽視され、グジャラート州の子供の学校への出席率、5歳未満の栄養不良の割合、子どものワクチンの接種率などはインドの中でも下位に低迷しています(101p表3−5参照)。

 

 国政を担うようになってからもバラバラだった間接税を統一するなどの前進はありましたが、多くの目標は未達に終わっており、2016年に突如として打ち出した高額紙幣の廃止は社会に大きな混乱をもたらしました。

 そんなモディ製缶が重視していたのが世界銀行が発表する「ビジネスのしやすさランキング」で、100以下に低迷していた順位は2017年から急上昇しました。モディ政権がランキングの算出に有利になるようにロビー活動を行い、モディ自ら各省や各州などに強力に働きかけた成果ですが、このランキングは2020年にデータが不正に改変されていたとして公表停止になり、廃止されてしまいます。もともと中身があやしいランキングだったわけです。

 また、若年層を中心とする雇用問題や農村の経済状況は以前からの問題でしたが、ここでも目立った改善はありませんでした。

 

 こうした状況の中、2019年の総選挙ではBJPはモディ首相個人を押し出した大統領型の選挙キャンペーンを繰り広げました。そして、これが功を奏したのか2019年の総選挙でBJPは圧勝します。

 選挙前には人気俳優によるモディに対するインタビューが流され、モディ政権の功績をなぞるような映画もつくられました。さらに第2次政権以降は、モディそのものをモデルにした映画もつくられています。

 モディの若い頃の苦労話がメディアで盛んに取り上げられ、SNSでは「モディ首相は1日平均18〜20時間働く」「36時間寝てなかった」などのスーパーマン的な情報が投稿されているといいます。

 

 BJPにはSNSプロパガンダ活動する実働部隊がおり、その規模は100万人を超えるとも言われています。この部隊が与党や政府に都合の良いフェイクニュースイスラーム教徒などを標的とするヘイトや陰謀論を拡散しているといいます。

 

 モディ個人については、記者会見を行わないことでも有名です。スピーチはよく行っていますが、質問を受ける形の記者会見を開くことはほとんどなく、外国訪問時でも記者会見で質疑応答が行われたのは2023年の訪米時くらいで、個別のインタビューでも必ず質問を事前に出さなければならないといいます。

 

 モディ政権は主要メディアにも圧力をかけており、テレビ局のNDTVは放送局やオーナー夫妻に対する度重なる圧力の結果、2022年に株式の過半数をアダニ・グループが取得し、オーナー夫妻は取締役を辞任しました。

 2023年1月、BBCが『インド ー モディを問う』というイスラーム教徒を取り巻く状況に焦点を当てたドキュメンタリー映画を放送すると、政府はBBCを批判するとともに、YouTubeTwitterに対してこの番組の動画の削除を命じ、BBCの現地支局に家宅捜索を行って圧力をかけました。

 

 このような強権的なモディ政権ですが、新型コロナ対策は惨憺たる失敗に終わりました。

 2020年の3月から「世界最大のロックダウン」とも言われる厳しい措置に出ましたが、出稼ぎ労働者が路頭に迷うなどの大混乱が起き、用意された特別列車の大混雑が原因でなくなった人もいました。

 経済にも大きな影響が及び、その後のV字回復があったものの、数字に現れないインフォーマル部門への負の影響は大きかったといいます。

 

 その後1度は落ち着いたインドの感染状況でしたが、2021年の3月からはデルタ株の感染が広がり死者が激増しました。

 インド政府の発表ではインドの新型コロナによる死者は48万人ですが、WHOは474万人が亡くなったと推計しています。2021年末までの新型コロナの死者の3分の1近くをインドが占めているというのです。

 

 このように内政では問題含みのモディですが、外交では中国へ対抗するために欠かせない存在ということもあり、インドは大きな存在感を放っています。

 こうした追い風もあり、モディは「大国」の指導者として振る舞っていますが、アメリカや日本と「価値観をともにする」という表現の実態はますます怪しくなっています。

 

 2019年12月に成立した「市民権改正法」は、宗教的迫害から逃れるために周辺国からインドに入国し滞在を続けている宗教的少数派に市民権を付与することが目的とされていますが、適用されるのはアフガニスタンパキスタンバングラデシュからきたヒンドゥー教徒シク教徒、仏教徒ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒キリスト教徒であり、イスラーム教徒は除外されています。 

 これはイスラーム教徒が多数を占める国から逃れてきた少数派を保護するという建前ですが、例えば、ミャンマーで迫害されてるイスラーム教徒のロヒンギャはこれに含まれません。

 この法改正以外にも、モディ政権は「国民登録簿」の作成を進めていますが、こうした中で証拠書類を持たない住民が市民権を拒否されるケースもあるといいます。他宗教の住民には今回の法改正が市民権を得る道も残されていますが、イスラーム教徒にはそうした道も閉ざされているわけです。

 

 「市民権改正法」に対してはイスラーム教徒だけではなく、アッサム州などのインド北東部ではバングラデシュから流入したヒンドゥー教徒に市民権を与えることになると反対運動が起きました。

 モディ首相は抗議活動を裏で操っているのは野党であると批判し、さらに「テレビの映像をみれば、服装から誰が放火しているのかわかる」(204p)と発言し、暗にイスラーム教徒が過激な行動をしているとほのめかしました。

 こうしたこともあり、デリーでイスラーム教徒をターゲットにした暴動が起こり、多数の死者が出ました。デリー警察がヒンドゥー至上主義者による暴動を黙認暑いは支援したことが被害を大きくしたとみられています。

 モディ政権は2019年に人口の多数をイスラーム教徒が占める唯一の州であるジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪しており、ここでもイスラームに対する抑圧が目立っています。

 

 本書は2024年の5月に刊行されたために、6月に議席が確定したインドの総選挙の結果が分かる前に書かれています。

 総選挙では過半数を取る公算が高いとされていたBJPが伸び悩み、与党連合として過半数を確保するにとどまりました。モディ政権は続きますが、今までのようなワンマン政治は難しくなる可能性が高いです。

 BJPの伸び悩みの原因としては経済の不調があげられますが、本書を読むとインドの国民がモディに一定のブレーキを掛けなければヤバいと思ったのではないかと感じます。

 

 途上国の「強いリーダー」というのは往々にして権威主義的であり、モディにも当然そのような面があるだろうことは予想できますが、本書を読むことで、それよりさらに踏み込んでモディがインドの民主主義を大きく毀損してきた存在であることがわかると思います。

 特にヒンドゥー至上主義とイスラームに対する抑圧はかなり危ういものであり、無邪気に「権威主義国家の中国に対抗するために民主主義国家のインドとの関係を深める」などと言得ない状況であることがわかると思います。

 現在のインドの状況を理解するために必読と言える本だと言えるでしょう。