2019年の本

 毎年恒例のエントリー。今年はまず小説以外の本(と言ってもほぼ社会科学の本ですが)を読んだ順で9冊紹介します。

 小説に関しては去年は順位をつけませんでしたが、今年は順位をつけて5冊紹介します。

 ちなみに新書のほうは以下に今年のベストをまとめてあります。

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・ 小説以外の本

ジョージ・ボージャス『移民の政治経済学』

 

 

 移民は受入国にどんな影響をあたえるのでしょうか? 経済を成長させるのでしょうか? それとも減速させるのでしょうか? あるいは移民の受け入れによって損する人と得する人が出てくるのでしょうか?

 この本はアメリカのハーバード・ケネディスクールの教授で、長年移民について研究してきた著者が、移民のもたらす影響をできるだけ詳しく分析し、上記の問に答えようとした本になります。

 日本でもこれから「移民は是か非か」、「移民は日本経済を救うのか?」といった議論がなされていくと思いますが、この本を読めば、移民によって受ける影響は立場によって違うこと(基本的に労働者から企業への所得移転になる)、移民によって生み出される富もあれば受け入れの費用もあることなど、この議論が単純に割り切れるものではなく、慎重な対応が必要なものだということがわかるでしょう。

 

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善教将大『維新支持の分析』

 

 

 このブログのエントリーでも多くのブクマを集め、さらにはサントリー学芸賞も受賞したという話題の本。

 日本における「ポピュリズム」と言ったときに、多くの人の頭に浮かぶのが、おおさか維新の会でしょう。特に代表を務めていた橋下徹は多くの論者によって代表的な「ポピュリスト」と考えられていました。おおさか維新の会に関しては、「橋下徹という稀代のポピュリストによって率いられ、主に政治的な知識が乏しい層から支持を調達したのが維新である」というイメージは幅広く流通していたと思います。

 しかし、この本はそうしたイメージに対し、実証的な分析を通じて正面から異を唱えるものとなっています。サーベイ実験など先進的な手法を駆使しつつ、同時に著者の熱い主張も込められた本で、世間の印象論を見事に覆しています。

 また、著者のサービス精神も十分に感じられる本で、比較的見難いグラフが多い政治学の本の中で、この本のグラフの見やすさは特筆すべきものです(脚注にも著者のサービス精神は遺憾なく発揮されています)。

 

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 アレクサンダー・トドロフ『第一印象の科学』

 

 

 顔の不思議に迫った本。顔というのは本当に不思議なもので、顔を見るだけどその人の性格がわかったような気になることもありますし、ある種の強い印象を形成します。

 では、その印象は正しいのでしょうか? 本書では、顔からその人の性格・性質を読み解こうとした観相学を批判しつつも、それでも存在する顔から受ける印象のからくり、そしてその危険性についても分析しています。

 

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羅芝賢『番号を創る権力』

  

 

 スウェーデンや韓国やエストニアのように「国民総背番号制度」が確立している国がある一方で、日本ではその導入が遅々として進みません。本書は、その理由を日本の戸籍制度の変遷や情報化政策の影響、そして国際比較などを通じて明らかにしようとした本です。

 「国民総背番号制度」に対する反対として、まず持ち出されるのは「プライバシーの保護」で、日本における反対論でもたびたび持ち出されてきましたが、「日本人は他国の人々(例えばスウェーデン人)に比べてプライバシーの意識が高いために「国民総背番号制度」が成立しなかった」という理由ですべてを説明するのは苦しいです。

 この本ではそうした「プライバシーの保護」という「建前」に隠された制度的な理由を掘り出していきます。なお、著者名はナ・ジヒョンと読みます。

 

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ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』

 

 

 民間企業だけでなく、学校でも病院でも警察でも、そのパフォーマンスを上げるためにさまざまな指標が測定され、その指標に応じて報酬が上下し、出世が決まったりしています。

 もちろん、こうしたことによってより良いパフォーマンスが期待されているわけですが、実際に中で働いてみると、「こんな指標に意味があるのか?」とか「無駄な仕事が増えただけ」と思っている人も多いでしょうし、さらには数値目標を達成するために不正が行われることもあります。

 この現代の組織における測定基準への執着の問題点と病理を分析したのが本書になります。著者は『資本主義の思想史』などの著作がある歴史学部の教授で、大学の学科長を務めた時の経験からこのテーマに関心をもつことになったそうです。本文190ページほどの短めの本ですが、問題を的確に捉えていますし、紹介される事例も豊富です。さらに、現在「新自由主義」という曖昧模糊とした用語で批判されている現象に対して、一つの輪郭を与えるような内容にもなっており、非常に刺激的です。

 

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遠藤晶久/ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』

 

 

 まず、この本のインパクトは帯にも書かれている、「維新は「革新」、共産は「保守」」という部分だと思います。若年層に政党を「保守」、「革新」の軸で分類されると、日本維新の会を最も「革新」と位置づけるというのです(若年層といっても40代までは総分類する)。

 本書は、さまざまなサーベイなどを通じて現在の日本の有権者の政治意識を明らかにしようとした本で、「保守」と「革新」の話以外にも、なぜ若者が自民党を支持するのかといった問題も分析しています。若者は右傾化しているわけではなく、若者の選択肢が「自民か野党か」ではなく、「自民か無党派か」となっており、投票行動も「自民か野党か」ではなく「自民か棄権か」になっていることなどを明らかにしています。

 

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ウィリアム・ノードハウス『気候カジノ』

 

 

 2018年に気候変動を長期的マクロ経済分析に統合した功績によってノーベル経済学賞を受賞したノードハウスの著書。価格が2000円+税なので、「今までの研究のコアの部分を一般向けに簡単に語った本なのかな」と思って注文したのですが、届いてみたら450ページ近い分厚い本で、ほぼこの1冊で現状で明らかになっている地球温暖化問題について語れてしまうような本ではないですか! これはコスパが高いです。

 グレタ・トゥーンベリさんの活躍で今年注目を集めた地球温暖化問題ですが、その実情や総合的な対策の方向性を知るにはもってこいの本だと思います。

 

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 猪俣哲史『グローバル・バリューチェーン

  

 

 本書の冒頭にある問いは「iPhoneはメイド・インどこか?」というものです。USAでしょうか? チャイナでしょうか? それとも別の国でしょうか?

 iPhoneは一つの典型的な例ですが、現在の工業製品はさまざまな国から部品が集められ、中国などで組み立てられ、そして世界各地へ出荷されています。この国境を超えたサプライチェーンがグローバル・バリューチェーンです。

 本書は、このグローバル・バリューチェーンの実態とメカニズムを明らかにするとともに、副題に「新・南北問題へのまなざし」とあるように、今後の南北問題も展望しています。米中貿易摩擦を読み解く知見もありますし、非常に刺激的ですし勉強になる本です。難解で高度な分析も行っているのですが、それを図やグラフなどに落とし込むことで直観的にわかるようにしていることも、この本の優れている点と言えるでしょう。

 

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ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』

 

 

 2016年に大西洋を挟んで起きたイギリスのBrexitアメリカの大統領選でのトランプの当選は世界に大きな衝撃を与え、この2つの事柄が起きた背景や原因を探る本が数多く出されました。

 本書もそうした本の1つなのですが、何といっても本書の強みは2016年以前からイギリスのイーストロンドンとアメリカのオハイオ州ヤングスタウン(金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書)でも中心的に取材していた場所)で白人労働者階級をフィールドワークしていたことです。つまり、ある意味でBrexitやトランプ現象を起こした地殻変動を予測していた本でもあります。

 白人労働者が感じている「剥奪感」に注目しながら、同時に彼らの声がまともにとり上げられなかった政事的背景に対しても踏み込んだ分析を行っており、読み応えがあります。特に彼らの生の声は問題の根深さを教えてくれます。

 

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・ 小説

1位 ハン・ガン『回復する人間』

  

 

 韓国の作家ハン・ガンの短篇集。「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」、「フンザ」、「青い石」、「左手」、「火とかげ」の7篇を収録しています。

 どれも良いのですが、特に冒頭からの3作、「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」には凄味がある。韓国文学という枠を超えて世界文学の文学史においても相当なレベルにある作品だと思います。

 設定などはありがちではあるのですが、そのどこにでもありそうな物語を語りながら、いつの間にか凄い境地に到達するというところは、ウィリアム・トレヴァーの小説を思い出させます。文体などは違うのですが、ハン・ガンもトレヴァーも、平凡に見える人間の内面に隠された執念、そしてその執念がもたらす痛みを描くのが抜群に上手いです

 

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2位 マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』

 

 

1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した。

  この一文からこの小説は始まります。主人公のナサニエルと姉のレイチェルの前から両親が姿を消すのです。

 両親が子どもたちの世話を頼んだのは、主人公たちが「蛾」と呼ぶ謎の男で、そこに「ダーダー」と呼ばれる元ボクサーの男が加わります。

 舞台は1945年のロンドン。戦争が終わった直後、まだ戦争における非日常が残っていましたし、社会には戦争によってできたさまざまな穴が空いた状態でした。そして、人々はドイツの備えるために非日常の任務についていた過去を持っていました。そんな時代を背景にした冒険と秘密の物語です。

 

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3位 呉明益『自転車泥棒

 

 

 短篇集『歩道橋の魔術師』が非常に面白かった台湾の作家・呉明益の長編。

 作家である主人公が父の失踪とともに消えた自転車を探す物語で、出だしは無口な父をはじめとする主人公の家族と、家族の暮らしていた台北の中華商場(「歩道橋の魔術師」でも舞台となった場所)の様子が語られ、ある種のノスタルジックな話を想像します。

 ところが、中盤くらいになると、この小説はノスタルジックに過去を描く話ではなく、失われた自転車とともに台湾の歴史を掘り出そうというスケールの大きな物語であることが見えてきます。台湾の先住民、日本の統治、日本軍、国民党軍など、台湾の歴史をつくってきた様々な要素が積み上げられていくのです。

 『歩道橋の魔術師』に収録された短篇に比べると、決してバランスがよい小説とはいえないかもしれませんが、著者の執念のようなものがこもった、ずっしりとした読後感を残す小説です。

 

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4位 ケン・リュウ『生まれ変わり』

 

 

 『紙の動物園』、『母の記憶に』につづくケン・リュウの日本オリジナル短編集第3弾。相変わらず、バラエティに富んだ内容でアイディアといい、それをストーリーに落としこむ技術といい、さすがなのですが、何といっても面白いのが「ビザンチン・エンパシー」。

 チャリティー(慈善)において重視されるべきは共感なのか? 理性なのか? という古典的なテーマがこの小説の主題であり、そこで示される「テクノロジー+共感」というあり方が将来の中国社会の一端を示しているように思える点も興味深いです。

 

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5位 神林長平『絞首台の黙示録』

 

 

 優れた小説なのかどうかはよくわからないところがあるし、ミステリー小説ファンが読んだら怒り出しそうな結末だとは思うのですが、とにかく奇妙な小説。

 一応、主人公にそっくりなもう一人の自分が現れるという話なのですが、話の進行の仕方も道具立ても妙な小説で、奇想と言ってもいいかも知れません。国書刊行会がマイナーで変わった小説を集めた<ドーキー・アーカイヴ>というのをやっていますが、それよりもさらに奇妙な小説ですね。

 ミステリーとしても読めますが、そこにきれいな解決編はありません。ただ、変わった小説を求めている人には間違いなくお薦めできる本です。

 

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