アンガス・ディートン『大脱出』

 2015年のノーベル経済学賞受賞者、アンガス・ディートンが健康と富と格差の歴史と現状を語った本。裏表紙に書かれている紹介文は以下のようになっています。

世界はより良くなっている――より豊かになり、より健康になり、平均寿命は延びている。
しかしその反面、貧困という収容所から「大脱出」を果たせずに取り残された国や人々がいる。
産業革命以来の経済成長は、大きな格差も生んだのだ。経済発展と貧しさの関係について最先端で研究を続けてきた著者が、250年前から現在までを歴史的にたどりながら、成長と健康の関係を丹念に分析することで、格差の背後にあるメカニズムを解き明かす。(略)

 
 そして目次は以下のとおり。

序章 本書で語ること
第1章 世界の幸福

第 I 部 生と死
第2章 有史以前から1945年まで
第3章 熱帯地方における死からの脱出
第4章 現代世界の健康

第 II 部
第5章 アメリカの物質的幸福
第6章 グローバル化と最大の脱出

第 III 部 助け
第7章 取り残された者をどうやって助けるか

あとがき これからの世界

 基本的に前半は、「人類がいかに貧困と死の恐怖から抜けだしたのか?」という話。
 特に目新しい話があるわけではありませんが、人類の進歩の歴史をさまざまなデータを使って見せてくれます。データの見方についての解説も詳しく、さすが一流の学者という感じです。
 また、文章も読みやすく、洗練された経済エッセイを読んでいるようです。


 ところが、第II部以降は論争的な部分も多くなってきて、一部ではかなり刺激的な議論もしています。
 例えば、第5章の「アメリカの物質的幸福」では、GDPという指標の問題点を指摘しつつ、ピケティなどの研究にも触れながらアメリカの格差問題を分析しているわけですが、その分析は経済的統計の問題にとどまらず、社会的・政治的な問題にも及んでいます。
 格差が広がる中で、「アメリカの最低賃金はなぜ上がらなかったのか?」という問題に対して、著者は労働組合の弱体化を指摘するとともに、市民権を持たない合法的移民の存在をあげ、さらに次のように続けています。

 そんな中、アメリカ国民であるにもかかわらず選挙権を奪われた重要な集団がもう一つある。重犯罪者に獄中からの投票を認めているのはバーモント州メイン州のみで、いったん重犯罪者になってしまったら刑期や保釈期間を終えても一生選挙権を剥奪すると定めている州は10もある。1998年、人権団体ヒューマンライツ・ウォッチの量刑改革プロジェクトは、投票年齢人口の2%が現在あるいは生涯にわたって選挙権を剥奪されていると推計した。そのうち三分の一がアフリカ系アメリカ人男性で、つまりアフリカ系アメリカ人男性の13%が投票できないということになる。(215p)

 また、「高額所得者の増加がその他大勢の所得を減らすわけではなくとも、幸福のほかの側面を損なう結果になるとすれば、パレートの原理でそれを正当化することはできない。お金と幸福はまったく別物なのだから!」(231p)と、全体的にかなり踏み込んだ発言をしており、現在の政治や経済学に対して批判的な面も見せています。


 第6章では、中国やインドのように「大脱出」をしつつある国一方で、アフリカを中心に低迷を続ける国がある現実を指摘しています。
 ここでも、ポール・コリアーの『最底辺の10億人』の貧困から抜け出せない国の条件を探る試みを、「こうした研究はルーレットでゼロが出る直前に賭け金を置く人に共通する特徴を探すようなもので、私たちの根本的な無知を隠蔽してるにすぎない」(255p)と、手厳しく批判しています。
 また、20世紀半ば以降に世界的に巻き起こった人口爆発脅威論によって、インドなどでは不妊処置が、中国では一人っ子政策がとられましたが、これに対して著者は、「社会科学者や政策立案者の大半が誤診した人口爆発問題と、その結果立案された誤った政策が何百万もの人々に与えた深刻な損害は、失敗の多かった20世紀の中でももっとも重大な知的・倫理的失敗だったと言っても過言ではないだろう」(264p)と、強く批判しています。
 さらにこの章では、各国の貧困を図るために使われるPPP換算レートの問題点、算出の難しさなどについても検討がなされています。


 そして、最後の第7章「取り残された者をどうやって助けるか」はさらに論争的な章です。
 「取り残された者をどうやって助けるか」という問に対して、まず思い浮かぶのは、いわゆる援助ですが、著者はこの援助をほぼ否定しています。
 単純に計算すると「世界の貧困を撲滅するためにはアメリカの全成人が一日30セント寄付しさえすればいい」(286p)わけで、援助の有効性を訴えるときもこういった数字がよく使われます。
 しかし、著者に言わせると「援助は、人から人へと与えられるものではない。ほとんどが政府から政府へと渡されるもので、援助の大部分が人々を貧困から救う目的で設計されてはない」(299p)のです。


 確かに、援助は援助国の国益に基づいて行われることが多く、ときに独裁政権を支える結果になっていることもあります。
 「だからNGOが重要だ」と言いたくなる人もいるでしょうが、このNGOの援助についても著者は以下のような理由から否定的です。

 援助は、流用可能だ。NGOの運営する学校や病院が政府に資金を明け渡すかもしれないし、政府がNGOの資産に課税したり(単純に取り上げたり)するかもしれない。政府がNGOが輸入する製品や設備に税金を課すこともできるし(実際にしている)、運営許可の取得に高額な費用を要求することもできる。緊急人道支援についても同じような状況が考えられ、特に戦争中は、人道支援を国民のもとに届けるために軍閥のリーダーを買収しなければならない。極端な場合、こうした事情のために国際NGOが食料と一緒に武器を運びこまざるを得なかったという事例もあった。(297ー298p)


 このような事情から、近年は「開発プロジェクト」という形の援助が注目されています。特にその成果をやった場合とやらなかった場合で比較して検証しようという無作為化比較実験(ランダム化比較実験、ランダム化対照試行)は、援助を適切に行うためのキーとしてアビジット・V・バナジーエスター・デュフロ『貧乏人の経済学』では大きくプッシュされていました。
 ところが、著者はこの無作為化比較実験にも否定的です。原因は単独では機能せず他に様々な要因が関わっているはずなのに、無作為化比較実験ではその別の要因を見落としている可能性が高いというのです。
 さらに著者は「試作品と本製品とは違うのだ」(311p)と述べ、教育プログラムが機能してもそれに見合った仕事が増えないケースや、農業の生産性が上がってもその結果として農産物の価格が下落し、予想通りの収益を挙げられないケースなどをあげています。


 著者は援助による収入を一次産品の価格の上昇による収入と同じようなものと見ています。そして、国内の政治とは関係なく入ってくる収入というのは、基本的にあまり良くないものです。

 一次産品の価格高騰と同様、援助は現地の制度に望ましくない影響を与え得る。無制限に金が入ってくるようになれば、政府は課税する必要も税金を集める必要もなくなるのだ。。中東の莫大な石油収入は、産油国で民主主義制度がうまく機能していない要因の一つでもある。〜極端な場合には、援助にせよ一次産品の収入にせよ、海外からの莫大な金額の流入は内戦のリスクを高める可能性がある。統治者が富を分け合わないようにするための手段を持っていて、流入する資金が争っても元をとれるほど高額だからだ。(317ー318p)


 それならば援助国がチェックをして問題があれば援助を中止すればよいではないか、と考える人が多いと思いますが、援助の「プロジェクトを実地で経験し、是非を判断できるのは援助国ではなく、現地の人々」(318p)であり、また、急な援助の中止はその国の経済に大混乱をもたらします。結果、問題のある援助ではずるずると続けられてしまうことが多いのです。「被援助国の政府が自国民を「援助国から援助を引き出すための人質」として使う場合もある」(321p)のです。
 そして、援助の問題点いついて次のようにまとめています。

 海外援助で問題なのは、それが世界の貧しい人々にどのような影響を与えるかではない。実際、貧しい人々に直接届くことなどめったにないのだから。そうではなく、貧困国の政府にどのような影響を与えるのかが問題なのだ。海外援助が貧困を悪化させるという主張は、すなわち海外援助によって被援助国の政府が貧困層の声に耳を傾けなくなり、その結果、貧困層に害を成すというものだ。(325ー326p)

 こうした援助に代わって著者が推奨するのは、先進国の農産物の輸入規制であったり、先進国での途上国向けの医薬品の研究など、大きな援助に比べればなんとも地味なものばかりです。しかし、より「害のない」方法を選ぶとすれば、こうしたものになるというのが著者の考えになります。


 というわけで、後半はかなり論争的な本であるということがわかったかと思います。
 前半は比較的「マイルド」なので、前半をちょっと読んで「そんなの知ってる」と思った人は、第II部以降を読むといいと思います。実はかなりラディカルな本であることがわかると思います。


大脱出――健康、お金、格差の起原
アンガス・ディートン 松本 裕
4622078708