加藤弘之・梶谷懐編著『二重の罠を超えて進む中国型資本主義』

 編著者のおひとりである梶谷懐氏からご恵投いただきました。
 

 タイトルの「二重の罠」とは、中所得国になったあとに経済が停滞してしまう「中所得国の罠」と、市場移行が中途半端な形で停滞している「体制移行の罠」のこと。
 サブタイトルは「「曖昧な制度」の実証分析」となっており、編著者のひとりの加藤弘之中国経済の考える上でのポイントと考える「曖昧な制度」について、実証分析を中心にして検証し、中国経済が先述の「二重の罠」を抜け出せるかどうかを探ろうとした本になっています。


 このように書くとかなり硬い内容の本に思えますし、各論文は実際それぞれ硬い内容であったりするのですが、各論文を通じて、わかりやすいキーワードで語られがちな現在の中国経済の姿がよりクリアーに見えてきますし、それとともに中国における「政治」と「経済」の関係が見えてくる興味深い内容になっています。


 日本では「政治」と「経済」はそれぞれに影響を与えているものの、別システムだと考えていいと思いますが、国家の統制力が強い中国においては「経済」は「政治」の一部分だと言えるような部分もあります。
 そして、第3章の「地方政府間競争と財政の持続可能性」などを読むと、それだけではなく、中国の「政治」は日本以上に「経済」に影響されているシステムでもあるのです。


 目次は以下の通り。

序 章 中国は「二重の罠」を超えられるか(加藤弘之)

第I部 「中所得国の罠」を超えて
第1章 戸籍制度改革と農民工の市民化(厳 善平)
第2章 農村都市化と集団経済の変容(任 哲)
第3章 地方政府間競争と財政の持続可能性(藤井大輔)
第4章 産業構造の高度化と産業政策(日置史郎)
第5章 世界金融危機以後の広東省経済(伊藤亜聖)
第6章 技術開発環境とR&D(木村公一朗)

第II部 「体制移行の罠」を超えて
第7章 民営化、市場化と制度化の連鎖関係(中兼和津次・三竝康平)
第8章 労働分配問題からみた「国進民退」(梶谷 懐)
第9章 国有企業と市場競争の質(渡邉真理子)
第10章 「国進民退」と企業ダイナミクス(陳 光輝)
第11章 中国企業の対米投資(大橋英夫)
第12章 都市部における所得格差と主観的幸福度(馬 欣欣)
第13章 農民の所得格差拡大に対する寛容(星野 真)

終 章 どこへ向かう中国型資本主義(加藤弘之・梶谷 懐)


 まずは中国における「経済」と「政治」の関係の複雑さを教えてくれるのが第2章や第3章です。
 まずは特に興味深かった第3章の藤井大輔「地方政府間競争と財政の持続可能性」から紹介したいと思います。


 日本では基本的に、国と地方公共団体は別の機関であり、国家公務員と地方公務員はその採用から分かれています。
 ところが、中国の官僚は中央政府のトップの総理である第1級から、郷級政府の副郷長などにあたる第17〜24級まで一元的に管理されており、下級地方政府の成績優秀者がより上級の地方政府に引き上げられ、さらに中央政府の主要なポストへと抜擢されていきます。
 詳しくは64pの表を参照してほしいのですが、中国では地方から中央まで一元的な職位となっており、しかも各職位級別に着任時の年齢制限があり、年齢制限に達するとそれ以上の昇進は不可能になるのです。


 では、出世のポイントとなるものは何かというと、それは担当地域の経済発展ということになります。
 もちろん、それだけではないのですが、「雲南省の県級幹部の評価の場合、経済発展に関する指標が40%、社会調和が25%、持続可能発展が25%、官僚自身の身上が10%という配分になっており、経済発展に関する指標に重点が置かれていることが分かる」(65p)のです。


 経済発展を成し遂げるための近道は地方政府による何らかの投資と、そのための財源です。
 中国では地方税の徴収や行政手数料などに中央政府から制限がかけられており、そのため各地方政府がまず力を入れたのが土地使用権の払い下げなどによる土地からの収入でした。この地方政府による土地供給は、梶谷懐『現代中国の財政金融システム』でもとり上げられていたように、さまざまな問題を生み出しています。
 また、この論文ではリーマン・ショック後に認められた地方債の問題にも触れています。


 この論文を読むと、中国の地方政府が周囲の地方政府と競い合う企業のような存在だということがわかります。官僚たちは、企業の社長が「利益」を求めるように自らの「政績」を求めています。
 しかし、企業には倒産のリスクもありますし、株主による監視もあります。一方、官僚がその地方政府にいる時期は短く、監視のシステムも十分とはいえません(最近の習近平政権の腐敗の摘発がその代わりなのかもしれませんが、終章で「過去の腐敗でいつ摘発されるかわからないという不安が、腐敗を助長している側面がある」(301p)と書かれているように問題も多い)。
 この論文では、そうした官僚システムが地方財政の持続可能性を危うくすることが指摘されていますが、この本来「政治」のシステムである地方政治が「経済」のようなシステムで運用されていることは、今後さまざまな問題を引き起こすかもしれません。


 第2章の任哲「農村都市化と集団経済の変容」では、行政レベルの末端である郷鎮政府と自治単位の村の関係が分析されています。
 中国では上級の地方政府が競争に勝つために下級の政府を動員するのですが、郷鎮政府が村に動員をかけられるかというとそれは簡単ではありません。郷鎮政府の役人は一元的に管理されている官僚であるのに対し、村長は村人から選ばれているからです。
 つまり、中国の上からの上意下達のシステムは郷鎮政府までで、村に関しては「国家権力システムの外に存在」(43p)しているのです。

 
 この論文はいわゆるプリンシパル=エージェント関係を扱った政治学の論文と言ってもいいのですが、中国では村が企業を経営するような例もあり、また、土地の使い道を村で決めることなどから、経済面における村長のプレゼンスが大きいケースもあります。
 こうした中で、郷鎮政府は党書記と村長を兼職させたり、村長に経済的なインセンティブを与えたりすることで従わせようとしています。
 中国では、ここでも「経済」と「政治」の混交が見られるのです。


 この本のもう一つの面白さは、わかりやすいキーワードで語られがちな中国経済の実際のところを分析してくれている点です。
 特に第8章、第9章、第10章では、近年の中国経済を表すとされている「国進民退」、国有企業が民間企業を圧迫しているという言説が検討されています。


 第8章の梶谷懐「労働分配問題からみた「国進民退」」では、労働者の賃金・待遇からこの問題を読み解こうとしています。
 「国進民退」はやや曖昧な概念で、さまざまな現象を示すために使われていますが、その一つが「一部の国有企業が市場における寡占・独占あるいは融資における優遇によって利益を享受し、その結果非国有企業との労働賃金、あるいは待遇格差が拡大したことを問題する」(174p)文脈で使われるケースです。
 この論文では、この賃金や待遇の格差が本当に起きているのか?ということをデータの分析によって明らかにしようとしています。


 分析によると、国有部門労働者の優遇は確かにあるが、それは「国進民退」が言われるようになった2000年代以前からあるもので、近年目立って「国進民退」が進んでいるわけではないとのことです。ただ、それは格差が温存されているということでもあります。
 しかし、リーマン・ショック以後の中国経済では労働分配率の上昇と投資の増大が平行して起こっています(本来、労働分配率が上がれば投資は減るはず)。この投資の増大は「キャピタルゲインへの期待という「マジック」」(187p)によって起こっているもので、この「マジック」がなくなったときに温存化された格差が社会的緊張をもたらす可能性があります。


 第10章の陳光輝「「国進民退」と企業ダイナミクス」でも、やはり「国進民退」をはっきりとしたデータで示すのは難しいとしています。
 「国進民退」が言われるようになった00年代においても、国有企業の市場退出や民営化が停滞することはありませんでしたし、国有企業のシェアの高い地域で民間企業が参入にしにくいのは以前から見られたことでした。
 

 また、第9章の渡邉真理子「国有企業と市場競争の質」でも指摘されているように、国有企業の生産性は上がってきており、国有企業の問題は「生産性の低い国有企業が温存されてしまっている」という問題ではなくなっています。
 この論文では、国有企業の存在によって市場競争の質が低下する可能性が指摘されていますが(なかなか潰れない国有企業が低価格競争を引き起こし、適正な価格での参入を難しくさせる、など)、「国進民退」という現象は、このように単純な「先祖返り」と考えるのではなく、もっと丁寧に検討していくべきものなのでしょう。


 丁寧に検討すべき現象というと、中国における格差の問題もそれにあたります。
 「中国経済悲観論」に立つ人の多くは中国における大きな格差を指摘し、それを経済や政治体制への不安に直結させますが、第13章の星野真「農民の所得格差拡大に対する寛容」で指摘されているように、ジニ係数が「警戒ライン」と言われる0.4を超えたからといってそれがただちに問題になるわけではありません。世界の国々のデータを見ると「ジニ係数と政治的安定性の間に明確な相関関係は見出だせない」(268p)のです。


 格差に対する不満でポイントとなるのは自分たちが比較の対象とする集団との格差であり(遠くに住んでいる大金持ちは気にならないが、近くの自分たちより少し豊かな人々は気になる、といった具合に)、中国の農村の人々は都市との間の格差を、村内における格差ほど気にしてはいません。
 ただ、出稼ぎなどで都市生活を経験するものが増えれば、都市の住民たちも比較の対象に入ってくるわけで、いつまで農村の人々が格差に「寛容」であるのかは不透明です。


 また、第12章の馬欣欣「都市部における所得格差と主観的幸福度」では、「非国有部門勤めている労働者は、国有部門に勤めている労働者を羨み、能力など他の条件が同じであるにもかかわらず、自分よりも大幅に高い賃金をもらっているとかんがえる傾向」(260ー261p)にあることが指摘されており、「国進民退」の現象も、市場シェアなどよりも格差の問題として読み解いていくべきなのかもしれません。


 他にもいくつか面白い部分がありましたが、紹介するのはこのあたりまでで。
 専門性の高い論文が並ぶ値の張る本ではありますが、中国の経済や社会を理解したいと思っている人には勉強になるものが多いと思いますし、中国に強い興味はなくても中国の地方制度や格差を論じた部分は面白く読めるのではないかと思います。特に中国の地方制度を論じた前半の論文は政治学畑の人も興味深く読めるのではないかと思います。


二重の罠を超えて進む中国型資本主義: 「曖昧な制度」の実証分析 (MINERVA人文・社会科学叢書 209)
加藤 弘之
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