『壁の向こうの住人』でルイジアナを中心にトランプ支持者たちの考えに迫ったホックシールドが、今度はケンタッキーでアパラチアの人々の考えに迫った本。
ケンタッキーにはKY-5と呼ばれる全米でも2番目に貧しく、近年、急速に保守化が進んでいる選挙区があります。ホックシールドはそこでトランプ支持者の実態、そして必ずしもトランプを支持するわけではないが不満を持っている人々の声を拾い、彼らがどのような状況にあり、何を考えているのかを明らかにしようとしています。
2016年の大統領選挙で最初にトランプが勝ったときは、「まあ、こういうこともあるだろう」と思いましたし、白人労働者の民主党からの離反というのも十分に理解できました。
しかし、2020年の敗北と2021年の議事堂襲撃事件を経ての、24年の大統領選挙での勝利は個人的には飲みにくいものであり、トランプ支持のしぶとさには驚かされました。
本書は、そんなトランプ支持のしぶとさの一端を明らかにしています。
また、トランプ支持者が生まれてくる土壌、それが育つメカニズムについても、人々の声から抽出を試みており、非常に興味深いです。
データ分析だけでは見えにくい、同時にジャーナリストでは誇張されやすい実態を、さまざまな人へのインタビューを通して明らかにしています。
目次は以下の通り。
第1部 デモ行進
第1章 礼儀正しい声
第2章 善良な市民
第3章 プライド・パラドックス
第4章 みんなを助けにきたんだぜ
第5章 インサイダーとアウトサイダー第2部 名もなき人々
第6章 自助自立の誇り
第7章 アウトローの誇り
第8章 サバイバーの誇り――都市最貧地区と峡谷集落
第9章 自分も引き込まれていたかもしれない
第10章 死線をさまよって第3部 雷 鳴
第11章 テスト・ラン
第12章 流動的な政治観
第13章 瓶のなかの稲妻
第14章 危険な波
第15章 共感の橋
第16章 表 土別れのとき
あとがき
謝 辞
付記1 調査について
付記2 共感の橋の上下の段
本書は、ケンタッキー州のKY-5の中にあるパイクヴィルという街に、マシュー・ハインバックというネオナチでもある人物からデモを行いたいという要請があったところから始まります。
パイクヴィルでは基幹産業であった炭鉱の閉鎖が進み、白人男性の間で薬物の蔓延も進んでいますが、こうした街がネオナチに目をつけられたのです。
炭鉱の町と言うと、日本でも夕張に見られるように衰退しているわけですが、日本とアメリカの大きな違いは、アメリカでは1980年代まで石炭採掘は儲かる仕事であり、90年代から急速に衰退していったというところです。
だから、炭鉱の閉鎖に伴って周辺で再就職しようと思ってもすでに製造業も衰退しており、サービス業しか残っていない状況でした。
ホックシールドは、彼らの「誇りと恥」の感覚に注目します。
彼らは炭鉱から解雇通告を受けたとき、まずは上司を非難し、大気浄化法を制定したオバマ政権や民主党を非難します。しかし、失業手当が底をつき、つまらないサービス業につかざるを得なくなり、それでも妻に金を渡せなくなると自分を恥じる気持ちが強くなってきます。以前は福祉に頼る人間を見下していたのに、今は自分がそうなっていると。
しかも、貧困の原因を「本人の努力が足りないこと」と感じる人は、民主党支持者が2014年29%→17年19%に対して、共和党支持者は2014年47%→17年56%となっており、共和党支持者の多い赤い州は、より過酷な経済危機に直面しているだけでなく、旧弊な個人主義にも囚われているのです。
第4章ではパイクヴィルで白人主義者のデモを行おうとするマシュー・ハインバックに注目しています。
両親はともに教師で本人も大卒ですが、父のルーツであるドイツ、母のルーツに関係する南部連合がリベラルによって攻撃されていると感じ、次第に白人ナショナリストになっていきました。
ハインバックは教師になることもできましたが、白人ナショナリズムを捨てることができずにあきらめました。
著者に言わせると「彼のなかでは、夢をあきらめたことを誇りに思う気持ちと、夢を求める者に対する侮蔑の念が混ざり合っていた」(74p)という状況です。
ハインバックがパイクヴィルに提案したかったのは、屈辱を非難に、非難を復讐に転換することだった。彼にしてみれば、バラク・オバマの大統領選出、ブラック・ライヴズ・マターの台頭、キング牧師記念日の制定、歴史的施設の改称、南軍英雄の銅像撤去、人種史のカリキュラムの刷新と言ったものは、ことごとく”誇り泥棒”のしわざとしか思えなかったのだ。(75p)
第2部「名もなき人々」では、パイクヴィル周辺のさまざまな人の話が紹介されていますが、わかりやすいのが第6章のアレックスの話です。
アレックスは非常に器用な人物で、家屋塗装、機械の修理、IT系の仕事、タトゥー・パーラーの経営など、さまざまな仕事をこなしてきましたが、景気後退の波に飲み込まれる形で仕事を失ってしまいます。
アレックスは自分の経営判断のミスを認めており、失敗の責任を引き受けることこそ成熟した人間のあり方だと考えています。
アレックス自身の口から、はっきりとそういった言葉が出ているわけではないですが、だからこそ、貧困を人種などのせいにする人間や風潮に腹が立つのでしょう。
アレックスは就職支援プログラムで仕事を得ることができ、また、ドミニカ人の恋人ができたことで再び誇りを取り戻し、白人ナショナリズムのデモから距離を取ろうとしていますが、自立の精神を強く持っているがゆえに他者を攻撃するということは十分にありえるのです。
第8章でとり上げられているデイヴィッドはパイクヴィルの中でも特に貧しい地域のトレーラーハウスで育っており、自らも障害をもつなど困難を抱えていますが、やはり白人ということで自分の境遇は理解されないと考えています。
離婚が多く、周囲にはヤクの売人もいて…という境遇はスラムの黒人と似ていますが、デイヴィッドには「ストーリー」がないのです。
「おれとしては、自分は白人だ、だから特権が与えられているってことしか言えない。おれは最初からそういう特権があるから、それで前に進めるはずだってなるんです。でも進めなかったらどうすればいいのか。おれは、人種差別のせいで何も手に入れられなかったわけじゃない。怠け者でばかだったから何も残ってないんです。言い訳ができません。」(161−162p)
デイヴィッドは二大政党の双方に違和感を感じています。
「民主党は肌の色とジェンダーと性的アイデンティティしか気にかけていない。だからおれは民主党を支持しません。共和党は愛国心と税金のことしか頭にないんです。レイシストか金持ちが多くて、社会階層があるなんて思いもせず、おれに自力でがんばれと言ってくる。だからおれは共和党とも合わないんです。(164p)
そんなデイヴィッドは自分のことを自嘲気味に「フェイク・レイシスト」だと言っています。自分はレイシストではないが、こういう話をよそですれば白人の自分は「レイシスト」だと思われてしまうからです。
第10章で紹介されているジェイムズは薬物中毒に陥っていた人物です。
アメリカに蔓延するオピオイドをはじめとする薬物中毒についてはアン・ケース/アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』に詳しいですが、これらの鎮痛剤(本書で中心的にとり上げられているのはオキシコンチン)は、規制の緩い州、つまり共和党が強い赤い州で蔓延しました。これは薬の処方に際して規制の強い州(青い州)では州の医療当局への書類の提出が必要なのに対して、緩い州では必要ないからです。
こうした中でジェイムズは薬物に手を出し、徐々に強い薬物へと手を出し、3回もオーバードーズを経験してしまいます。
ジェイムズは薬物と「恥」の関係について次のように述べています。
おれは自分の恥に向き合わずにすむよう、薬に手を出しました。すると、今度は薬をやっていることが恥ずかしくなる。つまり、恥のサイクルにはまってしまったんです。(202p)
また、この章では大学まで行ったジェイムズの姉のアシュリーが家族や親戚がいる中で、「白人の特権」について話そうとすると、全員が烈火のごとく怒り出し、父に叩き出されたという話が印象的です。
決して豊かではない中でまじめに働いてきた人々には、「特権」という言葉は侮辱以外の何物でもなかったのです。
第11章では、本書が焦点を当てた2017年4月30日のパイクヴィルでの白人ナショナリズムのデモの顛末が描かれていますが、結果としてこのデモの小規模なものに終わりました。
3000〜6000人が集結するという予想もありましたが、100人前後の白人ナショナリストと約200人の反対派が集まっただけでした。地元の人々はほとんど通りには出てこなかったのです。
ハインバックはこのあとのシャーロッツヴィルのデモで死傷者を出す騒ぎを起こすのですが、パイクヴィルに関しては不発に終わったと言えるでしょう。
本書ではパイクヴィルの人々に話を聞いていますが、どちらかというと政治(対立)から距離を取っている人が多く、熱烈なトランプ支持者は少ないのですが、第13章でとり上げられているロジャーは熱烈なトランプ支持者です。
父親はパイク郡の保安官を務める傍らで教師もしており、その生活は安定していました。著者は「ドナルド・トランプに魅了された人々のほとんどは、社会の最下層 〜 読み書きができず、つねに腹をすかせている層 〜 ではなく、成功を夢見て大志をいだいているか、うまくいっているとは言えない地域ですでに成功をおさめている階層に属していた」(254p)と述べています。
ロジャーはトランプが自己中心的なナルシストだと認識していますが、そのトランプの欠点は次のように聖書のエピソードを結びつけられて正当化されています。
神はたまにご自分の仕事を成し遂げるのに、欠陥のある者を使者として選ぶことがあります〜ノアは飲んだくれでした。アブラハムもそうです。ダビデは自分が姦淫した女の夫を殺し、彼女と結婚しました。彼らには欠点がありましたが、神はご自分の目的のために彼らを利用されたのです。この理屈でいけば、トランプの道徳的な欠点 〜 ナルシシズム、頑固さ、復讐好き、屈辱を断じて受け入れない姿勢 〜 は神の道具であったと言えるのです(261p)
ここまでくると、トランプがいかに嘘をつこうと、スキャンダルを起こそうと、その支持が揺るがないというのもある程度理解できます。
この章では、著者なりのトランプの行動パターンも分析されています。
まず、トランプは公然と挑発的な発言をします(「メキシコは犯罪者を送り込んでいる」など)、これに対して有識者が反発しトランプを非難します。すると、トランプは侮辱された被害者としてふるまいます。そして、あなたがたもこうした目に合うかもしれないというのです。最後にトランプは自分を侮辱した人々に怒鳴り返します。トランプが悪いにもかかわらず、この段階で支持者にはカタルシスが発生するのです。
トランプがバカげた発言をやめない裏にはこうしたメカニズムのようなものがあるのです。
第14章では、2021年1月6日の議事堂襲撃事件とそれに対する反応がとり上げられていますが、その中でトランプにあきれながらもトランプ支持から完全に縁を切れない人の心理が「ダメ男と分かれられない妻」という喩えを使って説明されています。
最初は『いいさ、トランプはおれが選んだ男なんだから』と思っていました。『石炭火力推進、人工妊娠中絶反対、銃規制反対、反税、愛すべき男だ、そうだろう?』ってね。だがしばらくすると、彼はきちんとした人たちに喧嘩をふっかけるようになりました。それでもわたしは最初は『まあ、いいさトランプはおれが選んだ男なんだから』と思っていました。そこへ1月6日の事件です! 『もうがまんならない。あいつとはおさらばだ』と思いました。しかし民主党の連中が寄ってたかってトランプを攻撃するのを見てると、たまらなくつらくなるんです。連中があれをやるたび、わたしはトランプに戻ってしまう。(308p)
第15章では民主党支持者と共和党支持者の分断がとり上げられています。両者の間には価値観の違いがありますが、実際にはそれを互いに過大に見積もっています(例えば、共和党支持者に「ほとんどの警官は悪者だ」と考えている民主党支持者はどれくらいるか? と聞くと50%と答えるが、実際は15%(313p))。
ただし、人種問題については大きな溝がありますし、「政治的な意見が異なることがわかるとすぐに関係を断ってしまう人の割合は、保守的な共和党支持者よりもリベラルな民主党支持者のほうが多い」(314p)そうです。
しかし、著者が話を聞いたパイクヴィルのどん底を経験した人々の中には、異なる人種、異なる立場をこえてつながりを持つ人もいます。「共感の橋」がかかる可能性はあるのです。
「あとがき」では、第2次トランプ政権がスタートしたあとのことも少しフォローされていますが、トランプが無茶苦茶なことをやっても、その支持が変わらない人もいます。
イランとの戦争の泥沼化もあり、さすがにトランプ支持も徐々に剥落していくとは思うのですが、その任期はまだ半分以上残っています。
そして、ポスト・トランプがどうなるのかも含めてトランプ支持者の動向とアメリカ社会の状況については今後も注視していかなければならないでしょう。
そのためにも本書は重要な本です。
