アルバート・O・ハーシュマン『開発プロジェクトとは何か』(みすず書房)

 『離脱・発言・忠誠』で知られるアルバート・O・ハーシュマンが1967年に刊行した本の新訳。もともとは『開発計画の診断』というタイトルでしたが、今回、新しく訳し直され、訳者の佐藤仁による詳細な解説も付け加えられています。

 

 ハーシュマンは1952〜56年にかけてコロンビアの経済顧問をしており、本書は世界銀行から執筆の依頼を受けて書かれたといいます。

 ハーシュマンは当時(50年代〜60年代前半)にかけて行われた途上国における開発プロジェクトをとり上げ、ここからプロジェクトにおけるさまざまな問題を分析しています。

 

 少し昔の話が中心ですし、特に精緻な理論が使われているわけではないのですが、古びないのはハーシュマンならではの独自の視点。個別のプロジェクトから、現在にも通じる普遍的な問題を取り出しています。

 

 目次は以下の通り。

序章

第一章 「目隠しの手」の原理

第二章 不確実性

第三章 許容性と規律

第四章 プロジェクトの設計(デザイン)──特性受容と特性形成

第五章 プロジェクトの評価──副次効果の重要性

異端が開く可能性──訳者あとがきに代えて  佐藤仁

 

 第1章は、東パキスタン(現在のバングラ)の製紙工場のプロジェクトの話から始まります。周辺の竹林資源を利用する予定が50〜70年に1度の竹の開花が起こってしまって計画は頓挫します。しかし、その後の関係者の努力もあって周囲から竹やその他の原料を集めることに成功し、何とか軌道に乗せることが出来たといいます。

 

 ここからハーシュマンはプロジェクトにおける「事業の困難に対する過小評価」とともに「問題解決のための創造力に対する過小評価」という2つのものを取り出し、それを「目隠しの手」と呼んでいます。

 もし前者の過小評価だけが是正されれば多くのプロジェクトは実行されず、問題解決の創造力も発揮されないというのです。その上で以下のように述べています。

 このメカニズムが上手く働くためには、プロジェクト実施担当者らが思いがけない困難が発生するそのときまでに事業にしっかりと「囚われて」いなくてはならない。「囚われる」とはつまり、困難が生じたときにはすでに多大なる資金・時間・エネルギーに加えて、プロジェクト担当者らの威信までかけられており、もはや全力をあげて問題解決に取り組まざるを得なくなっている状態を意味する。(20−21p)

 

 第2章は不確実性について。プロジェクトにはさまざまな不確実性がつきもので、当初の想定通りに進むものはほぼ存在しません。困難に直面することは想定すべきことですが、「困難との格闘」がうまくいくかどうかは、まさに不確実なものとなります。

 

 プロジェクトが大きければ、経済的な成功/失敗以外にも政治によってプロジェクトが左右されてしまったり乗っ取られてしまったりする事例も出てきます。幹部職員が特定の民族で固まったり、政治家の影響を受けたり、官僚機構の縄張り争いに巻き込まれ失敗することもあります。

 これを防御する1つの武器が専門性であり、専門性の高いプロジェクトほど、政治家などからの鑑賞は受けにくくなります。

 

 プロジェクトで生み出したものに対する需要が少ないことで失敗することもありますが、需要超過で失敗することもあります。

 例えば、周辺の地域の水需要と新規の農地の開拓のための灌漑プロジェクトを立ち上げたものの、周辺地域の需要の高まりで新規の農地まで水資源が回らずにプロジェクトの本来の目的が達成されないケースもあるのです。この場合、プロジェクトは無駄になったわけではありませんが、地域の経済を変えることはできなかったということになります。

 

 第3章はプロジェクトの許容性と規律。

 まずは空間的・時間的許容性について論じています。プロジェクトには水力発電のように場所が確定しているのもあれば、学校や病院のように立地にかなり自由があるものもあります。しかし、ときにその自由が政治家の介入を呼ぶこともあり、学校や病院が政治家の地盤などにしたがってつくられるケースは散見されます。

 

 時間的な許容性についてもあればいいというわけではない。例えば、大統領の任期中といった時間的制約はときにプロジェクトを前進させる力になります。

 また、雨季の前に仕上げなければ洪水が起こるといった逼迫したスケジュールもプロジェクトを前進させる要因です。

 プロジェクトをプッシュする時間的な制約があったほうがいいこともあるのです(先進国でもオリンピックなどの国際的イベントの準備は当初は遅れ、最終的にはなんとかなることが多い)。

 

 途上国では汚職がつきものですが、高速道路などは汚職があっても運営は比較的何とかなります。一方、鉄道は運営がしっかりしていないとどうにもなりません。汚職による非効率が鉄道輸送からトラック輸送への流出をもたらし、ますます鉄道経営が苦しくなるということもあります。

 また、質を量で補えるか、先進国の規格をどれだけ落として導入できるかといったことも途上国の開発プロジェクトでは重要になります。

 

 第4章はプロジェクトの特性受容と特性形成について。ちょっとわかりにくい用語ですが、プロジェクトは現地の文化や制度を一定程度受容しなければ進まない一方、プロジェクトは近代化などの価値変容のきっかけともなります。つまり、プロジェクトは現地の文化や制度を受け入れなければならない一方(特性受容)で、それを変える力(特性形成)にもなるのです。

 

 ナイジェリアでは民族集団の対立、汚職の蔓延といった状況があり、鉄道公社もそういった文化に飲まれてしまいました。一方、高速道路やトラック輸送は集権的なものではないので完全には飲まれませんでした。

 ただし、高速道路があったからこそ鉄道の非効率性が放置されたという面もあり、特性形成には失敗したと言えます。

 

 特性形成のためには、プロジェクトのための独立機関を設置し、既存の政府機関と切り離すのが1つの方法ですが、結局は「飛び地」になってしまうだけで特性形成が広がっていかないということもあります。独立機関が野心的であれば、それだけ既存の官僚機構が旧態依然で無能なものに見えてくるのでそういった危険性も高まります。

 

 第5章はプロジェクトの副次効果について。

 今まで述べてきたようにプロジェクトの副次効果は重要なポイントになりますが、それをあらかじめ計算できるのか? すべきか? という問題があります。

 これについてハーシュマンの考えはどちらかといえば否定的に考えています。

 

 この理由としてプロジェクトの副次的効果は不確実だということだけではなく、副次的効果を明らかにすることでプロジェクトが政治家の同意を得られなくなるという可能性が指摘されています。プロジェクトが既存の文化なり制度なりを変える力があることをアピールすれば、当然ながらそれに反対する勢力が出てくる可能性があるのです。

 

 また、プロジェクトへの阻害要因や悪条件は、ときには恩恵になり得ることあるといいます。

 第1章の「目隠しの手」にあるように、思わぬ障害によって、新しい解決方法を生み出され、プロジェクトの成果をより豊かにすることもあるのです。

 

 このように、本書には今でも十分に考える価値があり、なおかつそう簡単には解決できない問題があげられています。

 特に処方箋が書かれているわけではないので、解決方法を求めている人にとっては不満が残るかもしれませんが、ハーシュマンの視点、切り口というものは今でも十分に価値のあるものだと思います。

 

 この点については、訳者あとがきで引用されているハーシュマンの次の文章が、ハーシュマンの社会科学者としてのスタンスをよく表していると思います。

 社会科学者というものは、そのほとんどが規則性、安定した関係性、画一的な連続性などを発見し、強調することこそが自分たちの仕事であると考えてきた。これは疑いようもなく不可欠な探究の道であり、自ら思考する人間であれば、誰でもそうしたくなるものだ。しかし、社会科学には、これとは正反対の試みを行う特別な隙間が広がっている。それは、人間が踏み出す冒険の多様性や創造的な無秩序を明らかにすること、特定の出来事の個別に生じる理由を浮き彫りにし、まったく新しい視点から歴史的な転換点を捉えることである。(208p)

 

 社会科学にも開発プロジェクトにも一定の傾向は存在し、それを理論化することはできます。一方、社会やプロジェクトが人間によって進められているものであるかぎり、理論だけでは掬いきれないものも必ず残ります。

 本書はそういった部分に注目することで既存の理論に反省を求める内容になっていますが、その掬いきれなかった部分を集めて普遍性をもたせる議論を展開できているところがハーシュマンならではという感じです。