濱口桂一郎『外国人労働政策』(中央公論新社)

 バブル期(88年頃)に持ち上がった外国人労働者受け入れ政策が、なぜ「研修」というサイドドアを使ったものとなり、搾取の温床ともなってしまった技能実習制度が温存されてしまったのかを探った本。

 技能実習制度などの日本の政策の問題点を指摘するというよりは、「なぜそうなってしまったのか」という問いに答える内容になっています。

 

 本書を手に取った理由として、もちろん著者の今までの本が面白かったからというのがあるのですが、もう1つは昨年読んだ是川夕『ニッポンの移民』(ちくま新書)の主張の一部に納得できなかったからというのもあります。

 『ニッポンの移民』はいろいろと勉強になる部分があり面白い本でしたが、「日本に移民政策はなかった」とする「移民政策不在論」に対する批判と、入管行政には「埋め込まれたリベラリズム」があったいう主張については首をかしげざるを得ませんでした。

 本書を読むと、法務省には日本の労働慣行に対する理解がなく、労働省には法務省を押しのけて外国人労働政策を取り仕切る力がなかったことが、結果的に「移民政策の不在」と呼ばれても仕方のない事態を引き起こしていることがわかります。

 

 目次は以下の通り。

序章 混迷の三〇年の原点
第1部 ブルーカラー外国人労働政策―混迷の源泉

 第1章 労働省と法務省の戦い

 第2章 日本の雇用政策の紆余曲折

 第3章 日本の入管政策の紆余曲折

 第4章 「研修」というサイドドア政策の形成

 第5章 日本の教育訓棟政策の紆余曲折

 第6章 研修・技能実習制度の創設
第2部 ブルーカラー外国人労働政策―混迷解消への長い道

 第1章 「技能実習」の確立と技能実習法

 第2章 フロントドア政策の再提起と部分的実現

 第3章 「特定技能」というフロントドア

 第4章 「国際貢献」という美辞麗句から「育成就労」へ)
第3部 ホワイトカラー外国人労働政策

 第1章 増え続ける「技人国」

 第2章 「高度専門職」の虚実

 第3章 留学生のアルバイト就労)
終章 混迷の三〇年の教訓と将来像

 

 まず、序章では、西尾幹二の「外国人労働者を受け入れれば日本人は必ず加害者になるから受け入れ反対」という議論が紹介されていますが、これは懐かしいですね。朝ナマなどで西尾幹二は外国人労働者の受け入れに反対していました。

 

 ここでは、労働者団体は大幅な受け入れは自分たちの待遇悪化につながるから反対せざるを得ない一方、実際に働くようになった外国人に対してはその待遇改善を求める二正面作戦を取る必要があるということが指摘されています。

 しかし、結局、労働者団体が主張したのは前者のみで後者は放置され、後者をとり上げたのは規制改革の文脈だったのです。

 

 労働政策関係では何かと敵役として取り扱われがちな規制改革関係会議こそが、労働者保護を第一義に考えるべき労働省がその創設の経緯に縛られてきちんと指摘することができず、また労働者の利益を声高に叫ぶべき労働者団体がその利害構造の複雑さゆえに突き詰めて主張することができなかった「研修生は労働者である」という不都合な真実を、あれこれお顧慮することなくズバリと指摘することができたことの意義は極めて大きなものがあります。(26p)

 

 第1部第1章では86〜88年ごろに持ち上がった法務省と労働省の外国人受け入れ政策と両省の衝突を見ています。

 両省とも正面から受け入れを模索する中で労働省が出してきたのが雇用許可制でした。これは外国人の雇用の許可を企業に与えるもので、この許可は労働省職業安定局が握るというものです。

 

 これに反発したのが入管行政を握る法務省です。外国人の雇用を許可制にした場合、在日韓国人が不利な立場になると反発した民団と手を組むような形でこれを葬り去ることに成功しました。結局は、外国人労働者については日系人や留学生などのみを受け入れるサイドドアのみからの受け入れになっていきます。

 

 第1部第2章は労働省が雇用許可性を出してきた背景を見ています。

 50年代半ば〜70年代半ばまでは日本でも欧米のようなジョブ型の雇用を目指す動きがありましたが、石油危機語になると日本型雇用への評価が高まり、企業を支援して雇用を維持する政策が支持されるようになります。

 

 こうした日本型雇用を高く評価したのが小池和夫ですが、87年12月に労働性が設置した「外国人労働問題研究会」の座長がその小池です。労働省の外国人労働政策はこういった日本型雇用にマッチする形で模索されていたのです。

 

 第1部第3章は日本の入管行政の歴史の振り返り。

 47年5月2日の旧憲法下最後の勅令で朝鮮人、台湾人を当面の間外国人とみなすとしたうえで、52年のサンフランシスコ平和条約発効時に彼らの日本国籍を剥奪しました。これにより日本は国内に多数の「外国人」を抱えることになります。

 

 第1部第4章は法務省によって行われた89年の入管法改正について。

 労働省の雇用許可制を潰した法務省は外国人労働者政策において労働省の介入を排除しようとしますが、その結果、「研修」は非就労活動であり、OJTを受けていても労働者ではないという建付けが出来上がることになります。

 

 一方、政治家からは外国人労働者受け入れの要望も伝えられており、そうした要望を「日本人の子孫」という「血の論理」でくるんだのが日系人の受け入れでした。ただし、この仕組みづくりに労働省はほとんど関与できず、ブローカーが暗躍する素地が生まれることになります。彼らへの支援も居住自治体任せになりました。

 これについては以下のように指摘されています。

 

 労働政策の否定の上に立脚した外国人労働者導入政策の一つの帰結は、労働市場規制が全く存在しないまま、労働力導入プロセスを全面的にブローカーや業務請負業と称する労働者派遣業に委ねることでした。労働政策の否定はその帰結としての国レベルの社会統合政策の欠如をもたらし、結果的に地方自治体が手探りで社会統合政策を模索せざるを得ない状況となったのです。(104−105p)

 

 第1部第5章は、なぜ外国人労働者の入口に「研修」が使われたのか?ということの背景説明。

 70年代半ばまで政府内では見よう見まねのOJTではなく外部の職業訓練機関での近代的な研修が追求されていましたが、日本型雇用の見直しとともにOJT礼賛へと転換しくことになります。

 だからこそ「研修」が就労の入口になるわけですが、法務省はあくまでも近代的な「研修」概念を維持していた(?)ために、入管政策では「研修」と「就労」は切り離されることになります。

 

 第1部第6章は「研修・技能実習制度」の創設について。

 法務省が「研修」を認めると、OJTこそ研修と考えている労働省や経済界からはそこに一定期間の実習をプラスする案が出てきます。法務省は非就労の建前を守ろうとしますが、それが労働者としての保護を欠落させることにつながりました。

 

 91年になると行革審で研修・技能実習制度の導入が議論されるようになり、93年から技能実習制度がスタートしますが、法務省はしぶしぶで法務省告示という施行細則的な下位レベルで規定された制度でした。労働者性なき研修が1年、労働者性のある実習が2年という建て付けでしたが、この曖昧さが搾取を生むことになります。

 

 ちなみにここまでの叙述の多くは新聞記事を引用する形で進められていますが、それは外国人労働政策が省同士のすり合わせで決まってきたからです。

 行革審での議論を除けば、どのようなプロセスで政策が決まったのかを公文書でトレースすることはできないのです。

 

 第2部第1章は17年の技能実習法の成立までの過程を追います。

 技能実習の問題をとり上げ、人権侵害の防止が必要だと訴えたのは厚労省でも法務省でもなく規制改革関係会議でした。

 一般的にビジネスのことしか考えていないと思われがちな彼らが、「研修」において労働者と扱われないことが実習生を搾取している指摘したのです。

 

 こうして法務省も重い腰をあげますが、背景には霞が関の行動様式の変化もあります。かつて縄張り争いを繰り広げた省庁ですが、今は重要政策は官邸や内閣府の会議体で決められてしまい、マンパワーもなくなりました。技能実習法が法務省と厚労省の共管になっているのはその現れかもしれません。

 

 第2部第2章は技能実習のようなサイドドアではなくてフロントドアから外国人労働者を受け入れる議論の進展について。

 00年代半ばからは政治家の動きも目立つようになり、河野太郎法務副大臣、長勢甚遠法務大臣などが法務省内で受け入れの検討を始める動きを見せはじめます。

 

 その後、第2次安倍政権でEPA締結に伴う看護・介護人材の受け入れが始まり、他にもオリンピックに向けた建設分野での受け入れなど、範囲は限られているもののフロントドアからの受け入れが行われるようになる。

 

 第2部第3章は「特定技能」の創設について。

 政治家サイドからも「「移民」ではない労働者」の受け入れが模索されており、最終的にそれを形にしたのが官房長官の菅義偉でした。本書では、「人手不足ではない」とする省庁に対して、各省の局長を議員会館に集めて「人手不足」を認めさせる菅義偉のマイクロマネジメントぶりも紹介されています。

 

 法務省の抵抗はありましたが、菅義偉は入管局を出入国在留管理庁という外局として再編するなどしてこれを乗り越えていきます。

 「人手不足」が出発点なので、受け入れ分野も人手不足が深刻な分野を中心に構成されていきます。また、農業や漁業は派遣形態も認められるなど、経済的なニーズを主眼に据えた制度設計となりました。

 

 第2部第4章は技能実習制度のその後。

 特定技能創設後も残った技能実習でしたが、「国際貢献」の建前が外れて「育成就労」になります。ただし、技能実習の問題点だった転籍制限については完全には撤廃できず中途半端な形となりました。

 

 第3部はホワイトカラーについて。

 意外と類書ではスルーされている部分ですが、外国人労働者がすんなりと入れるのは「技人国」と呼ばれる技術・人文知識・交際業務という在留資格。1章ではジョブ型を想定したこれらの在留資格と日本の雇用の現実のズレを指摘しています。

 

 結局、2019年に出されたガイドラインには、例えば「飲食店に採用され、店舗管理業務や通訳を兼ねた接客業務を行うもの(日本人に対する接客も可能です。)。※厨房での皿洗いや清掃にのみ従事することは認められません。」といった具合で、外国人も日本人と同じように「雑巾がけ」からのスタートができる建て付けになっています。

 

 第3部第2章は2014年の入管法改正で導入された「高度専門職」について。

 ポイント制をとりながら実は日本の普通の大卒の若者でもクリアーできてしまう条件であり、「高度」とは言い難いものとなっています。もっともそれは日本にはじめから「高度」な人材を採用する枠がないからでもあります。

 ちなみに、著者のブログの「あなたもわたしもみんな高度人材」というエントリーを読むと、「高度専門職」の「高度」の内実がわかります。

 

 第3部第3章はもはや欠かせない労働力となっている外国人留学生のアルバイトについて。

 これについては1983年の閣議報告で容認されましたが、そのときのポイントが「我が国で学生が学業に支障を来さない範囲でアルバイトを行うことはほぼ社会通念」(263p)という考えです。

 

 欧米のようなジョブ型では大学在学時に一定のスキルを身に着けなければ卒業も就職もできませんが、日本のメンバーシップ型では新入社員は白紙の状態で構いません。だから「学業に支障を来さない範囲」が相当広く、これにつられて外国人留学生のアルバイトの制限も当然のように緩くなるのです。

 

 このように、本書は霞が関の縄張り争いと日本型雇用と法務省などが考える制度のミスマッチが外国人労働者をめぐる政策を混迷と、根本となる政策の不在を生んだことを明らかにしています。

 本書を読むと、法務省には法務省なりの理屈があったことはわかりますが、結局、「外国人労働者法」のような包括的な法制度はつくられずにここまできてしまったわけです。

 

 ちなみに、特定技能制度導入の際に自民党で文書を取りまとめた木村義雄は、「自由民主党の中にも、右の方の方と、リベラルな人たちと、真ん中の人たちがいますが、「移民」という言葉を使うと世間一般も大騒ぎになりますし、特に右側の人たちが背広を脱いで張り切ってしまう」(193p)から、「移民」という言葉の定義をずらして使わないようにしたとのことを述べていますが、政治がこの問題から逃げたことも混迷の30年をつくった原因と言えるでしょう。