デイヴィッド・ガーランド『福祉国家』

 ミュデ+カルトワッセル『ポピュリズム』やエリカ・フランツ『権威主義』と同じくオックスフォード大学出版会のA Very Short Introductionsシリーズの一冊で、同じ白水社からの出版になります(『ポピュリズム』はハードカバーで『権威主義』と本書はソフトカバー)。

 著者は、スコットランドに生まれ現在はアメリカのニューヨーク大学で教えている犯罪や刑罰の歴史を研究する社会学者です。

 「なぜ、そのような人が福祉国家について論じるのか?」と思う人も多いでしょうが、本書を読むと、著者が福祉国家をかなり広いもの、現代の社会を安定させる上で必要不可欠なものだと考えていることがわかり、その疑問もとけてくると思います。

 

 目次は以下の通り。

第1章 福祉国家とは何か
第2章 福祉国家以前
第3章 福祉国家の誕生
第4章 福祉国家1.0
第5章 多様性
第6章 問題点
第7章 新自由主義福祉国家2.0
第8章 ポスト工業社会への移行―福祉国家3.0へ
第9章 なくてはならない福祉国家

 

 福祉国家というと福祉が手厚いスウェーデンなどの北欧諸国が思い浮かぶかもしれませんが、著者に言わせればアメリカもミニマリズム的で市場指向的であるとしても福祉国家です。

 著者は福祉国家を資本主義を操縦するための装置とみなしており、現在の先進国において福祉国家でない国家は存在しないというスタンスです。

 

 福祉国家は19世紀末の西欧諸国に出現し、20世紀なかばの数十年で確立されました。

 教会やチャリティに頼った弱者を保護する政策が、市場資本主義の進展によって崩れていき、新たに社会保険などのしくみが導入されることになりました。さらに世界恐慌の経験がさまざまな社会保障の導入へとつながりました。

 自助だけではもちろん、相互扶助や友愛組合でも対処できないようなリスクが実際に現れるようになってきたからです。

 また、戦争や復員兵への支援の必要性などもこうした動きを後押しすることになります。

 そして、それぞれの国や地域で独自の展開を見せたものの。福祉国家は「資本主義下の民主主義に等しく当てはまる普遍的特性」(68p)でした。

 

 著者は20世紀半ばに確立した福祉国家を「福祉国家1.0」と名付けています。

 福祉国家は、社会保険、社会扶助、公的資金によるソーシャルサービス、ソーシャルワークとパーソナル・ソーシャル・サービス、経済のガバナンスという5つの制度セクターからなっているといいます。4つ目のソーシャルワークとパーソナル・ソーシャル・サービスというのが少しわかりにくいかもししれませんが、これは家族や、児童、高齢者対象のさまざまなサービスやケア、心の病を持つ人へのケア、犯罪者の保護観察など、幅広いものが入ります。

 

 19世紀までは社会的保護といったものは経済によっての足かせであり、救貧事業は勤労意欲を削ぐと考えられていました。

 しかし、ケインズの影響などを受けて、社会的保護や弱者の救済が経済をかえって強くするという考えが広まり、それが福祉国家のさまざまなプログラムを促進したのです。

 そして、この福祉国家貧困層だけでなく、中間層や富裕層にも利益をもたらしました。高等教育や住宅ローン課税控除のような政策で恩恵を受けるのは中間層や富裕層です。

 

 本書の第5章では福祉国家の多様性を示すために。エスピン=アンデルセンの3つのレジームが紹介されていますが(G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』参照)、著者はそれ以外にも「福祉国家」はあるとして、ファシズム国家や東欧の旧社会主義国家、シンガポールなどのアジアの都市国家、中東の石油国家などもあげています。これらの「福祉国家」は問題をはらんだものかもしれませんが、それでも福祉国家の要素を含んでいるのです。

 

 ただし、福祉国家は大きな批判にもさらされました。特に1970年代になるとスタグフレーションによってその行き詰まりが指摘されたのです。

 経済成長が停滞すると、不正受給や「タカリ屋」の問題がクローズアップされ、レーガン大統領が演説の中で持ち出した年15万ドルを受給する「福祉女王」の話などが広まります(ほぼ架空の神話なのですが)。

 一方で、申請の手続きがあまりにも難解で、本当に必要な人に福祉が届かないといった批判も起きてきます。

 また、政府が経済を管理することについても、それは無益でかえって成長を阻害しているという批判が強まります。

 

 この福祉国家への批判を牽引したのが新自由主義です。

 ただし、サッチャーレーガンが目指したのは「大きな政府」の縮小であるとともに、軍事的にはパワフルな国家の建設でありました。

 市場競争を重視する政策がとられますたが、同時にイギリスでは公営住宅の払い下げで恩恵を受けた人も多く、失業保険の縮小アドによって安定した雇用の労働者と不安定な雇用の労働者の間を分断させました。

 

 これを受けて、福祉国家もより効率や成果を重視する制度を導入するようになります。「福祉国家2.0」です。

 イギリスのブレア政権の政策がその代表例ですが、福祉の分野にも民間企業が参入するようになり、受けての選択がより重視されるようになりました。

 しかし、同時に著者は、年金、疾病保険、失業保険といった福祉国家の柱となる制度が、新自由主義の攻撃がありながらもしっかりと維持されたことを指摘しています。

 

 さらに著者はポスト工業化とともに福祉国家も「福祉国家3.0」に移行しつつあると言います。

 雇用市場では、経済のサービス化とともに労働組合後からは弱くなり、短期雇用やワーキングプアが増えています。また、男性稼ぎ手モデルは時代に合わなくなり、家族の形は流動化しています。

 また、少子高齢化や移民の増加などもあり、「工場で働く家族を養う男性」のニーズに応えるようなやり方では、時代の変化についていけなくなっています。

 

 こうした状況に対して、今までの「労働市場を活性化させる」といった政策に代わって、人的資本を増やし、ワーキングプア貧困状態からすくい上げるような政策が求められています。また、年金制度や家族政策などももっと柔軟なものになる必要があるのです。

 

 著者は最後の第9章で次のように述べています。

 福祉国家は、わたしたちが好きなように採用したり拒絶したりしてよい政策オプションではない。いまや時代遅れになりつつある戦後史の一段階でもない、そうではなく、福祉国家は近代的統治の根本的な一面であり、資本主義社会の経済のはたらきや社会の健康に欠かせないものである。福祉レジームはさまざまに異なった形態をとりうるし、その実効性には幅があるものの、何かしら実態のある福祉国家は、いかなる近代国家にとっても、生死にかかわる部分である。(193p)

 

 この部分が本書の肝とも言うべき部分でしょう。福祉国家は時代遅れになっているわけではなく、もはや必要不可欠なものとして現代の社会に埋め込まれているわけです。

 

 このように本書は福祉国家をより幅広く捉えることでその必要性を訴えています。

 「福祉国家」をどこまで広くとるのかということに関しては意見が分かれるところでしょうが、市場のみのむき出しの資本主義で社会がうまく回るはずはなく、「福祉国家的なもの」が必要なのだということに関しては多くの人が同意するのではないかと思います。

 欲を言えば、グローバル化が進む中での福祉国家ナショナリズムの関係のようなものにも触れてほしかったですけど、福祉国家というものを改めて考え直すことができる1冊になっています。