小川有美(編)宮本太郎・水島治郎・網谷龍介・杉田敦(著)『社会のためのデモクラシー』

 副題は「ヨーロッパの社会民主主義福祉国家」。なかなか豪華な執筆陣が並んでいる本ですが、篠原一が中心メンバーとなって始めたかわさき市民アカデミーで2014年に行われた講義をまとめたものになります。

 かわさき市民アカデミーが発行者となっているからかもしれませんが、価格が1300円+税と非常にリーズナブルなのも本書の特徴で、ヨーロッパの社会民主主義福祉国家について知りたい人にとっては格好の入門書です。

 また、網谷龍介が担当しているドイツの部分に関しては、日本ではあまり知られていないことも多く、勉強になります。

 

 目次は以下の通り。

 

第1章 ヨーロッパの社会民主主義福祉国家の資産からグローバル・リスク社会の試練へ(小川有美)
第2章 スウェーデン福祉国家は日本のモデルか?―その歴史と現在(宮本太郎)
第3章 オランダの雇用・福祉改革―小国社会のイノベーション(水島治郎)
第4章 オランダ福祉国家の影―移民と福祉・労働(水島治郎)
第5章 ドイツの社会民主主義政党と労働組合―市場を飼い馴らす二つの道?(網谷龍介)
第6章 ドイツの戦後レジーム―何がどうかわってきたか(網谷龍介)
補論 篠原政治学の目指したもの(杉田敦

 

 第1章は、本書の序章的に位置づけで、ヨーロッパの社会民主主義福祉国家についての歴史を簡単に説明した上で、社会民主主義福祉国家が直面している困難について解説しています。

 

 第2章はスウェーデンについて。スウェーデンが高福祉と経済成長をうまく両立させている仕組みが解説されています。

 スウェーデンの雇用政策はレーン・メイドナーモデルと呼ばれるもので、「同一労働同一賃金」の原則がとられています。このときに問題になるのが、例えば同じ金属加工産業でも大企業と零細企業では生産性が違うために、同じ仕事でも同じ賃金を払うのは難しいということです。この問題に対して、日本だったら零細企業の保護の方法を考えるところですが、スウェーデンではこれを仕方ないと割り切ります。そして、職業訓練などによって生産性の低い職場から生産性の高い職場へと労働者を移動させようとするのです。

 これは大企業にとっても悪くない制度で、「同一労働同一賃金」の原則ため、生産性の高い大企業でも賃金水準を一定程度に抑えられます。これがスウェーデンの輸出産業を支えているポイントでもあるのです。

 

 女性の就業促進についてもスウェーデンは進んだ国ですが、それを支えるのが行きつ戻りつつできる学習社会の形成です。スウェーデンには25・4ルールという「25歳以上で4年以上の育児経験・勤労経験がある人は優先的に大学に入ってください」という制度があり(48p)、高校から直接進学してくる人はむしろ少数派です。

 このような仕組みがキャリアの中断をそれほど大きな問題としないつくり上げているのでしょう。

 ただし、生産性の高い企業はIT化で人を雇わなくなりつつあり、職業訓練などを受けていて働いていない「潜在的失業」状況の人が労働人口の2割近くに達しているという問題もあります。

 

 第3章と第4章ではオランダについて論じられています。水島治郎『反転する福祉国家』を読んだ人であればおなじみの内容かもしれませんが、読んでいない人にはそのエッセンスがまとまっていて面白く読めると思います。

 オランダといえば、ワークシェアリングが普及し労働者が自分の労働時間を比較的自由にコントロールできる国であり、大麻安楽死の合法化などある意味で「リベラル」な政策が取られている国でもあります。

 しかし、一方でイスラム系移民の排斥を訴えるポピュリズム政党が他の欧米諸国に先駆けて大きな勢力となった国でもあります。この一見すると矛盾して見える現象が実は表裏行ったなのだということが示されています。

 また、労働者が労働時間をコントロールできるようになっても、男性のフルタイム志向、女性のパートタイム志向は少なくともオランダでは変わっていないという点も興味深いと思います(78p表3−1、表3−2参照)。

 

 第5章と第6章はドイツについてです。ただし、ドイツにとどまらずヨーロッパの社会民主主義の根本的な考え方についても解説されています。

 第5章の最初の部分では「社会権」がとり上げられています。日本国憲法だとこの社会権の中心に第25条の「生存権」の規定があり、国家が人びとの最低限の生活を保障することがその中心と考えられています。 

 ところが、史上初めて社会権を規定したとされるワイマール憲法には生存権のような「国民の権利」は書き込まれておらず、国が経済的自由を制限できること、そして労働者の参加・関与が書き込まれています。

 

 ヨーロッパの社会民主主義にはさまざまな源流があり、1つの綱領のようなものがあるわけではありませんが、共通する特徴の1つとして著者は「政治の優位」をあげています。これは市場のロジック、資本主義のロジックというものを政治の力によってコントロールしようという考えです。

 そして、それを実現させるためには民主的な国家が経済を計画・統制する方法と、労働者による自己決定という2つの道がありました。後者はいわゆる「ネオ・コーポラティズム」として制度化されていった国もあります。

 

 著者は社会民主主義を考えるときににも後者の側面が重要で、特に労働組合と政党の関係を見ることが重要だと言います。ヨーロッパで社会民主主義の考えが広まったのは「政党と労働組合がセットになっていた」(129p)ことが大きいのです。

 イギリスやスウェーデン労働組合と政党が1対1のセットになっている国で、フランスやイタリアでは労働組合が党派によって分裂しています。ドイツはというとドイツではカトリックプロテスタントいう宗派による分裂が起きました。特にカトリックの労働者はカトリック系・キリスト教系の独自の労働組合をつくり、選挙ではカトリックの政党に投票することが多かったのです。

 

 戦後はキリスト教民主党プロテスタントカトリックの垣根を超えた支持を集め、アデナウアーが長期政権を築きましたが、連邦制の西ドイツでは社会民主党も州政府単位では与党となり、1969〜82年にかけては国政も社会民主党中心の政権によって運営されます。

 こうした中で西ドイツの労使関係は基本的に安定したものでした。西ドイツの賃金をリードしたのは輸出産業で、輸出競争力を削がない範囲での賃上げがなされたのです。

 

 ところが、70年代になり、環境、移民問題などが政策テーマに浮上し、さらに新興国の追い上げなどもあって失業率が上昇していくると、今までの仕組みを変える必要が出ていきます。

 この問題に対応したのがシュレーダーです。彼は「政策的な原則がない」(143p)政治家で、労組の支持だけでは勝てなくなってきたことがわかっていました。

 そこで彼は当初、オランダをモデルに政労使の三者の合意を通じて改革を行おうとしますが、賃金について政府の介入を嫌った労組の反発によってこの路線は失敗します。戦後のドイツでは産業レベルでの話し合いが中心で国家規模の交渉があまりなかったのも失敗の一員だと考えられます。

 

 その後、シュレーダーは「アジェンダ2010」という改革パッケージを提案し、臨時の審議会をつくって改革を行っていきます。これは一種の構造改革路線で、これによってドイツの失業率は低下しました。

 この点、シュレーダーは成功したといえますが、同時に社会民主党は労働者の支持の一部を失いました。社会民主党の一部は分裂して東ドイツの旧共産党と合流して左翼党を結成しました。この左翼党が10%程度の支持を集め続けていることで、社会民主党キリスト教民主党議席数で上回ることは難しくなっています。

 

 このように、本書はヨーロッパの社会民主主義福祉国家の動向がよく分かる内容となっています。講義をもとにしたもので読みやすいと思いますし、何よりもこのメンツで1300円+税という価格設定はありがたいです。

 さらに補論では、このかわさき市民アカデミーの開設にかかわった篠原一の政治学についての解説もあり、お得な1冊と言えると思います。