田中拓道『福祉政治史』

 「福祉国家」というと、もはや否定されつつある古臭いイメージがあるかもしれませんが、「福祉国家」は死滅しつつある存在ではありません。スウェーデンなどの北欧諸国はさまざまな改革を行いつつ、充実した福祉と経済的パフォーマンスを両立させていますし、ドイツやフランスなどでも福祉の改革が行われてきました。
 一方、少子高齢化と財政難の中、日本では効果的な福祉改革は行われているとはいい難い状況です。


 「このような状況はなぜ生まれたのか?」、「そもそもそれぞれの国の福祉制度はなぜ違っているのか?」
 こうした疑問に答えるために、各国の福祉制度の歴史を説き起こし、90年代以降、どのような改革が、なぜ行われたのかということを分析したのがこの本になります。
 主にとり上げているのは日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、ドイツ、フランスの6カ国。これらの国の福祉制度をタテ(歴史)とヨコ(国際比較)から分析しようとしたかなり野心的な本になります。
 

 目次は以下の通り。

序章 福祉国家をどうとらえるか
第I部 戦後レジームの形成と分岐
第1章 福祉国家の前史
第2章 自由主義ジームの形成──イギリス、アメリ
第3章 保守主義ジームの形成─フランス、ドイツ
第4章 半周辺国の戦後レジーム──スウェーデン、日本
第II部 戦後レジームの再編
第5章 福祉国家再編の政治
第6章 新自由主義的改革──アメリカ、イギリス
第7章 社会民主主義の刷新──スウェーデン
第8章 保守主義ジームの分岐──ドイツ、フランス
第9章 分断された社会──日本
第III部 課題と展望
第10章 グローバル化と不平等
第11章 新しいリスクへの対応
終章 日本の選択肢


 福祉について国際的な比較を行った本といえば何といってもG・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』という名著があり、この本でもエスピン‐アンデルセンの「自由主義ジーム」、「保守主義ジーム」、「社会民主主義ジーム」という分類に沿った議論を行っています。
 自由主義ジームは市場を重視するタイプ(アメリカ、オーストラリアなど)、保守主義ジームは福祉制度が職業などによって細かく分割されているタイプ(ドイツ、フランス、イタリアなど)、社会民主主義ジームは普遍的な福祉を供給するタイプ(スウェーデンデンマーク、オランダなど)です。ちなみに日本は保守主義ジームと自由主義ジームの混合と考えられています。
 

 では、この本はエスピン‐アンデルセンの議論を再構成しただけの本かというとそんなことはありません。
 エスピン‐アンデルセンの本のタイトルには「資本主義」と「世界」という単語がありますが、この本にあるのは「政治」と「史」。つまり、福祉制度を形作る「政治」と、その制度に大きな影響を与える「歴史」(経路依存性)に焦点を当てることで、固定された枠組みとしての福祉制度ではなく、時代に対応して変化していく福祉制度を捉えようとしています。
 また、『福祉資本主義の三つの世界』の原著は1990年に出版された本であり、90年代以降の福祉制度の改革を捉えられていません。その点、この本では90年代以降の改革を見ることで同じレジームの中での改革の方向性の違いといったものも浮き彫りにしようとしています。


 福祉国家を規定するものとしてまずあげられるのが、労使関係と政治制度、そして「ヘゲモニー」(優越した社会集団による社会規範(16p))です。
 例えば、イギリスでは熟練労働者層が労働運動の中心となり、労使の頂上団体における中央交渉は発展しませんでした。そのためイギリスの労使関係は分権的な性格が強く、産業をこえた労使の交渉は成立しにくい状況でした(48p)。
 その一方で、イギリスの政治制度は小選挙区制のもとで立法権と行政権が一体化した議院内閣制であり、首相へ権限が集中しています。
 イギリスは、ベヴァリッジ報告をもとに歴史上初めてすべての個人が「ナショナル・ミニマム」を保障される普遍主義的な福祉制度を導入しますが、これを可能にしたのは集権的な政治制度でした。
 

 しかし、ベヴァリッジ・プランにもとづいた均一拠出・均一給付という制度では貧しい人々でも払える保険料しか設定できず、福祉制度はじょじょに低所得者層をターゲットにした選別主義的なものになっていきます。
 また、石油危機後のインフレに対し、政労使のコーポラティズムによる賃金抑制が試みられたものの、それは分権的な労使関係のせいもありうまく機能しませんでした(144p)。
 そして、1979年から始まるサッチャー政権のもと、集権的な政治制度を生かした新自由主義的な改革が行われていくことになるのです(ただし、サッチャー改革も実際には福祉縮減に成功しなかったとの声もある(143p))。


 アメリカはイギリスとともに自由主義ジームの国だと言われます。
 アメリカも移民労働者が多かった影響で労働者全体の組織化が進まず、労働組合の組織率は低いままにとどまりました(57p)。しかし、アメリカの政治制度はイギリスと違って分権制の強いものです。そのため、イギリスのような大きな制度変更を行うことが難しく、福祉の水準は一貫して低いままにとどまりました。
 

 また、イギリスとアメリカはともに金融・産業資本家層と中産階級ヘゲモニーを争う状態であり、労働者やマイノリティが中産階級と組んで政治的影響力を行使することはあまりありませんでした。
 こうしたヘゲモニーや、労使関係と政治制度、経路依存などが絡まり合って、今のイギリスやアメリカに見られる自由主義ジームが形成されたのです。


 一方、社会民主主義ジームであるスウェーデンでは、19世紀末からの急速な工業化の中で労使団体の中央集権が進みました。また、政治制度は議院内閣制ですが、比例代表制をもとにした5つの政党による競争が長く続き、コンセンサスを重視する政治が行われました。こうした中、長期間政権に関わり続けた社会民主党のもとで普遍主義的な福祉制度が構築されていきます。
 特に1950年代に導入された「レーン=メイドナー・モデル」は大きな役割を果たしました。経済学者のイェスタ・レーンとルドルフ・メイドナーによって提唱されたこの仕組は、生産性にかかわらず賃金を同一にする連帯的賃金制度と積極的労働市場政策の2つからなります。
 生産性にかかわらず同じ賃金ということになると、生産性の低い企業の経営は苦しくなり退出を迫られる一方、生産性の高い企業の業績は伸びます。そして、生産性の低い企業で働いていた労働者を積極的な労働市場政策によって生産性の高い企業に移動させ、経済全体の競争力を引き上げようとしたのです(82ー83p)。
 もちろん、これを可能にしたのが集権的な労使関係です。


 日本は労使関係は使用者主導型で、「春闘」など集権的な労使交渉も見られましたが、それは賃金調整に限定されていたといいます(92p)。政治制度は議院内閣制ですが、中選挙区制を採用していたこともあって分権的でした(94p)。
 福祉制度は包括的政党であった自民党政権のもと官僚主導で導入され、また、公共事業や農業・中小零細企業への保護などを通じて、国民生活の安定が図られました。
 他にもフランスとドイツの保守主義ジームの国の分析もありますが、これについてはあとで触れたいと思います。


 このように各国の労使関係や政治制度、ヘゲモニーなどによって発展した福祉制度ですが、70年代になるとさまざまな問題が噴出し、90年代には各国で大きな改革が行われることになります。
 特に同じ保守主義ジームの国であったドイツとフランスは90〜00年代の改革によって、分岐していくことになるのです。

 
 保守主義ジームのドイツとフランスはともに比例代表制の多党制の国であり、労使関係もスウェーデンのように集権的ではありませんでした。ただ、政治制度としてはドイツは議院内閣制、フランスは大統領制であり、本書によるとその違いが分岐をもたらしたといいます。
 ドイツとフランスに共通する制度上の特徴は、労使によって管理される職業別の社会保険、所得比例といった点であり(74p)、また、男性が長期の就労に従事し、女性は育児や家事労働に専念するという「男性稼ぎ主モデル」が根付いていましまた(174p)。
 

 70年代以降の経済停滞に対して両国では、労働時間の短縮や早期退職の奨励によって男性稼ぎ主を保護しようとしましたが、これは社会の中に「インサイダー」(保護された労働市場ではたらく壮年男性)と「アウトサイダー」(低技能層、女性、若者)の分断を生み、若年層や女性の就労が進まず、失業率も高い状態が続きました(92年の時点では女性就業率はドイツ57.8%、日本61.9%と日本のほうが高い、ただし2010年にはドイツ69.6%、日本63.7%と逆転(176p))。


 こうした状況に対してドイツでは1998〜2005年のシュレーダー政権のもので大きな改革が行われました。
 シュレーダー政権は、第二次政権(2002〜)以降、直属の審議会を使ったトップダウン型の改革を行っていきます。労働市場においては「ワークフェア」の考えのもとさまざまな改革が行われました。福祉に頼る人を減らすためにミニジョブと呼ばれる月収400ユーロ以下の職が導入され、早期退職制度が縮小され、失業給付帰還が短縮されて給付期間中の就労訓練が義務付けられました。つまり、すべての人が就労する社会が目指されたのです。
 そして、これらの改革を可能にしたのが首相のもとに権限が集中する議院内閣制という政治制度でした。


 一方、大統領制をとるフランスでは大統領と議会に権限が分散しており、トップダウン型の改革は難しい状況でした。
 フランスは2000年代以降も公的社会支出を拡大させ続けており、「現在ではスウェーデンを抜いてもっとも「大きな福祉国家」になって」(187p)います。
 基本的にフランスの福祉改革に対する評価は低く、停滞している国として把握されることが多いのですが、著者は近年のフランスの動きを「自由選択の普遍化」の動きとして把握しようとしています(187p)。


 例えば、家族政策では今までの男性稼ぎ主の扶養家族を支援する制度から個人への支援へとシフトしていきました。乳幼児への育児支援が強化され、働くか子育てに専念するかを女性が選べる制度が整えられていきました。また、99年には連帯市民契約(PACS)が成立し、事実婚カップルや同性カップルにも法的地位が認められました(195p)。
 フランスでは社会運動が福祉改革の担い手として浮上し、アウトサイダーを支援する反貧困アソシエーションが政策決定のプロセスに参加するようになったのです(197p)。
 

 経済状況や財政状況を見ればドイツの改革のほうが「うまくいった」と言えるでしょうが、2013年の合計特殊出生率はフランス1.99に対してドイツは1.40。これは長年不況に苦しんでいる日本の1.43よりも低い数字で、イタリアの1.39とほぼ変わらない数字です(251p)。
 近年のドイツの経済的パフォーマンスはヨーロッパの中でも一番とも言える状況ですが、この合計特殊出生率をみると、少なくとも「子どもを生み、育てやすい社会」になっているとは言えない状況です。短期的に見てドイツの改革は成功だったといえるかもしれませんが、長期的にみるとどうなのかという疑問は残ります。


 こうした各国に対し、日本では抜本的な福祉制度の改革が行われないまま現在に至っています(もっとも、2004年に行われた年金制度改革を大きく評価する声はあります。例えば、権丈善一『ちょっと気になる社会保障』
 他国の福祉制度が行き詰ってきた1970年代は、日本の福祉制度がようやく整備された時であり、その後の経済パフォーマンスが良かったこともあって改革の機運は高まりませんでした。また、中選挙区制のもとでの分権的な政治制度ではドラスティックな改革は難しかったのです。
 90年代に小選挙区比例代表並立制の導入が決まり、省庁再編や内閣府の設置といった行政改革が行われると、政治制度は集権的なものへと変化していきます。これを利用したのが小泉政権でしたが、福祉に関しては新自由主義的な支出削減策にとどまり、大きな改革は行われませんでした。
 2009年に成立した民主党政権トップダウン型の決定プロセスを築き、「コンクリートから人へ」と称する改革を行おうとしましたが、トップダウン型の決定プロセスを築くことに失敗。福祉制度改革に関しても体系的なもの打ち出せないままに終わりました。
 

 著者は、日本について、「ワークフェア型の就労促進策も、アウトサイダーとの連携による「自由選択」を保障する改革も、体系的には行われてこなかった」(262p)と評価しています。
 政治制度からすると集権化した日本においては、トップダウン型のワークフェア型の政策(ドイツ型)のほうが推進しやすそうではありますが、深刻化している少子化の問題を考えると「自由選択」型(フランス型)の改革のほうがいいのかもしれません。
 こうしたことを踏まえて著者は本書を次のように結んでいます。

 今日の日本は、どのような社会をめざすのか、さまざまなしがらみや個別利害を超えた大きな将来ビジョンの選択を必要としている。一人ひとりに対して将来の選択肢を提示するためには、ワークフェアを掲げてトップダウン型の意思決定をとる政党と、自由選択を掲げてアウトサイダーへの支持層拡大を進める政党を中心とした新しい政党の競争空間が構築されることが望ましい。政治の側がこうした条件を満たせるかどうか。そして一人ひとりがこうした条件にしたがって政治のあり方を厳しくチェックできるかどうか。これらの要件が、日本社会の将来を規定していくことになると考えられる。(277p)

  
 かなり端折った部分もある紹介ですが、これだけでもこの本の野心的な構成と射程の広さがわかっていただけたのではないかと思います。
 単純に各国の福祉の発展の歴史を紹介するだけではなく、そこに政治制度や労使関係からの分析の視点を持ち込むことで、将来を見通すための「理論」についても教えてくれているのがこの本の特徴の一つでしょう(ヘゲモニーの議論についてはいまいちピンとこない部分も残りましたが)。 
 福祉国家の「歴史」に興味がある人だけでなく、日本の福祉制度のあり方も含む福祉国家の「未来」に興味がある人にも強くお薦めできる本です。


福祉政治史: 格差に抗するデモクラシー
田中 拓道
4326351691