宮本太郎『貧困・介護・育児の政治』

 社会保障に関する政府のさまざまな会議の委員を務め、民主党政権では内閣参与になるなど、近年の日本の社会保障政策の形成にも携わってきた著者が、ここ30年ほどの日本の社会保障の歴史を振り返り、「なぜこうなっているのか?」ということを読み解き、今後目指すべき新たな方向性を模索した本。

 

 なんと言っても本書で面白いのは日本の福祉政治についての現状分析。基本的に自民党が強い中で、その体制が揺らぐ事態が生じると「例外状況の社会民主主義」とも言える方向性が打ち出されます。これに増税を目指す財務省(大蔵省)が乗っかることが介護保険などの新しい社会保障制度が生まれます。

 ところが、財務省の目的は財政再建ということもあって、「磁力としての新自由主義」ともいうべき考えが制度の発展を制約します。なるべく公費の投入を抑え、民間企業を参入させるような福祉が目指されるのです。

 さらに地域では「日常的現実としての保守主義」が幅を利かせており、自助頼み、家族依存の福祉が行われることになります。

 その結果、福祉に対する期待はしぼんで「磁力としての新自由主義」がより強まるというわけです。

 

 この図式を下敷きに、本書は、貧困・介護・育児に関する具体的な動きを見てきます。

 そして、新しい福祉の理想像として「ベーシック・アセット」という考えを打ち出しています。

 

 目次は以下の通り。


第1章 「新しい生活困難層」と福祉政治
第2章 貧困政治 なぜ制度は対応できないか?
第3章 介護政治 その達成と新たな試練
第4章 育児政治 待機児童対策を超えて
第5章 ベーシックアセットの保障へ

 

 本書は1989年から話を説き起こしています。この89年は、バブルの絶頂とも言える時期であり、まだまあ企業福祉がしっかりとしていた時代ですが、非正規雇用も増え始め、合計特殊出生率が1.57という1966年の「丙午」を下回った年でもありました。

 

 このころまで日本型の生活保障は、行政、会社、家族がつながった「三重構造」に支えられていました。

 行政は規制や保護によって企業経営を安定させ、(大)企業は年功序列型賃金や家族手当によって男性稼ぎ主とその家族の生活を支えました。

 

 一方、生活保護などの低所得者向けのメニューは抑制されていました。少し古いデータになりますが(2009年前後)、所得の下位30%層と上位30%層が受給する社会保障給付の割合を比較すると、日本は上位30%の方が多く受給しています(47p図1−2参照)。

 日本の福祉は「普遍主義」とは言えませんが、実は低所得者のみが福祉を受けられる「選別主義」というわけでもないのです。

 こうした中で、景気低迷の長期化、少子化、公共事業や中小企業保護の後退などによって三重構造は崩れてきました。

 

 そこで、福祉の立て直しが必要となるわけですが、「社会民主主義」、「新自由主義」、「保守主義」はそれぞれ独自の施策を持っており、実際の福祉制度の改革の場面ではそれがせめぎ合うことになります。

 ちなみに著者は「社会民主主義」の立場です。この立場を「リベラル」と称することもありますが、著者は「リベラルという言葉はあまりに多義的である」(59p)として「社会民主主義」の名称をを選んでいます。

 

 ここから、本書では「貧困」「介護」「育児」におけるこの3つの考えの現れ方と、進むべき方向を論じていきます。

 詳しくは本書を実際に読んでほしいのですが、ここでは興味を引いた点をいくつかあげておきます。

 

 まず、貧困対策として、所得補償(現金給付)を減らして支援型サービスを増やす「第三の道」に対する反発として、支援型サービスを減らして所得保障(現金給付)に特化するベーシックインカム(BI)の考えが伸びてきた捉えている点です。

 「第三の道」に就労支援に力を入れましたが、ときにそれは就労の意思を示さなければ懲罰的に給付が減らされるというスタイルをとりました。本来、「第三の道」は新自由主義に対抗するものとして登場しましたが、実際には新自由主義的な運用がなされていたわけです。

 これに対して、真の平等を実現するものとしてBIへの支持が出てくるわけですが、BIには他の福祉を切り捨ててBIに一本化することで小さな政府を実現できるという「新自由主義的BI」もあり、一口にBIといってもそのあり方はさまざまです。

 

 2009年に民主党による政権交代が起こりますが、当時の民主党の貧困対策に関して、著者は子ども手当、最低保障年金、職業訓練を受ける求職者に月額最大10万円を給付する求職者支援制度など、ベーシックインカム的な現金給付が中心であったとしています。

 公共事業や業界保護で雇用を維持するやり方は自民党であると退けられた一方、代替となる体系的な雇用政策は持ち合わせていなかったのです。

 「公共職業訓練に関わる雇用・能力開発機構や、労働者のキャリアを記録し外部労働市場を形成するツールとされたジョブ・カードなどが 、むだな行政支出を省くための事業仕分けで検討対象となったことは象徴的であった」(121−122p)のです。

 そして、ベーシックインカムは党内に社会民主主義者も新自由主義者も抱える民主党内で合意しやすい方向性でした。

 

 その後、民主党自民党と協力して「社会保障・税一体改革」に動き出します。これは著者の言う「例外状況での社会民主主義」とも言うべきものでした。

 しかし、消費税増税のスケジュールが決まると、今度は「磁力としての新自由主義」に引きづられていくことになります。

 民主党が政権を失って第2次安倍政権が成立すると、自民党は「生活保護に関するプロジェクトチーム」を立ち上げて、生活保護の給付削減に動きます。

 

 ただし、この第2次安倍政権のもとでも注目すべき制度が生まれました。それが生活困窮者自立支援制度です。

 これは非正規雇用など新しい生活困難者に対して多様な支援を行う仕組みであり、必要な場合は生活保護にも繋ぐ役割を果たします。今までの福祉が、高齢者、障害者、子どもなどの対象ごとに区分されていたのに対して、生活困窮者自立支援制度はこの縦割りに「横串」を刺す形になっています。

 

 この制度が成立したのは、「社会保障・税一体改革」の中にそのアイディアが書き込まれていたこと、さらになんといっても生活費保護削減の議論の中で、一方的な福祉の削減を嫌った公明党がこの制度を強く支持したからです。

 財源に関しても、生活保護費の削減によって生まれた予算をあてにすることがき、この制度が生まれることになったのです。

 

 つづいて介護分野ですが、この分野でなんとっても大きいのが1997年に成立し、2000年から施行された介護保険法です。

 それまでは行政の措置制度として行われた高齢者福祉が社会保険に基づいた普遍主義的な制度になりました。

 また「準市場」とも言うべき新しい取引の場も作られることになります。「政府が費用を負担し、当事者間に交換関係がある」(159p)方式です。

 

 この準市場は、自己負担の割合を増やしてニーズ判定の枠外の契約を増やせば市場に接近することになり、新自由主義的にもなります。また、家族による介護を評価して現金を給付すれば保守的なものとなるでしょう。

 この準市場には、非営利組織、営利企業が参入し、さらには家族による介護も続いています。また、利用者とサービス提供者の間には医療と同じように情報の非対称性があるため、介護保険ではケアマネジャーという専門家が間に入ることになっています。

 

 2006年と2017年で居宅サービス事業所数や居宅介護支援事業所数の変化を見ると、営利法人が大きく増えています(174p図3−2、図3−3参照)。一見するとこれは市場化の現れのようにも見えますが、ニチイ学館SOMPOホールディングスベネッセホールディングスなど上位10社の売上の合計は市場の9%にすぎません。また、当初、事業規模を大きく拡大させたコムスンは介護報酬の不正請求などもあって破綻してしまいました。

 所得水準の引く地域では営利企業の規模拡大は起こらず、営利、非営利ともに地域密着型になる傾向があり、逆に所得水準の高い地域では広域型の事業体が中心になる傾向があるとのことです。

 

 介護保険が導入できた1つの要因として、消費税増税を狙っていた当時の大蔵省の判断もあるわけですが、高齢化や財政状況の悪化とともに介護保険の運営も厳しくなっています。

 そうした中でケアマネジャーが営利的な志向を強めざるを得なくなったり、ヤングケアラーに見られるように家族に負担がいくような状況もなくなっていません。

 介護保険の中でも予防の重視、地域包括ケアシステムの導入など、さまざまな改革が行われてきましたが、財政的な制約からどうしても介護給付の抑制という話になりがちになっています。

 

 最後が育児ということになりますが、この分野は人口減少問題、女性の就労と育児支援、世帯間の格差と貧困問題の3つが密接に絡まり合っておます。

 例えば、スウェーデンでは比較的早い時期に、人口減少問題に対して女性の就労支援と育児支援で対処する方針が固まったために手厚い保育サービスが生まれましたが、1970年代まで出生の抑制に重点が置かれていた日本では、こういったコンセンサスが生まれることはありませんでした。

 1989年の1.57ショック以降、少子化が大きな問題として浮上すると、その対策として女性の就労と子育ての両立を実現させるために保育所の整備に力が入れられることになります。

 

 ただし、両立支援はどちらかというと所得の高い正社員の女性に恩恵のあるもので、政策が制度がさらに格差を広げてしまう「マタイ効果」(「もてるものはさらに与えられ、もたざる者はさらに奪われる」(224p))があるとも指摘されています。

 正社員の女性は共働きでパワーカップルを形成する一方で、パートやアルバイトの女性は保育園を利用できずに仕事を辞めざるを得ないような現実があるわけです。

 

 こうした中で民主党政権交代を目指して子ども手当の大幅な充実を打ち出します。この子ども手当については、当初は普遍主義的な社会民主主義の理念に基づいていましたが、小沢一郎が代表になると、「家族の再生」といった文脈で保守主義的な色合いが強くなってきます。また、子ども手当ベーシックインカム的な性格もあり、新自由主義的な立場からも支持しやすいものでした。

 政権交代後に、子ども手当が導入されたものの、財政制約もあって当初予定していた月額2万6000円は実現できませんでした。

 

 その後の「社会保障・税一体改革」では、民主党は幼保一元化など保育サービスの充実に注力しようとしましたが、自民、公明との協議の中で市場志向型の色彩は弱まります。これは自民党が業界団体の意向を受けて抵抗したからです。

 それもあって保育園経営の株式会社の参入は進みましたが、認可に限れば、その割合は2017年の時点で6.2%にとどまっています(262p)。一方、認可外では株式会社の参入が急速に進んでいます。

 第2次安倍政権においては、消費税増税とリンクする形で保育無償化が打ち出されましたが、これも「マタイ効果」を発生させてしまう可能性があります。

 

 こうした日本の社会保障の状況を見た上で、著者はベーシックインカムでもベーシックサービスでもないベーシックアセットというものを打ち出しています。

 これはすべての人に社会に参加するための資源をあらかじめ分配するという考えんのですが、やや急ぎ足で紹介していることもあって、本書を読んだだけではややわかりにくいかもしれません。

 

 最初にも書きましたが、日本のここ30年ほどの福祉政治がいかなる枠組みの中で論じられ、動いてきたかということがわかる部分がなんといっても面白く、興味深い部分でしょう。