スヴェン・スタインモ『政治経済の生態学』

 副題は「スウェーデン・日本・米国の進化と適応」。
 「なぜ、同じ資本主義諸国であってもさまざまな社会政治制度が存在するのか?」という問題に、「進化と適応」という概念を適応してその答えを探ろうとした本。著者はアメリカの政治学者で、税制についての研究などを行ってきた人物です。
 個人的に「進化と適応」という概念についてはそれほどピンとこなかったのですが、国際比較の本としては面白いですし、特に「小さな政府」というイメージを覆すアメリカの部分は非常に興味深く読めました。


 目次は以下の通り。

第1章 進化と適応の物語―国家の多様性
第2章 スウェーデンマルハナバチの進化
第3章 日本―新旧遺伝子の交配種
第4章 米国―特異な進化を遂げた「強い国、弱い国家」
第5章 「それでも地球は動く」


 この手の社会制度を扱った本だと、スウェーデンなどの北欧諸国に高い評価を与えていることが多いですが(G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』 など)、この本でもスウェーデンの制度に高い評価が与えられています。


 スウェーデンというと「高福祉と高い税金」というイメージがあり、それは間違いではないのですが、それは単純に金持ちから重い税金を取って貧しい層に回しているというものではありません。
 著者は「スウェーデンの高い税率は、財政にまつわる錯覚と理解すべきだろう」(46p)と述べています。確かに政府はGDPの50%以上を税として徴収していますが、その相当な部分が政府が行う給付に対する課税であり、「財政的撹拌」と呼ばれる物の結果です(47p)。
 スウェーデンでは、すべての国民は収入源にかかわらず同率の税を払うべきだという考えが根付いており、税制も比較的シンプルです。
 また、平等を追求する反面、国有企業が極めて少なく、世界有数の開放経済であるという点もスウェーデンの特徴です(53p)。


 こうしたスウェーデンの社会制度は、豊富な鉄資源や、保守派が議席を維持するために比例代表制を導入し、それがかえって社会民主党の長期政権を生んだこと(57-58p)、第一次、第二次世界大戦においてともに中立を維持できたこと、第二次大戦後に「本格的な「移民労働者」プログラムよりも社会を分断させる効果がはるかに少ないという理由で、多くの女性が労働市場に参加するよう促す方針を決めた」(67p)ことなどによってつくり上げられていきました。
 

 1980年代後半から90年代初頭にかけて、スウェーデンの経済は行き詰まり、福祉国家のモデルも終演を迎えるのではないかと言われましたが、社会民主党福祉国家を縮小するのではなくその効率化で対応しました。
 その後、社会民主党にかわって穏健党を中心とする中道右派政権が政権を担当することもありましたが、新自由主義的な政策への転換といったことは行われずに、福祉国家は維持されたままです。
 国民は税が重いとは思っているものの、「少なくても65%の国民が政府から直接公的補助金を受け取っていることの影響は、はかりしれない」(96p)もので、多くの政策領域に関して国民は税をもっと負担することに前向きです。


 日本について、もともと税の研究をしていた著者は、官僚が経済に巧みに介入した「強い国家」でありながら、「しかし、少し注意して見ると、特に財政と社会政策について政府は断固たる決定を下すことができず、ほとんど誰に対しても負担を強いることができないでいる」(104p)とその「強さ」に疑問を呈しています。
 スウェーデンは社会政策について強い介入を行っていますが、経済についてはあまり介入を行っていません。一方、「日本の国家は経済問題に対して強力で介入的でありながら、社会問題に対して著しく弱いという二面性を持つ」(108p)というのです。


 著者は日本を「交配種(ハイブリッド)」として捉えています。日本は伝統的な価値に欧米の制度を接ぎ木したものだというのです。
 経済面では、大企業と中小企業・農業の二重構造があり、今まではこの生産性の低い中小企業や農業部門が国民に広く雇用を保障し、「雇用を通じた福祉」を支えていたのです。
 政治面では、「イデオロギーの欠如」が日本の特徴だといいます。日本の左派政党は中小企業のための減税を求めたり、多くの公共的プログラムに反対するなどの、「従来的な「社会主義者」には説明しがたい政策的立ち位置」(115p)をとっており、ヨーロッパのような「右翼/左翼」の図式は当てはめにくいのです。
 

 近年まで日本は平等な社会として知られていましたが、先にも触れたようにそれは政府の社会政策のおかげではありません。
 日本に社会福祉がなかったわけではありませんが、それは企業や家庭を通じて供給されていました。この家庭が福祉を担うやり方について著者はスウェーデンと比較して次のように述べています。

 スウェーデンと日本の福祉国家の主な違いの一つは、日本の女性が「無料で」提供している多くの機能を、スウェーデンでは女性が公的サービスとして提供し、賃金が支払われている点である。この事の含意の一つは、日本の女性は、スウェーデンの女性と比べて人生の選択肢が限られてしまうということだ。(120-121p)


 この企業と家庭に頼った日本型福祉は80年代まで大きな成功を収めますが、90年代になると不況に苦しむようになりました。
 著者は「十分に発達した社会政策を持たないことが経済的順応や変化をさらに難しくしたのだ」(143p)とみています。日本は企業が福祉を提供していたために、企業の人員整理には非常に強い抵抗が伴ったからです。
 また、福祉政策が不在だったため、インフラ建設による雇用の確保が一種の社会政策として行われ、90年代後半には公共事業費が膨張しました(147p)。


 同時に新自由主義的な政策も推進され、所得税の累進性は弱められました。その他にも資産性の所得へは分離課税が導入され、定率減税、消費税増税が行われましたが、いずれも高所得者にとって有利で低所得者に厳しい改正でした。
 著者は「つまりこれらの改革は、制度をいっそう公正と考えられるものにする代わりに、日本の政策が普通の人々ではなく、力を持つ者に恩恵を与えているという実感を広めてしまったのである」(157p)と述べています。
 そして、日本では国民の政府への信頼が低下し、それがさらに改革を難しくしてしまっていると著者は考えています。


 最後はアメリカですが、個人的にはここが一番面白かったです。
 アメリカというと「低福祉」の国として有名ですが、この本ではアメリカを「隠れた福祉国家」とみる見方を紹介しています。公的支出と企業による民間支出を合計するとアメリカの社会支出の合計はスウェーデンを上回るほどです(173p)。そして、これらの企業は税制を通じて政府から補助を受けています。
 アメリカでは税制による支出が非常に大きな割合を占めています。政府が直接支出する額は少ないのですが、税制上の優遇や控除などで、本来ならば政府が徴収していはずの税金が企業や個人に残るようになっているのです。そしてそのために税法は非常に複雑になっています。
 また、社会保障については基本的に選別方式を取っており、普遍的なプログラムは少ないです。


 アメリカの政治制度は非常に分権的になっています。これは建国の父たちが特定のグループによる専制を防ぐために制度をつくったためで、三権分立二院制などはその一つの例です。
 F・ルーズベルト大統領のニューディール期にアメリカ大統領の権力は拡大し、社会政策も行われるようになります。しかし、ここでも憲法改正などは行われなかったため、制度はより複雑化する様相を見せます。
 また、20世紀のはじめに議会で委員会制度が導入されたことものちに大きな影響を与えることになりました。

 
 20世紀初頭の議会は特定の政策分野の権限を委員会制度を通じて分散させましたが、その委員会ではもっとも経験の長い与党議員を議長に据えるという慣行が生まれました(197p)。
 こうした中での、F・ルーズベルト大統領の成功は予想外の帰結をもたらしました。「1932年、1936年、1940年と続いた選挙でのルーズベルトの圧勝は、改革にさしたる関心を持たない人種差別主義者の南部民主党議員が連邦議会の重要な地位に納まるのに貢献していしまった」(197p)のです。
 そして、これが進歩的な制度改革を阻むと同時に、さまざまな利益団体への特例措置の提供を生みました。
 戦後になってさまざまな社会政策が行われることになりましたが、それは普遍的なものにはなりませんでした。

 議会の迷宮をすりぬけるために、政策は限られた支持基盤向けに限定され、多くは間接的に供給、資金調達されなければならなかった。米国の「貧困との戦い」は、この帰結の好例である。この戦いに勝つ代わりに、連邦政府は誰が、どのような状況下で公的支援を受けるべきか定義する複雑な規制と規則の迷路を作り上げ、それを管理する役所の側にも、その恩恵を受けるはずの人々にも悪夢のような行政制度となった。さらに悪いことには、支出を抑制し、公的支援を受ける「権利を持つ貧者」を確定するために、社会扶助制度はシングルマザーに限定され、かえって家族の解体を後押しした。(210p)


 この普遍的社会政策をアメリカで導入することの難しさは現在も変わっていません。クリントン大統領は医療保険改革に失敗しましたし、オバマ大統領もこのために政治資源の大部分を消費せざるを得ませんでした。
 アメリカの政治制度は大胆な改革を非常に難しくしているのです(だからこそ、トランプ大統領が意外に何もできていないという点もあるのですが。このあたりは待鳥聡史『アメリカ大統領制の現在』を参照)。


 このように各国の事例分析(特にアメリカ)は非常に面白く読めました。先に上げたG・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』だけでなく、田中拓道『福祉政治史』と一緒に読むと、より楽しめると思います。
 ただ、最初にも述べたように「進化と適応」という進化論的な説明にはやや疑問も残りました。進化論といえば「突然変異」と「自然淘汰」ですが、社会制度が「突然変異」を起こすことはないですし、昔ならともかくとして現代の社会で国家が「自然淘汰」されるというのも考えにくいわけで、「進化と適応」を持ちださなくても、制度論とか均衡の概念でせつめいできたのではないかという気がします。
 あと、この翻訳、参考文献一覧を削っちゃってますよね。ここはちゃんと入れて欲しかった。


政治経済の生態学――スウェーデン・日本・米国の進化と適応
スヴェン・スタインモ 山崎 由希子
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