水島治郎『反転する福祉国家』

 「オランダモデル」と賞賛されるワーク・シェアリングを含む労働市場の改革、安楽死同性婚大麻の合法化などの「リベラル」な政策などによって世界でも「先進的な国」と見られているオランダは、近年、ピム・フォルタインに代表される「反移民」的ポピュリズムの台頭や、ファン・ゴッホ殺害事件(画家のゴッホの弟テオのひ孫で映画製作者のテオ・ファン・ゴッホイスラム教徒に殺害された事件)などでも注目を集めています。
 まさに「光と影」といった両面で注目を集めるオランダですが、この本ではサブタイトルに「オランダモデルの光と影」とあるように、まずは第1章でオランダの政治や福祉制度のしくみを歴史的に概観した上で、第2章で「オランダモデルの光」を、第3章で「オランダモデルの影」をとりあげ、第4章「光と影の交差」で、じつはオランダの「影」の部分が「光」の部分から必然的に生み出されたもので、近年のヨーロッパにおける一つの潮流となっていることを示します。
 それほど厚い本ではありませんが、非常に刺激的で面白いです。そして、橋下市長を捕まえて「ヒトラーの再来!」などと叫んでいる人には、ぜひこの本のピム・フォルタインについての部分を読んでもらいたいですね。現代におけるポピュリズムの可能性はもっとスマートで「リベラル」な部分にあるのです。


 オランダは、エスピン=アンデルセン福祉国家の3つの類型によると「保守的福祉国家ジーム」の国で、福祉は手厚いもののその基本単位としては「家族」が想定されており、男性稼得者が家族を支えるというのが基本だと考えられていました。そのため女性の就労は促進されておらず、1957年まで中央政府における既婚女性の労働を禁ずる法律が存在するほどでした(76p)。
 また、キリスト教の各宗派、労働組合などの中間団体の力が非常に強く、これらの団体が教育や福祉などを担い、政府の審議会でも大きな発言権を有していました。


 ところが、このようなオランダのシステムは石油危機後に行き詰まりを見せることになります。
 インフレと景気後退により経済状況は悪化。失業が増大するとともにオランダ独特の制度である就労不能保険という就労不能と認定された者に従前賃金の80%が支給されるという制度の受給者が急増。この制度は本来ならば厳しい審査があるはずでしたが、使用者側は法律的に難しい解雇に代わる制度として、労働者側は早期にリタイアできる制度としてこの制度を積極的に利用し、受給者は90年代初頭の時期に人口1500万人の国で100万人に迫るほどでした(47p)。
 

 このように社会システムが行き詰まる中で、1982年に政府と労使の代表がワセナール協定に合意します。この合意の最大の眼目は賃金の抑制を労組が受容し、その代わりに企業側は労働時間の短縮と雇用の確保に努めるというもので、ここからオランダの労働市場の改革が急速に進みます。
 社会保障の受給額は切り詰められる一方で、「給付所得よりも就労を」というコンセプトの元に就労支援が強化されるとともに、就労形態は多様化し女性の職場進出も進みました。フルタイム・パートタイム間の差別が禁止されたこともあってパートタイム社員が急増、そこに女性や高齢者が参加することで「パートタイム社会」とも言われるオランダならではの社会がつくり上げられて行きました(もっとも女性のフルタイム労働に対する厳しい視線はいまだに残っていて女性の多くはパートタイムで働いていて、それに苛立つフェミニストも存在するそうです(90ー94p)。


 ところが、こうした改革と同時にオランダで進んだのは「反移民」ポピュリズムの台頭です。
 オランダでは長年、中道のキリスト教民主主義政党、左に労働党、右に自由民主人民党という3大政党による政治がつづき、90年代に入ると「オール中道」ともいうべき体制になっていました。そうした既成政党に対する批判と増え続ける移民(特にイスラム系移民)に対する不安と反発をうまく掬いあげて勢力を拡大したのがピム・フォルタイン率いるフォルタイン党であり、その後に登場したウィルデルス率いる自由党などでした。
 彼らは単純な民族主義や排外主義を唱える「右翼」ではなく、あくまで硬直化した既成政党の批判と、リベラリズムに基づいたイスラム批判を武器にした「新しい」勢力でした。
 フォルタインは同性愛者の権利や妊娠中絶などの女性の権利、安楽死や麻薬も認めるリバタリアンと言ってもいい人物で、その立ち位置から女性の権利や同性愛に不寛容なイスラム教を攻撃しました。政治的な影響力得るため、フォルタインはときにはイスラム批判を引っ込めて既成政党批判を前面に押し出し、さらには当時野党だったキリスト教民主アピールと組むことで、2002年の総選挙では第一党を窺う地位にまでその人気を高めます。


 ところが総選挙直前にフォルタインは環境保護団体の白人男性に暗殺さえ、彼の野望は潰えます。しかし、彼の創りだした「反移民」的なムードは変わらず、その後の政権でも移民に対しては一貫して厳しい政策が取られました。
 さらにこの動きは、2004年にイスラム女性差別批判をテーマにした映画を作ったテオ・ファン・ゴッホイスラム過激派の青年に暗殺された事件で加速し、ウィルデルスという新たな「反移民」の政治家が台頭してくることになります。彼はフォルタインと同じように既成政党を批判し、イスラムにおける政教分離の欠如などをとり上げ、イスラムはオランダの文化と相容れないと訴え、次のように言います。

 われわれは、不寛容な者たちに対しては、不寛容になることを学ばなければならない。それが、われわれの寛容を守り続けるためにできる唯一の方法だ。(173ー174p)

 ウィルデルス率いる自由党は2010年の総選挙で第一党となり、閣外協力ながら政権に参加することになります。そして移民に対する規制はますます強まり、移民にオランダ語やオランダ文化の習得を義務付けるようになっています。
 そのオランダ文化習得の試験というのも例えば次のようなもので、著者も指摘するようにイスラム批判を感じさせるようなものです。

 「職場の管理者(男性)にたまたま初めて顔を合わせた女性新人職員はどうすべきか」という設問に、解答の選択肢が写真つきで以下のように三つ用意されている。(A)握手のため自分から手を差しのべ、自己紹介する。(B)作業を続け、彼には手を振るのみ。(C)彼の方から何か彼女に話しかけるまで待つ。正解は(A)。妥当な解答と見えるかもしれないが、オランダでは2004年、女性のフェルドンク大臣が男性のイスラム指導者に握手を拒まれた「事件」が騒ぎとなり、イスラム批判に拍車をかけたことを考えると、あえて異性間の握手を正解とする出題の意図に、間接的なイスラム批判があるようにもみえる。(213p)


 そしてこの本のポイントはそうした移民への差別が、実は最近のオランダモデルと表裏一体だと指摘している点です。
 移民差別が単純に不景気や失業の結果であれば、ある意味でわかりやすく対処法も考えやすいのですが、オランダは労働市場の改革に成功し失業率も低下した国です。つまり、社会政策が機能していないから移民への差別が起きているのではなく、社会政策が機能していく中で移民への差別が起きているのです。
 著者は、これを「包摂」ゆえの「排除」と捉えています。「包摂」というのは近年のヨーロッパにおける社会政策のキーワードで、女性や高齢者、そして失業者を雇用を通じて社会に「参加」させることで安定した活力ある社会を生み出そうとするものです。
 しかし、この「参加」を重視する政策は、言葉や文化の問題から社会や労働市場に「参加」できない移民たちを「排除」することにもつながります。特にポスト工業化社会の中で、労働現場においてコミュニケーション能力が重視されるようになると、言葉が不自由な移民はまっさきに「排除」される存在になります。工場での生産作業などにおいてはそれほど高度な言語能力を認められることはありまえんが、現在のサービス業では言葉が一番重要なポイントになります。
 まさにオランダにおける「光と影」は表裏一体なのです。


 オランダと日本は国の規模も歴史も民族構成も違いますが、男性稼得者中心モデルから男女ともに働く社会に転換したお手本とされることも多いですし、既成政党批判を掲げる政党の勢力が伸びている点などは共通します。労働市場安楽死の問題などで「先進国」とされるオランダですが、実は政治状況についても日本にとって「先進国」なのかもしれません。
 そういった意味で、オランダの進んだ労働市場改革や大きく揺れ動く政治動向の分析を通じて、日本にも大きな示唆を与えてくれる本です。 
 

反転する福祉国家――オランダモデルの光と影
水島 治郎
4000244663