今年は後半にボラーニョの大作『2666』にかかりっきりになってしまったせいもあって、小説に関しては読んだ冊数はやや少なかったかもしれませんが、『2666』が良かったのでよしとしましょう。
小説以外も冊数はそれほど読めませんでしたが、けっこう面白い本は多かったと思います。というわけで小説でベスト5とそれ以外で5冊ほど。
- 小説
1位 ロベルト・ボラーニョ『2666』
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本文855ページ、上下二段組というほとんど辞書レベルの質量を持った本ですが、さすがに読み応えは十分。
5部仕立てになっていて、第1部が幻の作家アルチンボルディに入れ込みその行方を追う3人の男性と1人の女性評論家の四角関係を描いた「批評家たちの部」。第2部は第1部にも登場するメキシコ・ソノラ州サンタテレサに住むチリ人の大学教授アマルフィターノが砂漠に囲まれた街で次第に精神的に追い詰められていく「アマルフィターノの部」。第3部はアメリカの黒人記者のフェイトがボクシングの試合の取材でサンタテレサを訪れて、そこで起きている女性の連続殺人に興味を持つ「フェイトの部」。第4部はサンタテレサで起きている連続殺人事件が延々と語られる「犯罪の部」。そして最後の第5部が謎の作家アルチンボルディの人生に焦点を当てた「アルチンボルディの部」。
さまざまなテーマを抱えている作品ですが、その一つが人を吸い込んで消し去ってしまうブラックホールのような悪の存在。この小説に出てくるポーランドで死んだユダヤ人もメキシコの砂漠で殺された女性たちも、その悪について語ることはできません。なぜなら死んだ者は語ることが出来ないからです。そんな巨大な穴の周囲をなぞりながら、さまざまな人生を語ってみせる作品です。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20121216/p1
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フォークナーが好きな人はぜひ!「黒人奴隷を所有する少数の黒人がいた」という歴史的事実からひとつの家族と地域の歴史を創り上げる想像力はまさにフォークナー的ですし、「聖書的」とも言えるその記述もフォークナーに似ています。ただ、南部に対する愛憎を叩きつけたようなフォークナーに比べると、この小説には一人一人の登場人物に対する優しさのようなものがあります。
黒人作家の描いた黒人奴隷者なのですが、そこに「声高な告発」や「正義の訴え」というものはあまり感じられません。けれども、黒人奴隷を所有する黒人といういびつな関係から、奴隷制がもたらすさまざまな歪みが読み手に伝わるようになっています。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120128/p1
3位 テア・オビレヒト『タイガーズ・ワイフ』
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著者は1985年にユーゴスラヴィアのベオグラード生まれの女性。戦争が集結して間もないバルカン半島の国で活動する女性医師と、同じく医師であった祖父、そしてその祖父が語る「不死身の男」や「トラの嫁」といった不思議な人間(?)たちによって織りなされる、不思議な印象を残す物語です。
同じようにユーゴ内戦を舞台にした傑作小説サーシャ・スタニシチの『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』と比べると、その印象はずいぶん違っていています。スタニシチと違って、おそらく戦争の直接的な記憶がほとんどないであろうテア・オビレヒトは、戦争が終わったあとに医療活動を行う女性医師を主人公に据えながら、第2次世界対戦と今回の内戦の2つの戦争を経験した祖父の記憶を引っ張りだしてきます。
その中心となるのが、戦争によって破壊された動物園から逃げてきたトラと奇妙な交流を持つ聾唖の肉屋の妻「トラの嫁」と、医師であった父のもとに何回か現れる「不死身の男」の話。バルカン半島に古くから伝わる民間伝承のようなこの話を通じて、戦争でも破壊されない「何か」を伝えようとする作品です。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20121020/p1
4位 パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』
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去年、『ねじまき少女』で話題をさらったバチガルピの短篇集。個人的には『ねじまき少女』よりもこの短篇集のほうがいいですね。バチガルピ小説はその圧倒的な未来世界の設定に面白さがあるのですが、『ねじまき少女』ではその面白さを認めつつも「長すぎる」と感じた人もいたと思います。僕も面白く読みながらも「話が進まないなー」と思いながら読んでいました。その点、この短編集では短い短篇の中にオリジナリティあふれる未来世界を見せてくれるので、バチガルピのエッセンスを凝縮した形で楽しむことができます。
特に面白かったのが表題作の「第六ポンプ」。舞台となるのは食品添加物などの摂取のしすぎで人類の痴呆化が進んだ未来社会。そこにはトログ(鈍物)と言われる痴呆化した人間までが出現している。基本的には無害だが、ほとんど裸で見境なくSEXし、冬が来たら大量に凍死してしまう彼ら。彼らは普通の人間のカップルからも生まれ、また彼らの間でも繁殖しています。そんな世界で主人公は下水処理の仕事についており、職場の中では有能な彼は第一から第九までのポンプを動かし、ニューヨークの街の下水を処理しています。唯一職場で何とかマニュアルの読める彼は、ポンプが故障した時に頼りにされるわけですが、ところが第六ポンプだけがどうしても動かない。読み進めていくと、ポンプが動かない原因はポンプ自体ではなくこの社会にあるということがわかってくるのですが、非常に怖い未来の姿をみせてくれます。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120226/p1
第5位 コルム・トビーン『ブルックリン』
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アイルランドの片田舎に生まれた少女がニューヨークのブルックリンに渡り、デパートの店員となってイタリア系移民の青年と恋に落ちる。なんとも古典的なストーリーなのですが、その語り方が非常に上手い!
大胆な省略と巧みな心理描写は同じアイルランド生まれの作家ウィリアム・トレヴァーを思い起こさせます。主人公のアイリーシュの旅立ち、恋愛、勉強、仕事、そして運命といったものを「読む」小説で、その「読む」楽しみを十分に味わわせてくれる小説です。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120625/p1
また、今年発売のもの以外だと、ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』がよかったですし、また今年新訳の出たW・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』もよかったですね。
- 小説以外の本
ここでは順位はつけずに5冊上げたいと思います。
アビジット・V・バナジー、エスター・デュフロ『貧乏人の経済学』
![]() | 貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える アビジット・V・バナジー エスター・デュフロ 山形浩生 みすず書房 2012-04-03 売り上げランキング : 2391 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「みすず書房」と「山形浩生」というちょっと前までのなかなか想像しがたい取り合わせですが、非常に面白い本でした。貧乏人の一見不合理な行動に裏に見られる合理性や、理念は立派だけど期待はずれな政策の問題点、貧困を改善するためのちょっとした工夫など、あくまでミクロ経済学的な視点から丁寧に掬いあげています。
この本で行われているのはランダム化対照試行と呼ばれる方法を使ったミクロ的な分析。ランダム化対照試行とは、ある政策を実施した場合と実施しない場合を比較してその政策の効果を測定するやり方で、同じような状況のA村には政策を実施し、B村にはしないといったやり方で政策の効果を測定していきます。この本では、そうしたランダム化対照試行によって食糧、健康、教育、家族計画、保険、マイクロファイナンス、起業などのさまざまなトピックを分析し、貧しい国々が陥っている問題点を探ると同時に、それによって貧乏人の「合理的な思考」も浮かび上がらせています。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120516/p1
水島治郎『反転する福祉国家』
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「オランダモデル」と賞賛されるワーク・シェアリングを含む労働市場の改革、安楽死や同性婚、大麻の合法化などの「リベラル」な政策などによって世界でも「先進的な国」と見られているオランダは、「反移民」的ポピュリズムが台頭している国でもあります。この本では、「包摂」という社会政策のキーワードが、同時に言葉や文化の問題から社会や労働市場に「参加」できない移民たちを「排除」することを生み出すことを示し、オランダの「光と影」が2つの別々のものではなく、ある種の必然的な組み合わせでもあることを描いてみせます。
それほど厚い本ではありませんが、非常に刺激的で面白いです。そして、橋下市長を捕まえて「ヒトラーの再来!」などと叫んでいる人には、ぜひこの本のピム・フォルタインについての部分を読んでもらいたいです。現代におけるポピュリズムの可能性はもっとスマートで「リベラル」な部分にあるのです。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20121220/p1
斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』
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精神科医の斎藤環が、いまや日本文化の一翼を担うと言っても過言ではない「ヤンキー」について分析した本。白洲次郎やスサノヲを「ヤンキー」と呼ぶセンスにはなるほどと思いますし、この本で紹介されている高橋歩なる人物の「BELIEVE YOUR トリハダ。鳥肌は嘘をつかない。」って「名言」に唖然とさせられたり、面白いところが満載です。
そして、「わが国においては、思春期に芽生えかけた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。〜こうした美学は、特攻服やよさこいソーランのような様式性をへて、フェイクの伝統主義=ナショナリズムに帰着する。つまり、青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と「伝統」を大切にする保守として成熟してゆくのである。われわれは、まったく無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手にしていたのである(250p)」との分析は見事だと思います。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120715/p1
速水融『歴史人口学の世界』
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日本の歴史人口学の第一人者による歴史人口学の入門書。人間は突然大量に出現したりすることはなく、すべての人間はその父親と母親の間から生まれてきます。一家が貧乏ならば子どもを生んで育てる余裕が無く子供の数を減らすかもしれませんし、逆に生活水準が上がって子どもの死亡率が下がったので、子どもをたくさん産む必要がなくなったという場合もあるでしょう。人口の動きに注目することで、その時代に生きた人びとの生活というものも見えてくるのです。
この本では主にこの江戸時代の宗門改帳を分析しながら、江戸時代に人口や家族形態、そして人びとの生活を復元していきます。すごい地道な作業なのですが、この地道な作業を通して江戸時代の農民の生活の様子、社会や産業の変化、日本の中央部と東北地方や九州地方との違いなどさまざまなことが見えてきます。
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20121208/p1
ドナルド・デイヴィドソン『真理・言語・歴史』
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哲学の世界に大きな衝撃を与えた論文「墓碑銘のすてきな乱れ」を収録。
まあ、この論文については読む前からその概要や重要性はわかっていたのですが、次の結論部分はあまりにラディカル。
私は以下のように結論する。もし言語というものが、多くの哲学者や言語学者が考えてきたようなものであるとすれば、言語などというものは存在しない。すなわち学習されたり、習得されたり、生得的であったりするようなものは、何もない。われわれは、言語使用者が獲得し個々の事例に適用されるような、明確に規定された構造といった観念を放棄せざるをえない。(170p)
紹介記事:http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120116/p1
ちなみに新書に関してはこちらの新書ブログで2012年の5冊をあげています。