阿南友亮『中国はなぜ軍拡を続けるのか』

 中国の国防費は90年代以来、ほぼ毎年10%以上の伸びを続け、世界第二位の規模になっています。経済成長とともに国防費が増加するのは当然ですが、2017年も目標とされる経済成長率が6.5%なのに対して国防費は7%伸びるなど、中国の国防費の伸びは周囲を警戒させるレベルになっています。また、東シナ海南シナ海における海洋進出も周辺国からは異常な行動に思える部分があるでしょう。
 

 この本はそうした背景を探るとともに、中華人民共和国の建国以来の歴史を振り返ることで人民解放軍という軍のあり方とその変遷を改めて探る内容になっています。
 上記の部分については非常に興味深い内容ですが、経済についての言及に関しては、やや「中国崩壊論」的な部分があり、中国経済の悪い部分だけをクローズアップしてしまっている部分もあると思います。
 他にも、中国のマイナス要素が強調されすぎている部分があるので、そのあたりはやや割り引いて読む必要があるように感じます。
 以下に目次をあげますが、時間がない人は第5章から読んでもいいでしょう(そこまでは俗流の中国批判に近い部分が多い)。

はじめに
第I部 現代中国における独裁・暴力・ナショナリズム
 第1章 独裁と暴力
 第2章 漂流する中国の近代化
 第3章 「中華民族」という現実逃避
 第4章 経済発展と格差拡大
 第5章「党軍」と「党の安全保障」
第II部 毛沢東が遺した負の遺産
 第6章 誰が中国の敵で、味方なのか?
 第7章 新中国は解放軍なくして統治しえず
第III部 分岐点となった八〇年代
 第8章 「改革・開放」の光と影
 第9章 「独立自主」と解放軍の改革
 第10章 崩れたバランス
第IV部 軍拡時代の幕開け
 第11章 ポスト天安門期の危機が生んだ新指導部
 第12章 共産党の生き残りを賭けた諸方策
 第13章 二つのディレンマの呪縛
第V部 軍抗時代の解放軍
 第14章 軍拡にはしる解放軍の「意図」
 第15章 解放軍の「能力」診断
おわりに


 まず、第5章で確認されているのは、人民解放軍が国軍ではなく党軍、つまり中国共産党の軍隊だということです。人民解放軍は共産との私設軍隊という側面があり、しかもその将兵は230万人を数えます(アメリカが約130万人、インドが約115万という)。さらに中国には共産党直属の人軍事組織である中国人民武装警察(約66万)が存在し、その他にも定期的な訓練を行っている民兵部隊も400万を超えると言われています(79-80p)。
 著者は、これらの部隊は「中国の安全保障」を担うと同時に、「中国共産党の安全保障」を担っているといいます(82-83p)。


 共産党は国民党との内戦を勝ち抜き中華人民共和国を建国しましたが、建国当初、統治体制は整っておらず、人民解放軍野戦軍が地方の統治を担っていました。この軍による統治によって匪賊などは消えていきましたが、政治と軍の距離は縮まり、軍とパイプを持つ者が共産党内部でも共産党内部でも要職を占めていくことになります。
 トウ小平は第二野戦軍の政治委員でしたし、習近平の父・習仲勲は第一野戦軍の政治委員、林彪は第四野戦軍の司令員でした。
 また、中国における権力の源泉たるポストは国家主席でも共産党総書記でもなく、共産党中央軍事委員会の主席であるという見方も中国研究者の間では広く共有されています(109p)。


 このように国内統治に大きな力を発揮した人民解放軍ですが、朝鮮戦争ではその軍としての弱さを露呈します。近代戦を戦うには近代的な装備、中央集権的な組織、陸・海・空の複数兵種の統合作戦を意識した訓練や編制、将兵の軍事の特化した専門集団とするプロフェッショナル化などが必要でしたが、人民解放軍にはいずれも欠けていたのです。
 そこで人民解放軍の改革を行おうとしたのが初代国防部長の彭徳懐です。彭徳懐は解放軍をプロフェッショナル集団に変えるために、解放軍の行政機能を削ぎ落とし、同時に将兵の削減を進めました。
 しかし、プロフェッショナル化は解放軍の政治制を薄めるとの批判も浴び、また、彭徳懐が1959年7月の廬山会議で毛沢東に大躍進の中止を求めたことから彭は失脚します。


 彭徳懐のあとを継ぎ、第二代の国防部長となったのが林彪でした。林彪は解放軍内における毛沢東思想の学習を強化し、解放軍の政治性は高まりました。さらに、文革で地方の党委員と人民政府が機能不全に陥ると、軍人が地方の党と政府を掌握していくことになります。
 1966年に党副主席となり、毛沢東の後継者とさらた林彪でしたが、1971年に毛沢東に対するクーデターを企てたとされる林彪事件において、ソ連への亡命をはかり、乗っていた飛行機がモンゴルに墜落するという事故死を遂げます。


 そして、毛沢東の死後に党と軍の長老たちをまとめ上げたのがトウ小平でした。
 周恩来の死をきっかけとして起きた1976年4月の第一次天安門事件、同年9月の毛沢東の死によって体制が動揺すると、トウ小平は「改革・開放」によって体制を立て直そうとします。
 ご存知のように中国経済はここから離陸していくわけですが、トウ小平は市場の自由化は勧めたものの、共産党の一党支配を揺るがす政治の民主化に関しては一貫して否定的でした。
 1981年にトウ小平共産党中央軍事委員会の主席に就任し党内の地位を確立します。そして、総書記の胡耀邦を据え改革を進めました。胡耀邦文革期に膨れ上がった党員や軍人を退職させるなど、文革期の負の遺産を整理しましたが、当然ながらこれは反発を呼ぶことでもありました。
 また、改革は共産党幹部や地方政府の腐敗を生み、インフレは都市生活者の生活を苦しいものにしました。

 
 一方、人民解放軍に関しては80年代半ばから「整頓」が進みます。それまで中国はソ連の脅威、そしてアメリカの核攻撃の可能性に対処するために、多数の将兵を抱え、重工業を内陸に分散配置させるという戦略を取っていました。当然ながらこれは経済的には非効率なものです。
 しかし、80年代に入ると中ソ関係は徐々に改善、さらにアメリカ本土に到達する核ミサイルの配備が進んだことで米に対する抑止力を手に入れます。
 そこで、トウ小平楊尚昆、楊白冰兄弟や、海軍の劉華清らを抜擢し、大胆な軍の「整頓」を行います。70年代のピーク時から百数十万人が削減されましたが、このリストラされた将兵のため解放軍によるビジネスがさかんに行われるようになり、腐敗も起こってくるようになります。


 保守派からの反発により胡耀邦は1987年に総書記を解任され、89年4月に政治局の会議で吊し上げ同然の批判を受けた胡耀邦は心臓発作で倒れ亡くなります。この胡耀邦の死をきっかけに民主化を求める学生らが天安門事件に集まり、第2次天安門事件が起こることになります。
 トウ小平は軍を使ってこの動きを鎮圧します。民主化の動きが農村にまで広がらなかったこと、西側の制裁が比較的早期に解除されたことなど、共産党政権がこの危機を乗り切った要因はいくつかありますが、第2次天安門事件人民解放軍共産党政権を支える根本的な力だといういうことを示した出来事でもありました。


 第2次天安門事件の後、トウ小平が等の総書記に据えたのは江沢民でした。上海で民主化運動を封じ込めたことが評価された江沢民でしたが、江沢民には軍とのパイプが欠けていました。そこで、トウ小平劉華清と解放軍の教育畑を歩いてきた人物である陳震江沢民の後見的な存在とします。
 これによって江沢民政権は安定しますが、一方で、文官が軍人に予算などの見返りを与える代わりに軍の支持を得るというスタイルが確立していきます。
 91年のイラク戦争における西側諸国の一方的な戦いは人民解放軍に大きな衝撃を与えました。この衝撃と上記の要因が重なって中国の大規模な軍拡がスタートするのです。


 特に増強されたのが劉華清が率いた海軍です。劉華清は、沿岸防衛の任務しか果たせなかった中国海軍を、「近海防御」(黄海東シナ海南シナ海といった地域を守る)の責務を担える軍に作り変えていこうとします。
 具体的には、日本列島、台湾、フィリピン、ボルネオ島を結ぶ「第一の島嶼の鎖」(「第一列島線」)を守ることが目的とされ、将来的には小笠原諸島サイパン、グアム、ニューギニアの「第二列島線」でアメリカ軍を迎え撃つことを目標としています(274-275p)。
 この考えが、中国の南シナ海東シナ海への進出を後押しし、東南アジア諸国や日本との軋轢を生むことになります。また、この海洋進出を後押ししたものとして、第2次天安門事件以降の愛国主義教育や、「中華民族」概念の広がりもあります。
 さらに、95〜96年の第三次台湾海峡危機において、中国が台湾の総統選挙を妨害しようとしたもののアメリカの空母打撃群の前に沈黙せざる得なかった出来事も、中国海軍の軍拡に拍車をかけました。
 
 
 最後の第15章では、著者が海軍を中心に中国軍の戦力を分析しています。近年、急速な軍拡が進んでいる中国軍ですが、著者はさまざまな装備の問題などを指摘し、概していえば、解放軍の海軍・空軍の戦力は、この三十年の軍拡によってようやく1980年代のソ連軍の水準に達するところまで来つつあると評価しうる」(319p)と診断しています。
 この診断が確かなものかどうかはわかりませんが、ハイテク兵器を揃え、実戦での運用経験もあるアメリカ軍に比べると、まだまだだというのは事実でしょう。


 この本を読むと、中国の軍拡は「アメリカや日本の脅威に対応したもの」というだけではなく、国内統治、特に共産党政権が人民解放軍の支持を必要としていることから続いていることであり、例えば、日中関係、日米関係が好転したから、中国が大胆な軍縮に踏み出すというものではないことがわかります。
 共産党政権がつづく限り、中国の軍拡はある意味で必然とも言えるのです。


 このように中心的な主張は納得できるのですが、この本はその主張を補強するために、中国経済や社会状況に対して必要以上に悪い材料を集めているように思えます。
 確かに、中国の格差は深刻ですし、共産党幹部の腐敗は問題ですし、中国の経済統計には信用できない部分もありますし、中国の外交は周辺諸国との軋轢を生んでいるわけですが、それでも中国経済は順調に成長していますし、習近平政権のとりあえずは盤石の構えを見せています。この本の記述からすると腐敗しまくった政権が超格差社会の矛盾を人民解放軍の力で押さえつけているような印象ですが、確かにそういった側面もあるにしろ、それだけではないと思うのです。
 軍事面だけではなく、中国の政治や社会全般に言及している本なので、中国という国家や社会が「わかった」ような気になるかもしれませんが、ここで語られているのはあくまでも一側面なのだと考えたほうがいいでしょう。


中国はなぜ軍拡を続けるのか (新潮選書)
阿南 友亮
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