ケン・リュウ『母の記憶に』

 同じ「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」から出た日本版第一短篇集『紙の動物園』が面白かったケン・リュウの日本版第二短篇集。
 『紙の動物園』では、イーガン的な「テクノロジーと心」の問題から、「良い狩りを」に見られるバチガルピ的なスチームパンクっぽい作品まで、いろいろな世界を見せてくれる器用さに感心すると同時に、「文字占い師」に見られるような中国や台湾や日本にたいする批評的な眼差しにこの作家のオリジナリティを見たのですが、今作では特に中国に対する批評的な眼差しが前作以上に満ちていて、非常に読み応えがあります。


 まずはSF作家としてのケン・リュウにも触れたいと思いますが、テクノロジーを家族などのドラマに絡めることが非常にたくみで、表題作の「母の記憶に」や「存在」、「残されし者」などはイーガンの「泣ける」短編を思い起こさせます。
 アイディア自体はイーガンほどではないかもしれませんが、SF的アイディアを物語に落としこむ腕はイーガンと遜色がないです。


 ただ、ここでケン・リュウのオリジナリティとしてプッシュしたいのが、先程も述べた中国をはじめとする東アジア圏への批評的な眼差し。
 巨大熊を仕留めるために機械馬などを用いた日本陸軍満州に赴くという「鳥蘇里羆(ウスリーひぐま)」といった日本を扱った作品もありますが、この短篇集で目立つのは著者の生まれ故郷でもある中国について作品です(著者は子どもの頃にアメリカに渡り現在もアメリカで暮らしている)。

もし革命が中国に起こるとすれば、その引き金を引くのは、演説ではなく愛人だろうな(156p

 これは「レギュラー」という近未来クライム・サスペンスの中にある一節です。
 若い高級娼婦が次々と殺される事件を捜査するルースという女性探偵を主人公に据えた作品で、近未来ミステリーとしてもなかなかの出来なのですが、そこにさらに深みを与えているのが、アメリカの中国人社会と、中国本土からくる高級官僚といった現在の問題とも地続きの背景設定です。


 「万味調和 ー 軍神関羽アメリカでの物語」は19世紀後半のアイダホの鉱山にやって来た中国人労働者の一団とアメリカ人の少女の交流の物語。中国人労働者たちのリーダーともいうべきローガン(老関(ラオグウアン))という男と三国志関羽が重ねあわせられるように描かれますが、思い出すのはマキシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』に描かれている中国人労働者たちの姿。おそらく影響も受けているのではないかと思われます。

 
 そして、現代の中国への批評的な眼差しがもっとも鋭く発揮されているのが、清による揚州大虐殺を背景にした「草を結びて環を銜えん」と「訴訟師と猿の王」という2つの作品。
 揚州大虐殺とは1645年に、清のヌルハチ第15子の予親王多鐸(ドド)軍が、南明の史可法軍と戦闘した際に、揚州で大規模な殺戮を行ったというもので死者は80万人にのぼったとも言われています。
 「草を結びて環を銜えん」は、その揚州大虐殺を背景に遊郭の女性が生き抜こうという様を描いたもので、SFとかそういった要素はないものの非常に上手い人間ドラマとなっています。
 ただ、この「草を結びて環を銜えん」において、揚州大虐殺は舞台の背景に過ぎません。ところが、この揚州大虐殺はほんの後半に収められた「訴訟師と猿の王」でもう一度重要なモチーフとして登場します。


 実は清朝は揚州大虐殺を隠すべきものとして、虐殺について書かれた本を禁書にしました。そして、それらの本は完全に失われたかに見えましたが、一部は日本に渡り、そして辛亥革命期になると日本から再び輸入される形で流通したといいます。
 つまり、揚州大虐殺は当時の政府によって「抹消された出来事」なのです。「訴訟師と猿の王」はその「抹消」に抗う人々を描いた作品なのですが、現在の中国において「抹消された出来事」といえば、当然のように天安門事件が思い起こされますよね。
 もちろん、この小説の中で天安門事件について言及されることはありませんが、記憶を書き換えようとする権力に対抗する人々を描いた「訴訟師と猿の王」は100%とは言わないまでも天安門事件を意識しているのではないかと思います。


 もちろん、SFとして優れたその他の収録作品も多数なのでSFファンにはお薦めですが、それ以外の人、例えば、中国に興味を持っている人などにもお薦めしたいですね。
 Amazonでは現在品切れのようですが、Kindle版も出ています。


母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ケン リュウ 牧野 千穂
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