『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

 監督のアレックス・ガーランドは『28日後...』の脚本の人だということを見終わってから知って、「なるほど」と思いました。

 『28日後...』はストーリーとうよりはシチュエーションやシーンを中心に構成された作品ですが、この『シビル・ウォー』もそうだと思います。

 監督兼脚本のアレックス・ガーランドが描きたいのは、アメリカ内戦のストーリーではなくて今のアメリカに生まれそうなシチュエーションやシーンなんですよね。

 

 『シビル・ウォー』は内戦に突入したアメリカを描いた映画ですが、内戦の過程を描くのではなく、内戦の中でニューヨークからワシントンD.C.へと向かう(危険な地域を避けるためにかなり回り道をしながら)、ジャーナリストを描いたロードムービーになっています。

 

 ファシスト的な大統領が憲法を無視して3期目に突入し、FBIを解散させるなどの行為を行ったため、テキサス州カリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」が連邦から離脱し、内戦が始まるという設定で、映画ではこの「西部勢力」がワシントンD.C.に迫っているという状況になっています。

 途中で大統領が国内への空爆を命じたということなどは出てくるのですが、圧倒的な航空優勢があるはずの連邦軍が州軍主体と思われる「西部勢力」に押されている理由などは特に明示されません。

 ちなみに「テキサス州カリフォルニア州の同盟」というのは代表的なレッド・ステイトとブルー・ステイトを並べたわかりやすい弾除けですよね。

 

 といわけで、この映画が描きたいのシチュエーションやシーンです。内戦下のアメリカということで当然ながら残酷なしーんも出てくるわけですが、ここでは主人公のリー・スミスと彼女に憧れるジェシーがともに戦場カメラマンであり(ジェシーは戦場カメラマン志望)、共に旅をするジョエルやサミーもジャーナリストであるということがその残酷さを和らげます。残酷な状況も1枚の写真として切り取られ、過去のものになるからです。

 また、音楽も映像の緊張をずらすために使われていたりして、緩急をつけながら観客に内戦下の緊迫感を伝えるような構成になっています。

 

 この内戦下の緊迫感を観客に体験させるという点でこの映画は成功していると思いますけど、個人的にはラストの部分でリアリティが崩壊してしまっているとも感じます。

 

 以下ネタバレなので嫌な人は読まないでください。

 

 

 

 個人的にはシャーロッツビルの軍事拠点について、連邦が降伏するということを知った時点で映画は終わりにしてもよかったと思います。

 ワシントンD.C.に突入してから、特にホワイトハウスのくだりではリアリティが完全に崩壊してしまっているのではないでしょうか。

 さすがにジャーナリストが先頭になって、まだ戦闘員がいるかも知れないホワイトハウスに入っていくのは変ですし、ホワイトハウスに入ってくる部隊の人数も少なすぎます。

 また、ハイになってしまったジェシーの行動があまりにも愚かで、悲劇が不可避であることをかなり前から伝えてしまってることもやや興ざめです(もっとも、ここはカメラ(スマホ)をもったときの人間の愚かさというものを伝えたかったのかもしれない)。

 というわけでラストの流れはやや蛇足に感じました。