角田光代訳『源氏物語1・2』

 大河ドラマの「光る君へ」を見ながら、そういえば『源氏物語』をちゃんと読んだことがないなと思い、ちょうど池澤夏樹の日本文学全集に入っていた角田光代訳が文庫化されつつあったので、1巻と2巻を読んでみました(全8巻とのこと)。

 

 今までダイジェスト的なものしか読んだことがなかったのです、果たして角田訳が他に比べて優れているかどうかがわからないのですが、とりあえずは読みやすいです。和歌についても現代語訳がついていて親切なつくりになっています。

 内容的には、第1巻が「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」、第2巻が「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」「須磨」「明石」で、失脚して須磨に移った源氏が再び都に戻るまでになります。

 

 源氏物語については内容を紹介してもしょうがないので、読んでいて感じた点をいくつか書いておきます。

 

 みんな、特に源氏がよく泣く。

 源氏というのは完全無欠な存在で、その美しさに周囲は見るだけで涙が浮かぶというような感じなのですが、その源氏もよく泣く。「男は涙を見せぬもの、見せぬもの」(byガンダムのED)なんて言ってられない。

 

 恋愛は被害者ムーブメント。

 『源氏物語』では、もちろんさまざまな恋愛、男女の恋の駆け引きが描かれているわけですが、基本的には「私はあなたをこんなにも想っているのにあなたはつれない」といったことを言い合う展開が多い。

 しかも、源氏の周囲の女性がこういう気持ちになるのは当然なのですが、モテモテの恋愛強者の源氏もこのような被害者ムーブメントをするところはズルいと思う。

 

 和歌が多い。

 当時、男女の想いは歌で伝えられていましたが、それにしても歌が登場する頻度が高い。『奥の細道』における俳句以上の頻度で歌が詠まれているのではないでしょうか。

 これをすべて紫式部が考えたとすると驚異的ですね(『奥の細道』には弟子の曽良の俳句とかも混じっている)。

 

 女性ならではの視点。

 養子のような形で迎えられた紫の上が、源氏と初めて男女の関係になったあとに非常にショックを受けるところとか、源氏の愛から逃れようとする空蝉の描写とかは女性ならではの描き方だと思いました。

 

 女性たちの心理描写について。

 六条御息所や明石の君などはその心理がわかるように描かれているのですが、源氏の妻である葵の上や紫の上についてはその心理がよくわからないようになっている。

 紫の上については今後その心理が描かれるようになってくるのかもしれませんが、2巻が終わった時点では、紫の上の心のうちは源氏が推測する形でしか示されておらず、紫の上の本心はよくわからない形になっている。

 葵の上についても最後までその心理は秘められる形になっており、源氏にとってだけではなく読者にとっても明確にならない人物像になっている。

 

 とりあえずは2巻までよんで一休みするつもりですが、今後、機会を見つけて最後まで読んでいきたいですね。