アビジット・V・バナジー、エスター・デュフロ『貧乏人の経済学』

 「みすず書房から山形浩生の訳書が出る!」っていうことだけでも期待してしまいましたが、期待に違わず面白い本。
 貧乏人の一見不合理な行動に裏に見られる合理性や、理念は立派だけど期待はずれな政策の問題点、貧困を改善するためのちょっとした工夫など、あくまでミクロ経済学的な視点から丁寧に掬いあげています。


 貧困とそれを助けるための援助に関しては、ジェフリー・サックスとウィリアム・イースタリーの有名な対立があります。
 サックスは「貧困の罠」に陥っている貧しい人々を救うには教育やインフラなどへの大規模な援助が必要であると考えています。最初の大きな一押しが貧困からの脱出には必要不可欠なのです。
 一方、イースタリーは援助は貧しい人々の自己解決能力を損ない、現地の制度を歪めると考えています。援助は自由な市場を阻害し、かえって成長を妨げることもあるというのです。
 貧しい地域への教育やインフラの「供給」が大事だと考えるサックス、いやそれよりも人びとの「需要」が大事だと考えるイースタリー、これはある意味で経済学ではお馴染みの対立といえるでしょう。


 しかし、この『貧乏人の経済学』でバナジーとデュフロのとるアプローチは違います。
 この本で行われているのはランダム化対照試行と呼ばれる方法を使ったミクロ的な分析です。ランダム化対照試行とは、ある政策を実施した場合と実施しない場合を比較してその政策の効果を測定するやり方で、同じような状況のA村には政策を実施し、B村にはしないといったやり方で政策の効果を測定していきます。
 この本では、食糧、健康、教育、家族計画、保険、マイクロファイナンス、起業などのさまざまなトピックがとり上げられていますが、ここでは教育を中心にこの本の手法や主張を見ていきたいと思います。


 メキシコの財務副大臣であった経済学者のサンチャゴ・レヴィは、子どもたちが規則正しく学校に通い家庭が定期健診を受診することなどを条件にして、家庭にお金を与える補助金制度をつくりました。この補助金は小学校よりも中学校の生徒、男子よりも女子のほうがより多くの補助金を受けてれる形になっていて、さらにこの補助金を実施する地域と実施しない地域をつくって両者を比較できるようにしました。
 その結果、子どもの就学率は上がり、特に女子の中学校への就学率は顕著な向上を見せました(114ー115p)。つまり、親に子どもを学校に行かせる何らかのインセンティブが重要だというわけです。
 ところが、同じような補助金は実は条件を付けなくても効果があるかもしれないのです。マラウイで行われたプログラムでは子どもの就学などを条件につけないで補助金を支給するやり方も試されました。その結果、条件をつけて補助金を支給した家庭も、条件なしで補助金を支給した家庭も、ともに就学率は上がっています。たんなる財政的援助でも十分な効果があるかもしれないのです。


 このようにこの本ではさまざまなプログラムの実験が報告され、その内容が分析されています。
 ときにサックスの考えが効果を上げるときもあり、ときにイースタリーの考えが効果を上げるときもあります。また、まったく違うアプローチが効果を上げることもあります。 
 さらにこの本ではプログラムの優劣だけではなく、貧乏人の「合理的な思考」も同時に分析されています。


 また、教育を例に出しますが、貧乏人は教育を一種の「賭け」のようなものと捉えているのだそうです。
 貧乏な人の間には、上の学校へ行けば行くほどその子の収入が急速に伸びていうという「期待」があります。小学校に1年かよっても得られるものは少ないですが、中学や高校まで行くことが出来れば得られるものは大きいと考えているのです。
 そうなると、親は兄弟の中のできる一人に期待を集中させることになります。その結果、逆にできる子の兄弟は親から十分な教育投資を受けることができません。この本では次のような調査が紹介されています。

 ブルキナファソでは、ある調査によって、知能テストで高得点をとった若者は就学率が高くなりますが、兄弟が高得点をとった場合には就学率が下がることがわかっています。(127p)

 そしてこの誤解は教える側にまで広まっています。
 途上国の教師の多くがエリート主義的な教育を指向し、その裏で膨大な数の「落ちこぼれ」を生み出しています。教師もできる子が上の学校にいけるための教育ばかりに情熱を注ぎ、底辺の底上げには興味が無いのです。
 ケニアで、教師をくじ引きによって「最高」か「最低」のクラスに振り分けたところ次のようなことが起こったそうです。

 最低コースに配属された教師は、そこで教えても何も得るものはなく、生徒たちの出来の悪さを責められることになると言い立てて、憤慨していました。そして彼らは自分の行動もこれにあわせて変えました。何度か無作為に訪ねてみると、最低クラスに配属された教師は、トップコースに配属された教師たちに比べると、教壇に立たなくなり、職員室でお茶を飲んでいることが多かったのです。(130p)

 このような状況を見ると、「まずは教師の質を上げなければ!」という考えが頭に浮かぶかもしれませんが、この問題は「教師の質」に還元できるものではありません。
 インドの教育NGOプラサムは、子どものもとに一緒に勉強してくれる地元のお姉さん・バルサキを派遣するプログラムを行なっています。ほぼボランティア同然で不十分な教育しか受けていないバルサキたちは、より教育を受けた先生たちを上回る効果をあげています(122ー123p)。これに対して、レベルの高いはずの私立学校では「5年生のまるまる3分の1が、1年生レベルの文章も読めないことがわかっています。」(124p)
 この結果に対して著者たちは次のように結論づけています。

 教育には一つ、独特な重要な問題があるのです。教育が何を実現するのかという期待の特異さが、親たちの要求、公立私立学校の両方が提供すること、そして子供たちが達成することを歪めています ― そしてこれによって膨大な無駄が生まれているのです。(124p)


 ここまで教育についての議論を中心にこの本の内容を紹介してきましたが、これ以外にも興味深い議論が目白押しです。
 特にマイクロファイナンスや企業についての部分は、マイクロファイナンスのはたらきは認めつつも、マイクロファイナンスが決して「魔法の杖」ではなく、公務員や工場勤務などの安定した雇用のほうが、より簡単に目覚ましく貧乏人の生活を向上させると述べています。
 これは日本などの先進国に住むわれわれにも言えることですが、「起業はむずかしすぎる」(293p)のです。しかも、さまざまな制度が整っていない途上国での起業の難しさは、先進国のそれをはるかに上回ります。
 このような当たり前のことを改めて気づかせてくれるのもこの本のいいところです。
 とにかくこの本は、貧困や途上国の問題を考える上で「必読の本」といえるのではないでしょうか。


貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える
アビジット・V・バナジー エスター・デュフロ 山形浩生
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