ウィリアム・イースタリー『エコノミスト 南の貧困と闘う』

 一時期、ジェフリー・サックスと援助の有効性を巡って論戦を繰り広げていたウィリアム・イースタリーの本。
 『貧困の終焉』で、大規模な援助(ビッグプッシュ)があれば途上国は成長すると考えたサックスに対して、援助は基本的に有効ではなく、かえって成長を妨げている場合もあると主張したのがイースタリーになります。
 この本は、そのイースタリーが2001年に出した本で、日本での翻訳は2003年に出版されています。
 というわけで、現在の世界経済の状況からすると少し古びている部分などもあるのですが(資源価格の高騰にアフリカ諸国の成長などはこの本の出版後の出来事)、経済成長の理論を紹介した部分や、援助や債務の減免に疑問を呈した部分、成長を阻害する政府の問題などは、いまなお有効だと思います。


 「経済援助を行えばその国の経済は成長する」という経済学的な根拠はハロッド・ドーマーモデルにさかのぼります。
 1946年に発表した論文で、ドーマーは「生産能力は機械ストックに比例すると仮定した」わけですが、「それは現実的でないと認めていた」そうです(38p)。しかし、エコノミストたちはこのドーマーの考えを使って、「必要投資とその国の貯蓄の差を「資金ギャップ」」(39p)として求め、それを援助で埋めることで経済成長が可能になると考えました。また、アーサー・ルイスも基本的に同じように考えていたといいますし(41ー42p)、ロストウも「自律的成長への離陸」という人口に膾炙する言葉を生み出して、同じようなことを主張しました(43ー46p)。
 なお、ルイスもロストウもこれらの理論を生み出す上で、ソ連経済の成長を分析していました。今では信じられませんが、ソ連の「成功」が一つのモデルとして考えられていたのです。


 この「資金ギャップ」の考えは今なお根強くありますが、著者は否定的です。「貧しい国に援助したからといって、その国の人々の将来の投資に対するインセンティブが変わるはずないではないか」(53p)というわけです。
 実際、ギニアビサウ、ジャマイカザンビアガイアナコモロ、チャド、モーリタニアといった国々は、独立時の投資も大きく、多くの援助を受けましたが、経済成長は惨めなものでした(59p)。
 「援助で投資を増やせば経済は成長するという迷信のせいで、我々は50年間も道に迷っていた」(60p)のです。
 
 
 一方、「設備投資は長期的には成長の原動力にはなり得ない」としたのが、ロバート・ソローの1956年と1957年の論文でした。ソローは「長期的成長の唯一の源泉は技術進歩である」とし(65p)、経済成長の鍵は投資であるという考えを否定しました。
 1人の労働者に多くの機械を与えても、数が増えるにつれ使いこなせなくなり、生産の伸びは鈍ります。いわゆる収穫逓減の法則になります。
 ですから、投資が潤沢に続いても、その投資を支える貯蓄があっても、いずれ成長は鈍っていくことになります。しかし、それにもかかわらず先進国は1人あたりのGDPを伸ばし続けてきました。それは技術進歩があったからです。


 ソローは自らの理論を途上国には当てはめませんでした。ソローの収穫逓減の法則の考えが正しいならば、機械がほとんどない途上国では、最初は急速な成長が見込めるはずです。そして、成長率が鈍ってきた先進国との差はつまっていくはずなのです。


 ところが、実際に途上国が急速に成長する現象はほとんど観察されませんでした。
 そこで、経済学者たちは教育による人的資本の違いなど、さまざまなものにその原因を求めました。そして、教育への重点的な援助などは行われてきたわけですが、イースタリーはそういった援助にも否定的です。


 教育については日本や東アジアなどの教育に熱心な国々が成功したことから、経済成長の鍵と考えられがちです。
 しかし、プリチェットの研究によると教育の増加と1人あたりの成長の間に正の相関はありません(103p)。1960〜1987年にかけてアフリカの国々は人的資本を急速に成長させましたが、経済成長は惨めな結果に終わりました。「ザンビアでは韓国よりも人的資本の成長率が高かったが、経済成長率は7%ポイントも低かった」(104p)のです。また東欧・旧ソ連も修学期間の点では就学期間の点では西欧・北米に遜色ありませんが、1人あたりのGDPには大きな差があります。


 確かに高等教育の普及度合いと1人あたりのGDPの間には相関があります。しかし、イースタリーは次のような可能性も指摘します。

 高等教育が、所得が上昇するにつれて享受できるようになる奢侈品だったらどうなるだろうか。もし奢侈品だとすると、一人当たりの所得が増えるにつれて、高等教育への需要が伸びるのは当然だが、高等教育がどれだけ生徒の生産性を高められるかの証明にはならないだろう。(112p)


 イースタリーは教育の効果をすべて否定しているわけではないですが、教育が機能するためには生徒や教師などのインセンティブをよく考えて投資する必要があるといいます。


 第6章では今までの援助が批判されています。IMF世界銀行から多くの融資を受けた国が成長しているという事実は観察されませんし、また、構造調整が上手く行っていることを偽装する途上国も多く、かえって経済を混乱させているケースもあるというのです。
 また、援助は援助国、被援助国のインセンティブを歪めます。被援助国からすると貧困が大きい国のほうが援助を受けやすいので、貧困問題を解決するインセンティブが失われます。一方、援助国は省庁単位で援助を行っているので、たとえうまくいっていない援助であっても省庁の予算を確保するために続行されることも多いのです(161ー164p)。


 このように途上国を救う道をことごとく否定しているかに見えるこの本ですが、そんな中でイースタリーが成功事例としてとり上げているのが、バングラデシュにおける繊維産業の勃興。
 韓国の大宇は、アメリカやヨーロッパの繊維製品に対する輸入割当をかいくぐる手段として、輸入割当の対象国となっていないバングラデシュに注目しました。バングラデシュ人で大宇にもコネがあったヌールル・クエイダーは、1979年にデッシュ社を設立、大宇と提携します。このときバングラデシュの衣服製造業の労働者はわずか40人に過ぎなかったといいます(202p)。
 デッシュ社と大宇社の提携の目玉はデッシュ社の労働者130人を大宇の釜山工場で研修すること。代わりにデッシュ社は売上の8%をロイヤリティとして大宇に払う契約でしたが、生産は急拡大し、1981年大宇との提携は解消されます(202-203p)。
 この提携によって大宇の生産知識がデッシュ社に移転されましたが、それだけではすみませんでした。デッシュ社でノウハウを身につけた人々が次々と衣服の製造会社を設立。バングラデシュの繊維産業は急拡大し、多くの雇用を生み出すことになります。


 ここで重要なのは、単純に技術だけでなく、経営の仕方、輸入の仕方といった知識までがバングラデシュに広がっていったことです。外国人がやってきてバングラデシュの人たちに機械の使い方を教えただけでは、決してこのような産業の勃興はおきなかったでしょう。
 個人的には、明治期に渋沢栄一が大阪紡績会社をつくるさい、外国人を呼んでくるのではなく、山辺丈夫に大金を与えてイギリスで機械工学や実際の工場の運営までを学ばせた事例を思い出しました。
 もちろん、先進国であれば機械に詳しい人間や経営に詳しい人間、輸出事務に詳しい人間を探しだすことは容易でしょう。しかし、途上国ではそのような人材はなかなか見つかりません。イースタリーはこの問題を「補完性」の問題と言っていますが、この補完性こそが豊かな国が豊かである一つの理由になります。


 後半の章でとり上げられているのが、政府が経済成長を殺すケースです。 
 高インフレや為替市場のおける公定レートと実勢レートの乖離、輸出入の規制、過渡の官僚主義汚職といったものは経済成長を殺します。
 また、民族や宗教、経済格差などによって国民が分断されているケースも経済成長にはマイナスに働きます。


 このように援助の有効性が否定されるとともに、持続的な経済成長の難しさというものを痛感させられるような本ですが、経済成長の理論なども噛み砕いて説明しており、経済学に疎い人が読んでも興味深く読めるような内容になっています。
 さすがに2001年の本なので、事例の中には古さを感じさせられるものもありますし、00年代〜10年代前半にかけての資源価格の高騰によるアフリカ諸国の成長などは視野に入っていないので、データとしても古いものがあったりします。
 それでもイースタリーが提唱するいくつかの原則や、援助を考える上での問題点といったものは古びていないと思いますし、今なお読む価値のある本だと思います(Amazonマーケットプレイスだとかなり安く買えるみたいですし)。


エコノミスト 南の貧困と闘う
ウィリアム イースタリー William Easterly
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