ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』

 世界の不平等について論じた『不平等について』や、「エレファント・カーブ」を示して先進国の中間層の没落を示した『大不平等』などの著作で知られる経済学者による資本主義論。

 現在の世界を「リベラル能力資本主義」(アメリカ)と「政治的資本主義」(中国)の2つの資本主義の争いと見た上で、その問題点と今後について論じ、さらに「資本主義だけ残った」世界の今後について考察しています。

 

 著者のミラノヴィッチはユーゴスラビア出身なのですが(ベオグラード大学の卒業で、アメリカ国籍を取得)、そのせいもあって社会主義とそこから発展した中国の政治的資本主義の分析は冴えており、「社会主義が資本主義を準備した」という、挑戦的なテーゼを掲げています。

 アセモグル&ロビンソンは『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』の中で、中国の発展はあくまでも一時的なものであり、民主化や法の支配の確立がなされないかぎり行き詰まると見ていますが、本書によれば、逆に中国では経済成長と法の支配が対立するような考えとして描かれています。

 それほど厚い本ではないですが、今後の世界の行方を考えていく上で非常に参考になる本だと思います。また、梶谷懐による解説もよくまとまっており、ここからダウンロードできるので(PDF)、まずは読んで見るものいいかもしれません。

 

 目次は以下の通り。

 

1 冷戦後の世界のかたち

 1 資本主義はただひとつの社会経済システムである

 2 アジアの台頭と世界の再均衡化
2 リベラル能力資本主義
 1 リベラル能力資本主義の特徴

 2 システム的な不平等

 3 新たな社会政策

 4 上位層は自己永続的か

3 政治的資本主義

 1 共産主義の歴史的位置づけ

 2 第三世界(の一部)が資本主義化するために、なぜ共産主義革命が必要とされたのか
 3 政治的資本主義のおもな特徴
 4 中国の不平等についての考察

 5 政治的資本主義の持続性とグローバルな魅力

4 資本主義とグローバリゼーションの相互作用

 1 労働と移民

 2 資本とグローバル・バリューチェーン
 3 福祉国家——生き残るために
 4 世界に広がる腐敗

5 グローバル資本主義の未来

 1 超商業化資本主義では道徳観念の欠如が避けられない

 2 原子化と商品化

 3 技術進歩に対する根拠のない不安

 4 豪奢で快楽に満ち(ルュクス・エ・ヴォリュプテ)

付録A グローバルな歴史における共産主義の位置づけ
付録B 超商業化とアダム・スミスの「見えざる手」
付録C 方法論的問題と定義

 

 グローバリゼーションの進展とともにアジア経済が成長し、世界全体の不平等は改善し、世界は再均衡化しつつあるともいえます(8p図1−1参照)。

 このアジア、特に中国の経済成長については、今までの西欧型の経済成長とは異質なものだという指摘があり、独自の資本主義を築きつつある状況です。また、世界の不平等が減少している一方で、多くの国で国内の不平等は拡大しつつあります。

 本書はそうした問題について分析したものになります。

 

 まず、本書では資本主義を「生産の大半が民間の生産手段によって行われ、四品が法的に自由な労働を雇用し、調整が分散化されるシステム」であり、「大変の投資決定が民間企業ないし個人起業家によってなされる」ものであると定義しています(15p)。

 

 その上で現在のアメリカに見られるような資本主義を「リベラル能力資本主義」と名付けています。

 まず、このタイプでは総所得における資本シェアの上昇が見られます。所得を資本と労働で分配する際に資本の取り分が増えているのです。

 この傾向は古典的な資本主義でも見られましたが、現在は金持ちが労働所得からも大きな富を受けているのが特徴です。古典的資本主義の金持ちはその資本から富を得るだけで自らがあくせく働くことはあまりありませんでしたが、現在の金持ちは労働からも大きな所得を得ています。

 

 さらに本書では不平等を促進するものとして、遺産相続とともに同類婚の問題をあげています。

 1950年代のアメリカであれば、金持ちの男の妻が自分で働いて稼ぎを得る可能性は少ないものでしたが、現在では金持ちで高学歴の男性は同じく金持ちで高学歴、しかも自らも働いて稼ぎのある女性と結婚するようになっています。これによって世帯間の不平等はさらに広がっていくことになります(古典的資本主義の時代も金持ちの男性は金持ちの娘と結婚したが、その娘が働いて稼ぎを得ることはまれだった)。

 1970年の段階で、20〜35歳の男性所得者の上位10%に入るアメリカ人男性のうち、女性所得者の上位10%と結婚した人は12.8%で、下位10%と結婚した人は13.4%でした。しかし、2017年には上位10%の女性と結婚する人は28.7%まで上昇する一方で、下位10%と結婚する人は10.7%に低下しました。上位10%の女性が下位10%の男性と結婚する割合は、70年の11.0%から17年には5.6%にまで低下しています(44p図2−4A、B参照)。

 

 総所得において資本シェアの取り分が増え、労働シェアの取り分が減っていることに関しては、産業構造の変化や労働組合の弱体化などがその原因としてあげられますが、それ以外にも企業のあり方の変化もあげられます。

 以前、アメリカの大企業は市場賃金よりもやや高めの賃金を支払うことで従業員の会社に対する忠誠を促していましたが、仕事がアウトソーシングされるようになれば、従業員の忠誠心などは気にしなくていいからです。

 

 もともと資本所得は一部の金持ちに集中する不平等なもので、資本所得のジニ係数は労働所得のジニ係数よりも遥かに高いです(ちなみに労働所得のジニ係数はかなり小さいが資本所得のジニ係数が非常に大きいのが日本。台湾やノルウェーは双方が小さく、イギリスやアメリカは双方が大きい、資本所得のジニ係数が比較的低いが、労働所得のジニ係数が大きいのはフランス(35p図2−2参照))。

 しかも、金持ちはより有利な形で資産運用ができるために、ここでも不平等は拡大します。

 

 こうした状況に対し、製造業からサービス業への転換とともに職場は分散するよようになり、また、中国の世界経済への再統合が資本主義システムのもとではたらく労働力のプールを大幅に増やしたこともあって、労働組合による格差の是正は難しくなっています。

 さらに先進国では教育年数も限界まで伸びつつあり、教育による格差の是正も期待しにくいです。グローバリゼーションによる資本の移動性の高まりは課税による格差の是正も難しくしています。

 

 現在の先進国は一見すると開放的なシステムに見え、人びとの意見によって政治は変わり、努力によって成功を掴めそうにも見えますが、政治献金によって政治は金持ちによって支配されがちですし、金のかかる私立学校が幅を利かせているせいで、貧乏人が努力でのし上がってくるのは容易ではありません。

 金持ちの子どもは財産だけでなく、貧乏人には手の届かない良質な教育を受けることで、競争において優位に立てるのです。

 

 リベラル能力資本主義に対抗するのが「政治的資本主義」と呼ばれるスタイルです。

 本書で中心的にはとり上げられているのは中国です。中国は共産主義国であったにもかかわらず急速な資本主義化が進行しましたが、著者は共産主義こそが資本主義を準備したといいます。

 「共産主義とは、後進の被植民地国が封建制を廃止し、経済的政治的独立を回復し、固有の資本主義を築くことを可能にする社会システム」(90p)だというのです。

 

 20世紀の前半、のちに第三世界と呼ばれるようになる国々は、経済発展の遅れ、封建的な生産関係、外国による支配、という3つの問題を抱えていました。

 これらの国は経済発展の遅れを取り戻すだけでなく、地主中心の経済関係を打ち壊し、外国の支配を覆すことが要請されていました。そして、中国やベトナムにおける革命は、これらの障害を取り除くものだったのです。

 この革命によって、農村の疑似封建的関係や部族的社会関係は弱体化し、現代的な核家族構造とジェンダー平等がもたらされ、教育が普及し識字能力が向上しました。

 共産主義と言えば「インターナショナリズム」のはずですが、中国ではナショナリズム色が強く、外国からの影響力が排除されていったのです。

 

  マルクスの予言とは違い、共産主義東ドイツチェコスロヴァキアといった先進工業経済では成功しませんでした(一方、ヨーロッパでも後進地域のブルガリアなどのほうが経済成長率は高くでた(100p図3−1参照))。

 そして、中国やヴェトナムといった貧しい農業社会で成功を準備することになるのです。

 これは、貧しい国にとっては、市場のインセンティブの欠如というマイナス面よりも、中央計画によるインフラや教育の改善などの影響が大きいからだと考えられます。

 

 著者は、こうした共産主義を経由した国(中国やヴェトナム)や、権威主義的な国(シンガポール、近年のエチオピアルワンダなど)を「政治的資本主義」として分析しています。

 このシステムでは経済に対してテクノクラートが大きな影響力を持っています。そして、その裏返しとして法の支配の欠如があります。国家は必要とあれば民間部門を抑制できる自律性を保持しており、資本家の利害が支配的な力を持つことは許されていません。

 

 一般的にテクノクラートはルールに従って働くわけですが、このシステムのもとではそのルールはときに無視され、法は恣意的に運用されます。

 そこで起こってくるおが腐敗です。官僚には大きな自由裁量権が任されており、特に高位の者の権限は大きいです。そうなれば腐敗のインセンティブが生じ、腐敗は不平等を拡大されます。

 しかし、腐敗と不平等の拡大は統治の正当性を傷つけます。習近平による恣意的な腐敗退治(政敵を中心に摘発した)は、このジレンマを切り抜ける1つの策とも言えます。

 ちなみに著者は政治的資本主義の国の経済成長度と腐敗ランキングを表にまとめていますが(114p表3−1)、シンガポールボツワナは腐敗の少ない例外となります。

 

 中国の不平等は、近年都市部においては安価な労働力の拡大が限界に達したこともあり不平等の拡大が止まっていますが、農村部の不平等は拡大しているとのデータもあり、全国的な不平等は高水準にあります(119p図3−6参照)。

 中国でも資本所得の割合は上昇しつつあり、資本家階級(起業家)や新たな中間層が生まれつつありますが、宋代の商人たちが「階級」を築くことができなかったように、こうした階級は政治権力に抑え込まれるかもしれません。

 

 中国では所有権のあり方が不明瞭ですが、これも政治的資本主義が存在するための条件になります。

 さきほど述べた法の支配の不在と同じですが、これは経済的な不透明さと同時に経済成長のための機動的な施策を可能にしています。民主的な政体が権利の調整に何年もかけている間に、政治的資本主義はスピーディーにインフラなどをつくることができるのです。

 

 ただし、中国はアメリカと違って、自らの「体制」を輸出しようとはしていません。中国には同盟国もなく、覇権国となるには国際的な影響力に欠けます。

 また、中国のモデルは一党独裁の中央集権制と地方の自由裁量という、一見すると矛盾する形になっており、このモデルをそのまま導入できる国は少ないかもしれません。

 ただし、中国経済は今のところもっとも成功したモデルであり、アフリカで大きなプレゼンスを発揮していることから、今後、世界における中国の政治的資本主義の影響力は無視できないと考えられます。

 

 第4章では、グローバリゼーションが検討されています。

 まずは移民の問題が検討されているのですが、著者は「世界で不平等が縮小するのはよいことである」という視点でこの問題を論じています。

 そんなの当たり前ではないかと思うかもしれませんが、著者はこの視点から、「移民は移民にとって利益になる」、「ただし移民は移民先の福祉国家の運営を難しくし、文化的な摩擦も起こすかもしれない」、「だから、市民権の制限された(社会給付の権利や投票権を持たない)移民を受け入れるしくみをつくろう」という議論を行っています。

 

 次にグローバル・バリュー・チェーン(GVC)です。

 以前、途上国は発展のために先進国からの工業製品に関税をかけて国内産業を育成しようとしましたが、このやり方は見事に失敗しました。このやり方で生産性を上げることはできなかったのです。

 ところが現在、GVCによって、貧しい国に進んだ技術が導入されるようになっています。そして、GVCの広がりとともに資本主義は世界へと広がりました。

 同時に、GVCにとって重要なのは制度や政治の質です。権威主義国家でもGVCに参入するには市場を支える制度を整えねばならず、政治はともかく、経済的制度は先進国のものと似てくることになります。

 

 一方、先進国の福祉国家は資本と労働力の移動によって揺さぶられています。国内の資本と労働の衝突を「市民権」によって調停しようとした福祉国家ですが、移民と資本の国外への移動によって、この解決策が通用しにくくなっているのです。

 

 この資本の移動が新たな「腐敗」も生んでいます。多くの国が資本主義に組み込まれたことで、途上国の政治家たちは腐敗で得た資産を国外に移すことができるようになりましたし(毛沢東時代の役人は腐敗で得た金を隠す場所がなかった)、さらにこういった資金の移転を専門とする法律事務所も成長しました。そして、腐敗が生んだ資産はタックスヘイブンなどに移されているのです。

 

  第5章では、資本主義が全面化した未来などを検討しています。ユニバーサル・ベーシックインカムなどについても検討してあって興味深い論点もあるのですが、ここでは、リベラル能力資本主義と政治的資本主義のどちらが勝利するのか? という問題だけをとり上げたいと思います。

 政治的資本主義が優勢にも見える現在ですが、著者は政治的資本主義は常に高い経済成長によって優越性を示す必要があることと、制度的な腐敗をうまくコントロールしなければならないというハンデを抱えているといいます。

 

 ただし、リベラル能力資本主義は不平等の拡大という問題を抱えているわけで、中間層に資本を蓄えるための優遇措置を与えたり、公教育を立て直したりして、次の段階(著者は「民衆資本主義」「平等主義的資本主義」というものを非常にラフな形であるが構想している(256−257p)。

 

 このように、本書は現在の世界を語る上で重要な視点を教えてくれる本です。

 現在の世界の問題の中心には米中対立があります。この両国の間には相容れない価値観の対立があり、そう簡単に対立は解消しないと思われます。

 しかし一方で、米ソの冷戦と米中対立が違うのは、米中が経済的に深く結びつき、両国とも経済の論理(本書の見方だと「資本主義」と言ってもいいのでしょう)によって動かされている点です。

 この米中のつながりや共通点のようなものを考える上で、本書は非常に役に立つと思います。

 また、「共産主義の役割」というものを問い直すという点でも、興味深い見方を教えてくれる本と言えるでしょう。