『三体』シリーズの完結編。
第Ⅰ部では文革から始まりVRゲーム「三体」を中心に繰り広げられるほら話、第2部では三体人に対抗するために選ばれた4人の面壁者の繰り出す壮大なほら話、そして、宇宙では知的生命体が居場所を知られるとより高次の知的生命体に滅ぼされるかもしれないという暗黒森林理論と、宇宙的なスケールでほら話を展開してきた劉慈欣ですが、今作もすごい。
ストーリーだけであれば、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』とかを思い出させるようなものでもあるんですけど、物語が進んでいくトーンみたいなものは全然違って、劉慈欣の場合は、ほら話のケレン味が売りですね。
今作もメフメト2世に包囲されたコンスタンティノープルから始まるという思わせぶりなオープニングから、これでもかと大きな展開をしかけてきます。
基本的には予備知識がないほど楽しめる小説かと思いますので、特に劉慈欣の繰り出すアイディアについては何の言及もしませんが、気になって点について2つほど書いておきます。
1つ目は、この小説が群衆小説とも言うべき、群衆の動きをよく描いた小説であること。
今作はパニック小説的な部分もあるのですが、そうした小説において群衆は基本的に「わかっている」主人公たちに対して「愚かな存在」として描かれます。
今作においても、群衆はたびたび愚かな行動を取るのですが、それはそれしか選択肢がないような切羽詰まった行動として描かれています。
人間、選択肢が1つしかなくなれば愚かな行動を取るしかないのです。
このあたりには、欧米のSF作家とは違った独自の「人間観(群衆観?)」のようなものを感じました。
2つ目は、この宇宙を支配しているのが「恐怖」だという点。
暗黒森林理論では、この宇宙の知的生命体は、他者からその存在を知られないためにじっと身を潜めています。それは別の知的生命体から攻撃を受けるかもしれないからです。
なぜ、別の知的生命体が攻撃を仕掛けてくるかというと、放っておけばいずれ自分たちが攻撃されるかもしれないからです。
つまり、この宇宙は「敵から攻撃されるかもしれない恐怖」に支配されており、そのために知的生命体はそれぞれの場所で身を潜めているわけです。
そして、この「恐怖」に支配された世界というのは、ちょっと中国の対外観に似ているような気もしています。
近年の中国といえば、積極的に海洋進出を行い、アメリカの覇権にチャレンジするかようのですが、それはアメリカから影響を受けない一定の領域を確保したいという、比較的消極的な理由から始まっていたりもします。
これは中国に限らず、ロシアにも当てはまると思いますし、冷戦下のアメリカなどもそうだったと思うのですが、前作で羅輯が三体人研の間につくり上げた「恐怖の均衡」がどのように変化していくのかというのは本作の読みどころの1つです。
とにかく読み始めれば面白く読める本だと思うので、(死語となりつつある)「ステイホーム」のお供にピッタリの小説ではないでしょうか。