エステル・デュフロ『貧困と闘う知』

 アビジット・V・バナジーとともに『貧乏人の経済学』を書き、マサチューセッツ工科大学でランダム化比較試験(RCT)の手法を駆使してさまざまな研究を行っているエステル・デュフロの著書が『貧乏人の経済学』と同じくみすず書房から登場。
 ただし、訳者解説によると、この本の原著は『貧乏人の経済学』の1年前に刊行されており、内容的にはこの本の内容が『貧乏人の経済学』に組み込まれる形になっています。
 この本はフランス開発庁のための講演がもとになっており、いかに開発援助を行っていくかということに関しては、『貧乏人の経済学』よりも整理されている印象を受けました。


 目次は以下の通り。

第 I 部 人間開発
第1章 教育――通わせるか、学ばせるか
第2章 健康――行動と制度
第II部 自立政策
第3章 マイクロファイナンスを問い直す
第4章 ガバナンスと汚職


 「教育」、「健康」、「マイクロファイナンス」、「ガバナンスと汚職」といった問題は『貧乏人の経済学』でもとり上げられていたもので、そのまま紹介すると『貧乏人の経済学』の紹介と重なる部分もあるので、ここでは『貧乏人の経済学』とはその評価がちょっとちがっているマイクロファイナンスと、『貧乏人の経済学』の紹介ではあまりとり上げなかったガバナンスと汚職の問題の部分を中心に紹介したいと思います。


 ムハマド・ユヌスグラミン銀行の成功によって一躍注目を集めたマイクロクレジットは、その後世界に広がり、金を貸すだけでなく、貯蓄や保険商品を勧めたりするマイクロファイナンス機関へと成長しようとしています。
 マイクロファイナンスが注目される点は、それ自体が利益を生むとともに、顧客が貧困から抜け出すのを手助けすると考えられている点です。この後者の理由もあって、ユヌスは2006年にノーベル平和賞を受賞しています。
 グラミン銀行では、貸付対象は女性だけであり、1年にわたって週ごとに元本の一部と利息を払わなければなりません。貸付は5〜10人の連帯責任で結ばれた女性グループに対して行われ、このグループは毎週返済日に集まります。年利は少なくとも年20%、最高で100%で決して低いとはいえません。


 グラミン銀行はこのシステムでうまく行っているわけですが、では男性ではダメなのか、個人への貸付ではダメなのか、メンバーが週ごとに集まる必要があるのかなど、さまざまな疑問点が浮かんできます。
 この本ではこれらの疑問について答えようとしてます。


 まず、対象が女性である点ですが、とりあえず現在のところ男性と女性にランダムに融資した実験というものはなく、女性への融資が特に効果的であるというエビデンスはないそうです(117p)。
 スリランカで行われた実験では、事業を営む男性と女性にそれぞれ100ドルまたは200ドルを投資すると、男性の収益は増えますが女性の収益はほとんど変化がありません。また、ブルキナファソで行われた研究では、他の条件がすべて同じでも女性の畑は男性の畑に比べて投入される投資が少なく、生産高も少ないといいます(117-118p)。
 とりあえず、女性に融資することが事業の拡大を助けるということは言えないようです。


 次にグループに対する貸付ですが、まずは連帯責任についてはこの有無によって特に返済率は変わらないそうです。実際、グラミン銀行でも「グラミン2」モデルではこの連帯責任はなくなっています(121p)。
 ただし、グループ対する貸付には意味があるようで、例えば、ペルーのケースでは地理的に離れている人々のつくるグループやエスニックな構成が均質でないグループの返済率が低く、ある種のソーシャル・キャピタルが返済率に関わっていることがうかがえます(123p)。

 また、このソーシャル・キャピタルは週ごとの返済の問題にも関わってきます。週ごとの返済は、返済する方にとっても回収する方にとっても手間です。もし、月ごとでも回収率が変わらないなら月ごとのほうが効率的になります。
 インドのコルカタで行われた実験では、対象を週ごとの返済、月ごとの返済で週ごとの集会に出席する義務あり、月ごとの返済で週ごとの集会に出席する義務なし、の3つに分けて実験が行われました。その結果、1年目では返済率は特に変わらず、月ごとの返済の方が自分の活動により多くの投資をするようになったそうです(119-120p)。
 しかし、さらに1年後の結果を見ると、週ごとに集まるグループの方が返済率が高かったそうです(125p)。これは週ごとの集会にソーシャル・キャピタルを強化する効果があったからだと考えられます。
 

 マイクロクレジットに関しては、「貧困を解決する魔法の方法」といったポジティブな評価や、「現代の高利貸し」といったネガティブな評価が混在している状況ですが、著者は次のようにまとめています。

 マイクロクレジットは、現代的な高利貸ではなく、万能薬でもなく、ただ単に自らに与えられた役割を果たしたにすぎない。つまり、信用市場から切り離された潜在的起業家に対して、プロジェクトを実現できる可能性を提供するのである。しかし、すべての人が生まれつき起業家だというわけではない。したがって、マイクロクレジットは普遍的な解決策にはなりえないことになる。(131-132p)


 ただ、マイクロクレジットには顧客が「誘惑」財とする煙草、お茶、スナックなどへの支出を低下させる効果もあります(132p)。返済義務があるおかげで、顧客は貯蓄へと動機づけられるのです。
 著者は、このはたらくきから貧しい人々の保険を広めることはできないかと考えていますが、貧しい人々は保険を好まず、その需要は低いとのことです(136-140p)。


 第4章では汚職とガバナンスの問題がとり上げられています。途上国において公務員の汚職は大きな問題です。警察からたびたび通行料を請求されるような社会では物流は発展せず、結果的に経済成長も難しくなるかもしれません。
 汚職に対する監督には、「上から」の監督(会計検査や行政によるもの)と、「下から」の監督(利用者によるもの)、およびその組み合わせがあります。
 「上から」の監督はさまざまな場所で実際に効果を上げていますが、今日、国際機関や政府が期待するのは「下から」の監督です(153p)。
 しかし、「下から」の監督は取り込まれてしまうケースが多いです。インドのラージャスターン州ではコミュニティのグループが警察を監督するしくみをつくりましたが、あっという間に警察署長にとりこまれ、署長がそのメンバーを選びようになっていましまいました(154p)。「汚職を減少させるんはコミュニティに関与してもらうだけで十分だと考えるのは、やや無邪気すぎる」(156p)のです。


 この問題は途上国における地方分権の問題とも絡んできます。
 一般的に地方分権を進めれば住民が政治家を直接監督できるようになりますし、地方政府のほうが中央政府よりも住民のニーズを理解している可能性が高いです。
 一方で、地方分権には地元エリートが政治を牛耳ってしまう危険性もあります。一部の人間に権力が集中し、女性やマイノリティなどが政治の場から排除されてしまう可能性もあるのです。
 

 こうした女性やマイノリティの発言力を確保する一つの手段がクオータ制です。インドの民衆集会の「パンチャヤート」に93年からクオータ制が採用されました。「パンチャヤート」は政府から資金を受け、学校や飲料水施設、道路などのインフラを建設・維持する役割がありますが、この「パンチャヤート」に関して、議員の3分の1は女性でなければならず、なおかつ議長(「プラダン」)の3分の1も女性でなければならないという決まりがつくられたのです。そのため、選挙のたびにいくつかの「パンチャヤート」がランダムに選ばれ、そこでは女性しか議長に立候補できなくなりました(160ー161p)。


 この結果、女性が「プラダン」となった「パンチャヤート」では女性の発言が増え、またその要望がとり入れられる可能性も高まりました。また、投資する対象については女性が重視する飲料水への投資が増えたそうです。また、この投資は「プラダン」が男性に替わったあとも増加し続けました。さらに不可触民に「プラダン」の割り当てがあった地域では不可触民の住む地域への投資が増えたそうです(165ー168p)。
 「女性は男性よりもうまく議長の職務を務めていると(またはその逆であると)証明することはできない」(168p)とのことですが、女性の「プラダン」を経験した村では、例えば女性の演説に対する偏見などが減るという研究結果があり、またその後の選挙で女性が当選する確率も上がるそうです(172ー173p)。女性への政治的偏見を取り除くしくみとしてクオータ制は有望といえるかもしれません。


 このように細部にこだわって研究が積み重ねられているのがこの本の特徴です。制度において重要なのは細部であるというスタンスが一貫してあります。
 『貧乏人の経済学』を先に読んでいると、ややインパクトが薄れるのは事実ですが、こちらのほうがコンパクトでまとまりが良いので、この本を読んで面白かったら『貧乏人の経済学』に進むというやり方がいいのかもしれません。


貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス
エステル・デュフロ 峯 陽一
4622079836


貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える
アビジット・V・バナジー エステル・デュフロ 山形 浩生
4622076519