2016年の本

 去年に引き続き、というか去年以上に小説は読めず。しかも、当たりもあまり引かなかった気がします(期待していた国書刊行会<ドーキーアーカイブス>シリーズの最初の2冊が期待ほどではなかった)。
 一方、その他の本に関してそこそこ読めましたし、面白い本もありました。
 というわけで、小説以外の新刊5冊(順位は付けず)+結構前に出た本2冊、小説は順位をつけて5冊紹介したいと思います。
 なお、新書に関して以下のエントリーで。
 http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52161574.html

  • 小説以外の本

アマルティア・セン、ジャン・ドレーズ『開発なき成長の限界

開発なき成長の限界――現代インドの貧困・格差・社会的分断
アマルティア・セン ジャン・ドレーズ 湊 一樹
4750342815


 世界第2位の人口を抱え、経済的にも存在感を高めているインド。ただ、そのインド経済についてきちんと紹介している本というのは少ないと思います。
 この本はノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センと、ジャン・ドレーズがインド経済の構造と問題点を網羅的に分析しています。インドにおける南北格差の大きさなどはこの本で初めて知りました(イタリアとは違い南が先進的で北が遅れている傾向がある)。
 また、他の国にあてはめても有効な社会問題へのアプローチの仕方を知ることのできる本でもあります。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160216/p1


有田伸『就業機会と報酬格差の社会学

就業機会と報酬格差の社会学: 非正規雇用・社会階層の日韓比較
有田 伸
4130501879


 どうして非正規雇用の賃金は正規雇用よりも低いのか?
 労働時間や、正規雇用非正規雇用の責任の違い、個人の能力(一般的に能力が高い人が正規雇用に能力の低い人が非正規雇用になっており、賃金差は個人の能力差の現れ)など、この差についての説明はさまざまなのがあります。
 これに対して、この本では、韓国をはじめとする諸外国との比較などを通じて、「日本では非正規雇用の待遇は低いのもだという人々の認識や想定があって、それが正規雇用非正規雇用の格差を生み出している」という議論を行っています。
 専門的な計量分析などを駆使しつつも、社会学ならではの概念そのものを疑うような刺激的な分析がなされている本です。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160525/p1


マーク・マゾワー『暗黒の大陸』

暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀
マーク・マゾワー 中田 瑞穂
4624112059


 20世紀(第一次世界大戦終結時から東欧変革まで)のヨーロッパ史を描いた本ですが、扱われている対象の広さといい、歴史を象徴するエピソードを拾い上げるセンスといい、その分析の冷静さといい、これは素直にすごい本だと思います。
 読みながら、アーレントの『全体主義の起源』やバリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』を思い出しましたが、この本もそうした古典に連なっていくのではないかと思います。
 この本の大きな特徴は、ヨーロッパの20世紀を単純に民主主義や自由主義の発展の歴史と見るのではなく、ヨーロッパ全体がナチズムや共産主義といった「反民主主義」、「反自由主義」に染まる危険性もあった中で、からくも民主主義や自由主義が西欧を中心に根付いたという観点から描かれているところです。
 ただ、それだけではなく、政治から文化まで20世紀のヨーロッパをトータルで描こうとする野心的な構成になっています。ある時代や地域について鋭い考察を行う歴史学者はいますし、ある観点から大きな歴史を鮮やかに切ってみせる人もいますが、これだけの題材をさまざまな観点から、そして一貫した視座でもって語れる人間というのはそうはいないでしょう。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160924/p1


鈴木亘『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』

経済学者 日本の最貧困地域に挑む
鈴木 亘
4492444343


 社会保障を専門とする経済学者の鈴木亘が、橋下市長のもとで大阪市の特別顧問となり、日本最大の日雇い市場がを抱えホームレスや生活保護受給者が集中する「あいりん地域」の改革にチャレンジした「戦い」の記録。
 タイトルからすると、鈴木亘はあいりん地域を改革するアイディアを練っただけかとも思えますが、本を読んでみると、彼が実際に西成特区構想の推進役として悪戦苦闘した姿が描かれています。
 ですから、この本は「経済」の本というよりも「政治」の本と言うべきかもしれません。問題の分析には経済学の道具が使われていますが、縦割り組織との対決や住民の意思をいかにまとめ上げコンセンサスを得ていくかといった部分はまさに「政治」の部分です。
 「経済」に興味のある人にも「政治」に興味がある人にも十分に楽しめる内容になっていますし、さらに「社会運動」とか「街づくり」に興味がある人にもお薦めできる本です。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20161217/p1


カウシック・バスー『見えざる手をこえて』

見えざる手をこえて:新しい経済学のために (叢書“制度を考える")
カウシック・バスー 序文:鈴村興太郎
475712306X


 タイトルや最初と最後だけを読めば、よくある主流派経済学批判なのですが、中で行われている議論は非常に面白い。
 主流派経済学の方法論的個人主義を批判を行いながら、その方法論的個人主義を捨てたときに出現する厄介な問題にも目を配っており、社会科学にそれなりの興味のある人であれば経済学という枠を超えて楽しめるのではないかと思います。
 「文化」や「集団のアイデンティティ」といったものをとり入れないかぎり、人々の行動を性格に記述することはできないわけですが、それをとり入れた途端に経済学の想定する美しい解決策は消え、さまざまな厄介な問題が湧き起こるのです。この本はその厄介さに正面から取り組もうとしています。 
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20161227/p1


エスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』

平等と効率の福祉革命――新しい女性の役割
エスタ・エスピン=アンデルセン 大沢 真理
4000245120


 『福祉資本主義の三つの世界』で現代の福祉国家における複数の均衡を鮮やかに示してみせた著者が、女性の社会進出を一種の「革命」と捉えた上で、そこで生じる問題点や、あるべき社会のデザインを語った本。
 「平等」と「効率」という視点を忘れずに福祉国家を擁護した本です。福祉に関する言説というと「平等」という理念が先行して、あとで経済学者から突っ込みを受けるケースが少なくないですが(理念先行が悪いわけではないですけど)、この本ではデータに基づいて、福祉の「効率」というものがしっかりと提示されています。非常に読み応えのある本と言えるでしょう。
 読んだ当時は絶版でしたが、どうやらオンデマンド版で復刊したようです。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160811/p1
平等と効率の福祉革命――新しい女性の役割 (岩波オンデマンドブックス)
エスタ・エスピン=アンデルセン 大沢 真理
4007305404


有泉貞夫『星亨』

星亨 (1983年) (朝日評伝選〈27〉)
有泉 貞夫
B000J7G43Q


 松沢裕作『自由民権運動』(岩波新書)の巻末で本書が紹介されており、「運動や政治にかかわって生きる、とは何を意味するのかについて思索をめぐらす際に、ぜひ手に取ってほしい一冊である」(228p)と書かれていたので手に取って読んでみたのですが、なるほど、これは面白い本。
 自由民権運動という「運動」を、「組織」へとまとめあげた豪腕・星亨の手腕と、星の時代からずっと続いている日本の政党政治の問題点が見えてきます。
 星が発明し、原敬が育て上げ、自民党に受け継がれた地方への利益誘導システムは理想的な組織とはいえません。それでもなお、「運動」のカオスの中から「組織」をつくり上げた星の手腕は評価されるべきだと思いますし、この本はそうした星の業績を、問題点を含めて書き上げた面白い本だと思います。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20161105/p1


  • 小説


ナーダシュ・ペーテル『ある一族の物語の終わり』

ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)
ナーダシュペーテル 早稲田 みか
4879843423


 松籟社<東欧の想像力>シリーズの1冊で、現代ハンガリーの作家ナーダシュ・ペーテルの初期の長編。
 主人公はシモン・ペーテルという小学年低学年くらいの少年。この少年が語り手となって話が展開していくのですが、著者はこの子どもの語り手という立場にこだわっており、あえて周囲の正確な状況を書かないままにしています。読み手は子どもと同じように断片的に世界を把握していくわけです。
 主人公は、基本的に祖父母に育てられており、母親はいないようで、父親は秘密警察の一員ということがだんだんとわかってきます(舞台は1950年代前半のハンガリーのようです)。
 この父親の存在は、当初の小説世界において明らかに異質なのですが、後半になると父親の世界がグッとせり出してきます。そして、物語は始まった当初からは想像もできなかったような場所に着地します。牧歌的な少年時代は、「政治」によって完全に奪われてしまうことになるのです。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160712/p1


エドゥアルド・ハルフォン『ポーランドのボクサー』

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)
エドゥアルド・ハルフォン 松本 健二
4560090459


 著者はグアテマラ生まれの作家。「グアテマラ生まれの作家の作品のタイトルがなぜ「ポーランドのボクサー」?」と思う人もいるかもしれませんが、それは著者の一家の複雑な生い立ちに理由があります。
 著者のエドゥアルド・ハルフォンはユダヤ系で、母方の祖父はポーランドに生まれ、アウシュビッツを生き延びたアシュケナージ系のユダヤ人で第二次世界大戦後にグアテマラに移住しています。父方はアラブ世界にルーツを持つセファルディ系のユダヤ人になります。
 この作品集のテーマの一つはアイデンティティということになるのでしょうが、そのアイデンティティは、わかりやすい「ホロコーストを生き延びたユダヤ人の孫」というものに落ち着かずに、むしろ落ち着くことを拒否するように小説の世界が動いていきます。その根無し草的なところはボラーニョを思わせますね。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160819/p1


ロベルト・ボラーニョ『はるかな星』

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト ボラーニョ Roberto Bola´no
4560092664


 ボラーニョの主要モチーフの「詩人」「失踪」「根源的な悪」といったものがすべて出そろっており、ボラーニョの入門としてふさわしい小説。大長編『2666』や『野生の探偵たち』への入り口としても適当な小説と言えるでしょう。
 主人公が学生時代に詩のサークルで出会ったアルベルト・ルイス=タグレという男は、ハンサムで洗練されていながらどこか謎めいた男で、主人公の周囲に不吉な印象を残します。そして、彼は1973年のチリでクーデター後に、カルロス・ビーダーと名前を変え、チリ空軍のパイロットとして空中に飛行機で詩を書くというパフォーマンスを行い、一躍時の人となります。
 彼はさらにセンセーショナルな写真展を披露した後に姿を消します。そして漏れ伝えられるその写真展の内容から、読者はカルロス・ビーダーが「根源的な悪」であることを知るのです。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160220/p1


スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』

ゼロヴィル
スティーヴ・エリクソン 柴田 元幸
4560084890


 頭に映画『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトエリザベス・テイラーの刺青をした、少しというか、かなりいかれた男のヴィカーが、ハリウッドにやってきて、やがて映画の編集に携わるようになり、さらには失われたフィルムを探すといった話です。
 この小説は、まずヴィカーという映画オタクを通して語られるエリクソンの映画趣味の表明であり、エリクソン的に構築された1970年代〜80年代前半にかけての映画史であり、エリクソンの小説に共通する「奇跡」のようなものを探求する書であります。
 全盛期からはやや落ちますが、久々にエリクソンの物語を引っ張る力を感じました。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20160623/p1


ロベルト・ボラーニョ『第三帝国

第三帝国 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト・ボラーニョ 柳原 孝敦
4560092672


 「詩」と「死」、「失踪」、「暴力」、「ナチス」。
 これらはボラーニョの小説に繰り返し登場するモチーフですが、この『第三帝国』もそれは同じ。タイトルの「第三帝国」は第二次世界大戦をシミュレートしたボードゲームが存在し、主人公はそのチャンピオンになります。彼がスペインの海辺の町にバカンスにやってきて、そこで謎の男<火傷>と出会い、「第三帝国」のゲームをプレイするというお話になります。
 明らかに長いですし、小説としての完成度はそれほど高くはないと思うのですが、ドイツの将軍をドイツ文学者に喩え、「マンシュタインギュンター・グラスに匹敵するし、ロンメルはさしずめ……ツェランだと言ってやろう」(305p)などと言っている主人公の軽薄さが破壊されるこのシーンは、ボラーニョのその他の傑作と比べても遜色ないです。
 紹介記事はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20161130/p1