スティーヴ・エリクソン『きみを夢みて』

 スティーヴ・エリクソンが2012年に発表した最新作がちくまから文庫で登場。なぜ単行本ではなくて、いきなり文庫なのかはわかりませんが、2月には2007年に発表された『ゼロヴィル』も2月に出るようですし、同じく2月には『Xのアーチ』が集英社文庫になるようですし、にわかエリクソン祭りとなっています。
 

 小説が始まるのは2008年のアメリカ・ロサンジェルスから。主役となる一家は、作家のザンと妻で写真家のヴィヴ、息子で12歳のパーカー、そしてエチオピアから養子に迎えたシバという黒人の女の子。ザンの一家はバラク・オバマの勝利に沸き立ちながら、同時にその一家の「中の上」の生活は崩壊しつつあるというリーマン・ショック前夜の状況に置かれています。
 シバはアメリカでの一家の暮らしに馴染めず、ザンの経済的状況は苦しくなるばかりでいつ自宅を失うかもわからない状態。そんな中、ザンにはロンドンの大学での講義の誘い、ヴィヴにはエチオピアでシバの母親を探すことを頼んでいた人物から情報が入り、一家はアメリカを出てザンとパーカーとシバはロンドンに、そしてヴィヴは単身エチオピアに向かいます。


 ここまでがこの小説の舞台設定とも言えるものですが、エリクソンですから当然、リアリズム的にストーリーが展開するわけではありません。
 まず、この小説のテーマの1つは政治と音楽です。タイトルの「きみを夢みて(These Dreams of You)」はヴァン・モリスンの曲のタイトルから来ています。訳者の越川芳明の解説によると、この曲はヘイトクライムによってレイ・チャールズが暗殺されるという悪夢が出てくるそうです。
 このレイ・チャールズが暗殺されるというイメージは「バラク・オバマが暗殺されるのではないか?」という危惧と重なっているわけですが、エリクソンは、さらにオバマと実際に暗殺されたロバート・ケネディを重ねあわせます。
 そして主人公の若いころのザンとロバート・ケネディの関わりを使って、ロバート・ケネディオバマをつなぐのです。

 
 さらに音楽の面でクローズアップされるのが、先日なくなったばかりのデヴィッド・ボウイです(文中でデヴィッド・ボウイと名指しされているわけではないが、読んでいればわかる)。
 描かれるのは、アメリカでひどい薬物中毒となっていた時代からベルリンに移り住む頃のデヴィッド・ボウイナチスに傾倒したイカれた男として描かれる一方で、デヴィッド・ボウイが黒人女性によって黒人音楽へと導かれていきます。
 エリクソンの作品には、黒人に対する「憧れ」あるいは「贖罪意識」のようなものがある場合が多いのですが、この小説では、それがデヴィッド・ボウイの姿と重ね合わせられているのかもしれません。
 

 他にもジョイスの『ユリシーズ』など、さまざまなものが時間や空間を超えて(というか時間と空間がねじ曲げられて)登場します。
 このへんはエリクソンならではですが、さすがに『黒い時計の旅』や『Xのアーチ』のころのような圧倒的スピードはやや衰えたような気もします。一方、現在のアメリカに対する批評的な眼差しといったものが昔の作品にはなかった、この作品ならではの特徴でしょうか。
 個人的には、ちょうどデヴィッド・ボウイの訃報が伝えられた直後に、この小説にデヴィッド・ボウイが出てきたので、「これもエリクソンの力か?」と思いましたね。


きみを夢みて (ちくま文庫)
スティーヴ エリクソン Steve Erickson
4480432981