ヤン・ド・フリース『勤勉革命』

 副題は「資本主義を生んだ17世紀の消費行動」。タイトルと副題を聞くと、「勤勉革命なのに消費行動?」となるかもしれません。

 「勤勉革命」という概念は、日本の歴史人口学者の速水融が提唱したものです。速水は、江戸時代の末期に、家畜ではなく人力を投入することで収穫を増やす労働集約的な農業が発展したことを、資本集約的なイギリスの産業革命と対照的なものとして「勤勉革命」と名付けました。

 本書によると、この労働時間の増大は17世紀後半のオランダにも見られるといいます。著者は、およそ1650〜1850年の時期を「長い18世紀」と呼んでいますが、この時期、世帯単位の労働時間は増えていきました。

 

 この時期のオランダで「勤勉革命」などと言うと、マックス・ウェーバーを読んだ人であれば「プロテスタンティズムの影響?」と思うかもしれませんが、著者が本書で指摘する要因はずばり「消費」です。

 この時期のオランダでは、陶器や絵画などが大量に生産されていますが、人々はそれらを家に飾るために労働時間を増やしたというのです。

 

 目次は以下の通り。

第1章 「長い一八世紀」における消費者の欲望の転換
第2章 勤勉革命の歴史的起源
第3章 勤勉革命―労働力の供給
第4章 勤勉革命―消費需要
第5章 大黒柱と内助の功
第6章 第二次勤勉革命

 

 まず、本書は「家計」というものに注目します。個人の消費や労働ではなく、世帯単位の消費や労働に注目するのです。

 西ヨーロッパでは、中世後期以降、核家族が中心で家計は小規模でした。結婚年齢は比較的高く、女性も24〜30歳くらいで結婚するのが一般的だったといいます。また、結婚しない(できない)者も多く、男女問わず10〜20%の人は結婚しなかったといいます。多くの子どもは14〜18歳くらいで親元を離れ、奉公人や徒弟として他人の家で働きました(23p)。

 結婚後は独立世帯を営むために、結婚は経済情勢に左右されましたが、奉公人生活が長くなると、女性も貯蓄の機会を得て、結婚の時にそれを持ち寄ることができるようになりました。

 核家族世帯は大家族に比べて経済的に脆弱でしたが、お金の使いみちについて年長のメンバーの許可を得ることなく、かなり自由に決めることができました。

 

 世帯は、市場で財を購入し、その財を労働やほかの資源と組み合わせることで最終消費財を生産します。ゲイリー・ベッカーはこの最終消費財を「Zコモディティ」と読んでいます。

 このZコモディティを得るやり方はいくつも考えられます。具体的なもので例えると、子どもの服であれば、妻が家で縫ってもいいかもしれませんし、妻が外で働いて得たお金で買うことも可能です(もちろん夫がしてもよい)。

 

 さらにこのZコモディティとは、具体的な「モノ」というよりは「効用」を指すので、モノの組み合わせが重要なケースもあります。例えば、イングランドでは紅茶と砂糖はセットであり、こういった組み合わせが人びとの消費と生活を変えていきました。

 こうした組み合わせはある種の流行、あるいはスタンダードを生み、それが人びとの消費を牽引していくことになります。

 

 古代から近世まで、ヨーロッパでは余暇が重視されていました。もちろん、余暇を楽しめる人は限られていましたが、経済成長はこの余暇を与えてくれはずでした。

 ところが、人びとは余暇を楽しむよりも、あくせく働いて消費を楽しむようになります。人びとは上流階級の生み出す流行を追い求めるようになっていったのです。

 

 この原点を、著者は17世紀から18世紀にかけてのオランダにみています。

 オランダでは17世紀半ばまでに700〜800人の画家が活躍するようになりました。1660年代のオランダの家庭には300万点にもおよぶ絵画が飾られていたといいます(68p)。

 これは当時のオランダの豊かさの証でもありますが、同時に一般の人々までは絵画を欲するようになり、実際に買ったということを示しています。この他にも、時計や楽器、タバコパイプ、中国製の陶器をコピーしたデルフト陶器など、「新しいラグジュアリー」とも言うべき、さまざまな商品が一般家庭に入り込んでいったのです。

 

 では、一般の人々のこれらの商品をなぜ購入できたのでしょうか?

 大量生産された模造品であっても、それなりの価格はするわけで、そのためのお金がどこから調達されたことになります。 

 ここで打ち出されるのが「勤勉革命」という考えです。前述のように「勤勉革命」は速水融が打ち出した概念で、斎藤修や杉原薫がこの概念を発展させました。

 斎藤や杉原は、江戸時代の農民世帯が、家族構成や世帯内の労働配置に気を配り、農業と賃労働を組み合わせて家族の労働力を吸い上げていったことを指摘しましたが(96p)、著者は西ヨーロッパでもこれに似たことが起きたと考えています。

 ただし、その背景にあったのは、日本や東アジアが人口増加の圧力だったのに対して、西ヨーロッパでは消費だったというのが著者の見立てです。

 

 中世及び近世のヨーロッパでは宗教的、あるいは政治的な祝日が多く、15世紀末時点で公的に規定された労働日数は250〜260日程度だったと言われています。これは週休二日制が導入された1950〜60年代と同じ水準です。つまり、働かない日がかなり多くあったのです(104p)。

 16世紀になると、宗教改革の影響もあって、この多すぎる祝日が批判されることになります。カルヴァン派はクリスマスさえカレンダーから削除しようとしたほどでした。

 こうしたこともあって、人びとの労働時間は増えていきます。ロンドンに暮らす人びとは、1750〜1830年の間に年間労働時間を40%も増加させたといいます(108p)。

 

 この時期には「プロト工業化」と呼ばれる、域外市場向けの農村家族に支えられた生産活動が進展した時期でもありました。

 このプロト工業化は、女性や児童の労働を市場向けに方向転換させることになります。主に農繁期に稼働していた労働力は、賃労働に従事することになり、「購買力と生産力がお互いを支え合うようになった」(114p、ジョオン・サークス『消費社会の誕生』からの引用)のです。

 もちろん、これには「労働せざるを得なかった」という側面もあるのですが、著者は、これを消費のための世帯単位の戦略と捉えます。

 

 確かに男性労働者の稼ぎは十分ではなく、家族を食べさせるのに精一杯といった具合でしたが、これに妻や子どもの賃労働が加わると事情は少し変わってきます。

 1787〜1865年におけるイングランドの肉体労働者の家計の研究によると、1830年代にいたるまで家計における妻と子どもの貢献度はおよそ25%から40%以上に上昇していったといいます(124p)。この数値はこれ以降下がり、成人男性の賃金が上昇した1860年代になると顕著に下がるわけですが、19世紀前半までは妻や子どもの収入が家計にとって非常に重要だったのです。

 

 こうして家計にもたらされたお金はさまざまな奢侈品の消費に向かったと考えられます。

 家の中を快適にしようとする試みは17世紀中頃のオランダで始まり、イギリスやフランスへと広がっていきました。照明器具や鏡、整理ダンスやクローゼットなどが導入され、家の中が飾られていきます。

 衣服も厚ぼったい毛織物から、リネンや綿のものへと変わってき、木製や錫と鉛の合金であるピューター製の皿は陶磁器へと変わっていきました。

 陶磁器は、まず中国でつくられたものがオランダ東インド会社によって持ち込まれ、18世紀末までに7000万個以上の陶磁器が中国や日本から持ち込まれたと考えられています。

 この陶磁器の生産はヨーロッパでも試みられ、17世紀にはデルフト陶器が成功し、さらに18世紀後半にはイギリスのウェッジウッドが成功を収めます。

 そして、デルフト陶器は農民の間などでも使われるようになっていきます。

 

 また、綿製品は、産業革命を牽引していくわけですが、著者は生産技術の革新だけでなく、需要の増加にも目を配るべきだといいます。蒸気機関の発明の前に、水力などをつかった紡績機の登場があるわけでsが、それを準備したのは旺盛な需要のはずなのです。

 人びとは衣類や繊維製品を買うようになり、同時に女性は衣類産業や小売業に従事するようになりました。17世紀後半、フランスでは男女の衣類への支出額はほぼ変わらなかったといいますが、18世紀後半になると男性のそれよりも2.6倍増加し、手工業者や店主の妻は夫の2倍の金額を服につぎ込んでいたといいます(161−162p)。

 

 また、興味深いのはこの時期に広まった嗜好品の多くが、アジアや新大陸からもたらされたものであるという点です。

 まず、中国から茶が持ち込まれ、紅茶と砂糖という組み合わせが発見されることで、茶と西インド諸島や新大陸から輸入された砂糖の消費量は爆発的に伸びました。

 コーヒーも最初はイエメンからほそぼそと輸入されていましたが、オランダ領のジャワや西インド諸島で栽培されるようになって消費量が増えていきます。

 他にもタバコやラム酒が新大陸から輸入されましたし、アジアからは陶器やシルク、綿織物などがもたらされました。

 それまでは非ヨーロッパ圏からもたらされるものは香辛料などの新奇で高価な商品が中心でしたが、18世紀後半になると、庶民が消費するものに変化していくのです。

 そして、人びとは決して余裕がない中でも、こうした嗜好品を消費していました。フレデリックモートン・イーデンの研究によれば、18世紀末においてイングランドの貧困家庭はその収入の11%以上を砂糖や糖蜜、茶の購入にあてていたとのことです(199p)。

 

 しかし、この家族の働き方は、19世紀半ばになると「大黒柱と内助の功」という男女で役割分担をする形に変わっていきます。

 この時期に関しては、産業革命の進展とともに労働者の生活は悲惨になっていったと捉えられがちですが、イギリスなどで19世紀後半になると死亡率の低下が顕著になります。衛生環境が改善されていったのです。

 また、19世紀後半になると、家計における住宅費の割合が増加するとともに住環境の改善が見られるようになります。水道やガスコンロなども普及し始め、家内使用人の需要も増加していきます。

 

 そして、この時期に「大黒柱と内助の功」というモデルも浸透していくことになります。

 このモデルに関しては、女性を家庭という「私的領域」に押し込め発言権を奪うものだと否定的に見られることも多いですが、著者はこれを家族の利益のために選び取られたモデルであると考えています。

 

 女性の就労率は19世紀なかば以降に落ち込みます。1841〜45年にかけて60%を超えていた成人女性の就労率は、その後の20年間で45%にまで落ち込みます(231p)。

 ただし、詳しく見てみると、これは既婚女性の就労率が落ち込んだためで、少女や未婚女性の就労率は20世紀初頭まで上昇し続けています(238p)。女性一般が賃労働から追い出されたと言うよりは、既婚女性が退出したと言えるのです。

 

 ベルギーの労働者家族に関する研究によると、1853年の段階で世帯の収入の夫が51.5%、妻が10.1%、子どもが22.4%、その他が15.8%となっていますが、1891年では夫が65.6%、妻が1.2%、子どもが31.4%、その他が1.8%となっています(242p表5.2参照)。

 他の西ヨーロッパの地域でも夫の扶養者としての役割が強まる傾向が見られますが、同時に注目すべきは妻の賃労働が減るに連れ、子どもの就労が増えていることです。

 1889〜90年のアメリカとヨーロッパにおける工場労働者の年齢別のデータを見ると、20〜30代は夫が家計の収入の90%近くを稼ぎ出している一方、40代以降になると、子どもがもたらす収入が25〜40%程度になっていきます(247p図5.3a、図5.3b参照)。

 夫が唯一の大黒柱である時期は一定基幹にすぎず、子どもの稼ぎが世帯の収入を左右したのです。

 

 こうなると、子どもを家庭に結びつけておくことが経済的に重要になります。子どもが早期の結婚を目指してすぐに自立してしまっては困るのです。

 本書は、ここで子どもをつなぎとめるための絆として注目するのが家庭を取り仕切る妻の存在です。妻は子どもたちを世話するとともに、彼らがもたらす収入を管理し(特に娘の収入は世帯経済に統合される傾向が強かった(251p))、世帯における「強力な統合システム」(254p)を作り出したのです。

 

 アメリカでは1830年代が、イギリスでは1870年代後半がアルコール消費量のピークでした。18世紀の勤勉革命によって収入を増やした世帯でしたが、同時にその収入は成人男性のアルコール消費に消えていくことになりました。

 著者は、こうした状況への1つの対処として「大黒柱と内助の功」モデルを見ています。妻が夫の収入を含めた世帯全体の収入を管理し、男性の破滅的な消費の悪影響を食い止めたというわけです。

 

 最後の第6章は「第二次勤勉革命」となっていますが、これは20世紀後半以降の「大黒柱と内助の功」モデルが変質していく過程になります。

 20世紀後半になって、基本的に週あたりの労働時間は減少傾向になりました。ヨーロッパの多くの国では1995年の年間労働時間は1960年代と比べて20〜25%減ったといいます(272p)。  

 このように男性の労働時間は減少しましたが、その代わりに増加したのが女性の労働です。1960年に26%だったオランダの女性(15〜64歳)の就業率は1999年には64%にまで増加しました(同じ時期、イギリスは49%→68%、アメリカは40%→74%(275p表6.1参照)。特に急上昇したのが既婚女性の就業率です(276p図6.1参照)。

 女性は再び賃労働に参加するようになり、「大黒柱と内助の功」モデルは消えつつあるのです。

 

 また、子どもに関しても、中等教育と高等教育への就学率が上昇しているにもかかわらず、10代の就業率と就業時間の平均は伸びつつあります。

 もちろん、以前のように子どもたちの収入が世帯の収入へと統合されることは減っているのでしょうが、「大黒柱と内助の功」モデルから「複数稼得者世帯」へと変化することで、世帯単位の総労働時間は増加しつつあるのです。

 

 子どもたちの収入は衣服やアルコールや音楽などに回され、共働きとなった世帯では外食への支出が増加します。そして、衣服代に関しても再び女性向けの支出が増えつつあります。イギリスでは1953年の段階で衣服に対する女性の支出額は男性を25%程度上回っているにすぎませんでしたが、1991年には72%上回るまでに増加しました。

 ちょうど18世紀の勤勉革命のときに起こったことと同じような事が起きているのです。

 もちろん、少子化の進行など、18世紀とはさまざまな条件が違いますが、新たな消費欲求の登場が再び世帯のあり方を変えたのかもしれません。

 

 このように本書は18世紀の「勤勉革命」を中心的なテーマとしつつも、そこから現在にいたるまでの「家族の経済の歴史」とも言える内容になっています。

 この変化を捉えるのに速水融が唱えた「勤勉革命」を中心に据えることが適当なのかどうかは判断が付きかねるところもありますが、「世帯」単位で人びとの戦略を読み解いていく様子は非常に面白く、自らの欲望と社会の変化に合わせてその姿を変えていく家族の姿は思っていたよりも柔軟で主体的です。

 また、「なぜ産業革命が起こったのか?」、「大航海時代以降のグローバル化はヨーロッパの庶民にどんな影響を与えたのか?」といった疑問にも、新たな答えを用意していくれる本と言えるでしょう。