周燕飛『貧困専業主婦』

 表紙裏には「100グラム58円の豚肉をまとめ買いするためい自転車で30分走る」、「月100円の幼稚園のPTA会費をしぶる」などと書いてあり、タイトルからしても最近流行りの「貧困ルポ」の一種かと思う人もいるかも知れませんが、そうではありません。

 中国生まれの女性で、労働経済学や社会保障論などを専門とする労働政策研究・研修機構(JILPT)の主任研究員でもある著者が、JILPTの行った大規模調査などをもとにして現在の日本における専業主婦の以外な姿を明らかにした本になります。

 

 以前は「高収入男性の妻ほど就業率が低い」というダグラス・有沢の法則が知られていましたが、近年では、世帯収入が低いにもかかわらず専業主婦、あるいはもっとも高収入の世帯では専業主婦が少なくなるという現象が見られます(44p図2−3参照)。

 本書はこうした実態を明らかにしつつ、その理由と問題点、さらには対処法を探っています。この「専業主婦になる/ならない」というのは非常にデリケートな問題ですが、著者が専業主婦がほとんどいない中国社会で育ったということもあって、かなりドライに分析を進めています。そして、それがかえってこの問題のデリケートさを浮き彫りにするようなところもあって、そこが面白いと思います。

 

 まず、本書が書かれるきっかけは2011年にJILPTが行った「子育て世帯全国調査」の結果です。そこでは世帯所得が全世帯の所得の中央値の半分に達していない貧困世帯の割合(貧困率)が、共働き世帯の9%に対して専業主婦世帯が12%と上回っていたのです。ここからは余裕があるから妻が専業主婦になっているというわけではない実態がうかがえます。

 

 夫が雇用者である世帯に占める専業主婦世帯の割合は1980年から28ポイント下がって37%となっており、共働き世帯が増加していますが、それでも「専業主婦モデル」は根強くあります。

 家事と子育ての傍らでパートなどをする主婦を「準専業主婦」とすると、全体の63%を占め、6歳未満の子どものいる家庭では、専業主婦が51%、準専業主婦が23%となっており、キャリア主婦は4人に1人程度なのです(38p)。

 また、2014年時点4歳児と5歳児の幼稚園在籍率はそれぞれ51%と54%であり、半分以上の子どもは保育園ではなく幼稚園に通っているのです。

 

 しかし、バブル崩壊以降、男性の稼ぐ力は弱まってきています。現実にはまだ主流ともいえる専業主婦モデルですが、経済的には成り立ちにくくなっているのです。

 子育て世代に限れば、専業主婦率が最も高いのは世帯収入が最も低い階層であり、専業主婦率が最も低いのは世帯収入が最も高い階層です。さらに階層を10に分けた場合上から4つの階層で専業主婦率が低くなっています(47p図2−4参照)。もはや夫の稼ぎだけで高収入を得るのは難しいのです。

 

 本書のもととなった「子育て世帯全国調査」には自由記述欄があり、この本ではそうした声も紹介されています。

 36歳で1歳の孫がいる(!)という驚きのケースなどもありますが、専業主婦の中には自身や子どもの病気のために就労できないケース、待機児童の問題、そもそも保育園に子どもを預けること自体を考えたことがなかったというケースなどがあります(第3章参照)。

 

 そして、貧困は子どもにも影響を与えます。「食料を買えないことがあったかどうか」、「子どもの健康状態」、「育児放棄」などにおいて、貧困世帯は問題を抱えていることがわかります(74〜77p表4−1、4−2、4−3参照)。

 また、塾や習い事などにも格差があり、それが学力にもある程度反映されています。

 

 ただし、女性が専業主婦を選ぶ理由の最も大きなものは「子どものため」です。専業主婦の62.3%が「仮に自分が就業したら子どものしつけが行き届かなくなる」と考えています(94p図5−1参照)。

 多くの女性はいずれ働きたいと考えていますが、そのタイミングは子どもが6歳になった頃であり、そうなると希望する条件の職が見つからないという問題も出てきます。特に35歳以上の高齢出産だとこの傾向が強く(102p図5−5参照)、また、高学歴の女性ほど適職を見つけにくくなっています(104p図5−6参照)。

 このため、仕事を辞めたことを後悔する女性も多いです。ただし、全体で見ると「後悔している者は約4割、後悔していない物は約6割」(111p)といった状況で、皆が専業主婦になったことを後悔しているわけではありません。

 

 橘玲の本に『専業主婦は2億円損をする』というものがありますが、著者が計算したところ大卒に限れば、ずっと正社員だった場合に比べてそのくらいの差がつきます(109p図5−2参照)。

 このようなことから経済的にみれば専業主婦は支持されないのですが、実は日本では働く女性よりも専業主婦の方が「幸福」だと感じている割合が高いです。たとえ、世帯収入が500万円未満の世帯であっても専業主婦は働く女性より高幸福度の割合が高いのです( 500万未満の世帯の専業主婦の高幸福度が60.3%、働く女性は53.6%(117p図6−1参照)。

 世界59カ国の調査では専業主婦のほうが相対的な幸福度が高い国が35カ国で全体の6割、日本はニュージーランドに次いで専業主婦の相対的な幸福度が高い国となります(119p)。

 

  また、日米中韓の4カ国の分析では、中国人とアメリカ人の幸福度は本人の収入に依存しているのに対して、日本と韓国は世帯収入に依存しているといいます。

 さらに日本の働く女性世帯では夫の収入と本人の幸福度が比例しているのに対して、専業主婦世帯ではそれほど大きな差がありません(125p図6−3参照)。専業主婦の幸福度は子どもと一緒に過ごす時間や子どもの健康などと関係しており、やはり子育てが幸福度と関わっていることがうかがえます。

 実際、専業主婦でいる理由を尋ねたところ、「子育て」が理由の1位となっており(134p表7−1参照)、多くの人は自らの決断によって専業主婦になっていることがわかります。

 

  しかし、著者は疑義を呈します。例えば、「幸福である」と答えた専業主婦の中には抑うつ傾向の高い人もいて、この「幸福」が虚像である可能性もあります。特に貧困世帯では専業主婦の抑うつ傾向は高いです(138p表7−2参照)。

 また、待機児童の問題が働くことへの「あきらめ」を生んでいる可能性もあります。

 さらに、離婚がしにくい国ほど女性の就業率が低い(専業主婦率が高い)といったデータも紹介されています(165p図8−2)。

 

 この本の面白さ(人によっては抵抗を感じる部分)は、こうしたことを踏まえ、専業主婦を選ぶことは一種の非合理であり、リチャード・セイラーやキャス・サンスティーンの唱えるナッジ(人の選択を誘導するためのしくみ)を使って、就業継続へと誘導すべきだと主張している点です。

 著者の生まれた中国では「夫婦別居や子どもと離別をしてでも、中国人女性は自分の学業やキャリアを優先する傾向があり」(122p)ます。それもあって「仕事か?子育てか?」という難しい問題に対して、「長期的な損得をみれば仕事を取るべきだ」と明快に言ってみせ、就業の継続を妨げるさまざまな要素を取り除こうと主張するのです。

 

 このような割り切りに対して反発を感じる人もいるでしょうが、この割り切りから見えてくる「価値の問題」というのもあります。

 確かに日本の主婦は子育てにしろ家事にしろかなり高い水準のものを求められており、そうした「過剰」な要求をなくして(あるいは主婦自身があきらめて)、金銭的な価値を追求すべきだという考えはあるでしょう。

 一方、あまりに市場価値的なものを重視すれば「子育て」の質が下がり、家族や社会の中でも問題が起きてくるかもしれません。もちろん、こうした問題に関しては公的部門が対処すべきだという声もあるでしょうが、現在の日本の貧弱な公的部門の有り様をみれば、現在主婦が担っている機能を公的部門が肩代わりできるとも思えません。自分の子どものことも含めて「自己利益」を考えれば、専業主婦という選択が「非合理」だとも言い難いでしょう(もちろん、夫も妻もパート的に仕事をして子育てを二人でするというオランダ的な選択肢もありえるけど)。

 

 専業主婦の実態を明らかにした本としても興味深いですが、著者が明快な立場をとっていることによって、日本の社会や家族に関する価値観をいろいろと考えされられる内容となっており、そこも面白いです。