前田正子・安藤道人『母の壁』

 待機児童問題が深刻化していた2017年に、都市郊外のA市で行った母親へのアンケートをもとにした本。 

 著者の一人の前田正子は中公新書から『保育園問題』という本を出しており、もう1人の著者の安藤道人は公共経済学を専門とする経済学者になります。

 ですから、アンケートを元にして問題の計量的な分析などを行った本かとも思いますが、本書の中心になっているのは母親たちが寄せたアンケートの自由記述です。

 ここに書かれている母親たちの訴えをとり上げながら、母親たちが直面する「保育の壁」「家庭の壁」「職場の壁」という3つの壁を取り出しています。

 

 このように図式的に整理することも可能ですが、本書の売りは何といっても母親たちの実際の声だと思いますので、本書はそうした声を引用しながら「公平な制度の難しさ」を中心に見てみたいと思います。

 

 目次は以下の通り。

はじめに 母親たちの肉声

第1章 母を追いつめる三つの壁

第2章 保育園入所が母親の運命を変える――調査で何がわかったか

第3章 保育の壁「子育て支援」が母を束縛する

第4章 家庭の壁 父親はパートナーか壁か

第5章 職場の壁 性別分業でつながる家庭と職場の壁

第6章 子ども罰とコロナ禍――母の壁は変わるか

おわりに 真に子どもを持つことが祝福される社会を

 

 アンケートはA市で2017年4月に認可保育所への入所申請をした2203世帯が対象のものですが、このときA市では入所申込者の3割強が入所できていませんでした。

 そのアンケートに最後に設けられた自由記述欄が本書のもとになっています。アンケートに回答したのは1324世帯で回収率は60%、このうちのほぼ半数の651世帯が自由記述欄に何らかの書き込みをしていました(ほとんどが母親によるもの)。

 

 2016年には、はてなの匿名ダイアリーに「保育園落ちた日本死ね!!!」が投稿されて話題を呼びましたが、本調査が行われた2017年は待機児童問題が大きな問題になっていた時期です(待機児童は2010年に26275人というピークを迎えたあとに減少傾向だったが、2017年には再び26081人と増えていた(30p))。

 

 ただし、この「待機児童」という概念はやや曲者で、認可保育所に入所を申し込んで入れなかった子どもは「保留児童」となり、その中で条件を満たした者が「待機児童」になります。

 例えば、認可外に入るとカウントされませんし、「きょうだいと同じ園がいい」という理由で違う園への入所を断った場合もカウントされません。また、保育園に入れなくて育休を延長した場合もカウントされません。さらに入所できなかったために、働くことをあきらめて退職した人もカウントされません。

 「待機児童」の影には「潜在待機児童」や「隠れ待機児童」ともいうべき存在が大勢いると言えます。

 

 入園希望者が多い場合は、それぞれの事情を得点化し、点数の高い人から優先的に決めていく自治体が多く、A市もそうです。例えば、1日8時間で週5日勤務だと100点、これが週4日になると90点、週5日でも1日7時間以上8時間未満だと95店といった具合です(33p表2−1参照)。

 こうした点数(利用調整指数)が同じ場合は、ひとり親家庭、兄弟姉妹が市内保育園にすでに入所しているといった項目によって優先順位がつけられます。

 

 短時間勤務は点数で不利になるために「家庭と仕事を両立するために時短をとりたいが、そうすると点数が低くなってしまうので8時間以上働かざるをえない」(37p)との声もあります。

 また、A市では同点の場合は所得の低い世帯を優先する決まりがありますが、それによって父親の年収が高くなるほど入所率が下がる傾向があります。

 しかし、これに対しては「年齢が高ければ年収が上がるのが当然であるが、一方、残りの勤務年数は少なく以降の収入では若い人よりも少ない可能性が十分にあるので考慮してほしい」(39p)との声もあります。

 

 このように保育園に入るのは大変で「保活」は子どもの生まれる前から始まっています。

 多くの保育園では生後6ヶ月から子どもを預かります。ただし、保育園は4月から募集を始め、その時点でほぼ埋まってしまいます。つまり、4月の時点で生後6ヶ月になっていない早生まれなどの子どもは0歳で入所するチャンスを失うわけです。

 子どもがいつ生まれるかは普通は選べませんが、保育園のことを考えるとタイミングを見計らって産むことになるのです。

 また、例えば10月生まれでも、入所の申込みの締切が11月なので、10月生まれの子どもは1ヶ月で決めなければいけませんが、「産後すぐの保活は難しいので、実質産後の他つは難しいと思います」(61p)との声もあります。

 

 そのため、育休が整備されていても、それで母親が安心して過ごせるわけではありません。

 育休制度は3年ありましたが、保育所入所状況が1〜2歳児ではほとんど入れる見込みがなかったので、生後9ヶ月で0歳児入所せざるを得ず、育休を早期に切り上げて復職しました。(64p)

 

 保育にかける資源の問題からすると、本当は育休を取って子どもを見ていたい母親が育休を切り上げて保育園に預けるのは非効率なのですが、現在の制度のもとではそうせざるを得ないのです。

 「入所予約制度(?)のようなものがあればいいのにと思います」(65p)との声もありますが、実装はなかなか難しそうです。

 

 また、A市では育休から復帰する人に加点があるのですが、これに対してはそもそも育休制度がない自営の人から「自営業者と育児休業明けの会社員で、点数が著しく差がつくのも非常に不公平です。保育所入所の判定基準について多様な働き方に公平な制度であってほしいものです」(67p)との声が上がっています。

 

 自営よりさらに不利になるのが求職中の人です。保育園が決まっていなければ働けないが、働いていないと保育園に入れないという「詰んだ」状態に陥っています。

 

 私は求職中に保育所利用申込を行いました。就活中は何社か面接の機会をいただきましたが、私の状況を見て必ず聞かれるのは「お子さんが保育所に入れなかった場合、どうされますか?」ということでした。(69p)

 

 育休など手当がもらえる人が優先的に保育所に入れて仕事もできて、やむをえず仕事をやめて早く働きたい人が後回しなんて不公平だ。(69p)

 

 産休をひっぱってひっぱって、意味もないのに保育園に入れてる人なんていっぱいいるのに(その後やっぱり休めたり)本当に働きたいと思っている人たちは全然働けない。今はまた妊娠したので保育園希望はやめているけど、三子が産まれて働くまでに時間がかかると思うと(保育園入れないため)お金の面で不安になってくる。どの辺が少子化対策なのかわからない。一子だけで保育園預けて、ずっと仕事続ける人の方が「えらい」世の中の定義になってる。(70p)

 

 A市のルールでは求職者は点数が低く、点数が同点にならないと所得は考慮されません。そこで次の様な不満も生まれてきます。

 

 親の年収の額は点数化されないのでしょうか? 我が家は主人の年収だけでは生活がギリギリなのですが、無認可や小規模を利用するお金のゆとりもなく、稼げる人がどんどん稼いでいる、、、という印象です。(71p)

 

 また、きょうだいが別々の園にならないように行政側は一人目がいる園に優先的に入れる措置をとっているのですが、これは一人目が入れないと二人目以降でも不利を被ることでもあります。

 行政側の「配慮」もそれによって不利を被る人がいれば、それは以下の声のように「不公平」となるわけです。

 

 パートであっても入所できたり、きょうだいがいれば、平日休みに子どもを保育所に預けて、自分の時間をもてる人が入所できたりと、理解できない。(79p)

 

 さらに運良く1歳で保育所に入れたとしても、それですべて安心とは限りません。

 A市では待機児童問題を解決するために小規模保育園や家庭的保育事業を拡大させていましたが、こうした施設が預かるのは2歳児までで、3歳以降はまた別の預け先を確保する必要が出てくるのです。いわゆる「三歳の壁」です

 こうなると、保育園に入れなかった場合のことも考える必要が出てきます。幼稚園は前年度の秋に入学の申込みがありますが、保育所に入れるかどうかがわかるのはその年の2月で、「すべりどめ」として幼稚園に10万円近い入園金を払う必要が出てくるのです。

 

 さらに「小一の壁」もあります。小学校は保育園のように長時間子どもを預かる施設ではなく、学童も入れるかどうかわかりませんし、入ったとしても保育園ほど長時間預かってくれるわけではないからです。

 

 また、保育料の問題もあります。あくまで概算ですが、A市の場合、0〜2歳児では、世帯年収1000万円以上は月額約8.4万円、900万円以上が約7万円、700万円で約5.6万円、600万円で約5万円、500万円で約4万円だそうです。

 母親が短時間勤務制度を利用すれば母親の給与は減りますし、育児休業中の育児協業給付金の手取りと、職場復帰した後の手取り収入から保育料を引いたものを比較すると、手元に残るお金が育児休業中より少なくなる人もいます。

 

 0〜3歳児までの保育料を下げてほしい。月に6万円近い保育料は高すぎます。時短で働いていても給料の半分近くが保育料になり子どもの将来のために必要なところにお金を使えない(預金やならい事など)。(86p)

 

 上記の声は切実なものではあるでしょうが、認可保育所に入れずに仕事をやめざるを得なかった人などからすると「強欲!」と感じるかもしれません。

 

 ただし、例えば病児保育を利用すれば、さらにお金が必要ですし、多子世帯への軽減策も、例えば、「3人が同時に保育所に入っていたら3人目は無料」といった満たすのが難しい条件がついていて、必ずしも負担の軽減につながっていないのが現状です。

 

 また、所得が高い世帯でも経済的な負担を感じているケースも多いです。

 

 保育料が年収に応じてはつらい。共働きで年収合算して保育料が高額になる(=所得税もいっぱい払ってる=医療費もかかる(1歳誕生月以降、普通であれば中3まで無料)。あれもこれも負担が大きくなる。所得に応じての負担は理解できるが、保育料だけじゃなく同時にこれだけの負担が増えていることも社会に知ってほしいし、考慮してほしい(保育料は一律など)。[略]金銭面はたとえ余裕がある方だとしても家事・育児の時間に関しては余裕がない。そういう意味では気持的にしんどいし(常に部屋の掃除が後回しになって汚い、子どもに関わる時間がゆっくりとれない)、お金で解決することになり(ご飯を買う、食洗機の利用など)、生活は周囲が思っているほど楽ではない。(91p)

 

 これもお金で解決することのできない家庭にとっては「強欲!」となるのでしょうけど、所得の高低に関わらず、子育ての負担は大きなものがあり、行政がその軽減に成功していないということは事実なのでしょう。

 

 以上は、本書の第3章の内容になります。

 この母親の負担感が大きいのは、子育ての負担や責任が母親に集中しているからです。この父親不在の育児の問題を指摘しているのが第4章、子育てに対する職場の無理解を指摘しているのが第5章です。

 第5章では、夫はいわゆる「母親に優しい企業」に勤めているが、そのために転勤や負担感のある業務が男性にまわり、その妻である自分が満足に働けないとの声も上がっています。

 また、「育休をもっと柔軟にしてほしい」との声もありますが、「そもそも非正規は育休すらない」との声もあり、ここでも「下には下がいる」みたいな地獄的な状況が口を開けています。

 さらに第6章では、コロナ禍の中の母親の苦しい状況についても触れられています。

 

 ここでは第3章でとり上げられている保育制度に対する母親の声を中心に紹介しましたが、ここからは「公正な制度」の難しさが見てくると思います。

 「勤務時間が長い人が優先される」とか「点数が同点なら所得の低い人優先」とか「きょうだいがその保育園に在籍していれば優先する」といったルールは、基本的にはもっともなルールなのですが、個別の声を拾っていくと、そうしたルールの理不尽さも見えてきます。

 

 しかも、この保育園の当落というのは何回も繰り返して行われるものではなく、多くの母親にとって1歳の4月に入園できるかが死活的に重要です。

 特に、日本のように新卒重視の採用を行っている社会では、保育園に入れないことが、失職→生涯賃金の大幅な低下に繋がりかねません。

 このような状況下では、万人が納得する「公正な制度」をつくって運用することはほぼ不可能でしょう。

 

 こうなると、個々の事情に応じられるようにさらなる制度の精緻化をはかるのではなく、保育園を義務化しても大丈夫なくらいの勢いで保育園の供給を増やすか、賃労働<児童手当くらいの形にして保育園への需要を減らすくらいのことをしないとだめなのかもしれません。

 

 また、日本の新築至上主義のもとでは、保育園への需要は一時期に集中するという面もあり(大規模マンションができれば待機児童が深刻化するが、しばらくすればそのマンションの子どもはみんな大きくなって、保育園が定員割れする)、本来ならば街づくりのあり方から検討すべき問題なのかもしれません。

 

 しかし、「保育園に入れない」というのは「今ここ」の問題であり、街づくりから見直して10年後に解決したとしても、今困っている母親にとっては意味がないわけです。

 

 コロナ禍以降、出生数は一段と減ってしまっているわけですが、逆に言うと保育園の需給に関しては需要超過が緩むということでもあります。

 これを1つの機会として、地道に保育の需給関係の改善に務めるしかないのかもしれません。