監督が『レディ・バード』と『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のグレタ・ガーウィグということで期待して観に行ったんですが、期待通りに面白かったですね。
まず、いろいろと解釈したくなる映画ですが、そうした解釈なしでもキュートなマーゴット・ロビーと「ヒロイン力」満載のライアン・ゴズリングは素晴らしいですし、散りばめられているパロディも笑えます。単純に面白い映画だと言えるでしょう。
グレタ・ガーウィグは今まで、「あるあるネタ」の調理が抜群にうまい作家だと思っていましたが、このように虚構で埋め尽くすような作品(を撮っても上手いんですね
一般的には「女性をエンパワメントする映画」ということになり、それは決して間違っていないのですが、同時にバービーのボーイフレンドであるケン(たくさんのケンが登場するけど主にライアン・ゴズリング)の物語でもあります。
ケンはバービーのボーイフレンドという役割の果たすためだけに存在しており、中身は空っぽです。しかも映画ではご丁寧に性器がついていないことも明言されています。
ケンはバービーとともに人間の世界に行き、そこで人間世界では男性優位であり、社会の重要な地位は男性が占めていることを見て興奮します。
そこで「有害な男性性」に目覚めて、バービーランドを男社会の「ケンダム」に作り替えようとします。
このように書くと、いかにもフェミニズムっぽい展開だと思うでしょうが、ここで「有害な男性性」があってはならないものではなく、ケンがバービーのアクセサリーではない存在になるために経由しなければならないもののように描いている点が、この映画の1つの特徴だと思います。
立派な小学生男子が、中学生になると性に目覚めて退化してしまうように、ケンにとっては必要な退化に見えます。
ケンは他のケンたちと戦うことになるのですが、『プライベート・ライアン』やザック・スナイダーの『300』のパロディみたいになっているそのシーンは本当に楽しそうでもあります。
一方、バービーの方も、女の子に夢を与える存在であるとともにルッキズムの塊でもあることが示されています。
いろいろなバービーが大統領になったりノーベル賞をとったりしているバービーランドですが、「美」という基準に支配された国でもあるのです。
ですから、人間の世界に行ったバービーは、意識が高そうな少女から「ファシスト!」と罵倒されてしまうわけです。
バービーは女の子たちの憧れでもありますが、同時に「バービー」というイメージは、現実にはバービーほど完璧ではない女の子たちを抑圧する存在でもあります。
バービー人形はさまざまな人種や体系などがつくられてはいますが、本作品は、こうしたバービーの二重性に自覚的です。
また、バービーは持ち主によってさまざまな服を着せられる人形です。
人間の子どもも生まれたときには親から可愛い服を着せられるだけですが、人間はやがて自らの意思を持って親が買ってきた服を拒否するようになり、親から離れていきます。
この映画は完璧だが成長しないバービーが、不完全だが成長することを選んだ物語と言えるのかもしれません(最後の婦人科のシーンは、バービーがままならない女性の身体を受け入れるシーンだと思いました)。