呉明益『複眼人』

 『歩道橋の魔術師』や『自転車泥棒』などの著作で知られる台湾の作家・呉明益の長編小説。

 2011年に刊行され、世界14カ国で翻訳された呉明益の出世作とも言うべきもので、2015年に出版された『自転車泥棒』よりも前の作品になります。

 

 帯にはアーシュラ・K・ル=グィンによる「こんな小説は読んだことがない。かつて一度も」という言葉と、「台湾的神話×ディストピア×自然科学×ファンタジー」という文句があって、何やら想像もつかないような話が待っているような気もしますが、意外と日本のサブカルチャーの生み出す話に近いものがあるので、日本の読者には比較的受け入れやすい話なのではないでしょうか。

 ネットでも同じ感想を目にしましたけど、個人的に思い出したのは五十嵐大介原作のアニメ映画『海獣の子供』。マンガの原作は読んでいないために、マンガとの細かい類似は語れませんが、神話的な世界からやってきた少年と文明圏に属する女性との出会い、ダイナミックな自然描写、神話的な出来事と個人のトラウマとのリンクなど、共通点はいろいろあると思います。

 ただし、その神話的な少年との出会いがゴミの島と台湾との衝突であるという点はこの小説の斬新な所です。

 

 ワヨワヨ島という、昔ながらの生活を維持している島に住む少年アトレは、次男以下は島を出なければならないという島の掟に従って小さな船で大洋に漕ぎ出し、文明世界に住む人々が捨てたゴミが集まってできたゴミの島に漂着します。

 一方、台湾の大学で文学を研究しているアリスは、デンマーク人の夫のトムと息子のトトを山の事故で失い、生きる気力を失っています。

 小説の前半では、文字をもたずにさまざまな伝承や野性的な勘で生き延びていくアトレと、文学という文字が生み出したものに人生を捧げ、現在は希望を失っているアリスが交互に語られていきます。

 

 このあたりはやや図式的な感じもありますが、この小説では台湾の原住民の布農人で山岳ガイドでもあるダフ、阿美人で居酒屋を開いているハファイ、トンネル技師のデトレフ、その恋人でエコロジストのサラといった人物が登場し、文明と自然の関係をより多角的に描き出しています。

 そして、タイトルにもなっている複眼人。昆虫のようにたくさんの眼を持った存在がこの小説の謎を引っ張り、最後には人間が「記憶すること」「書くこと」といったものを問い直します。

 なかなか簡単には語りきれない豊富な要素を含んだ小説です。

 

 ただ、最初にも述べたように日本のサブカルチャーではみかける想像力ではあると思うので、欧米の読者にとってはともかく、日本の読者にとっては『歩道橋の魔術師』や『自転車泥棒』の方が呉明益の突出した才能を感じられるかもしれません。

 

 

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