2019年のTwitter文学賞の海外編1位など、さまざまなところで評判を読んでいた本がこの度文庫化されたので読んでみました(それにしても本屋大賞の翻訳小説部門第2位とTwitter文学賞が帯で並んで紹介されているのは熱いですね)。
全部で24篇の短編が収録されており、全部が基本的には短いです。基本的には「最低」な人生の一コマがさまざまな形で切り取られており、そういった意味では『ジーザス・サン』や『海の乙女の惜しみなさ』のデニス・ジョンソンや『奪い尽くされ、焼き尽くされ』のウェルズ・タワーあたりの近年のアメリカ文学の流れを思い出させるのですが、読み進めていくと、それらとは少し違います。
著者のルシア・ベルリンは1936年にアラスカに生まれた女性で、鉱山技師だった父親の仕事の関係で各地を転々としつつ、チリなどでも過ごした経験を持ちます。
3回の結婚と離婚をしながらシングルマザーとして4人の息子を育て、学校教師や看護助手、掃除婦、電話交換手などの職を転々としたといいます。
アルコール中毒になりながらも小説を書くようになり、90年代には刑務所の創作クラスで教えたりもしていました。
1985年に本作にも収録されている「私の騎手(ジョッキー)」でジャック・ロンドン賞を受賞していますが、その名声が高まったの晩年になってからになります。
このように著者は非常に波乱に富んだ人生を送ってきており、小説も自身の人生の一部を切り取ったものになります。
それは子ども時代の学校の思い出であったり、イカれた親戚の話だったり、掃除婦として働いていた頃の話だったり、いろいろで、本当にいろいろすぎて、「一体何をしたらこんなにさまざまな境遇になるのか?」と思うほどです。
そこで最初は、このありえないほどのさまざまな体験が本書の面白さをつくり上げているように感じるのですが、「どうにもならない」を読んで、それだけではないことを思い知らせれました。
「どうにもならない」はアル中の主人公が、子どもたちに酒をとり上げられたものの、夜中に酒がないことに耐えられなくなり、家からけっこうな距離がある店まで深夜に酒を買いに行くという話です。
わずか6ページほどの作品なのですが、過去にアル中の人間の状況をここまで切迫感をもって書いた文章は読んだことがなかったです。とにかく酒がないとまともに動くことすらできない状況で、それゆえにほとんど命がけのような形で酒を求めるアル中の姿が鮮烈に描かれています。
アル中の作家は今までもたくさんしましたが、自らのアル中の状態をここまで冷静に、そして切迫感をもって書ける作家はなかなかいないと思います。
「さあ土曜日だ」は、著者が刑務所の創作クラスで教えていた経験を生かして書かれた作品ですが、主人公は著者の分身ではなく、受刑者になっています。
CDという一目置かれる人物が創作クラスでもその才能を発揮して…という作品なのですが、この作品は構成が決まっていて、短編をつくるテクニックも十分にあったことがわかります。
ただ、それでもやはり著者の真骨頂は、短編をうまく組み上げる力よりも、自らの経験を鮮度を保ったままに切り取る力なのだと思います。
各短編は短いながらも、とにかくその切り取り方が鮮烈なので、1篇読むと結構満足してしまうというのも本書の特徴かもしれません。