パウリーナ・フローレス『恥さらし』

 白水社の<エクス・リブリス>シリーズの1冊で、著者は1988年生まれのチリの若手女性作家。チリといえばドノソやボラーニョが思い浮かぶわけですが、訳者の松本健一が「訳者あとがき」で指摘しているように、「日本でも翻訳文学に親しんでいる人ほどラテンアメリカ文学に「次世代のガルシア=マルケス」を期待する傾向」(269p)があるのに対して、全く違うタイプの作家はたくさんいるわけで、このパウリーナ・フローレスもそんな1人です。

 いわゆる「マジック・リアリズム」的な要素はなく、地名などを消して「スペインの作家です」と言われれば、そのまま信じてしまうかもしれません(注意深く読むとピノチェト政権を暗示したりしている部分はあるのですが)。

 ただし、所々に非常に「不吉さ」を感じさせる作家であり、そのあたりは少しボラーニョに通じる面はあるかもしれません。

 

 収録作品は以下の通り。

恥さらし
テレサ
タルカワーノ
フレディを忘れる
ナナおばさん
アメリカン・スピリッツ
イカ
最後の休暇
よかったね、わたし

 

 この中で一番「不吉さ」を感じさせるのが「テレサ」。

 主人公は、ある日、図書館の前で6歳くらいの女の子とその父親にみえる二人組みに出会います。女の子をトイレに1人で行かせたことが気になった主人公は、図書館の中で出口がわからなくなっている女の子を見つけ、パパの待つ出口を教えてあげます。

 そこからその父親と会話をしてそのハンサムな顔立ちに惹かれます(ただし主人公はテレサという偽名を使う)。そして、彼と女の子の家に行くことなるのですが、どうもこの二人組みの様子は変であり、周囲には「不吉さ」が漂います。そして、この「不吉さ」は最後まで解消されません。

 

 ハンサムであること、あるいは男性の魅力がトラブルを呼ぶというのは、この短編集の特徴の1つで、例えば、表題作の「恥さらし」はハンサムな父とその父を自慢に思う娘の話です。失業しているハンサムな父にぴったりな仕事を探そうとする9歳の娘の行動が失望を呼び込みます。

 

 他にも最後に収録されていて、この短編集の中では最も長い「よかったね、わたし」にも娘にとって魅力的な父親が出てきます。

 この短編ではデニスという若い女性を主人公にした話と、ニコルという女の子を主人公にした話が交互に語られます。前者はほぼ現代の話で、後者はおそらく90年代後半の話です。後者の時代が推定できるのは、主人公と友人のカロリーナが「セーラームーン」の話をするからです(「訳者あとがき」によるとチリで「セーラームーン」の放送が始まったのは1997年)。「セーラームーン」をきっかけに知り合ったニコルとカロリーナはセーラームーンのカードを集め、二人で「ゾディアック騎士団」(「聖闘士星矢」のスペイン語タイトル)を一緒に見る仲になります。

 放課後に親の目を盗み、絨毯に座って、トマトチーズサンドを手に『ゾディアック騎士団』を見る幸せを定義することは誰にもできないだろう。(195p)

 一方、デニスの話は、自分の部屋で他人のセックスを覗き見ているという変わった状況から始まり、なぜそうなっているかという経緯が語られます。

 

 ニコルの話では、子供同士の友情が語られますが、ニコルの両親は俗物で口うるさい母と不安定で魅力的な父の組み合わせで、その父がある種の破局を呼び込むことになります。

 ちなみに俗物っぽい母親というのは、「フレディを忘れる」にも登場しますが、こちらもやや「不吉さ」をもった小説です。

 

 男の子を主人公にした「タルカワーノ」、「最後の休暇」などもうまい作品ではありますが、どちらかというと女性や女の子を主人公にした作品に「不吉さ」が漂っており、そこが面白いと思います。