ミロスラフ・ペンコフ『西欧の東』

 1982年にブルガリアで生まれたミロスラフ・ペンコフの短篇集。ペンコフは2001年にアメリカに渡り心理学などを学んだあとに創作活動に入っており、この作品も英語で書かれています。

 東欧の作家というとダニロ・キシュなんかをはじめとして一文が長いひねった文章を書く印象がありますが、英語で書いているせいもあって、非常にシンプルで短い文章によって綴られえいます。

 

 さて、ブルガリアというと何が思い浮かぶでしょうか?

 多くの日本人にとって、まずは「ヨーグルト」と「琴欧洲」であり、サッカー好きならば94年のアメリカW杯の得点王で柏レイソルでもプレーした「ストイチコフ」の名が上がり、そのあたりで止まってしまうと思います。

 ブルガリア社会主義国だったことは多くの人が知っていると思いますが、そこにはチトーのような偉大な指導者も、チャウシェスクのようなひどい独裁者の名前もありません。

 東欧出身で英語で書く作家というと、この小説の訳者である藤井光が訳したテア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』が思い出されますが、同じように過去の伝説やお伽話などを引用しつつも、ユーゴ内戦というモチーフのあるオブレヒトの小説に比べると、そういった材料は欠けています。

 

 そんな「なにもない」ブルガリアですが、著者はそうした評価に反発し「豊穣なブルガリア」を差し出すわけではなく、ある種の「なにもなさ」を受け入れつつ、その歴史や、歴史から切り離されてアメリカに行った人間(著者のこと)を描こうとしています。

 

 タイトルにもなっている「西欧の東」は、そんなブルガリアの「なにもなさ」を描いた作品といえるでしょう。

 実はこの「西欧」とは隣国のユーゴスラビアのことです。社会主義体制下でのブルガリアでは西側のものはほとんど入ってきませんでしたが、中立的な立場をとっていたユーゴスラビアには西側のものが入ってきていました。

 この小説では戦争で領土が割譲されたことによってブルガリアユーゴスラビアセルビアの2つ国に分かれてしまった村を舞台に、年に一度の川を渡っての村同士の交流と、僕とヴェラの密かな交流が描かれています。

 

 「レーニン買います」は、米国に渡った僕と社会主義を信奉する祖父との交流を描いた作品。社会主義の檻から出てアメリカに生き、果たして自由になれたのか? というお話です。

 

 「ユキとの写真」は、主人公がアメリカで日本人女性のユキと出会い結婚し、不妊治療のためにブルガリアを訪れるというもの。主人公とユキのカップルはブルガリアの田舎では浮いているわけですが、そんなときに思わぬアクシデントが起こり、やや苦い結末を迎えます。

 

 「夜の地平線」は、ブルガリアで行われたトルコ人に対する同化政策を背景とした作品です。作品自体は「神話的」と言ってもいいような内容で、実際の社会問題に迫ったようなものではないのですが、バグパイプづくりの職人の父にケマルという男性の名前を付けられた少女を主人公に、アイデンティティや政治的な閉塞が描かれます。

 

 最後を飾るのが「デヴシルメ」。グリーンカードに当たって夫婦で米国に来たものの、生活がうまく行かずに妻に捨てられた主人公と娘の話の交流と、主人公が娘に語る絶世の美女であったひいおばあさんと彼女をスルタンに差し出そうとするイエニチェリのアリー・イブラヒムの話が交互に語られていきます。

 離婚した父と娘の交流というのは映画などでもよく描かれる定番で、どこかしら哀しかったりするのですが、この小説ではそれに主人公がブルガリアの大地から切り離された哀しさも加わって印象深い作品となっています。

 収録作品の中でも一番良かったですね。

 

 同じ東欧出身で英語で書く作家でも、最初に上げたテア・オビレヒト『タイガーズ・ワイフ』 ボスニア出身のアレクサンダル・ヘモン『愛と障害』 に比べると、この本のインパクトは弱いですし、派手さもありません。

 ただ、そのインパクトのなさを十分に受け止めた上で、それでもブルガリアが体験した歴史や政治的な抑圧、冷戦後の空虚感などを比較的淡々と描いているのがこの小説の良さでしょう。