横山智哉『「政治の話」とデモクラシー』

 よく「政治と宗教の話はタブー」と言われます。一方で、市民として政治に関心を持つことは重要だと言われ、「政治についてもっと話し合うべきだ」とも言われます。一体、われわれは政治の話をどう扱えばいいのでしょうか?

 そして、そもそも「「政治の話」とは何なのか?」という問題もあります。

 国会の動きについて話は「政治の話」でしょうが、景気の話や環境問題などはどうなのでしょうか? 

 また、「政治の話」をすることで、政治についての知識が増えたり、政治に積極的に参加するようになったりするのでしょうか?

 

 本書は、そうした問題に対して、まずは「政治の話」がどのようなものなのかを規定し、次いで身近な人(家族や親しい友人)との会話、ミニ・パブリックスのようなデザインされた議論も場に分けてその効果を分析しています。

 

 その結果、親しい人の間では政治の話はタブーではないこと、ミニ・パブリックスのような場を設定すれば政治などの知識は向上するが、その効果はあまり持続しない可能性があるということなど、いくつかの興味深い知見が示されています。

 近年の学校では「主権者教育」の必要性が指摘されていますが、「どのようなことをすればよいのか?」、「本当に効果があるのか?」ということを考える上でも本書で示されている知見は重要だと思います。

 

 目次は以下の通り

序 章 民主政における「政治の話」が果たす役割
 第Ⅰ部 「政治の話」に関する問い
第1章 政治的会話の問い
第2章 政治的議論の問い
 第Ⅱ部 政治的会話の実証分析
第3章 政治的会話の構造
第4章 政治的会話の抵抗感
第5章 政治的会話の動機
第6章 政治的会話と政治知識
第7章 政治的会話と政治参加①──認知レベルの心理変数を媒介とした分析
第8章 政治的会話と政治参加②──態度レベルの心理変数を媒介とした分析
第9章 政治的会話と政治的寛容性
 第Ⅲ部 政治的議論の実証分析
第10章 政治的議論の効果──ミニ・パブリックスに基づく検証
第11章 政治的議論の効果の持続性
終 章 「政治の話」はデモクラシーの資本たりうるか

 

 まず、「政治の話」をどう捉えるかですが、アメリカでも日本でも「あなたは家族や友人と、どの程度政治について話しますか?」というような設問で調査が行われています(26p表1.1、27p表1.2参照) 。

 ただし、このような設問だと「政治」をどのように捉えているかで答えが変わってくるかもしれません。例えば、夫婦別姓の問題でも社会保険料の引き上げでも、これを「政治の話」として捉える人もいれば、そうでない人もいると思います。

 

 ちなみに国際調査である世界価値調査(WVS)によると、政治的会話をする割合を見ると、2017−2022年に行われた第7波調査で、世界平均は65.40%、アメリカが89.02%、韓国が76.22%に比べ、日本は50%台前半と低いですが(32p図1.2参照)、「政治の話はタブー」というわけでもないことがわかります。

 

 さて、「政治の話」とは何なのか? という問題ですが、本書ではトピックモデルによる推定というものを行っています。

 詳しく説明する能力はないので、本書を見てほしいのですが、「あなたは日頃、どのくらいの頻度で、政治について家族や友人などと話しますか?」と訪ねたあとに、「あなたが上記の質問に回答する時に、どのような会話の内容を「政治」として思い浮かべましたか。どんなことでも結構ですので、いかに自由にご記入ください」と質問を重ね、そのデータを分析していきます(58−60p)。

 

 この手法だと調査時期によってさまざまな記述が登場しそうですが、本書では2012年11月〜2013年1月にかけてオンラインで行われた調査を元にして、「政治」に関連するトピックを抽出しています(自由記述の例は65p表3.3参照)。

 その結果、政治的会話に含まれる単語は以下の6つのトピック、「政党」、「選挙」、「政策争点」、「外交」、「景気」、「税金」から生成されやすいと分析しています。

 

 では、これらの話題はタブーなのでしょうか?

 先行研究では「政治の話」には抵抗があると示すものもありますが、本書の調査によれば、「国や政府」の話題はその他のもの、例えば「事件や犯罪」、「自分や家族」、「教育」などに比べて抵抗があるとは言えません(84p図4.2参照)。

 

 第5章では、「人々はなぜ政治的な会話をするのか?」という問題もとり上げています。

 その結果として浮上しているのが「感情共有」という理由で、「議論」や「情報提供・獲得」といった理由を上回っています(94p図5.1参照)。

 

 つづく第6章では「誰が政治的会話を通じて政治知識を獲得するのか」という問題をとり上げ、政治関心が低い人ほど政治的会話を通じて政治知識をお丘獲得していることを明らかにしています。

 

 7章では「なぜ政治的会話が政治知識を高めるのか」という問いから、さらに「政治的会話は政治参加を促進するのか、仮にその効果が認められた場合には、なぜそのような効果が生じるのか」という問いに答えようとしています。

 

 まず、検討されているのが人々が他者との会話から政治情報を獲得しているという「接触仮説」です。

 なんだか当たり前のことを言っているようにも思えますが、政治的会話を交わす他者は家族や友人といった親密他者が大半であり(この傾向は日本だけには限らない)、これが政治的知識を増やすかどうかを検討することには意味があるでしょう。

 もう1つの仮説が他者との政治的会話を交わすプロセスで政治情報に対する精緻化が行われるという「議論による精緻化仮説」があります。これはいわゆる熟議などを想定してもらえばいいと思います。

 そして、多くの先行研究が政治知識は政治参加の主たる規定要因になることを明らかにしていることから、「政治的会話が政治参加を促進する効果は、政治知識に媒介される」という仮説も検討しています。

 

 本書では、2014年4月〜5月に東京都墨田区で行われた調査をもとにこうした仮説を検討しています。

 政治に関するいくつかの問題を出して政治的知識を測定しつつ、政治参加や政治的会話の頻度や様態などを尋ね、それを分析していますが、なかなか複雑な分析がなされていますので詳しくは本書を御覧ください。

 

 分析の結果、異質な情報接触は政治知識を高めることが確かめられましたが、情報の精緻化の効果は確認されませんでした。また、ここでは新聞の購読だけでなく、ポータルサイトYahoo!)の利用が政治知識に正の効果を与えているところが興味深いです(123p図7.4参照)。

 政治的会話→政治知識→政治参加の関係ですが、政治的会話が政治的知識の増大を通じて統治政治参加(献金やカンパ、政治家や有力者への接触など)を促進することが確認されました(125p図7.5、127p図7.7参照)。

 一方、政治的会話は選挙政治参加(選挙や政治の集会への参加、選挙運動の手伝い)が政治的会話によって促進されることは確かめられませんでした(126p図7.6参照)。 

 

 第8章では、政治的会話と政治参加の関係について、「政治に対する心理的距離」という概念を導入して分析しています。

 政治的会話を行うことで、「どこか遠い世界で行われている」という政治のイメージが変わってくるのではないか? というわけです。

 

 ここでも詳しい調査法は本書を見てほしいのですが、政治的会話が政治に対する心理的距離を縮める効果は確かめられています(144p図8.3参照)。

 また、統治政治参加に対する政治的会話の効果はこの調査でも確かめられていますが(144p図8.3参照)、選挙政治参加に対する効果はここでも確かめられていません(147p図8.4参照)。

 これについて、著者は次のように述べています。

 上記の結果は日常場面で交わされる政治的会話が「他者の説得」を目的とする道具的な行為としての役割が小さく、一方で対人間のコミュニケーションを主目的とする自己充足的な行為としての役割が大きいという本書のこれまでの議論と整合的である。(148−149p)

 

 第9章では政治的会話と政治的寛容性の関係が分析されています。

 SNSなどのやり取りを見ていると、政治的会話はむしろ分断につながるのではないか? とも思われるわけですが、日常的な会話はどうなのでしょうか?

 

 本書では「原子力発電所の再稼働問題」という争点を用いて、この効果を分析しています。

 具体的には、自分と反対の意見を言う人の主張を受け入れるかどうかということを訊尋ね、さらに自分が再稼働に賛成か反対かを訊いた上で、自分とは違う立場の他者と横断的会話の経験の頻度についても訊いています(調査は2015年3月)。

 

 結果、横断的会話が異質論拠の正当性を高める(自分とは違う立場の論拠を認める)傾向があることがわかったものの、有意な傾向にとどまっています(165p図9.1参照)。

 また、横断的会話が政治的寛容性高める(自分とは違う立場の主張を受け入れる)、効果は確認されています(165p図9.1参照)。

 

 第10章と第11章ではミニ・パブリックスの効果を検証しています。

 ミニ・パブリックスとは、一般市民を集めて政治的な問題について話し合ってもらう試みのことで、本書では2016年に静岡県で実施された「外国人労働者の受け入れ政策」を議題とするミニ・パブリックスがとり上げられています。

 この試みには331名が参加しており、資料の閲読後、8名程度の集団に分かれて自己紹介とフリーディスカッションを行い、さらに問題についてのさまざまなレクチャーを受けたあと、再びフリーディスカッションをするという流れになっています(トータルでだいたい4時間程度、詳しくは183p図10.2参照)。

 

 こうした流れの中で、何回か調査を行っているわけですが、まず、争点知識については資料の閲読後に大きく上昇し、集団討議後も上昇がみられます(190p図10.4参照)。こうした試みが知識を増やす効果はあると言えます。

 

 次に政治的寛容性が増したかどうかもチェックしています。これは外国人労働者の受け入れに対して寛容になるというのではなく、第9章の原発再稼働のものと同じく、自分とは違う立場の主張を受け入れるか否かです。

 違う立場を指示する他者への感情温度を測定していますが、これは資料閲読だけでは十分に高まらず、集団討議後に有意に高まることが明らかになりました(192p図10.5参照)。集団討議には政治的寛容性を上昇させる効果があると言えます。

 また、傾向としては、資料の閲読だけだと「外国人労働者を受け入れる」シナリオを支持する他者への感情温度のみが高まる傾向がありますが、集団討議後には「受け入れない」シナリオを支持する他者への感情温度も高まる傾向がみられます。

 

 また、一連のプロセスを通じて、排外意識や外国人労働者を経済的に脅威と考える傾向も薄まることが確認できますが、資料閲読だけでは十分ではなく、集団討議を経てその効果がしっかりと確かめられる形になっています(196p図10.9参照)。

 

 最後の第11章では、ミニ・パブリックスで得られた効果がどのくらい持続するのかが検証されています。具体的には、第10章で紹介した調査に参加した人に対して半年後に調査を行っています。

 その結果は、自分とは違った立場の他者への感情温度の高まりや、外国人への排外意識の低減は、半年後にはミニ・パブリックスの参加前と同じような水準に戻ってしまうというものです(205p図11.1、207p図11.3参照)。

 これはミニ・パブリックスに期待を寄せている人には残念な結果ですが、これは本書でとりあげているミニ・パブリックスが4時間程度と軽いものだったからかもしれません。もっと長期にわたる討議やレクチャーであれば、効果が長続きする可能性もあるかもしれません。

 

 このように、本書は「政治の話」という曖昧模糊としたものを何とか実証しようとし、いくつかも興味深い知見を引き出しています。

 もちろん、「政治の話」の中身やその効果についてはさらなる研究が求められるのでしょうが、本書が導き出した「身近な人との政治の話が政治の知識を増やし、政治参加を促す可能性があり」「ミニ・パブリックスは効果があるがその効果は長続きしない」といった知見だけを取り出してみても、十分に意義のあるものでしょう。

 例えば、中学や高校の主権者教育においても、2〜4時間位を使って何かイベント的なことをするよりも、授業において頻繁に政治的話題について触れるほうが効果的なのかもしれません。

 

 実証分析を前面に押し出していてスタイルとしてはとっつきにくいところがあるかもしれませんが、多くの人にとって興味深いであろう知見をもたらしている本です。