『ピンポン』、『三美スーパースターズ』などで知られている韓国の作家パク・ミンギュの短編集で、パク・ミンギュが初めての翻訳にもなります。
本書の訳者あとがきでは、訳者の1人が日本では本屋に行っても韓国人作家の本がほとんど並んでいないことを嘆いているのですが、その頃(本書は2014年刊行)からずいぶんと状況は変わりましたね。
本書は韓国文学の紹介を引っ張ってきた斎藤真理子が世に出た作品でもあり、本書が第一回日本翻訳大賞を獲ったことで一躍注目され、その後次々と翻訳を送り出したので、日本における韓国文学ブームのきっかけをつくった重要な本だと言えるかもしれません。
そして、パク・ミンギュですから当然といえば当然ですが、面白い。そして面白さの中に泣ける要素もある。
例えば、「そうですか? キリンです」は、ラッシュの時に駅のホームで乗客を電車に押し込むバイト(プッシュマンと呼ばれている)が主人公です(日本にも昔ありましたが、今はあるのかな?)。
主人公の父親は零細の商社勤めで、給料的にはまったく冴えないため、バイトをしています。コーチ兄貴と呼ばれる人物からさまざまなバイトを紹介され、いろいろとやっているのですが、給料が良いと言われて始めたのがプッシュマンです。
この満員電車とそこに人を押し込む時の描写が素晴らしいのですが、とにかく主人公は人間をものだと思って満員電車に押し込みます。
ある日、満員電車から自分の父親がはじき出されてきたのですが、主人公は父親を押し込むことができないのです。
そこから、母親が病気で倒れて…といった具合に主人公を取り巻く環境はますます厳しくなっていくのですが、とにかく「かなしさ」と「面白さ」がいい乱れたいい短編ですね。
「コリアン・スタンダーズ」は、「農村という言葉がある。」(176p)という一文から始まります。
学生運動のスター的な存在だったキハ先輩は、政界からの誘いも断って農民運動に身を投じましたが、都会でサラリーマン生活を送っている主人公のもとに、そのキハ先輩から相談があるから来てくれとの連絡が入ります。
そして、行ってみると、先輩は「宇宙人の襲撃を受けているんだ。」(188p)と真面目な顔で言うのです。
これも、「せつなさ」と「面白さ」が入り混じった作品でいいですね。
「甲乙考試院 滞在記」も「せつなさ」と「面白さ」が入り混じっています。
ラストに置かれた「朝の門」は集団自殺を図ったものの死ねなかった男と、妊娠を隠しながらコンビニで働いている女を交互に描く、ややヘヴィーな作品で、今までの作品ではファンタジーにくるまれていた韓国社会の矛盾が露出しています。
他の作品も面白いですが、とにかく高橋源一郎の小説が好きな人にはお薦めです。
高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』などの初期の作品に最も近いのが、このパク・ミンギュのような気がします。
そして、『さようなら、ギャングたち』が大好きな自分にとっては文句なしに好きなタイプの小説ですね。