首藤若菜『雇用か賃金か 日本の選択』

 新型コロナウイルスによるパンデミックは経済活動に大きな影響を与え、多くの人が職を失いました。

 本書の前半では、まさに需要が喪失したといっていい航空業界をとり上げ、日本と欧米の会社で対応がいかに違ったかということから、日本の雇用社会の特質を探る議論を行っています。

 

 前半に関しては、モビリティをテーマにしたネットメディアの「Merkmal」で紹介記事を書いたので、そちらを読んでほしいと思います。

 

merkmal-biz.jp

 

 簡単にまとめると、日本の航空会社(ANA)は、コロナによって旅客需要が激減すると、新卒採用を打ち切り、休業・休職制度を活用を呼びかけ、賞与も半年程度から1〜2ヶ月程度に削減し、さらに月例賃金のカットにも踏み切りました。

 希望退職者の募集も行いましたが、指名解雇は行わず、あくまでも自主的なものとして進めました。もちろん、出向なども活用されましたし、関連会社では非正規社員を中心に雇い止めもありましたが、全体としては雇用を守るということに重きが置かれました。

 

 一方、欧米の航空会社でも政府からの補助を受けるなどして一定の雇用の維持が図られましたが、コロナの影響が長期に渡ると判断されると大規模な一時解雇が行われました。

 ただし、賃金の引き下げに対しては労組の抵抗も大きく、多くの会社がこれを断念しています。

 航空需要の回復とともに人員の不足も深刻化し、一部では賃上げにも追い込まれました。

 このように、欧米(特にアメリカ)では、雇用は守らなかったものの、賃金は守ったと言えます。

 

 このように、コロナ禍の航空業界の動向から、日本では雇用が守られ失業率は低いものの賃金の伸びも鈍い、一方で欧米では失業率は高くなるが賃金は伸びるという傾向が見えてくるのです。

 

 ここまでは上記の記事に書いたことですが、本書ではそれ以外にも日本の百貨店業界をとり上げて、長期的な雇用調整について分析しています。

 航空業界はコロナまでは順調に業績が拡大していたものの、コロナによって突然需要が蒸発しました。一方、百貨店は長期的に衰退している業界で、2000年以降は店舗の閉鎖が止まらない状況になっています。

 本書がとり上げているA社(たぶん、そごう)も、バブル期には業界一の売上を誇っていましたが、現在は店舗の閉鎖が続いている状況です。

 

 2015年度に契約社員なども含めて1万人以上いた従業員も2020年度には6000人を割り込んでおり(161p図4−3参照)、かなりの規模の人員整理が進められています。

 これは店舗の閉鎖が続く限り仕方のないことではありますが、同時に雇用継続を望む社員に対しては会社側はできるだけ雇用の場を提供してきました。

 そしてこれは契約社員やパート社員に対しても行われており、他店舗での雇用の継続や再就職支援を行ってきました。

 

 出向も以前から活用されてきました。当初はミスマッチも多く、介護現場への出向などは上手くいかなかったようですが、出向先の見直しを繰り返して安定するようになったといいます。

 特にグループ外出向では銀行が多く、50代の男性正社員などがATM前のサービス受付などを担当しているそうです。残業がない、休日出勤がないといったことで出向先として人気もあるそうです。

 

 このように従業員の過剰感はあるのですが新卒採用は行っているとのことです。職場のノウハウや「DNA」を継承していくためにはすべての年齢層で一定の人員が必要だと考えられており、新卒採用を止めた時期があったもののその弊害も受け止めており、労使ともに新卒採用は必要と考えています。

 また、賞与の削減はあったものの月例賃金の削減は行わないようにしており、これを守ることで従業員に安心感をもってもらうことを重視しています。

 

 この会社の例からも見られるように、会社は社員に出向などを求めながらもできるだけ雇用の場を提供し続けようとします。これを著者は「本籍主義」と呼んでいます。

 本書の例でいうと、百貨店で高級紳士服を売っていた社員が50代になって地域の銀行のATMの案内をするという形です。今までのスキルが活かされているわけではありませんが、雇用の場と一定の賃金水準は維持されてるわけです。

 

 この考えはこの百貨店の場合は非正社員も対象になっています。勤務先が閉鎖されても本人が希望すれば勤務地や勤務先を変更しながら雇用の場を提供し続けるのです。

 日本の厳しい解雇規制も要因と見られがちですが、非正社員も含んでいることなどを考えると、企業の雇用責任、あるいは日本の雇用慣行を守ろうとする意識がこのような行動をとらせていると考えられます。

 このような転籍・出向はときには本人の意に反する場合もありますが、裁判においても雇用を守るために認められてきました。

 「長期雇用は、時に労働者にとって理不尽と映る配転、転勤、出向を正当化する根拠になってきた」(174p)のです。

 

 日本における雇用調整というと、どうしても非正規に対するものを想定しますが、日本の雇用調整は「遅い」ことも特徴で、その「遅い」調整は中高年正社員の出向などによっても行われているのです。

 

 ただし、こうした出向などを活用できる企業はしっかりとした人事部のある大手企業に限られているのも現実でしょう。

 本書の最後の部分では、コロナ禍でパチンコ業界が介護の現場への出向を打診したところ、現場から「使命感を共有できるのか?」と難色を示され、それを産業雇用安定センターの協力などを得ながら乗り越えた事例が簡単に紹介されていますが、労働力の移動に関してももう少し公的な機関の手助けが必要なのかもしれません。